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In The Mirror  作者: 市尾弘那
20/83

第6話(2)

「どうしたの?」

「いや……今ね、実は従妹が家にいて」

「従妹?」

「そう」

 オフにした携帯を閉じてポケットにしまう。両手でカップを包み込んだまま、京子が首を傾げた。

「そんで俺の帰りを待ってるわけさ」

「ふふ。じゃあ、早く帰ってあげなきゃ。一矢さ……一矢、は、ひとり暮らし?」

「そう。俺ん家、渋谷だからすぐそこで……今は押しかけ従妹が同居してるけど。だから、女の子ひとりで待ってんのも怖いだろうし、あんまり夜遅くなったりとか出来ないんだけどさ、どうしてもこういう仕事って、夜型でしょ?」

「うん」

「スタジオに入ってたりとか……あと、ウチ、来週からずっと地方だしさ」

 カップをソーサーに戻しながら、京子が無言で一矢を見た。

「そうなんだ……」

「うん。だからもう家に帰れって言ってんだけど、帰る気がないみたいで……」

 ふうっとため息をつきながら自分のコーヒーカップに手を伸ばす一矢に、京子が笑った。

「お兄ちゃんみたいな感じなのかな」

「あ〜……う〜ん……どうだかねぇ……」

「でも……そっか……」

 唸る一矢の前で、京子が小さくため息交じりに呟いた。その言葉にきょとんと目を向ける。伏せた視線と、寂しげな顔つき。

「来週からずっと地方なんだ……」

「……」

 ひょっとして、寂しいと思ってくれているのだろうか。

 だとすれば、少し、くすぐったいような気が、しないでもない。

 せっかく打ち上げを放棄して一矢に会いに来てくれたのに、晴美が待ち構えていると思えば、今日はそれほど付き合えるわけではない。僅かに、悪いな、と言う気持ちが湧いた。

「……地方、行く前にさ」

「うん」

「どっかで、メシでも一緒に行こーか」

 多分、京子に対して初めて何の含みも抵抗もない誘いを笑顔で口にした一矢に、顔を跳ね上げた京子が、思い切り顔を輝かせた。


          ◆ ◇ ◆


「……何気に、ドツボに嵌まり込もうとしてるんじゃないの」

 数日ぶりに訪れた麻美の部屋で、ごろごろと床に転がって雑誌のページを繰っている一矢の頭の上からそんな声が降ってきた。

「は?何?」

「意外と引きずられ始めてんじゃないの?何だかんだ言って」

 そう言い直して麻美が向けた視線の先には、つけっ放しのテレビがある。画面の中で、京子がはにかむように笑っていた。

 先日Opheriaのセカンドシングルが発売された。そのプロモーションの為に平日の深夜に出ていた番組が、日曜の昼下がりの今、再放送されている。外泊をするわけにいかなくなったので、こうして昼間に攫われたと言うわけだ。

「今まで遊びの恋愛ばかり繰り返してきた一矢が、純情な京子ちゃんの一途な愛情に目覚めていくわけよ。『俺は今まで人を信じることが出来なかったけれど……京子ッ』」

 言いながら一矢が転がるその脇に腰を下ろす麻美を、軽く睨み上げる。

「あんねえ……」

「きゃーいいわーそれー。ありがちー。三文小説ね。やんなさいよ、馬鹿にしてあげるから」

「ありえない」

「何でありえないのよー」

 手に持ったコーヒーカップを両手で包みながら、麻美が一矢を見下ろした。床に頬杖をついてそれを見上げながら舌を出す。

「俺、そういう美しい理由で惹かれちゃうほど可愛い性格してないの」

 言いながら起き上がった一矢は、麻美と唇を重ねながら一方でその手のカップを抜き取った。

「だって、可愛いなーって思ってデート誘ったんでしょ?で、今日、この後夜に会うんでしょ?」

「そうだよ」

 一口コーヒーを飲んで、カップを麻美の手に戻す。

「でも今は目の前にいる麻美さんの方が可愛いと思ってるよ?」

 床に放り出してあった煙草を拾い上げ、1本抜き出す。麻美の細い指が、しなやかにライターで火をつけた。コーヒーカップをテーブルに置く。

「その程度のものだろ」

「いろいろ面倒なんじゃなかったの?」

「深入りすればね……」

 深入りをするつもりはない。これ以上何らかの手出しをする気はない。言葉遊びのような恋愛ゲーム、あったとしてキス程度、そこまでがボーダーだ。

 画面はとっくに切り替わっていて、気がつけば旅番組のようなものになっていた。ベッドに背中を預けてそれを眺めながら醒めた目つきをする一矢に、麻美がちらりと視線を流す。

「……どっちでも良くなったんだ」

「え?」

「別に、京子の方が俺に興味を持つ分には、俺は嫌がる理由はないわけ。そんだけのことでしょ。余計なこと考える、必要が別にねーじゃん?」

「……あんたってホント、こと恋愛に関してはさいってえよねぇ……」

 しみじみとした麻美の評に、一矢は大して吸わないままの煙草を灰皿に捨てた。

「何とでも言ってくれ」

「わたしみたいなんならいーけどね。そーゆーコに手出ししてると、後でしっぺ返し食らうわよ」

 無言で麻美を見る。麻美も黙って一矢を見返した。

「しっぺ返しねえ。例えばどんな?」

「知らないわよそんなの。わたしに降りかかってくるわけじゃないもん。でも純情そうに見えるコほど手を焼くもんよ」

「わかってるよ」

 答えながら、麻美の髪に指を絡ませる。さらさらの、長い、綺麗な黒髪。

 紫乃も、髪の毛だけはやけに綺麗なことをふと思い出した。

(すぐ口突っ込んで来やがる……)

 紫乃は、京子と一矢をくっつけたいのだろうか。友達ならばむしろ止めるべきだと他人事のように思う。

 自分が、京子だけに絞って京子とだけ付き合うようになることは、ありえない。――遊びの一環にしか、過ぎない。

 向こうが真面目になればなるほど、後で泣くだけではないだろうか。一矢が心配してやることでもないのだが。

「俺ってやっぱ最低なのかなあ」

「最低よね」

「……麻美さん。オブラートって知ってる?」

「知ってるわよ?大昔、古代人が薬を飲むときに包んでた究極薄い『ギョーザの皮』でしょ」

「……」

「包んで欲しいのならそれなりの言動……きゃッ……」

 ベッドから背中を起こして、ぐいっと麻美の腕を引っ張る。そのままころんと床に転がる麻美の顔の横に両手を付き、押し倒したような状態のままで上から細い目で麻美を睨んだ。

「そういうこと言うと昼間から襲いますが」

「……あんたこの後デートでしょ?」

「だから?」

「別の女、抱いてから行く気?」

「悪い?」

「最低」

 そう言うわりには逃げる素振りを見せず、背中に回された両手に、一矢は小さく笑って短く答えた。

「上等」

 最低であっても構わない。誰かに自分の行動を縛られる筋合いじゃない。……近付いてくれと頼んだわけじゃない。

 自分はいつも通りに行動しているだけ。それが最低ならば、その最低なのが自分だ。それで嫌なら、離れてくれれば良い。

 ……あくまで特定の誰かと深い関係を築くつもりはないし、それは京子だって、例外ではないのだから。


「京子ちゃん、この後ごはん、いかない?」

 インターネットの動画素材を撮影し終え、控え室で帰り支度を整えているとヴォーカルの飛鳥がちょこんと首を傾げて声をかけてきた。バッグのボタンをパチンと留めて、飛鳥を見上げる。

「あああのね、き、今日ね……」

 赤くなって口を開く京子に、飛鳥はすぐに察したようだ。くすっと口元に笑みを作り、優しげな目を細める。

「彼と会うんだ」

「う、う、うん」

「そっかー。良かったねー。……ふふ〜ん、で〜とだ、いいなあ〜」

「……飛鳥ちゃんでしょ?それは」

 つい先日彼氏が出来たばかりのメンバーの冷やかしに、京子は軽く睨みながら立ち上がった。途端に立場が逆になり、飛鳥が赤くなる。

「うッ……そ、そんなんじゃないもん」

「いいなあ。わたしも早く彼氏が欲しいなあ」

 つん、と頬を突付くと、飛鳥がくすぐったそうに笑って逃げた。

「いってらっしゃーい」

「うん。お疲れさま。また明日ね」

 飛鳥や他のメンバーに手を振って、一足先にスタジオを出る。

 ……はっきり好き、かどうかはわからない。

 好きになっては、いけないような気がしている。

 まだそれほど知っているわけではないけれど、心の片隅で警鐘が鳴っている。どこか、本当の姿が見えていないような。

(でも……)

 人懐こそうな笑顔の裏に、時折陰を覗かせるような気がする。軽く見せている姿と背中合わせに、踏み込めない何かを持っているように思える。

 人が笑ってくれるのが好きなのだと言った時に一瞬覗かせた表情……それは、寂しさではなかっただろうか。そう思うと、京子の母性本能をくすぐった。

 出会った記憶はラブホテル――だけど、何もなかったと言った。多分それは事実だと京子も思う。それを考えても、そして微かに残るあの日の記憶を思い返してみても、本当に悪い人だとは京子には思えなかった。

 その、どこかちぐはぐな印象が、京子の興味を煽った。―― 一矢に対する、好意と共に。

 来週から一矢はずっとバンドの仕事で地方に行ってしまう。そう聞いたら、寂しくなった。元々それほど会えているわけではないけれど、ここにいないのだと思うことが寂しく感じられた。

 それが、読まれたのだろうか。わからないけれど、一矢が食事に誘ってくれたのはほんの数日前のことだ。

「おじょーさん、ひとりー?」

「やだ、一矢さん」

 どきどきしながら一矢を待つ京子に、ナンパな調子で声をかけてきたのはもちろん一矢である。背の高い一矢は、女の子にしては身長のある京子が多少のヒールを履いていても、隣にいることに引け目を感じずに済む。

「あ、また戻ってる」

「え?」

「一矢でいーってば」

「あ」

 指摘されて、思わず口を両手で押さえた。今更口を塞ぐ京子に、一矢が吹き出す。

「手遅れ」

「ご、ごめんなさい」

「……謝るこっちゃないけどね」

 京子は、あまり男性慣れをしていない。彼氏と言える人はこれまでにいたことがない。男の子と2人で度々会うようになることなど、一矢が初めてだった。そのせいかまだ、会うたびにどきどきする。

 促されて人込みの中を歩き出しながら、一矢が京子を振り返った。

「何かほら、『サン』って言われると、距離置かれてるみたいで寂しーでしょ?」

 にこっと笑いながら、片手を京子に差し伸べる。おずおずと差し出した手をくいっと掴んで歩き出す、その手のひらの大きさにさえ自分との違いを感じて、またどきどきする。

「今度から京子が俺に『一矢さん』って言うたびに『な〜に?京子さん』って言ってやろーかな……」

「え、ええ?」

「……『やめてよ気持ち悪い』って思った?」

「おおお思ってない……」

 冗談めかして言う一矢に、くすくす笑いながら見上げる。目を細めてそれを見下ろす一矢の、優しげな顔つきが好きだった。

「京子、おなかすいてる?」

「え、あ、あの、どっちでも……」

 それほど空いているわけではないけれど、一矢がどちらなのか咄嗟に判断が付かなくて、曖昧な返事をしてしまう。すぐにまごまごしてしまい、何と言って良いのかわからなくなってしまう京子に対して、一矢の対応は常に適切だった。

「そう?ん〜……じゃあさあ、ちょこっとだけ付き合わない?」

「え?」

「うーん、15分。したらその後すぐに、旨いトコ連れてくよ」

「う、うん……何?」

「こっち」

 手を繋いだままで人込みを歩く。まるでデートのよう……いや、やっぱり飛鳥の言うようにデートなのだろうか。男の子と手を繋いで歩くのなど一矢が初めてだし、それに――キスなんてされたのも、初めてだった。

「従妹がさ、来てるって言ったじゃん」

 何を話して良いのかわからない京子に、さりげなく話題を次々に提供してくれるのも、居心地が良かった。そのせいで慣れているのじゃないかと警戒を呼び起こすが、どちらかと言えば気負っていない、何気にない口調なのがその警戒心を緩めもする。

「うん。まだ、いるの?」

「まだいちゃうんですよねえ、これが……。で、そいつが誕生日なわけ」

「へえ?」

「何か買ってやろうかと思うんだけど、何を買ってやったらいーかわかんなくってね。趣味とかも良くわからないし、花とか無難かなーと思ってみたわけさ」

「ふふ。優しーの」

 従妹の誕生日に何か買ってやろうと思うのが妙におかしくて、くすくす笑う京子に、一矢はひょこんと眉を上げて「変だったかなあ」と呟いた。

「ううん。……それで?」

「んで、せっかくだから一緒に選んでもらおうかなーと。女の子が選んでくれた方が、可愛いの、やれるでしょ」

「そう?わたしなんかで良いのかな」

「京子ってファッションセンスとかいーもん。余裕」

 そう言われれば悪い気はしない。恥らって顔を伏せる京子の隣で、一矢が不意に道を逸れた。駅のそばの花屋に足を向ける。

「こことかどう?」

「あ、あの辺、可愛いアレンジメントがいっぱいありそう」

「あれんじめんと?」

「いろんなお花をこう……切花でね、花束じゃなくて籠とかに飾りつけたり」

「ふうん?」

 そつがなさそうで意外とそういうことを知らないのが、可愛く思えてしまう。京子だって、一矢が軽い男だとは思いたくはない。傷つくのが嫌だから先走っていろいろ警戒してしまうだけで、そうでない方が良いに決まっている。そう思うことが、ささいなことをすぐに「やっぱり女の子慣れしてるわけじゃない」と言う結論に繋げようとしてしまっていることに気が付かない。

(女の子に慣れてたら、お花とかプレゼントしたことだってあってもおかしくないもんね)

 こういうことをあまり知らないなら、そういうことをしたことがないのかもしれない。

「どのくらいのが良いの?あと、どんなイメージとか」

 花屋に入ると、どれも可愛らしくて目移りした。いろいろな花束やグラスブーケ、フラワーケーキなんて言うのも可愛くて良いかもしれない。

「あ〜……でかい花束とかはちょっと勘弁かな……。邪魔になるし」

「ああ、そうね……」

「かさばらない方が良いと思うんだよなぁ、多分」

「そう?じゃあやっぱりアレンジメントかな……」

 それに、ただ食事をしに行くだけではなく、こうして店に寄って一緒に買い物をしたりするのも、何だか少しカップルっぽく思える。そう思うだけで、テンションが上がって、京子ははしゃいだ。

「これなんか、どう?」

 京子が手に取ったのは、丸い透明なガラスの器を使用した、グラスブーケだった。背の低い、ガーベラや姫りんご、バラなど赤を基調にアレンジされた、シンプルながらも鮮やかな可愛らしいものだ。覗き込んだ一矢が目を丸くした。

「へえ。こんなのもあるんだ。可愛いね。喜んでくれそう」

「そう?」

「じゃ、これにしよっかな」

 一矢が店員を呼んで、プレゼント用である旨を告げると、やがて精算を終えて店員に渡されたグラスブーケは、白い綺麗な紙袋に包まれ、控えめながらセンス良くリボンが飾られていた。並んで店を出る。


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