第7話(3)
家主であるはずの一矢をすっかりその場に取り残し、秋菜が靴を脱ぎ捨てて部屋に駆け込む。素早く晴美も体を翻すが、多少広めとは言え所詮都心のマンション、限度がある。
「待ちなさいッ」
ため息を玄関に落として、のんびりとドアを閉めると靴を脱ぐ。リビングでソファを挟んで睨めっこをしている2人をよそに、片手にまとめて持ったコーラの缶を1本冷蔵庫にしまった。晴美が一矢にクレームをつける。
「何で秋菜ちゃんを連れて帰ってきたのおおお」
「連れて帰って来たのも何も、追い返すわけにはいかんでしょう」
「追い返していいもんッ」
「晴美ッ」
「追い返したところで、ここの入り方なんかあのおっさんに聞いて知ってんだったらどうしようもないでしょが」
「一矢くんの馬鹿ぁ〜ッ」
晴美が唸っているが、勝敗は目に見えている。睨み合うのに飽きたのか、秋菜が両腕を組んで居丈高に晴美を睨み据えた。
「……晴美」
「……」
「怒るわよ」
「……怒ってるじゃないのよぅ……」
5歳も年上の、しかも気の強い姉に勝てるわけがない。睨まれて怯えたような顔をした晴美は、しゅんとしながらぼそっと言い返した。秋菜が素早くぎろりと睨む。
(……鬼婆だ)
恐ろしい。関わらないに限る。持ったままの残りのコーラをぷしゅっと開ける音が、やけに白々しく響いた。
「ま、観念したら?」
キッチンの方から冷蔵庫に寄りかかってコーラを口に運ぶ一矢に、晴美が拗ねたような視線を投げた。
「う〜」
「もう十分『マンション暮らし』は堪能したでしょ。……何度も言うけど、俺、仕事でちょくちょくいないんだから、やっぱりあんまり、良くないよ」
秋菜を援護するような言葉に、秋菜が少し意外そうに一矢を見た。それから珍しく一矢の言葉を真っ向から肯定する。
「そうよ、晴美。もっと大きくなってから、自分で家を出れば良いの」
「俺がいる時に、一泊だの二泊だのってんだったら、また来ても良いからさ」
缶を爪で弾いて鳴らしながら言った一矢の言葉に、晴美は唇を尖らせて黙りこんだ。それから秋菜を上目遣いに見る。
「……おじさんと、仲良くしてくれる?」
「それとこれとは別問題」
晴美の抵抗も儚く、秋菜がばっさりと切り捨てる。やはり一矢の読み通り、そこについては晴美の家出は別に影響はないようである。それはそうだろう。
「じゃあ晴美、帰らな……」
「晴美」
悪あがきを続ける晴美の言葉を、腕を組んだままの秋菜の低い声が遮った。
「帰る支度をしなさい」
「……はぁ〜い……」
圧倒的権力者の前に敗北を喫した晴美の言葉で、一矢の『家庭生活』は、早くも終了を迎えた。
世の中には、バレンタインデーと言うイベントがある。
子供じゃあるまいし馬鹿馬鹿しい、とは思っていても、店頭にお洒落なラッピングがされた数々のチョコレートが並び、至るところにハートマークが節操なく乱れ飛んでいれば、少しは気にかかってしまうのが女性と言うものである。
京子は、これまでバレンタインに意中の人にチョコレートをあげたことが、一度だけある。高校時代にやっていたモデルのアルバイトでお世話になっていた、出版社の男性のことが好きだった。告白などと言う大それた真似が出来なかったので、関係者の男性全員にチョコレートをあげる名目でひとりだけ、彼にあげたものだけが他の物とは違っていた。
けれど、相手の男性はそのことに気が付かなかったのか、気が付いても気が付かないフリをしていたのか……いずれにしても、何があったわけでもなくその片想いは終わってしまった。それほど遠い昔の記憶ではないにしろ、今となっては懐かしい思い出である。
Opheriaの仕事がオフのその日、京子はのんびりと買い物がてら渋谷まで足を伸ばしていた。
京子の家は渋谷区の富ヶ谷で、最寄り駅こそ小田急線の代々木八幡だが、晴れた休日にのんびりと散歩気分で渋谷駅の方まで歩いていけない距離ではない。途中で店などを覗きながら歩いていれば、真っ直ぐ歩いて40分程度の距離、大して長くは感じない。
渋谷と言う街は、何にしても気の早い街である。クリスマスと言えば10月の終わりからその匂いが漂い始め、バレンタインとくれば2月に入った瞬間にはもう専用のカウンターが軒並み店頭に出始める。マークシティの中などに至っては、通路沿いにずっとチョコレート店の出張カウンターが立ち並ぶのだから、嫌でも目が行ってしまう。
(バレンタインか……)
連立するハートマークに目を奪われながら、京子はふと公園通り沿いの店のディスプレイの前で足を止めた。ショーウィンドウに、ディスプレイを覗く京子の姿が微かに映っている。
(バレンタイン……)
胸の内でもう一度繰り返し、浮かんだ顔にひとりでどぎまぎする。
ショーウィンドウの中には、大きなピンクとパープルのハートのオブジェが置かれ、その足元に小さな赤いハート型のチョコがころころと転がっている。同じく赤いハート形の箱の中に、いろいろな種類のショコラが綺麗に詰め合わせされていた。
一矢に、あげてみようか。
Grand Crossのスケジュールは、調べようと思えば事務所で調べることが出来るだろう。何かを勘付かれるのを覚悟で事務員の山根に聞いてみれば、恐らく山根は何か知っていると思う。そうでなくてもマネージャーである佐山の姿はメンバーよりは遥かに事務所でちょくちょく見かけるし、それとなく聞くことは不可能ではなさそうだ。何なら、一矢本人に東京に戻っている日を聞くのも悪くはない。……いや、ちょっと勇気がいるけれど、そうしてみようか。
(だ、だって、この前お花、もらってるし)
誰にともなく、心の中で言い訳をする。そう、グラスブーケをもらっているのだし、食事もご馳走してもらっているのだし、日頃のお礼だ。バレンタインにチョコをあげるのが恋愛の告白だけとは限るまい。日頃の感謝を示す機会としても、バレンタインのチョコレートと言うのは使われるのだから。
告白などと言うほど、好きになっているわけではない。ただちょっと、「好きなのかな?」と思い、「会いたいな」と思い、どうしているのかを知りたいだけだ。
それが、好きになり始めていることであるとは、京子はまだ認めたくなかった。いや、心の片隅では認めながらも、どうしても、傷つくのが怖い。
(そんなに彼のことを知ってるわけじゃないし)
心の中で自分に対して言い聞かせながら、一矢の姿を記憶に蘇らせる。……本当はどんな人なのか、もっと知りたいと思う。
それに……。
そっと指先でなぞる唇に、重ねられた記憶が蘇る。思い返すと鼓動が早くなる。無邪気に笑っている姿や時折見せる陰のある目付きに母性本能がくすぐられ、重ねられた唇や抱き寄せられた胸に男性っぽさを感じて動揺を誘う。
先週食事に行った時には、何も、なかった。
男の人は一度そういうことがあると次からは当たり前のようになるものなのかと思っていたので、それにまた少し意表を突かれた。そのせいでまたいろいろと考えてしまい、結局一矢のことが頭から離れない。会っている時はどこまでも優しくて、そうでない時はぷつりと音沙汰がない。そのアンバランスさがまた何を考えているのか読めなくて、気にかかる。
「……」
ショーウィンドウの中のチョコレートを睨みつけながら頭を巡らせていた京子は、やがてほっと息を吐いて公園通りを下り始めた。何も今ここで焦って買う必要はない。まだバレンタインまではあと2日あるのだし、一矢とはすぐに会えるわけでもないだろう。今日これから他の店なども覗いてみてから考えても、遅くはない。このまま表参道の方まで歩いて行ってみようか。
そう決めて人込みの中を歩きながら、京子はそっと切ないため息をついた。
否定をしてみても、やはり、会いたい。
そんなふうに一矢のことばかり考えて歩いていたものだから、公園通りを逸れて明治通りに出た京子は、道路を渡った反対側に一矢の姿を見つけた時に幻覚を見ているのかと思った。京子は、一矢の家が渋谷近辺にあるのだと言うことしか知らない。明治通りを青山方面へ渡ったその向こうの住宅街の中にあるのだと言うことまで、聞いていない。
(……嘘ッ……)
目を見開いて、足を止める。明治通りは広いからそれほど近く見えるわけではないけれど、家からふらっと出てきたようなラフな服装をしているようだ。片手にドリンクの缶を持っている。ちょっと自販機に買い物、と言うような様子である。
(一矢さ……一矢の家って、この辺り?)
声をかけたい。一矢は対岸にいる京子に気が付かずに、青山方面に折れている道を歩いて行ってしまう。声を張り上げたところで多少の声では届かない、幅広の道が恨めしい。赤信号の横断歩道をこれほど恨んだことはこれまでになかった。
変わらない信号にいらいらしながら、一矢を視線で追い続ける。信号が青に変わった瞬間、京子は一矢を追って走り出した。一矢の姿はまだ、角を曲がってそう遠くない辺りに見えている。何とか追いつけそうだ。半ば以上渡った横断歩道を尚急ぐ京子の視界に、女性の姿が飛び込んだのはその時だった。
(……?)
一矢が辿ってきた方の道筋からだ。京子と同じように、まるで後を追うように小走りに姿を現し、一矢が曲がったのと同じ方向に道を逸れた。横断歩道を渡りきったばかりの京子の十数メートル先で、京子より先に一矢に声をかける。顔だけで微かに振り返った一矢は、まだ角のところで立ち竦む京子には気が付かなかったようだ。声をかけた女性の方を真っ直ぐ見て、何か言葉を交わすとやがて並んで歩き出した。
(だ、誰……?)
心臓が、嫌な音を立てて早くなる。嫌なものを見てしまったような気がして微かに震える全身で、歩き出した。まだ一矢たちは、真っ直ぐ歩いている。けれど知り合いであることは確かなようだ。
栗色にカラーリングした背中までの艶やかな長い髪、顔は良く見えなかったけれど、服装などから察するに年の頃は京子と余り変わらなさそうである。つまり一矢とも余り変わらない。
いけない、とは思う。
後をつけるなんて真似、褒められた行動ではない。そんなことはわかっている。だけど、気になる。
迷いながらも追いかけずにいられない京子の前で、2人は道を左手に折れた。しばらく進んでまた、今度は右手に折れる。小走りにその後を追った京子は、そこで思わず立ち竦んだ。角を曲がって少し先のマンションに、2人が何か言葉を交わしながら入っていくのが見えた。すとん、と、京子の肩からショルダーバックが滑り落ちた。
(嘘でしょ……)
見たくないものを見てしまった。落としたショルダーバッグを震える手で拾い上げて、元来た道を駆け戻る。――だから、嫌だったのに。傷つきたくないのに。
笑顔と優しい声がフラッシュバックする。
唇を噛み締めながら、今見た光景を振り払うように、京子はほとんど闇雲に渋谷駅を目指して走っていた。
信じたくなかった。
◆ ◇ ◆
晴美が半ば無理矢理、それこそ攫われるように秋菜に連れ帰られた後、Grand Crossはロードランナーのウェブサイト用動画の収録があった。
事務所がつく前に、Grand Crossはインディーズレーベルであるロードランナーの出資で、半年ほど前に1枚だけミニアルバムを作成している。その発売が3月を予定しており、自社が僅かでも手がけたバンドがメジャー進出しようとしていることに食いついたロードランナーは、自社のウェブサイトでGrand Crossをアピール材料にしようと目論んでいるようである。その宣材の撮影があった、と言うわけだ。
実際、Grand Crossが当たれば、たまたまそのメジャーデビュー前にミニアルバムを作成しているロードランナーにとっては宝くじが当たったようなものである。利用しようとするのは当然だろうし、こちらとしてもウェブサイトのトップで扱ってもらえればありがたい話であることに違いはない。こんな仕事、相互利用で成り立っているに決まっているのだから。
が、『撮影』と言っても、大手とは違い細々と運営しているインディーズ、撮影にそれほど費用が用意されているわけではない。最近の電化製品は非常に質が良いこともあり、地味に社長私物のデジカメである辺り、何やら切ないものを感じる。反面、気楽でもある。
地方ライブは、少しずつ西側へと移動している。とは言えいちいち東京に戻ってそこから再出発しているのだから、少しずつ西へ移動する理由はないのだが、ともかくも活動は西の方へと移っているのである。明日は朝っぱらから、和歌山目指して、またも車でこれまた地味に移動しなければならない。しかもライブをして更に移動だ。体ががたがたである。
「お疲れっしたー」
「お疲れさまー」
「それじゃあ編集終わったら、一度こっちに送って下さいね」
それぞれ挨拶を口にしながら、ロードランナーの事務所を出る。現地集合だったので、単車に乗る武人以外の3人のメンバーは、各々自分の愛車でここまで来ている。佐山だけは事務所の車だ。
「武人くん、どうする?」
武人はあの後、一矢の言葉を受け入れて携帯を変えたらしい。以降、またもぷっつりと妃名の名前を口にしないので、どうなったのか一矢も知らない。こちらから穿り返すことではないから、武人の方から口にしてくるまでは触れないでおこうと思っている。
「あ、武人なら俺が……」
送るよ、と言いかけて、振動した携帯に目を落とした。ディスプレイを見て、微かにどきりとした。
(……紫乃)
言葉を途中のままで途切れさせた一矢に、きょとんと見上げた武人が首を傾げる。
「ごめん。……はいはい」
停めた単車の方へ歩きながら、電話に出る。声の前に、ぶろろろ……と車が通り過ぎるような音が聞こえた。どうやら先方も外のようだ。
「あ、神田くん?」
「うん。お疲れ。どしたん」
「今平気?」
「良いタイミングで。ちょうど仕事が終わって外出たところ。……何?」
「……あのさあ」
そこで、一旦言葉を切る。少し迷うように黙った後で、もう一度口を開いて紫乃が続けた。
「この後、何か用事ある?」
「この後?……ないけど」
言いながらちらりと武人を見る。きょとんと一矢を見ていた武人は、その言葉で一矢に予定が出来そうなことを察したらしい。苦笑して了解したと言うように片手を挙げる。
「……武人くん、一矢くんに送ってもらう?」
「送ってもらえなくなりました」
車のロックを解除している佐山の言葉に、武人が答えるのが聞こえる。それにこちらも苦笑しながら、耳元の紫乃に問いかけた。
「何で?」
「したらさー……ちょこっとでいーんだけど、時間が欲しいと思ってるんですが」
「……」
その言葉は、一矢の胸に複雑な感情を湧き上がらせた。
「じゃあ武人くん、俺が送るから乗って」
「やったー」
佐山と武人の会話に、ブォンと啓一郎が単車のエンジンをかける音が重なる。「ほんじゃー俺帰るねー」と言う声と共に、佐山たち、そして一矢にひらりと手を振って、啓一郎の単車が姿を消した。続いて和希も帰路に着く。
「いいけど……」
答えながら自分の単車のシートに無意味に片手を乗せていると、佐山が助手席に武人を乗せて窓を開けた。
「じゃあ、一矢くん、帰るね」
「おつかれーす」
「ああ、おつかれぇ」
答えてひらひらと手を振ると、ひとり残されてしまった駐車場で静寂が戻る。
「……ごめん、何かあんまりタイミング良くなかったんじゃん?」
声が聞こえたのだろう。紫乃が少しだけ申し訳なさそうに、ぽそっと言う。複雑な感情を胸に抱えたままで、一矢は曖昧に答えた。
「いや、別に……時間欲しいって何」
「ちょっとだけ、話したいことがあって」
「……? 何?」
何かあったのだろうか。
いや、何かあったとして、わざわざ一矢に電話をかけて呼び出すとは考えにくい。
一矢の問いに、紫乃が唸った。そしてこちらも曖昧に答える。
「会ってから話す……んじゃ、駄目?」
「別に、いいけど……」
紫乃が一矢を呼び出す話とやらに心当たりを思いつけず、困惑したままで頷くと、紫乃が「ちょこっとだからさッ」と明るく笑った。
現在紫乃は、事務所の前にいるのだと言う。大して時間はとらせないとのことだし、少し話をする程度ならば事務所のところまで行くことにして通話を切ると、一矢は単車に跨った。ヘルメットのシールドを下ろしてグリップを握りながら、紫乃の顔を脳裏に過ぎらせる。
(話……?)
微かに心が動揺する。
まあ、『愛の告白』などではないことは確かだろうが……如月と何かあったのだろうか。だがそれで果たしてあの紫乃が一矢を呼び出すだろうか。
複雑な胸中をまたも心の隅に追いやって、ロードランナーのある恵比寿から西新宿の事務所へ向かって明治通りを走る。途中、思い切り自宅付近を通過しながら、ふと、もう家に待ってくれる人間がいないことに気が付いた。電気だけがついた誰もいない部屋を思い浮かべて、帰りたくないと言う思いが過ぎる。なまじっか、2週間ほども晴美が居座っていたせいで、却ってひとりの部屋に帰ることに侘しさが増したような気がする。
混雑する明治通りを途中でそれて裏道を幾つか通り、甲州街道から更に西新宿のオフィス街の辺りに辿り着いた。この辺りまで来ると、繁華街のネオンサインのようなものがあまりないので、急に落ち着いた雰囲気になるように感じる。
ブレインは、直接通りに面して建物が建っているわけではない。大きなビルではないが、申し訳程度に囲われた壁の入り口からビルそのものまでに3メートルほど距離がある。そして建物への入り口とは別に、その左手に狭い駐車場へ続く壁の切れ間がある。
最近少しずつ通い慣れてきた事務所の、駐車場へ続く入り口の壁に、紫乃が背中を凭せ掛けて一矢を待っていた。単車を道路の端に寄せて停めると、跨ったまま片足で車体を支える。
「お疲れ」
「おつかれさまー」
ヘルメットのシールドを押し上げて声をかけると、紫乃が笑った。その顔つきを見て、元気がないと言うようなのとは種類が違う、と言う気がする。とくればますます呼び出される理由がわからず、そっと眉根を寄せながら口を開く。
「とりあえず駐車場、入れた方が良い……でしょうなぁ」
大通りに面しているわけではないとは言え、車通りがないわけではない。こんなところで中途半端にいるよりは、使える駐車場がそばにあるのだから一度単車を入れてしまう方が無難だろう。
「んじゃあ少し待って」
言いながら単車を僅かに回して、駐車場に乗り入れる。どうせすぐに出るのだろうから、出入り口付近に適当に駐車すると、ヘルメットを外して単車を降りた。後に続くように、紫乃がこちらに向かって歩いてくる。なぜだかその姿に、少しだけ、鼓動が早くなった。会えたのが嬉しいような気がして、それに気が付くと同時にひどく癪な気がする。
「何か悪いねぇ。お仕事の後に」
「別に構わんけど……」
ヘルメットを被っていたせいで何やら潰れた感のある頭を自分でくしゃくしゃと混ぜながら紫乃を振り返ると、紫乃が一矢に向けて缶を放った。条件反射でつい受け止める。嵌めたままの単車用皮手袋越しに、温もりが伝わってきた。
「あげる」
「さんきゅ……どしたん?」
「んー……」