闇の目的
ザルードの話を聞き、僕は絶句してしまう。
おそらく、他の人達も同じなのだろう。誰も続く言葉を発するものが居ない。
時雨や父さん達は昔から伝わっている過去のシュトゥルーの様子は知っていた様だが、僕はまだシュトゥルーがどういう所なのかという話はほとんど聞いていない。
けれども、今、目の前に現れた黒いアルドの塊を目にすれば、シュトゥルーという世界がザルードの言う様な世界になっていたとしても不思議ではないと思ってしまう。
彼の言う通り――そう信じ掛けた所で、僕は違和感を覚える。
それは、未来を予知していた僕だけが気が付けた事実。
そう、あれだけ何度も何度も予知しながら、僕はどんな未来を選ぼうとしていたのか。否、今の場合は、どんな未来を避けようとしていたか、と言った方が良いだろう。
僕は何度も何度も、漆黒の汚泥の様なものがゲートからあふれて来る未来を予知し、その未来を避けようと試みて来たではないか。
つまり、あの黒いアルドの塊は、ゲートが開くのを今か今かと待ち構え、開いた瞬間に間髪入れずに流れ込める様に待ち構えていたか、もしくは――ゲートが開けば流れ込まずにはいられない程、向こう側に満ち満ちていたか。そのどちらかだ。
「ザルードさん、あなたはこの黒いアルドの塊を自然災害だと言いましたが、本当にそうですか? 今ここに居る泥人形の様な姿には、意志がある様に思えますが?」
自己紹介もしていないのに自らの名を呼ばれた事に違和感を覚えたのか、ザルードは一瞬目を細めたが、それは瑣末な問題だと判断した様で、僕の問いにだけ答える。
「さっきも言った通り、そんな形を見るのは私も初めてだ。噂にすら聞いた事も無い。何が起こっているのか、私も知りたいね」
「あなたがこちらの世界に来てから、向こうで状況が変化したという可能性は?」
すぐさま僕は次の問いを返す。
「…何が言いたいのか分からないが、可能性の話であれば何でも有り得るさ。それだけ、その破滅の使者は唐突で、予知出来ず…ただ遭遇しない事を祈るしか出来ない存在なのだからな」
「つまり、俺が言いたいのは、そのアルドの塊は、あなたを追い掛けて来たんじゃないか、という事です。あなたに心当たりが有ろうと無かろうとね」
その僕の指摘に、ザルードはバカバカしいといった感じで鼻で笑い、
「ふっ、有り得んな。そんな事が――」
先程から動かずに居る漆黒の泥人形へと視線を動かし――目を見開いたまま動きを止めた。
僕らも釣られて視線を泥人形へと向ける。
すると、先程までうごめいていたその表面の変化が止まっており、顔の輪郭や鼻筋、口の端、目の形までもが整い、他の体の細かな部分もはっきりと形が定まっている。
最初に見た時は背中の後ろにまで伸びていた髪の毛の部分は、縮んで肩の高さで軽くカールしており、真っ黒な泥人形でありながらもふんわりとした柔らかな質感が感じられる。
そこには、完璧に少女を模した泥人形が完成していた。
そして、可愛らしい女の子の声が響く。
『ザルード、会いたかったわ』
先程まで聞こえていた「グガガ」などという響きとは全く違う。
だが、その声は、目の前の泥人形が声を発したというよりは、頭の中に直接響く様な、不思議な感覚を持って聞こえてきた。
「ば、ばかな…その姿は……姫様?」
ザルードがその姿を見て動きを止めたのは、ただ泥人形が形を確定していたからという理由では無かった様だ。
その形に、つまり、模している少女の姿に見覚えがあったという事だ。
ザルードが思わず漏らしたその言葉が聞こえたのかどうかは分からないが、それまで不動で一歩も動かなかったその泥人形は、人が動くのと同じ様に、足を一歩、また一歩と動かし、前進し出す。
その視線の先には、言葉を失ったザルードが立ち尽くしている。
僕もその他のメンバーも、その異様な光景に自然と後退りし、泥人形からザルードへの進路上からは障害物が何も無くなる。
一歩、一歩と、泥人形はゆっくりと歩を進めて行く。
その目標がザルードでは無く僕らの中の誰かであったのなら、途中で妨害もしたのであろう。
けれども、今は誰も動こうとはせず、何事も無く静かに泥人形はザルードの目の前にまで迫る。




