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In The Mirror  作者: 市尾弘那
19/83

第6話(1)

 京子に招待されたOpheriaのライブは、キャパ1500くらいの会場だった。関係者席に指定されている2階席から見下ろす観客は、圧倒的に男性が多いようだ。……むさい。

 演奏は、何となく噂で聞いていた通りだった。

 生活そのものはいい加減であっても、一矢は音楽に対してはいい加減な気持ちではない。音楽歴も、年齢を思えば短くはない。腕もそれなりにあると思っている。耳も悪くない。そこから判断するに、Opheriaは……『ミュージシャン』とは言い難かった。

(ヴォーカルは悪くないけどな……)

 残念ながら京子のギターは今ひとつだ。鳴らすことに必死で、奏でていない。回りとあわせることしか出来ていない。音楽を少しでも真面目に聴いている人間なら、食いつかない。ミーハーなファンを掴むしかないだろう。紫乃が口ごもったわけがわかる。

「あれぇ。神田くんじゃん」

 2階席の隅で手すりに肘をついて眺めていると、そんな声と共に後ろからツンとつつかれた。

「何だ……何してんのお前」

 紫乃が一矢を見上げている。その後ろにもうひとり、どこかのほほんとした風体の男が立っていた。

「何って……あたし、前、サポートやってたんだってば。見に来たっておかしくないっしょ?」

 言われてみればそうだった。

「あ、神田くん、じじは初めてだっけ」

 思いついたように紫乃が微かに後ろの男を振り返る。初対面なので頷くと、紫乃が一矢に紹介した。

「じじでーす」

「……」

 人名としては苦しいところである。

「お前ね……」

「なんちゅー雑把な紹介しよんねん……」

 紹介された男の方も、呆れたように紫乃を小突いた。それから自分で改めて、一矢に向けて頭を下げる。

「武藤寿史です。初めまして」

「Grand Crossの神田一矢です」

 一矢の自己紹介に、武藤が目を丸くした。

「ああ、あんた、クロスのコなんや」

「コ……ええと、まあ。何で?」

「いや、こいつがずっとクロス、追っかけてんやん。せやから名前だけはずっと聞いててん」

「はあ」

 ちらりと紫乃を見ると、紫乃は微かに肩を竦めた。

「パートは?」

 失礼ながら、Opheriaのステージは半ばそっちのけになっている。

「俺はドラム」

「せやったら俺と相性ばっちりやーん」

 人なつこい笑みを浮かべて、武藤がにっと笑った。首を傾げる一矢が尋ねる前に、紫乃と武藤が同時に口を開いた。

「ベースやーん、俺ぇ」

 それから武藤が、紫乃を横目で睨む。

「真似すんなや。かぶったやろ」

「かぶせたんだもん」

「俺の影、薄なるやん。黙っとき」

「んじゃあそろそろ違うパターン考えてよー」

「……」

 何だか仲が良さそうなバンドである。

「じゃあ武藤くん、D.N.A.?」

「そう。俺、D.N.A.のベース。……一矢くん、俺、武藤でえぇよ」

「ああ……俺も一矢でいい」

「そう?ほんなら一矢、ウチでドラムやったらちょうどえぇやんな」

 武藤の言葉に紫乃がぽんと手を叩いた。

「あ、そうじゃん、いいじゃん」

「何?」

「ウチ、スリーピースでドラムいないじゃん?」

「一矢、ウチでも叩いたらえぇやん」

 おいおい、である。

「アナタ方ねえ……」

「神田くんのドラム、いいよー」

 紫乃が何気ない口調で武藤に言った。その言葉に思わず口を噤む。ちょっとこれは、素直に殺し文句だ。

「まじかー。紫乃が言うんなら、カクジツやな」

「うんうん。カクジツ」

「こいつな」

 正直言ってストレート過ぎる言葉に照れて言葉を失う一矢に、武藤が親指で紫乃を指しながら口を開いた。

「耳だけはめっちゃえぇねん。『アマバンヲタ』やけど、ただの『アマヲタ』ちゃうねん」

「……じじ。あたしは今、凄く不満だよ?」

「不満感じる要素ないやん」

「あるやん」

「褒めとんのに……」

 まるで兄妹のような空気感に思わず笑う。

「武藤、出身ドコなの?」

「俺ぇ?紫乃と一緒やで。長野県の松本」

「……」

 一体いつから長野は関西になったのだろう。

 つい無言に陥る一矢に、武藤が自分の膝をばしばし叩きながら笑った。

「んでも、東京出てくる1年前からな。その前は滋賀。滋賀の方が長いねんから、関西弁抜けへん」

「それじゃあ最後の曲いきまーすッ」

 続けて演奏されていた曲が途切れ、ステージ上でヴォーカルの声がする。その声に視線を向けると、ヴォーカルの飛鳥がステージのセンターで飛び跳ねるようにしているのが見えた。

 飛鳥の右手で、京子が微笑んでいる。すらりとして清楚な京子は、それだけでステージ上で存在感があり、小柄な飛鳥と対照的な印象を与えていた。ギターの腕はともかくも、モデル経験もあるせいか華がある。手摺りに頬杖をついて視線を向ける一矢に、紫乃がにやーっと笑った。

「……ふふふーん」

「……んだよ。『ふふふーん』って」

「いいえ〜?別にぃ?」

「すっげぇ、感じ悪いよ、今」

「失礼なッ」

 最後の曲と言う言葉に、一応一矢も、そして紫乃と武藤も黙ってライブに目を向ける。

「紫乃って、何でOpheriaのサポートやってたの?」

「何で?」

 一矢の言葉に、隣で身を乗り出すようにしながら手摺りを鍵盤に見立てて指を動かしていた紫乃が、目を瞬く。

「いや……何か」

「何でって言ってもなあ。仕事だし」

「あ、そう」

 ドラマーである一矢は、当然リズムについては少々うるさい。頬杖をついたのとは逆の指先で軽くリズムを取りながら聴いていると、正直次第に辟易してくる。ドラムとベースが絡んでいない。互いが互いの音を聴いているのか疑問に思う。ずれているキックとベースに、具合さえ悪くなってくる。

「そりゃあオツカレサマだったね……」

「何てことゆーかな」

「俺、駄目だ。ずっと真面目に聴いてられない。バスドラとベースが気持ち悪くなってくる。アマバンに時々いるよね、こういうバンド」

「……神田くん。もうちょっと遠慮して言って」

「悪いんだけど、これを褒めるのはドラマーとしての俺のプライドが許さない。……声はいーな。耳に優しい。ヴォーカルだけで持たせてるバンドって感じやねー。『アスカチャン』、大変だろなー」

 言いながら、背後の椅子にすとんと座り込んだ。紫乃の隣に立ったままの武藤が、一矢を振り返る。

「ま、気持ちはわかる」

「じじまでー。んでもみんな頑張ってるよー?」

「頑張ってんのなんか、どのアーティストかて一緒やろ。客にしてみりゃ努力なんか関係あらへん。出来上がりが全部やん」

「そりゃそうだけどさあ」

「別にバンドの評価が個人の評価に繋がってるわけやないやろ。一般ぴーならともかく、俺ら事務所一緒なんやし、それでその個人の好き嫌いが出来るわけちゃうで。せやから単に、バンドの感想」

「う〜……」

 そう言っている間にOpheriaのライブが終わった。メンバーが口々に客に礼を言いながら、袖へと姿を消していく。

 その様子をぼーっと眺めていると客電が点灯し、無意味に天井を見上げた武藤が一矢に向かって尋ねた。

「一矢、この後どないしよんの」

「え?あー……」

 迷う。

 誘われて来ている以上、京子に挨拶くらいはしないとまずいだろうが、楽屋に顔を出す気にはなれない。京子も打ち上げか何かあるかもしれないから何とも言えないが、とりあえずは予定を空けて連絡を取るのが無難だろうか。

「神田くん、楽屋行く?」

「いや、楽屋はやめとく」

「何で?」

「だって俺、京子以外のメンバーは面識ねーもん」

「そう?」

「紫乃、挨拶行くやろ?」

「うん」

 紫乃が頷くと、それに応えて武藤も頷き返しながら、一矢に視線を戻した。

「一矢、この後別にどうもせぇへんなら、一緒に飲みにでも行かへん?」

「うー……ん」

 行きたいのはやまやまではあるが。

 答えに詰まって眉根を寄せながら唸った一矢は、しばし迷ってからため息をついた。

「……ごめん。今日は、やめとく」

「何やー」

「でぇとだ、でぇと♪」

 紫乃がまた、意地悪くにやにやと笑った。思わずその顔を睨み返す。

「近所のオバチャン」

「はあ!?」

「クチバシ突っ込まないでいただけますぅ〜?」

 立ち上がって、目を細めたままで紫乃の額をびしっと弾く。弾かれた額を両手で押さえて、紫乃が「ふぎゃ」と呻いた。

「何や、でぇとか。ええな〜」

「いいでしょー」

 冷やかすような紫乃の態度に何かカチンと来て、どこか意地になったような気分で笑みを武藤に向けた。ギャラリーの出口に向かって歩き出す。

「またの機会にぜひゆっくり」

「あ、言うたな。俺、本気にすんで。社交辞令とか言う可愛い現象、俺には通じへんで。紫乃、お前セッティングせぇや」

「ふたりで勝手に飲めばいいじゃんよ……」

 額を弾かれたことを根に持ったように唸る紫乃を振り返り、へろっと舌を出して見せた。

「ほんじゃあ俺は『でぇと』でもしてきますわ〜。武藤くんとの『でぇと』も楽しみにしてまっせー」

「ほな、またな」

「ごゆっくりぃぃ〜っだ」

 背中を向けてひらひらと手を振る一矢の背中を、噛み付くような紫乃の声が追いかけてきた。


「ごめんね、お待たせッ」

 紫乃と武藤と別れ、会場を出たその足で単車を停めた駐車場に向かいながら京子に電話をかけた。

 ライブの後はアーティストもスタッフもバタバタしている。自身もミュージシャンである一矢は当然そんなことはわかっているし、どうせ電話に出られないだろうから留守電にメッセージでも残しておこうと思っていたので、飛びつくように電話に出られた時には驚いた。

 その電話で、会場のあった渋谷のハチ公口を避けた東口のカフェで京子と待ち合わせることになった。待つこと30分、店に駆け込んできた京子は、まだライブの名残を残したような、どこかテンションの高い顔つきをしていた。

「お疲れ」

「おつかれさまッ。……あ、カフェ・オ・レ、下さい」

 オーダーを取りに来たウェイターに言って一矢の向かいに腰を下ろす京子に、笑顔を向ける。

「良かったの?打ち上げ、あったんじゃない?」

「え?あ、う、うん……それは、まあ」

 やはり打ち上げはあったようだ。一矢の問いに曖昧に微笑んでコートを脱いだ京子に、一矢は少し眉根を寄せた。

「悪かったなあ」

「ううん。あの、い、いいの」

 微かに顔を赤らめて口篭りながら言う京子に、内心「ほぉ〜」とにやつく。そもそも先ほど電話をした時も、来てくれた礼をしたいからどこかでお茶でも飲まないかと言ったのは、京子だ。どうやら打ち上げよりも、一矢と会うことを優先させてくれたらしい。つまり、京子の好意は、かなり一矢に寄せられて来ている。

「そう?何か嬉しいな〜」

「え?」

「京子を独占」

「……」

 言葉に詰まったように、京子が一気に真っ赤になった。目を瞬いて一矢を見つめる。それから照れを誤魔化すように目を伏せて唇を尖らせた。

「……相変わらず、口が上手いわ」

「そうかなあ。そんなふうに言われたこと、ないけどな」

 嘘である。

 が、そのように言っておけば、「まさか」と思いつつも「自分だけが口が上手いように感じる」=「自分にだけそう言う言葉を口にしている」との式が、成り立ちやすいものである。それはつまり、警戒心が薄くなると言うことだ。

 そして、こういう言葉を口にする女の子は、反面それを否定して欲しい心理が潜んでいると思う。肯定されれば不愉快になるだけだ。わざわざ口に出しているのは、それを相手に否定してもらって自分の安心を得たいと言う心理状態の顕れだろう。そうでなければ、黙って胸の内で「こいつ口上手いから気をつけよう」と思って近付かないようにすれば良い。

 否定して欲しいのが見えているのだから、否定してあげるのが親切と言うものだろう。この程度の嘘、社交辞令のようなものだ。

「……そ、そう?まさか」

「んー?だってどの辺が上手い?」

「何か……褒め慣れてるって言うか、口説き慣れてるみたい」

 おっしゃる通り!!と拍手するわけにはいかない。

「褒めるのって、慣れようがある?相手によって褒められるところって違うだろうし、思ってもないことは言えないよ」

 運ばれて来たカフェ・オ・レに口をつけながら、京子が上目遣いに一矢を見た。それから嬉しそうに目を細めて、視線を落とした。頬杖をつきながらそれを眺めていた一矢は、その素直な反応に思わずくすりと笑う。純情過ぎるのも、なかなか悪くはないかもしれない。

「この後どうする……」

 尋ねかけて、言葉を途切れさせた。ジーンズのポケットに突っ込んだ携帯が振動する。京子の前で出にくい電話がかかってくる心当たりが数多とあるので少し躊躇うが、何せ仕事絡みだとシカトするわけにはいかない。

「ごめんね、ちょっと良い?」

「え?うん?」

「電話」

 躊躇しながらも取り出してディスプレイに視線を落とすと、一瞬目が点になった。自分の自宅電話からである。――晴美だ。自分の家電からかかってくることなどかつてなかったので、一瞬意味がわからなかった。

「やべー」

「え?」

「いや……ちょっとごめん」

 断って、顔を微かに顰めながら通話をオンにする。

「はいはい」

「あ、一矢くーん?まだ遊んでるのー?」

「……寝るなら戸締りと火の元だけしっかりお願いします」

「え〜?帰ってきなよ〜」

「帰りますよ。……メシ、食ったか?」

「うん。一矢くんの分も作ったよ。この前の家庭科の授業でねー」

「あー、はいはい。帰ったらゆっくり聞くから、後でねー」

「もう帰ってくる?」

「……う、うん。様子を見て、まあ……」

 曖昧に言葉を濁し、通話を切る。切ってからつい脱力している一矢に、京子が目を瞬いた。


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