第3話(3)
「何だよ、違うの?」
「やってました」
「ふうん。それで京子ちゃんと仲が良いんだ」
「……仲が良いってほどでも……ないけど」
曖昧に肯定をして、紫乃は灰皿に煙草を放り込んだ。そのままぼんやりと階段の方へ視線を向ける。しばらくそうしてぼんやりした後、ため息をついて気分を変えるように一矢に視線を向けた。
「クロスは?録りは順調?」
「どうかねぇ……まあ、今日あたりは順調なんじゃないですか?」
「昨日武人くんの顔色、悪かったけど。平気?風邪でもひいたの?」
「いや〜いろいろあらぁねぇ……」
「何それ……」
まったく、自分以外はいろいろあって大変だ。一矢は平穏そのものである。
「Opheriaってさ」
「……うん」
「何してんの?」
「はあ?」
大雑把な一矢の問いに、紫乃が変な顔をしてみせた。問いに補足する。
「京子ちゃんってギタリストなんでしょ。バンド?」
「バンドだよ。……知らない?」
「知らない」
「ふうん」
知らない?と聞くと言うことは、デビュー済みなのだろう。申し訳ないが、あまり日本のミュージシャンには詳しくない。ソファーにずるっと沈んでいく一矢の前で、紫乃は身を屈めるとローテーブルの下のブックラック化している棚を漁った。雑誌を引っ張り出す。
「これに確か……あ、これこれ」
言って紫乃がテーブルの上に広げたページには女の子4人が写っている。言っては何だが、可愛いとも可愛くないとも、何とも中途半端だ。そのうちのひとりが京子であるあたり、冷静にひとりひとり見ればそこそこ可愛いのかもしれないけれど、何となくぱっと見て目を引かない。失礼な感想である。
「ふうん?ギャルバン?」
「うーん……ギャルバンつーか……ま、女の子だけのバンド」
「へー。上手いの?」
「……まあ、いろいろと」
「……」
その言葉で答がわかる。そのわりに誌面に大きく扱われているのが不思議だ。紫乃から雑誌を受け取って、煙草を灰皿に放り込みながらしみじみと誌面に目を落とす。
「京子ちゃん、実物の方が全然可愛いじゃん」
「みんなそうだよ。みんな可愛いよ」
「そう?いつからいるの?」
「知らない。デビューしたのは去年かな……まだ、シングル1枚とアルバム1枚だけしか出してないよ」
「そうなんだ。んで京子ちゃんはここでギタリストをやっていると」
「……まあ」
何とも先ほどから歯切れが悪い。すぱすぱ物を言う印象があるだけに、何かあるのかと思ってしまう。
「ふうーん……。あ、このコ、実物結構良さそう」
「どれ」
「真ん中のコ」
「……」
何気なく言いながらページをめくる。特に深い意味があるわけではないのだが、言ってしまった以上、記事を目で追いながら言葉を重ねた。
「飛鳥ちゃん……へえ、ヴォーカル?知ってる?」
「……サポートしてたんだから、知らないわけないでしょ」
「そりゃそうだ。可愛い?」
「……可愛いよ」
「……」
それきり黙ってしまうので、会話が続かなくなってしまう。まあいいや、と黙って記事を目で追っていると、紫乃がふと覗き込むようにして口を開いた。
「ねえ」
「あー?」
「……京子ちゃんとちゃんと付き合わないの?」
余計なお世話である。
「何で?」
「だって……」
「がたがた言わないんじゃなかったのー?」
「が、がたがたなんて言ってないじゃん。ただあたしは、そういうッ……女の子傷つけて放っとくみたいなのはッ……」
「傷ついてるとは限んねーじゃん」
どうして紫乃に限ってこうなってしまうのだろう。そう思いながらも返した言葉はつい喧嘩腰になった。
紫乃が、一矢と京子の間に何もなかったことを知らなかったことはわかっている。けれどじゃあ紫乃の言う前提で話をすると、どうしてそうなった場合「女の子だけが傷つく」と言う発想になるのだろう。遊ばれれば傷つくのは男も女も一緒だろうし、成り行きでそうなってあっけらかんとしているのが男だけとも限るまい。麻美のような女性だっている。いや、一矢が関係を持っている女性は総じてそういう女性ばかりだ。そうでなければ、逆に言えば手を出さない。
「傷つくよッ」
「だから何でそう決め付けるわけ?そうなろうがどうなろうが、何とも思わない奴だってごろごろいるし、女の子の方が傷つけてあっけらかんとしてるコトだって、多いんじゃないの?」
「そんなことない!!京子ちゃんをそういう人と一緒にしないで!!」
「それに俺と京子ちゃんがどうなってようが、俺にも責任はあるかもしれないけど、その場合京子ちゃんにも責任はあるでしょ?何でそもそもの全責任が俺なわけ?」
と言うか、良く良く考えれば善意で保護したものを、ひどい扱いではある。が、誤解を解かないこっちも悪い。わかってはいるが、ここまで言ってしまったものを段々引っ込みがつかなくなってくる。
「じゃあいいよ、わかった。泥酔している彼女をホテルに連れてった俺の行動が彼女を傷つけているとしよう。それがあんたとどう関係あるの?」
「あたしはッ……」
バン、と紫乃がテーブルに両手をつく。興奮して顔が紅潮してきているようだ。
「あたしはッ……酔っ払ってる京子ちゃんとはぐれちゃって、見つけらんなくて、電話を鵜呑みにして帰っちゃってッ……」
あの日の紫乃の背中が蘇る。不安そうに辺りを探すように彷徨った視線。京子を心配していた、それは、わかる。
「その後も、結局翌日になるまでつかまらなくって、聞いたら知らない男の子にホテルに連れてかれたなんて言われてッ……」
しまった。興奮の余り、目が潤みだした。泣き出されても、正直、困る。
軽く焦る一矢の前で、紫乃も自覚があるのかぎゅっと歯を食いしばって言葉を切った。それから落ち着くように呼吸をして、改めて一矢を睨みつける。
真っ直ぐな、凛とした視線が一矢を責めている。
「……心配したし、後悔したし、あたしの責任でもあるから、あたしはッ……」
「あの……」
「……あたしはッ……京子ちゃんは、真面目なコだから、そんなの平気なわけがなくって……だけど、だから……」
「わ、わかりましたよ。ごめん、ごめんなさい、俺が悪かった」
結局勢いに押されて何だかわからないまま謝る羽目になっている。一体自分は何に対して謝罪しているのだか良くわからない。
が、テーブルに両手をついたまま何やら必死で言い募る紫乃の剣幕に、絡むような言い方をして悪かったと思う。ともかくも、誤解をさせたままなのがそもそも問題だろう。何もなかったことがわかれば、責任を感じてようが何だろうが、少なくともそこまで紫乃が気にすることもあるまい。
「あのさ……」
そう思って口を開きかけた時、2階で物音が聞こえた。2階の、レコーディングスタジオが開いた音だ。複数の足音と、声。
「……え?……ああそう……。いーよ。何」
誰かの声が聞こえる。誰のものかまではわからないけれど、2階のレコーディングスタジオでは同じくこの事務所に所属するBlowin'というバンドがレコーディング中だったはずだ。その中の誰かだろう。別に関係ない。淡々とした声が微かに聞こえるのを聞きながら紫乃の誤解を解こうと口を開きかけた時、紫乃ががばっとテーブルから体を起こした。びっくりする。
「……な、何?」
「……あ、あたし……」
「……」
「……帰る」
「はあ!?」
唐突に言った紫乃に、唖然とする。が、紫乃は何かを警戒するかのように階段の方に目を向けたまま、立ち上がった。
「何だよ帰るって」
「ごめん。帰る。……ともかくッ」
なぜか小声で怒鳴るようにしながら、紫乃は一矢に指を突きつけた。
「誰にでもついていくような女の子ばっかりじゃない。少なくとも京子ちゃんは、そういうコじゃない」
「あの……」
「このまんま京子ちゃんを放っておいたりするつもりだったら、あたし、許さないからね」
「だから……」
待て、と言うのに。
が、一矢の制止も儚く、2階からこちらに下りてくる足音に押されるように、紫乃が事務所を出て行った。全くわけもわからずに怒られるだけ怒られてロビーに取り残される羽目になる。
(何なんだ一体……)
誤解を解かせろ、と言いたい。言いたいが、既に言う相手はいない。
(……頼むよもう……)
ぐだーっと精神疲労に陥ってソファに崩れる一矢の耳に、誰かが階段を下りてくる足音が近付くのが、聞こえた。
◆ ◇ ◆
「♪女の子は奇々怪々〜 俺は別に悪くない〜 どうでもいいから人の話を黙って聞け〜……」
「……一矢。頼むからわけのわからん歌を歌うのはやめてくれ」
クラブで流れている音楽にあわせ、適当な歌詞をぼやくように小声で歌っている一矢に、遊び仲間のひとりが呆れたような声を出した。シングルのレコーディングがひと段落し、それが終了したら今度はジャケ写だの、他愛ない雑誌の取材だの、ぽつぽつとやらなければいけないこともあるらしい。
金にならない仕事をしながら生活費も稼がなければならなかったり、学校に通わなければならない他のメンバーと違い、一矢は多分最も時間に余裕がある。
「何だよ、何かあったの?」
「女の子をホテルに連れてっちゃ悪いの?」
「……いきなりなんだよ。いーんじゃないの、それはそれで」
「あーッもうめんどくせぇーッ」
今後も仕事でどうしても顔をあわせるだけに面倒臭い。
鼻の頭に皺を寄せながら自分の膝に頬杖をついていると、後ろから誰かの手が伸びた。首筋に絡みつく。
「かぁーずや。ひさしぶりぃー」
「うぁ」
「何くさってんのぉー」
顔見知りの女の子だ。
「千佳が最近俺を構ってくれないからさー」
「嘘ばっかー。調子いーんだからー」
全くである。今この瞬間まで存在すら覚えていなかったくせに我ながら調子が良い。
それでも、そう言われれば気分は悪くないらしい。千佳、と一矢に呼ばれた女の子は一矢に張り付くようにしながら、そのまま隣にしなだれこんできた。露出度の高い肌の上を、ミラーボールの色とりどりの光が舐めていく。
「千佳、最近どうしてたの?」
「どうしてたって?」
「見かけなかったから」
「えぇ〜ッ。そんなことないよぉ〜。一矢の方でしょお〜?また女の子引っ掛けてたんでしょお〜」
甘ったれた声で言いながら、千佳の指が一矢の頬を引っ張る。
「ね、ね、今日はいるんでしょ」
「え?……帰ろうかなと思ってたけど、千佳がいるんじゃ勿体無くて帰れないなぁ」
「またまた、もー」
いつの間にこんなに口八丁手八丁になってしまったのか。中学時代の俺はどこへ?と己に自問自答したくなる。千佳の耳元に唇を寄せながら、睨みつける紫乃の眼差しが脳裏を過ぎった。
(……あーーーーーッ。関係ないだろおおおおおお!?)
いらっと来て心の中で怒鳴る。触れる一矢の唇に、千佳がくすぐったそうな甘い声を上げた。
「ふふッ……くすぐったいよぉ〜」
「お前らそんなトコで何始める気だよ」
「きゃはははッ。一矢ぁ、アツシくんがヤキモチやいてるぅ」
「馬鹿、目の毒だからよそでやれ」
頭の上を通り過ぎる軽い会話。自分も大概その中に身を置いているのに、今更、少しだけ居心地が悪く感じる。
「一矢、どっかよそ行くぅ〜?」
――そういうッ……女の子傷つけて放っとくみたいなのはッ……
千佳を見てみろ、と言いたい。傷つくどころか自分で提案するこの有様だ。紫乃だったらこんなことをした瞬間に殴られるに違いない。
「どこ行きたい……?」
つくづく、面倒臭そうだ。キスひとつするにも時間がかかりそうで、千佳のように囁きひとつでホテルまでついてくるような手軽で可愛い女の子に困ることのない一矢からすれば、到底女としての対象にならない。
「えぇ〜?……ふふッ……一矢が満足するところぉ」
「そんなこと言っていーの?俺任せ?」
「『俺任せ』ぇ……ん〜……」
甘ったれる千佳を抱え込むように唇を重ねていると、後方から頭を殴られた。
「目の毒だつってるだろッ」
「痛いよアツシ……」
――誰にでもついていくような女の子ばっかりじゃない
(そうかぁ?)
フラッシュバックする紫乃の声に、心の中で反論する。
千佳の初体験はヤリコンで知り合った相手と聞いた。そのえげつない通称通り、合コンを通り過ぎて、寝る相手を探すコンパだ。男も女も目的が明確なのだから話が早い。いつの間にかそんな時代になっているのである。聞いた時はさすがに軽く引いたが、そんな話で引いていては会話が出来ない女の子など山ほどいる。
紫乃の言う通り、そんなコばかりではないだろう。そんなことはわかっている。けれど余りにもそんなコが多過ぎる。……思う、以上に。
信用出来ない。だから信用しない。その代わり、相手にも信用されなくて良い。それで良いじゃないか。トレードオフだ。
――このまんま京子ちゃんを放っておいたりするつもりだったら、あたし、許さないからね
(……)
「……一矢ぁ?」
アツシに殴られたままのしかかっていた千佳の体の上から体を起こす。……全く……寝覚めが悪い。
「……悪い。俺、やっぱ帰るわ」
「ええ?どっか連れてってくれるんじゃなかったのぉ?」
不満げに睨む千佳の髪にキスを残して立ち上がる。
「そうしたかったんだけどー。用事、思い出しちゃった」
「え〜。今行かなきゃいけないのぉ〜?」
半ばその気になっていた千佳を残していけば、恐らく相手が一矢からアツシにチェンジするだけだろう。あるいは別の誰かかもしれないが、関係ない。
「うん……ごめんねー。せっかく千佳が来てるのに」
「ホントよぉ」
「また次ん時にゆっくりと」
ひらっと片手を振ってついていたテーブルを離れると、ダンスフロアの重低音の響きを感じながら、片手で携帯電話をまさぐった。目がちかちかしそうな、回る、照明。
(放っておかなきゃいーんでしょー……)
地上へ続く階段を上りながら、携帯を操作する。先日、聞きだしたばかりの京子の連絡先を呼び出した。
別に、紫乃に叱られたからではない。最初から、関係ない。
どうせ、このまま京子を放っておくつもりがあったわけじゃない。だからこそ連絡先を聞き出しているのだ。
「……京子ちゃん?」
携帯の向こう側、途切れたコール音に続いて、京子の驚く声が聞こえてきた。