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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第5話(1)

Blowin'――

Vo&S.G 遠野 亮 (とおの あきら) / L.G 如月 彗介 (きさらぎ けいすけ) / Ba 北条 思音 (ほうじょう ことね) / Drs 藤谷 和弘 (ふじたに かずひろ)

××年 Jスタッフプロモーション/ガレージレーベルにてファーストシングル『BREAK THROUGH』リリース。

同レーベルにてシングル1枚とアルバム1枚をリリースするが、××年にJスタッフプロモーションの野村レコード吸収合併に伴い事務所を株式会社ブレインに移籍。株式会社ヴァージン・ミュージック・エンタテイメントにて、通算3枚目のシングル『OVERNIGHT』をリリース。最高、ヒットチャート4位を記録する。××年12月にはセカンド・アルバム『ETERNAL』を発売。 (中略) ……5枚目のシングル『FAKE』が、自身としては初の、初登場1位を獲得し、続く6枚目のシングル『憧れ』、3枚目のアルバム『TERMINAL』もチャートにランクイン、その地位を不動のものとして確立する。楽曲のほとんどをL.Gの如月が手がけ……


          ◆ ◇ ◆


 ライブスペース『release』は新宿の東口、歌舞伎町はコマ劇場を過ぎた裏路地の中地下にある。

 久々に古巣『release』を、そのオープン前に訪れた一矢は、中を見回してオーナーである筧の姿を探した。カウンターの裏で、逆さにした『赤いほうき』が左右に揺れている。筧の頭だ。

「あ、かこさん」

 名前は『かけい』のはずなのに、どこでどう間違えたのか『かこさん』と呼ばれてしまっている。本人も別にそれで何とも言わないのだから、スタッフと言わず常連と言わず、誰も彼もが彼のことを『かこさん』と呼ぶ。

 『release』は路地の高さから言えばごく僅かに地下にあり、短い下り階段を下りると3メートルほどの直進通路になっている。その先の防音扉を開けてすぐにはバーカウンター、その右手奥にライブスペースだ。

「おぅ、一矢。久しぶりだな」

 カウンターの陰にしゃがみ込んで何やらごそごそしていた筧が、一矢の声に答えて立ち上がる。トレードマークになっている丸いサングラスが照明に微かに反射する。

「明弘に聞いたぜ。事務所、ついたらしいじゃないか」

 床に置かれた缶ビールの箱から、缶を抜き出して冷蔵庫に移し替えながら笑う。それから入れ替わりに冷えた缶を冷蔵庫から抜いて、一矢に放った。

「お祝いだ」

「さんきゅぅー。……安い祝いだなぁー」

 笑いながらありがたく受け取る。せっかくなので冷たいうちにプルリングを引きながら、カウンターに寄りかかった。

「メジャーなんざ行くもんじゃねぇよ?自由に音楽やりてーんだったら、インディでやってんのが1番なんだからなー」

「んー。それはそうなんだろうけどねー……。んでも、今んトコ、別にインディーズと何が違うでもないけどね」

「そうか?」

「そうだよ。って言うか大体何にもやってないよまだ」

 昨夜冷蔵庫に入れた残り物だろう。良く冷えている。ビールに口をつけながら笑うと、筧も笑った。

「そのまま何もしないで終わるなよ」

「う、うーん……試みてはみる」

 それから、しゃがみこんだままで冷蔵庫の中身を並び替えている筧を、上から覗き込んだ。

「客入りはどう」

「悪くないよ。最近は昔に比べて年齢層が下がったなあ」

「そう?」

 筧もまた、テルと同様に年齢不詳だ。ミュージシャンやライブ関係者などは、ぱっと見て実年齢が今ひとつ判別出来ない者も少なくはない。子供がいると聞いているし、40ももう半ばを越えているらしいが、自らもバンドをやっている筧のファッションやノリは、どう考えても40代のそれではない。真っ赤に染めた髪をほうきさながらに逆さまにおっ立てて、黒い革ジャンに皮パン、迷彩模様のTシャツに鋲入りのブーツなど、真っ当な40代後半男がする服装ではない。

「明弘、来てる?」

「ちょろちょろと来てるよ。相変わらずくだまいてはセッションしたりしながら、ふらふらしてるよ」

「何だ。明弘もどっかバンド決めてやれば良いのに」

 缶を持った指先で弾きながら、もう片方の手でポケットをまさぐる。煙草を取り出していると、ドアの方からきゅっきゅっと軽い足音が近づいて来た。誰かが来たようだ。

「はよー……おっとお?一矢ぢゃん?」

 そう言って姿を現したのは友子だった。名字は知らない。

「うぃす。何だよ、まだ明弘につきまとってんの?」

「つきまとってるわけじゃないもん。お慕い申し上げてるの」

 ばさばさに脱色して痛みきったパーマの髪を、ぐしゃぐしゃと混ぜながらこちらへ歩いて来る。スウェット上下のままの寝起きとしか思えない怠惰な空気で、すっぴんの顔は18歳にしては荒れている。書いていないせいか、眉毛が薄い。

 友子は、1年ほど前から『release』に入り浸るようになった。高校に馴染めずに行かなくなり、次第に家にも寄りつかなくなった。新宿の歌舞伎町路上でウリ(売春行為)をしては日銭を稼いでいたのだと言う。

 けれど、裏で自然と出来上がっているルールを知らずに単独でウリをしていた友子は、その辺りを縄張りにしていたウリのグループに目をつけられ始めた。すべきことをせずに男の財布から金だけ抜いてホテルから逃げ出したことで、怒った男が友子を探し回った。怖くなり始めた友子の前にふらっと現れたのが、明弘だった。

 何をどこでどう聞いたのかは知らないが、「この辺で何も知らないでウリをするのは危な過ぎる」と忠告しに来たのだと言う。今は友子は、明弘の紹介でスナックで働いている。年齢違反は、マスターのリュウが胸の内に飲み込んでくれていた。以降、友子は明弘に心酔して『release』に入り浸るようになったと聞いている。ここに出入りするようになってから、友子はバンドのヴォーカルを始めた。スタッフではないが、身内に近いミュージシャンと言うやつだ。

「明弘、来るの?」

 煙草をくわえながら、缶をテーブルに置く。友子がへらーっと笑った。

「来る来る」

「えみちゃん、連れてくるって言ってたよ」

 口を挟んだ筧の言葉に、友子は「えぇーッ」とカウンターに突っ伏した。

「いらねぇよお」

「顔出してすぐ帰るってさ」

「笑子なんか連れてくんなよお」

 どうやら笑子は女性受けが余り良くない。男受けが良さそうだからだろうと思っていたが、そう言うと大体「だから男は馬鹿なんだよ」と言われるので口にしない。女性が思うほどこちらも馬鹿ではないと思いつつも、同性ほど見抜けていないのも確かだろう。それでも笑子は小悪魔を通り越して悪魔なんだろうと言う気は一矢でさえするが、明弘は別に騙されているわけではないし、それでも好きなのだからそれでいーんじゃないかと言う気がする。

 ちらほらと『release』の顔見知りのスタッフが入ってくる。一応基本的にはバンド入りより1時間以上早く来るのが決まりだったと思うが、気まま過ぎる『release』のスタッフはバンドより遅く来ることさえある。

 スタッフにも、いろんな人間がいた。10代で子供を持ちながらバツイチだったりする者、親が服役を受けていることを理由に学校生活から阻害された者、以前の友子のように、居場所を見つけられずに居ついた女子高生、ミュージシャンを目指して自分たちでレーベルを作りながら働く者……。

 筧も確か2回ほど離婚をして、今は随分年下の女性と内縁状態で暮らしていたと思う。筧は、ずっと海外でアーティスト活動をしていたが、日本のメジャー会社に声を掛けられて帰国し、ワンショットで飼い殺しだったらしい。結局レコード会社から行方をくらまして様々な変遷をしながら、今はこうしてライブハウス経営をしている。

 いろんな人生があるものだ、と思う。人間がいればそれだけ生き方がある。『release』に集まる人間は、まるでその見本市のようだ。

 ここにいると、心に闇を飼うのは自分だけではないのだなと思う。自分より不幸な人間を探して安心する趣味も、自分より幸福な誰かと比べて自分に同情する趣味もない。誰も彼もが大変なのだと思う。誰もが、幸と不幸を併せもっているのだろう。

「何でよ、えみちゃん、可愛いのに」

 筧の言葉に友子が、既にややひしゃげているストゥールを蹴った。

「どこがだよぉ。存在が癪」

「ちょっとは身なり、整えてから顔出しなよ」

「仕事明けでだるいんだよ」

 顔にかかる前髪をバレッタでちょんまげのように額の上で雑に留めると、友子は一矢の立つ隣の床に直接座り込んだ。『release』のスタッフが掃除をするモップが、その前をだらだらと動いていく。

「ケイは元気にやってんのか」

「やってるよ。来ない?」

「最近は見ないなあ」

 古巣、とは言っても、Grand Crossが現在の形になってからはあまりこのライブハウスで演奏をしてはいなかった。その為、筧はGrand Crossについては余り良く知っているわけではないが、啓一郎と一矢だけはその前から出入りしているので付き合いがそこそこ古い。

「ふうん?かこさんが寂しがってるって言っとくよ」

「俺らのライブを見に来いって言っとけよ」

 筧は未だ現役のミュージシャンだ。尤も、ライブをするのはこのハコに限られているが、音楽歴が長いだけあって上手く、顔も広いせいか、『release』の規模ならひとりで埋められる程度に客を持ってはいる。

 笑いながら外へ足を向ける筧の背中を見送り、足元で煙草を吸っている友子と他愛のない話をしていると、やがてこちらに続く通路の方から明弘の声が聞こえた。筧と軽口交じりに挨拶を交わすのが聞こえる。

「明弘、来たよ」

「わかってんよ」

「明弘って意外にセンセイにでもなれば向いてるかもなぁ」

「はぁ〜?」

 一矢の言葉に友子がけたけたと笑った。「気持ち悪いよそれ」と言う言葉に一矢も笑う。

 けれど、凄いことじゃないだろうか。一矢は明弘との出会いで人生が変わった。誰との出会いであってもそれが自分の人生に何らかの影響を与えはするのだろうが、その振幅の大小と言うのは確実に存在すると思う。多分、友子も同じだろう。それほどに他人に与えられる影響力と言うものに、素直に感心する。

「『青少年相談室』みたいな」

 友子が何かを答えかけたところで、明弘がこちらに姿を見せた。スタッフにちょっかいをかけて笑いながら、ひらりとこっちに片手を振る。その後ろから、笑子が顔を覗かせた。

 笑子は、ほっそりした線の細い見た目をしている。背中までの真っ直ぐな長い髪は細く、そのせいで髪の量が少なく見えた。かなり明るい茶髪のせいもあるだろう。やや目尻の上がった大き過ぎない目と晒したやや広いおでこのせいか、すっきりした顔立ちに見える。黒いフレアミニの裾から、ブーツを履いた細すぎる足が覗いていた。ちらっとこっちに目を向けて、顔を逸らす。

「何だよ、一矢とこっちで会うのって久しぶりじゃねぇ?」

「うん。かこさんがどうしてるかと思って覗きに来た」

「友子、相変わらず小汚ねぇ恰好してんなぁ」

 ジャケットのポケットに両手を突っ込んで友子を蹴る真似をする明弘の足を、「うるせぇよ」と言いながら友子の足が蹴り返す。笑子は興味なさげにブランドバッグから取り出した細いメンソールの煙草を咥えて、手近な壁に背中を預けた。

「笑子さーん、お久しぶりぃ〜」

 ひらひらと片手を振って見せると、笑子はにこっと笑い返して小さく手を振り返した。常にどこか冷たくそっけないのに、そうした対応のひとつひとつが意外なほど可愛らしく、友子などはそれがまた鼻につくのだろうかと言う気がするのは男の贔屓目なのだろうか。

「何しに来たの?明ちゃん」

「あたしに会いに来たの」

「ありえねぇ。茶ぁしに来ただけ」

「……ケチりすぎじゃないの、さすがに」

 勝手にカウンターの内側に入ると「かこさーん、ビール貸してー」と声を上げて冷蔵庫を覗き込む。『ビールを借りる』のはおかしいだろう、と思いつつ眺めていると、立ち上がった明弘が笑子に声をかけた。

「笑子、飲むか」

「いらない」

「あ、そ」

 自分は関係ないと言わんばかりに、煙草を指に挟みながら携帯をいじっている笑子のそっけない回答を気にするでもなく、明弘は自分の分だけビールを取り出して口をつけた。そのまま笑子を放って、カウンターの内側の椅子に腰を下ろす。

「友子、お前、リュウさんに迷惑かけてねぇだろな」

「ないよ。すげぇ真面目に働いてんよ」

「一矢、お前今度、スパイとして偵察行って来いよ」

「……俺、面が割れすぎちゃってて全然偵察にならないんですけど」

「そう言や友子、お前何しに来たの?」

「歌いに」

「あれ?何だよ、今日出んの?」

「そうだよ」

 スタッフと親し過ぎるゆえに、通常のリハ枠の前にさっさと練習がてら歌ってしまおうと言う魂胆だろう。メンバーのひとりがここのスタッフであることもあり、友子くらいスタッフと通じ合ってしまっていると、この程度の規模のライブハウス、だんだんエンジニアが来る前に勝手にスピーカのアンプに電源を入れて、必要なマイクだけ立ち上げて音を出し始める。

 やがて友子がそのだらけ過ぎている服装のままステージに上がって音を出し始めると、それを聞くともなしに聞きながら、一矢は明弘に問いかけた。

「明ちゃん」

「んあ?」

「笑子さん、放っておいていいの?」

 笑子はつまらなさそうにひとりでずっと携帯をいじっている。

「は?何で?」

「デート中じゃないの、あなた方は」

「ああ……別に、いーんじゃねぇの」

 放って置かれている笑子の方も、別に気にしている様子ではない。このカップルは一緒にいるのを見るたびに、明弘が他の誰かと遊んでいて、笑子は無関係の顔をしている。明弘の方も『べた惚れ』のくせに、どうしてここまでつれなくなれるのか。本当に不思議なカップルだ。付き合い方など、それは人それぞれあるのだろうが。

 しばらく明弘と、友子のリハやGrand Crossのこと、明弘が最近セッションしたバンドの話などをステージに目を向けながら話しているうちに、やがて笑子が携帯をしまった。それに気がついた明弘が、笑子を手招きする。それに応じて素直にこちらに来た笑子は、一矢の隣にすとんと腰掛けた。

「笑子さんって、明弘が叩いてる時に見に来たことないよね」

 一矢の言葉に、笑子がにこっと笑って答えた。

「興味ないもん」

 あっさりと言って、バッグからこれまたブランド品のシガレットケースを抜き出すと、カウンターの上に置いた。

「一矢くんが叩いてるバンドなら、見に行っても良いよ」

「まじでー。来て来て」

「こいつらムカつく……」

 だるそうにカウンターに肘をついて、明弘が鼻の頭に皺を寄せた。笑子は、明弘のクレームもどこ吹く風で煙草を抜き出している。その顔が、ふと脇に置いたバッグに向いた。携帯電話を取り出して、操作する。

「まーた男とメールかよ」

「違うよ。合コンの誘い」

 またもあっさり答えて、笑子は顔を上げた。

「アキ、モトムラに早くスギ紹介してよって言っといて」

「ばぁか。何で俺がお前にオトコ紹介してやんなきゃなんねぇんだよ。自分で言え」

「んじゃあ自分で言う」

 彼氏彼女の会話にしては、何かがおかしいような気がする。どこか呆れた気分で会話を聞いていると、不意に、今度は一矢の携帯がポケットで振動をした。取り出してみると、知らない番号からの着信だった。

(……?)

 誰だろう。

 不審に思いつつ、通話ボタンを押してみる。

「はいはい?」

 が、どうやら電波が悪いらしい。がさがさと言うノイズと無音が交互に繰り返され、一矢はその場を離れた。

「もしもーし?」

 電波が悪いのはこちらのようだ。移動に合わせて、向こうの声が揺れる。

「……し……か」

「もしもし?ごめんね、ちょっと電波が悪いから移動中。外出るから、待って」

 一瞬の声で、とりあえず女の子だと言うことがわかった。途端、優しい声を出しながら早足で階段を上る。

 女の子――誰だろう。連絡をくれるような女の子なら、全てこの携帯が網羅しているはずなのだが。

 外に出て、ようやくノイズが遠のく。クリアになった受信音に、一矢は『release』を出てすぐの壁に背中を預けながら呼びかけた。

「お待たせ。ごめんね。誰?」

 回答を待つ一矢の耳に、微かな沈黙の後、答えが返った。

「……ヒロセですが」

「……何だよ、お前さんか」

 驚いたことと、僅かに動揺をしたことが癪で、急にぞんざいな態度になる。紫乃が電話口で、唸った。

「もの凄く失礼極まりない対応ですが、その辺、自分でどう思いますか」

「仕方ないと思う」

「……」


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