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In The Mirror  作者: 市尾弘那
21/83

第6話(3)

「ありがと、京子ー」

「どういたしまして」

 一矢の役に立てたみたいで、少し嬉しい。反面、従妹とは言え、微かな嫉妬心が湧き上がる。

(馬鹿ね……従妹よ、従妹)

 しかし、従妹とは言え、ピンキリだ。良く考えたら、いくつなのだろう。勝手に小さい子供だと思い込んでいたが、もしも高校生や大学生だったら……今一緒に暮らしていると言うと少々気になるではないか。

 聞いてみても良いだろうか。変に思われないだろうか。……別に、思われないだろう。誕生日のプレゼントを選んであげたのだから、「いくつになるの?」と尋ねてみてもさして不自然ではないはずだ。

「んじゃ、メシ食いに行こうかー。俺、勝手に旨い和食屋に連れてこうかと思ってるけど、違うのでも良いよ?何かリクエスト、ある?」

 さくさくと言いながら、京子の手を引いて歩き出す。前回京子が、「何が良い?」と聞かれて言葉に詰まったものだから、事前に考えてきてくれたのだろう。助かる。

「ううん。和食屋さん、行きたい」

「そう?良かった」

 振り返って微笑む一矢に、従妹の年齢を聞いてみようと口を開きかけると、その目の前にすっと、一矢が先ほど花屋で受け取った紙袋を差し出した。

「……え?」

「ごめん、さっきの嘘。京子に」

「……え?」

 唖然として、馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返す。小さく舌を覗かせて、一矢が苦笑した。

「この前さ、俺、せっかくライブ見に行ったのに、良く考えたら花束のひとつも持ってってやんなかったなーって」

「……」

「気が利かなくて、ごめんね。だから、今更だけど」

 驚いて言葉が出なかった。思わず足を止める京子につられて、一矢も足を止める。

「あ、これこそ手遅れ?」

 小首を傾げる一矢に、京子は目を見開いたまま顔を横に振った。

「ホントに、わたしに……?」

「そうだよ。……おつかれさま。ライブ、誘ってくれてありがとう」

 ようやく、一矢の手から、グラスブーケの紙袋を受け取る。

 中身は、知っている。京子の好みにぴったりの、可愛らしいフラワーアレンジだ。当然だ……京子が自分の好みで選んだのだから。

「ありがとう……」

 嬉しくて呆然と呟きながら見上げる京子に、一矢がくすっと笑った。優しげな、笑顔。心をくすぐられる。

「行こ」

「うん……」

 心が、引き摺られる。

 警戒が、少しずつ薄れていく。

(どうしよう……)

 傷つきたくないのに、好きになっていく。


          ◆ ◇ ◆


「おぉ〜ッ。一矢、こっちこっちぃ」

 居酒屋に入ると、一矢の立つ通路の突き当たりのテーブルから武藤が声を上げて手招きした。店に入った瞬間から全身を取り巻く喧騒の中、膝の抜けたジーンズで足早にそちらに近付く。

「おつかれぃ」

「おつかれ」

「おつかれー」

 紫乃が隣を空けてくれたので、その席に腰を下ろしながら、一矢はジャケットを脱いだ。

 武藤から紫乃の携帯経由で「今紫乃と飲んでるから今すぐ来いや」などと呼び出しを受けたのは、地方へ出ずっぱりになってしまうその前日のことだった。スタジオにいた一矢が仕事を終えて呼び出された居酒屋に辿り着いたのは、その電話からおよそ1時間半くらい経ってからだ。

 武藤と紫乃は既にかなりの杯数を空けているようである。

「……ひとつ質問なんれすがー」

「おうッどんと来いッ」

「どんと来〜いッ」

 酔っ払いである。

「キミたちD.N.A.は3人編成じゃないの?何でいっつも2人なの?」

 紫乃が渡してくれたドリンクメニューを開きながら尋ねる一矢に、紫乃と武藤が同時に口を開いた。

「カンちゃん?」

「タケちゃん?」

「どっちやねんッ!!」

 同時に違う名前を挙げないでもらいたい。思わず即効で突っ込む一矢に、武藤が両手を叩いた。

「それや、一矢ッ!!東京の奴はツッコミが遅い上に甘くてあかんッ。突っ込みはテンポが大事やねんッ。それでいこう一矢ッ」

 何やらハイテンションな武藤はこの際放っておいて、とりあえず店員にビールをオーダーしてから、尋ね直す。

「で、そのカンちゃんタケちゃんは、どうしてるわけ?」

 一矢の言葉に武藤がじたばたと足を動かした。

「ええなー。神崎ひとりでコンビみたいやん」

「しかもお笑いコンビみたい」

「やんなぁ。おいしいなあ、あいつ」

 ひととおり笑ってから、ようやく武藤が一矢に答えた。

「神崎な、あいつ、酒嫌いやねん」

「ふうん?飲まないんだ?」

「飲まないわけやないけど、積極的には飲まへんなあ。あと下手くそなライブも嫌いやねん」

「……」

 それは恐らく……先日のOpheriaのライブの時にいなかったことを指して言っているのだろう。

「ああ、なるほろ……」

 頷く一矢に、紫乃がぎっと顔を上げた。

「そうやって言わないで。あたし、半年前まで一緒にステージに立ってたのッ」

「ご苦労やんなぁ」

「神田くんもフォローするとかないかなッ」

 ぎろりと睨む紫乃に、武藤が目を瞬いた。

「何や、一矢、Opheriaに彼女でもおんの。そういやこないだ、ひとりで来てんもんなぁ」

「そう」

「おらん」

「どっちやねん!!」

 今度は一矢と紫乃の真逆の回答が重なった。先ほどの一矢のような突っ込みを武藤が入れる前で、紫乃を睨みつける。

「お前なあ」

「なーにさー」

「何勝手に決めつけてんだよ」

「大体神田くんはいーかげんなんだよ」

「そんないーかげんな奴ならむしろ、近づくなって忠告した方がいーんじゃないですかねー」

「自分は改める気はないわけ」

「俺が何を改めなければならんの」

「うるさーいッ」

 滔々と淀みなく言い合うふたりに、武藤が両手をバンザイするように挙げた。酔いで微かに赤らんだ顔で、一矢と紫乃を見比べる。

「つまり、彼女になりかけてる人がおんねやな」

「そう」

「違う」

 話題の整理も虚しく、またも真逆の回答をする一矢と紫乃に、武藤がテーブルに突っ伏した。一矢の左手が、紫乃の頭をぺしっとはたく。

「わーるいんだけど、俺、彼女と特定の付き合いなんかする気、ねーよ」

「悪いよ」

「何でだよ」

「だって会ったりしてんじゃないのぉ?」

「余計なお世話」

 オーダーしたビールが運ばれて来た。舌を出しながらジョッキを掴む一矢の頭を、今度は紫乃がはたいた。

「あいて」

「ほな乾杯しよ乾杯ッ。あーい、おつかれぇ〜いッ」

 ともかくもグラスをあわせ、ビールを口に運ぶ。

「ほんならもうええわ、Opheriaのことはッ。何やややこしそうやねん、紫乃も放っときッ」

「だって放っとくとこの人……」

「恋愛っちゅーのはいろいろあるやろッ。本人たちにしかわからんことがッ」

 武藤の言葉に、紫乃がぐっと押し黙った。一矢が思わずぱちぱちと手を叩くと、紫乃が隣からばすっと一矢の腹目掛けて肘鉄を繰り出した。

「ぐぇ……」

 なぜ仕事終わりにわざわざ呼び出されてこんな仕打ちを受けているのだろう。紫乃に打ち付けられた腹を抱えて大袈裟にテーブルに突っ伏していると、通路の方から唐突に「かずやー」と呼ぶ声が聞こえた。体を折り曲げたまま、顔だけ向ける。帰るところらしい女の子が2人ほど、こちらを覗きこむようにして立っていた。

「知り合いか?」

 武藤が尋ねる。見覚えはなくはない気はするが、今ひとつ自信がない。誰だったろう。

 きょとんと体を起こすと、女の子たちは「デビューしても頑張ってねー」「早くライブやってねー」などと口々に言ってこちらに手を振った。思わず手を振り返しながらぽかんとしている間に、通路の向こうへいなくなる。

「……ファンか?」

「……ファンじゃない」

「ありがたいお話ですのぅ」

 多分、直接口を利いたことはないのだろう。そう納得して背もたれに背中を預けながら、ポケットの煙草を発掘する。テーブルに放り出すと、つられたように紫乃も置いてあった自分の煙草に手を伸ばした。

「さっすが、都内お膝元。デビュー前から声かけるファンにぶちあたるとは」

「恵比寿だったら活動範囲内れすからねぇ、元々……」

 そうは言っても、以前には誰かに声をかけられることなどまずなかった。声をかけてきたのは「デビューするらしい」と知ったからだろう。立身する可能性が出れば手のひらを返して寄って来る女など、山ほどいそうだ。

「んでもD.N.A.なんか一発目であんだけ売れたんだから、声かけてくる人なんか退きも切らないんじゃないの」

 11月に出たD.N.A.のファーストシングルは、新人のデビュータイトルながら初登場5位だの4位だのを記録したのではなかっただろうか。煙草に火をつけながら言うと、武藤が苦笑で答えた。

「んな一発目で顔なんか覚えてくれへんよ。覚えられたとしても紫乃くらいやん。俺と神崎なんか紫乃の添え物やで」

「添え物……」

「そりゃそやろ。まあ、それでええねん。俺らの音楽聴いて、紫乃の歌好きやって思てくれたら俺はそれで」

「意外に控えめ」

「う〜……俺かて有名になりたいわー」

「どっちなんだよ」

「こうな、俺がグラサンかけてクールに歩くやん。したら回りの女の子が『きゃーッ』言うねん。俺、慣れてるから顔色ひとつ変えずに颯爽と歩いていくねん。男なんやから目標地点はそこやろッ!?」

 どこを取っても軽い生き方をしている一矢だが、こと音楽に関してのみ、残念ながらそういう視点では考えていない。

 ばしっとテーブルを握り拳で叩く武藤に苦笑しながら、ふと隣がいやに静かであることに気が付いた。目を向ける。

「……武藤くん」

「何やー」

「ご就寝なさってる方がおられますが」

「おお、ご就寝な。ご臨終やなくて良かったわ。一矢、何か食わんでええの」

「ああ、頼もうかな。……ご臨終はないでしょ、さすがに」

 武藤の差し出したメニューを受け取りながら、気が付いたら隣の席でテーブルに突っ伏して寝てしまっているらしい紫乃に、呆れた目線を向けた。黒髪がわかめのように広がって、取り皿に落ちそうになっている。指先でそれを掬い上げてやりながら、メニューに視線を落とした。

「あ、牛煮込み旨そう」

「よっしゃ、それいこう。他は」

「塩おでん……塩おでんって何?」

「わからん。わからんもんは頼んでみるとええよ。一番わかりやすい」

「手遅れになったらごめんね」

「安心せぇや。紫乃に食わせる」

 適当に料理のオーダーを追加すると、武藤は自分のジョッキを取り上げながらテーブルに頬杖を付いた。紫乃のつむじを指先で軽くぐりっとやる。起きる気配はない。

「こいつな、酔い方、おかしいねん」

「何それ」

「最初ばーって飲むやん。テンション変わらんでばかすか飲んで、ある時突然ぷつーんってべらべらしゃべるようになんねん。んで、『ああ、酔って来てるんやなー』と思わせた辺りで、ころっといきなり寝とんねん」

「……」

 迷惑な。

「そんで静かにお寝みしてるやん。んで30分くらいかな、ぱちって起きたらもうリスタートや」

「酔い、醒めてんの?」

「そう。分解早いんやろな。二日酔いとかありえへんで」

「30分も寝てるんかい……」

「あほ。ヒサちゃんの爆笑トーク聞いとったら30分なんてすぐや、すぐ!!」

 それからしばらく、運ばれて来る料理をつつきながらD.N.A.がデビューするまでの話を聞いた。

「ウチってな、ドラム運、悪いねん」

 元々D.N.A.は5人編成だったのだそうだ。現在紫乃がヴォーカル、武藤がベース、そしてもうひとりのメンバー神崎武弘がキーボードをやっているが、そもそもはパートさえも今とは違った。別にいたヴォーカルの女の子、当時からベースの武藤、そしてキーボードだった紫乃とギターだった神崎の4人は、共に同郷出身で一緒に上京して来たのだと言う。ドラムは、東京に来てから何度かメンバー募集をかけて、何度も入れ替わった。そのうち、ようやく固定のドラマーが入ったと思ったら、付き合いだしたヴォーカルの女の子と一緒に辞めてしまった。妊娠し、結婚したのだと言う。

 ヴォーカルとドラムが脱退してしまい、いつかないドラムにいい加減辟易してきた武藤たちも、もう編成そのものを変えてしまおうと言うことで、現在のスリーピースに落ち着いたらしい。元々神崎はキーボードもギターもこなす奴で、ないパートを打ち込みでカバーし、歌わせてみれば紫乃のヴォーカルはとても良かった。

 そうしてメンバーを落ち着けて本腰で活動を始めたD.N.A.は、あらゆるイベントやコンテストに首を突っ込みながら、反面業界内に繋がりをつける為に、紫乃が新しい楽器のデモンストレーターやサポートミュージシャンなどをやっていたのだと言う。全ては自分のバンドをプロに漕ぎ付けたいが為――アクティブである。

「D.N.A.をプロにしたのは、紫乃やな。紫乃が頑張ってブレインの人間を惹きつけた。……頑張り屋さんやねん」

「……ふうん」

「せやけどこいつ、最近何か悩んでんやろなーって思うねんけど」

「……悩んでる?」

 ぽつっと問い返すと、武藤はテーブルに突っ伏したままの紫乃の頭に目を向けたまま、「うん」と頷いた。

「表に出さへんから、何があったかはわからん。何かあったら相談しぃや言うても、実際はなかなか吐かんねん。けろっとした顔して見せて、裏でひとりでいっぱい頑張って、いっぱい泣いてんねやろなと思うと、可哀想になるやん」

「……」

 事務所で、如月と話していた時のことが蘇る。こちらを振り返った途端に、崩れた笑顔。きっと、明るい調子で元気な姿で如月にハッパをかけた紫乃の押し殺した姿に、如月が気づくことはない。

 そうやって、何ごともないように見せかけて、裏でひとりで泣いているのだろうか。あの……駐車場で見た姿のように。

「俺も神崎も付き合い長いねんから、何かあったんやろなーってのは見てて匂いでわかんねんけど、言わへんからどうもしてやれん。言うたところで、何してやれるかもわからへんけど。せやけど、あんま、ひとりで泣いて欲しないわ。自分アマで、ひとりでプロん中で頑張っててんから、嫌なこともいっぱいあったと思うねんけどなー……」

 武藤がそう呟くように言ったところで、テーブルに放り出されていた武藤の携帯が鳴った。抑えた音量で鳴るメロディは、彼らのデビューシングルだ。それに気づいて小さく笑うと、武藤もにやーっと笑い返して「悪い」と断わりながら携帯をオンにした。

「……おう、俺。藤堂?おお。ええで……わ、わかったって。泣くな泣くな。聞くからちょお待て……」

 何やら慌てたように言うと、席を立つ。一矢に謝るように軽く片手を顔の前に立てると、それにひらひらと手を振って頷く一矢に笑みを残して、武藤は出口の方へと歩いていった。

 眠っている紫乃とふたりでは、することもない。とりあえず煙草に火をつけて、突っ伏したままの紫乃の黒髪を見下ろす。

 悩んでいる、と言うのは、多分如月のことなのだろう。その他にも何かあるのかもしれないが、一矢には他に心当たりがない。心当たりがあるほど、紫乃のことを知っているわけでもない。

 頬杖を付いて灰皿を火のついた煙草の先でなぞりながら、ため息をついた。

 まだ、如月のことで泣いているのだろうか。失恋など良くある話で、誰も彼もが通る道だとは言え、自分の身に降りかかってみればそれはやはりつらいのだ。そのくらいは一矢だって知っている。人に恋焦がれる気持ちは、時に人を死に追いやるほど追い詰める。心を病に落とし込むこともある。紫乃がそうなるとは言わないが、武藤の言うようにあまり自分を追い込まなければ良いが……。


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