はじまり
一章 予知夢
「一輝! 早くしなさーい!」
階下から母の怒鳴り声が聞こえてくる。
「分かってるって。今行く!」
僕は叫び返すと、慌てて部屋を出て一気に階段を駆け下りる。
バタンっと大きな音を立てて台所の戸を開き、そのまま椅子へと腰をおろす。
「何で母さんもっと早く起こしてくれないんだ!」
ご飯を頬張りながらそうこぼすと、
「何言ってんの! 何回起こしたと思ってるのよ。連休中に不規則な生活してるからこんな事になるのよ。未鈴はもうとっくに学校へ行ったわよ!」
きつい母の言葉が返ってくる。
確かに連休中は夜遅くまで起きていて、マンガを読んだりゲームをしていたりしたが、それでも昨日は早く布団に入ったのだ。
まぁなかなか寝付けはしなかったけれども、それでも睡眠時間は足りているはず。何度も起こされて起きないはずはない。
と、時計を見上げると始業十五分前。
「やばい、もうこんな時間!」
僕は急いで残りのご飯をかっ込むと、鞄をつかんで家を飛び出す。
「あと十分かー、間に合うか?」
腕時計で時間を確かめ、思わず声に出してしまう。
道には他に誰も歩いている生徒は見えない。まぁこんな時間にここを歩いていたら遅刻確実なので当たり前といえば当たり前だ。
食べたばかりで全力疾走などしたため、案の定、脇腹が痛くなってくる。とは言っても、休んでいる暇など無い。
休み明けということを考えると、確実に生徒指導の多川健次郎先生、通称タガケンが門のところで待ち構えているだろう。
遅刻したらただでは済まない。説教一時間は当たり前。放課後に罰掃除やら何やらやらされるだろう。
それだけは勘弁だ。脇腹の痛みに耐え、僕は走り続ける。
家の方からだと学校までゆるい坂になっているのだが、普段は気にならないこの傾斜がじわりじわりと効いてくる。
あと一、二分という所で校門が見えてきた。
予想通り、ジャージに五分刈りというタガケンの姿がその横に。腕組みをし、仁王立ちをして、走りこんでくる生徒たちへと挨拶をしている。
「おはようございます!」
なんとかチャイムの前にタガケンの前をすり抜ける。
「おう、おはよう。もうすぐ時間だぞ、教室へ急げ」
どすの利いた声、と表現していいのか。低い渋い声でタガケンが返してくる。規則を守ってさえいれば良い先生なのだが…。
速度を緩めはしたものの、僕はそのまま小走りで玄関へと入る。
そこで、キーンコーンカーンコーンと鐘が鳴り始める。
「ハァ、ぎりぎりセーフ」
本来教室まで行っていなければならないのだが、ここまで来ればもう大丈夫だ、と気を抜き思わず声も出る。
すると、
「ああ、ほんと危なかったぜ」
僕の言葉に応えて言葉が返ってきた。
声の方向へと顔を向けると一人の男子生徒が立っていて、僕と同じ様にゼイゼイと肩で息をしている。
下駄箱の位置からしてA組だろうか? 長髪で髪を後ろで束ねていて、額の汗を拭いながら鬱陶しそうにその長い前髪をかきあげている。
知らない男だった。けれども、何かが引っかかった。知らないはずなのに、どこかで見たことが…。
そりゃあ同じ学校なのだから、どこかで見たことがあっても不思議ではないのだが、そうではない。何か印象に残るようなことでもあったかのような……。
と、そんなことを考えていると、
「じゃ、俺は行くぜ。お前も早く教室行った方が良いんじゃないか?」
その言葉に、はっと思考の世界から引き戻される。
いつの間にかその男は靴を履き替え終わっており、僕の返事を待たずに歩いて行ってしまう。
思わず呼び止めそうになってしまうが、何と言うつもりなのか。どこかで会ったことありませんか、などと言っても変な顔されるのがおちだろう。
とあえず、ボケッとしていてもしょうがない。今は教室に急がなくては。
ということで、急いで靴を履き替えると、僕はなんとも言えない違和感を覚えたまま二年C組の教室へと向かう。
さて、落ち着いたところで自己紹介をしておこう。僕の名前は如月一輝。この公立の近明高校に通う高校二年生である。
ガラッと教室の後側の入り口を開けると、すぐ目の前の席に座っていた男子生徒が早速話しかけてくる。
「はよっ、一輝。今日は遅かったな。何かあったのか?」
話しかけてきたのは、小沢雅人。
身長は僕と大して変わらないが、僕よりもがっしりとした体型で、坊主頭。いわゆる野球部員の様な出で立ちではあるが、部活には入っておらずバイト三昧の生活を送っている。
それには雅人の家の事情が関係しているのだが、それは置いておく。
雅人とは高校に入ってから同じクラスだった事で知り合い、名簿も近く帰宅部同士ということもあって仲良くなった。
二年となった今も同じクラスということで、クラスで一番の親友といって間違いないだろう。
「んーああ、おはよう。ちょっと寝坊しちゃって」
後ろ手に戸を閉めながら僕は答える。
すると、雅人は眉をひそめ、
「おいおい、寝坊なんて一輝らしくないな。いつもなら三十分前には学校に来てるってのにさ。連休中に生活崩したか?」
と、母親と同じ様なことを言ってくる。
「昨日はちゃんといつも通りに寝たんだけどなぁ。なぜか目を覚ましたら寝坊してたんだよな」
そう自分で口にしたところで気が付く。
寝坊をしたことで焦って忘れていたのだろうか……自分が寝過ごすということに心当たりがあったというのに。
そう、僕は夢を見ていたのだ……。
「どうした一輝? 変な顔して?」
雅人に声を掛けられ我に返る。
どんな顔をしていたのかは分からないが、取り敢えず僕は笑顔を作る。
「いや、何でもない。もう先生も来るだろうし早く席着かないとな」
そう誤魔化して、早足で教卓の目の前にある自分の席へと向かって歩き出す。途中、他のクラスメイト達とも挨拶を交わし着席する。
そして改めて思い出す。今日見た夢の事を。あの、純和風の屋敷での出来事を……。
午前の授業は滞りなく終わり、昼休みとなる。
いつもなら雅人達クラスの友人と共に学食に行って食事を済ますのだが、
「ごめん。昼、先に行ってて。俺は後から行くから」
そう言って教室を後にする。
一応授業は真面目に受けていたつもりだが、やはり朝から夢の事が気になって仕方がない。
かといって、このまま一人で考えていても埒が明かない。
こういう時は誰かに話を聞いてもらうのが一番である。とは言うものの、この話を出来る人物は一人しかいなかった。
「あれ、一輝? どうしたの?」
目的の人物は友達二人と連れ立って、丁度A組の教室から出て来たところだった。
「星河、ちょっと話があるんだけど良いかな?」
一瞬驚いたように見えたが、星河はすぐに一緒にいた友達二人へと目配せする。
「いいよ。行ってきなっ、星河」
そう言って、さわやかな笑みでぽんっと星河の肩を叩いたのは、確か下坂さんだったか。
「今日は二人で昼食済ますから、ごゆっくりぃ~」
そう言ったのは花咲さんといったかな? こっちは下坂さんとは正反対な妖しげな笑みを浮かべている。
そのまま二人は、じゃあねと手を振ると星河を残して去って行く。
「それで、話ってのは?」
二人が角を曲がって見えなくなると、星河は改めてそう切り出した。
「ここじゃあちょっと、話し辛い内容なんだけど…」
僕がそう言って言葉を濁すと、星河は何の話か大体察しがついたようで、頷きながら、
「じゃ、屋上行こっか」
と僕の返事も待たずに歩き出す。
僕は同意の返事を返す変わりに、遅れずにその後に付いて歩き出した。