第7話(1)
Grand Crossのツアーは、事務所がついていると言ってもかなりの節約ツアーである。彼らのシングルを発売する予定である大手レコード会社ソリティアが、Grand Crossのプロモーションに今ひとつ乗り気ではなさそうだ、と言う話を和希から聞いたのは1月半ば頃のことだっただろうか。
筧の言うように、大手企業が乗り出してくれば不自由を強いられることは考えられる。それを思えばこれで良いような気もしなくはないが、もちろんプロモーションは制限される。今のところ不便はあっても不自由を感じることはないが、何かチャンスを掴んでしまえば、それがメンバー内に軋轢を生まないとも限らない。
その時が来れば来たでまた、何がしかの転機となるのだろうか。
ともかくも今は『不便』に過ぎないGrand Crossは、地味に自らの運転するボロ車での地方巡りである。
「ふうん……この辺、意外と個性のあるライブハウスがあったりするかも。うまく何か使えないかなあ」
アーティストである和希に車の運転を任せっ放しのありがたいマネージャーが、明日使うはずのライブハウスの情報をノートパソコンで呼び出しながら、そんなことを言った。
「へえ?」
佐山の言葉に啓一郎が身を乗り出す。一矢は啓一郎と佐山に挟まれるような形で座っているので、勢い、佐山の方へやや押しつけられるような形になった。
途端。
「ぬあッ」
がごんッ、と何やら内部で平和的とは言いにくい音が聞こえると同時に車が激震して、停まった。走行不能となったらしい。その振動にされるがままに不安定な姿勢でいた啓一郎が一矢にのし掛かり、一矢が佐山の方へと崩れ、ノートパソコンを死守しようとした佐山が後頭部を窓に打ちつけた。
「ぬぁー……」
「うぉー……」
「……あ。止まった」
呻く後部シート陣はどこ吹く風で、助手席の武人がのんびりと呟いた。運転席で和希も吐息をつく。
「武人、ちょっと手伝って」
「今度はどこが原因なのかなあ……」
「あれじゃない?こないださ……」
話しながら和希がバックミラーで後続車を確認した。見事なまでに閑散とした通りで、しばらくは車は来そうにない。
「直るかな」
「ともかくも動かないと困りますからねえ……。最悪、JAF?」
「うーん……悔しいよね、それって……」
言いながら和希と武人が出ていくのを見送って、一矢にのし掛かっていた啓一郎が体を起こした。
「だー、もう……さーちゃん、次は車なんとかして」
「……うん。そうだね……」
ぼやくように言って啓一郎がシートに改めて沈み直すと、佐山も頭痛を堪えるような顔でため息をついた。それからぼーっと窓の外に視線を向ける啓一郎と、携帯を取り出した一矢を見比べる。
「君らは手伝ってあげないの?」
「あーいうのはあの2人に任せておけば間違いないもん」
「……しょーがないなあ」
全く手伝う気のない様子でずるずるとシートに体を沈めていく啓一郎に、佐山がバタンと車を出て行った。『機材オタク』の傾向のある和希と、理数系秀才の武人が出ていて、何を手伝うことがあるのかと言う話である。一矢も自分の単車を多少なりともいじらないとは言わないが、外の2人には到底及ばない。
取り出した携帯で打ち始めたメールのあて先は、紫乃だ。昨日飲んだ時に、紫乃と武藤と連絡先を交換した。紫乃は、携帯の番号は知っていたがメールのアドレスは今回初めて知った。
大したメールを打っているわけではない。昨日の今日だから、紫乃の様子が気になっただけである。すぐに立ち直れとは言わないが、少しずつ忘れていければ良いのだが。
(つってもねぇ……)
事務所で遭遇して、メディアで見かけていれば、忘れるのはなかなか難しいかもしれない。
「一矢さあー」
「あー?」
ぼーっとフロントグラスの向こうでボンネットを開けている和希と武人の様子を眺めていた啓一郎が、不意に口を開いた。
「聞いた?ソリティアの話」
「何?ソリティアの話?」
「……メール、女のコ?」
「一応は。紫乃」
呆れたように低い位置から一矢を見上げる啓一郎に、端的な返事を返す。それを聞いて啓一郎は何だか納得したようだ。とりあえず啓一郎も、一矢が紫乃に『そういう手出し』をしていないだろうことは察しているらしい。
「ふうん。……ソリティアのね、三科さん、いるじゃん」
それ以上そこについては追及せず、啓一郎はまたフロントグラスに視線を戻した。ソリティアの三科……レコーディングの時にスタジオに来ていた女性だ。レコード会社のGrand Cross担当者である。
「ああ、うん。手強そうなおねーさん」
「あの人が言ってたらしいんだけど。クロスって凄いブロックかかってんだって」
「は?」
構わずにメールを打ちながら相槌を打っていた一矢は、その言葉に目を瞬いて顔を上げた。見下ろしてみれば啓一郎は、何かどこか不貞腐れたような顔つきをしている。
「ナニ?ブロックって」
「だからね、告知とか画像の使用許諾とか。凄い制限かかってて、ソリティアもあんまし好きなように使えないんだって。……三科さんがぼやいてたって話」
メールを打ち終えて携帯を閉じながら、組んだ足に頬杖を付いた。何やら少々、穏健な話ではないようだ。
「……どゆこと?誰が言ってたの?」
「どゆことかは俺にも良くわかんない。言ってたのは潜沢の澤野井さん」
「ふうん……?」
『ソリティアが』乗り気ではない、のではなかっただろうか。
だとしたら、今更三科がぼやくのも妙な話ではある。
思わず無言で啓一郎と見詰め合っていると、バコンと言う音と共に車が揺れた。解決を見たのだろうか。外に出ていた3人が、こちらに戻ってくるのが見える。それを眺めて、啓一郎はそれ以上は口をつぐんだ。事務所の人間である佐山がいるからだろう。それから、運転を代わってやるつもりなのか、啓一郎はバックシートからもぞもぞと無理矢理運転席の方へと乗り移って行った。それを見て、運転席に戻りかけていた和希が吹き出すのが、ガラス越しに見える。
そんな2人を見るともなしに見ていると、ポケットに戻した携帯が振動した。
「何?反省して運転代わってくれるんだ?」
「……俺が何をどの辺反省するの?」
「日頃の行い」
和希とのささやかな会話で拗ねて、またこちらへ戻ろうとしている啓一郎を和希が押し留める。一矢の隣には先ほどと同じく、佐山が乗り込んで来た。少し体をずらして佐山の場所を確保してやりつつ開いた携帯の着信は、紫乃からメールの返信だ。
「天国以外に連れてってね」
ようやく運転席に腰を落ち着けてエンジンをかけた啓一郎に、メールに視線を落としたままで声をかけると、啓一郎が唸るのが聞こえた。
「さあってねえーッ。運転そのものがひっさびさだからなあーッ俺ぇーッ。死んぢゃうかもねえーッ」
「啓一郎さん、未来のある俺を道連れにするのはやめて下さいね」
「君らは仲がいんだか悪いんだかわかんないねー」
「悪いです」
車が動き出す。ぎゃあぎゃあ言っているメンバーの声に耳を傾けながら、視線を落としたメールの文章に吐息が漏れた。
(わかんねぇよ……)
メールの文章では、何も、わからない。
せめて電話ならば、多少なりとも声が何かを伝えるけれど、ディスプレイに映る冷たい文字の羅列では何も伝わらない。元気に見せることなどいくらでも可能なのだから、ただでさえ強気を装おうとする紫乃のメールでは、本当の様子は何も伝わらない。
――あんま、ひとりで泣いて欲しないわ
昨夜の武藤のぼやきが耳に蘇る。武藤が紫乃のことを、変な意味ではなく大切に思っていることはたった2回会っただけで見てわかるし、付き合いが長いのだから、その武藤がああ言うと言うことは、紫乃は本当に自分で抱え込むタイプなのだろう。
一矢に弱音を吐いたのは、特別な何かでないことは、わかっている。重なった偶然だ。もうどうにもならないところに、一矢が居合わせた。1度目があり、2度目があった。だから、3度目は自分から口にした。ただそれだけのことだとわかっている。流れ上、口にしやすかっただけだ。
振られた、告白するように自分から煽った、彼女が出来た――これ以上のことは多分もう、物理的に起こらないだろう。あとは紫乃は如月を忘れる努力を自分自身でするだけで、そして紫乃はそれを自分でわかっている。ひとりで飲み込む紫乃ならば、もう、一矢に対して弱音を吐くことは考えにくかった。この先はきっと、一矢に対しても強がる一方だろう。メールの文面から、何となくそんな気がする。
まだぎゃあぎゃあ騒いでいるメンバーの会話に口を突っ込みながらそんなことを思っていると、かけっ放しのカーラジオからD.N.A.のデビューシングルが突然流れ出した。走行距離がとんでもないことになっているボロ車、廃車寸前のバンは、ラジオもまた凄いことになっている為恐ろしいほどのノイズだが、紫乃の澄んだ、心に流れ込むような声の魅力は消えていない。
(せめて、言えよ……)
先ほどの啓一郎のようにずるりとシートに深く凭れ込み、目を閉じる。紫乃の歌声が、駐車場での儚い声を、温もりを、微かに心を揺らした記憶を……鮮明に呼び戻した。
――安心する……
人が、人を気にかけてやりたくなるきっかけなど、意外にほんの……ささやかな出来事なのかもしれない。
◆ ◇ ◆
『地方に出ずっぱりになる』とは言っても、本当に1日たりとも東京に戻らずに地方に行ったきりになるわけではない。
全国を網羅するメディアと言うものは、東京に雁首を揃えているのである。東京で何も活動をしないで、音楽活動を出来るわけもない。
4日地方にいれば、5日目には東京に戻る。6日目からまた3日ほど地方で音を鳴らして、10日目には東京にいる――予定されているのはそんな生活である。特に、啓一郎や和希はバイトもしなければならないし、武人に至っては学校に行かなくてはならない。
尤も、武人が学校に行かなければならない頻度は啓一郎らのバイトとは比較にならない。なるわけがない。ゆえに、ひとりでしきりと往復を強いられる武人のみ、時に佐山と新幹線と言う人類の大発明の恩恵を享受することが許されている。
「ただいまー……」
昨夜、武人と佐山が新幹線でさっさと帰った後、翌日である今日、勝手に残されたメンツで路上をやりながらうろうろし、三重から帰還を果たした一矢が自宅に辿り着くと、とたとたと軽い足音が出迎えた。
「おっかえりぃ」
もちろん晴美である。玄関口で座り込んで靴を脱いでいる一矢を迎えに出てきたパジャマ姿の晴美に、「おいおい、いーかげん帰れよ」と思う反面、出迎えてくれる人間がいることに照れ臭くも気恥ずかしくも、そして――嬉しくも、ある。
おかえり、などと言う言葉は、もうどれほど耳にしていないだろう。
「何だよ、まだ起きてたの?」
「うん。一矢くんが帰ってくるから、待ってた」
「……あ、そう」
慣れないので、照れ臭い。
ぽりぽりと意味もなく頬を掻きながら、部屋に上がる。着替えなどの入っているバックパックを放り出して、数日ぶりのリビングに足を踏み入れると、綺麗なものだった。掃除をしてくれているらしい。フローリングの床は、埃が目立つ。数日部屋を空けているとすぐに薄く埃が積もりそうなものだが、人間がいるのといないのとではこんなところでも違うのか、とささやかなことに感動する。
「晴美ちゃん、掃除ありがとう」
「いいえ〜」
言いながら、ずるっとソファに崩れるように座り込む。さすがに、体に疲労がたまっている。もう動きたくない。
「一矢くん、ごはん、食べた?」
「ん……帰りの車ん中で食った。俺いない間、別に何もなかった?」
「うん。だってこのお家って、セキュリティ、凄いよね?」
「……まあね」
だらしなく、ほとんど寝そべっているような状態でソファにもたれこんでいる一矢のすぐそばの床に、晴美がぺたんと座り込んだ。何となく可愛くて、その頭をぐしゃぐしゃと撫ぜてやる。啓一郎には仲の良い妹がいて羨ましいと思ったことがあるが、妹がいたらこんな感じかもしれない。
「かーちゃんとか秋菜とかに、ちゃんと連絡取ってるか?」
「うん」
「あ、そう。何も言われんの?」
「うん」
「……あ、そう」
その回答にどこか呆れた気分になりながら、シャワーでも浴びてさっさと寝ようかと考えていると、着たままのジャケットのポケットが振動した。入れっ放しの携帯である。崩れた姿勢のまま何とか無理矢理抜き出して、着信表示に視線を落とす。相手によってはシカトをしようかと思ったが、ディスプレイを見て気が変わった。
「おつかれ」
「あ、一矢さん?」
武人だ。
「おう」
「家、到着しました?」
「到着しますた。……どおした?」
「行っても良い?」
「……」
思わず、すぐそばで座り込んでいる晴美を見た。武人が来る分には一矢自身は別に構わないのだが、武人と晴美がどう思うのだろう。
「俺は別に構わんけど、今、俺ん家、もうひとり人間がおりますが」
「……ああ、連れ込んでるんなら日を改めます」
あっさり言う武人に、一矢はいよいよソファに寝転がった。
「ちゃう。従妹」
「は?」
「ちょい待って。……晴美」
「うん?」
何やら小声でわけのわからない歌を歌っている晴美に声をかける。一矢の声に晴美が顔を上げた。
「今から友達来るけど、いーか?」
「晴美はもう寝るから、別にいいよ」
「あ、そう。……許諾を得ましたんで、いいそうです」
膝を抱えて座ったまま、軽く足をぱたぱたさせている晴美の頭をまた無意味に撫ぜてやりながら電話に戻ると、武人が悩むような沈黙を返した。
「でも何か悪いですね」
「別に構わんよ。もう寝るそうだ」
「……そうですか?」
迷うように答えた武人は、それから微かにため息を落とした。
「なら、行きます。……じゃあ、後で」
通話を切って、携帯をそのままテーブルの上に置くと、ジャケットを脱ぎながら立ち上がった。晴美は座り込んだままで、持ち込んできたらしい少女漫画の単行本を繰っている。
とりあえずシャワーを浴びて着替えると、晴美はまだリビングで漫画を読んでいた。戻ってきた一矢の姿を認めて小さくあくびをすると、起き上がる。
「んじゃあ晴美、寝る」
「どうぞ」
一矢の家は、部屋が余っている。LDKの他に3部屋もあるのだ。大してごちゃごちゃと部屋に物を置く方ではないので、一部屋は自分の寝室として使ってはいるけれど、残りの二部屋は空き部屋である。仕方がないので一部屋は練習用のドラムパッドなんか置いてみたがそれだけ、もう一部屋に至っては何もない。
晴美が居座っている今、何も置いていない一部屋の方を、晴美が自分用として占拠していた。布団だけは何とか一式と言える形でかき集め、それを使って寝起きしている。
晴美が『自分用の部屋』へ引っ込んでいくと、見計らったようにチャイムが鳴った。武人はこのマンションへ入る暗証番号を知っているので、鳴ったチャイムは部屋のドアだ。インターフォンで短く応答し、玄関へ向かう。ドアを開けてやると、制服姿の武人が中に滑り込んできた。明日はここからご登校なさるつもりのようだ。
「一矢さん、いつ帰ってきたの?」
「んー?今さっき。お前から電話が来る、ほんの5分前くらい」
「ああ、そうだったんだ。遅かったんだね。何してたの?」
「路上」
小声で話しながらリビングへ向けて廊下を歩く。途中、晴美がそっとドアを開けて顔を覗かせた。
「ああ、晴美。武人」
「一矢さんの従妹?お邪魔します、方宮です」
挨拶をする武人に、晴美は無言で頭を下げるとドアを閉めた。目を点にする武人とリビングへ向かいながら、一矢は吹き出した。
良く考えれば、晴美は思春期の最中だ。一矢に比べれば遥かに年齢の近い武人に、パジャマ姿の自分が恥ずかしいのだろう。中学生にとっては恐らく『大人の人』に分類される自分と比べ、2歳しか違わない武人は『男の子』に見えるわけだ。
「何か飲むかい」
武人をリビングに残して、続き部屋であるキッチンに足を向ける。冷蔵庫を覗き込んでいる一矢に、「ビール」と武人が答えた。進学校首席の優等生の言葉とは思えない。開けたままの冷蔵庫にがくりと縋る。
「あんたねえ」
「何ですか」
何食わぬ顔をしてバーに出入りする高校生だとわかってはいるが。
「成長期にそんなもんばっか口にしてると、成長止まるぞ」
一矢の言葉に、武人はうっと言葉に詰まった。大人びているかと思いきや、意外と高校生の男の子らしく身長のひとつも気にしているのだろうか。ビールの代わりに野菜ジュースなんか引っ張りだしてリビングに戻ると、武人が拗ねたような目つきで一矢を睨み上げた。
「……本当?」
「さーてね。こっちの方が体に良いのは確かざんす」
言って一矢が手渡した野菜ジュースを受け取りながら、武人がため息をついた。
「俺、高校に入ってから2センチしか伸びてない」
「まだ16歳でしょ。平気、平気」
言いながら、自分も武人にあわせて野菜ジュースのプルリングを引く。武人のビールを止めておいて自分だけ、と言うわけにはいかない。
「何で一矢さんて野菜ジュースなんか持ってんの」
仕方なさそうに、武人もプルリングを引く。床に直接座り込んであぐらをかきながら、指先でちょんちょんと缶を弾いた。
「ひとり暮らしなんだから、自分で健康管理しなきゃ、誰もしてくんないでしょ」
「そう?でも一矢さんて自分で料理出来んのに」
「出来たって、こんな生活してりゃあ食生活も大概滅茶苦茶だしょ」
「それもそっか。……いいなあ。ひとり暮らし」
言いながら、武人はのそのそと壁際のCDラックに近づいた。今度はその前にあぐらをかいて、勝手に中身を漁っている。
その背中が、不意に言った。
「一矢さん」
「おう」
「……」
「……」
「……」
「……何だよ」