夜の追跡
公園に到着してから、既に三十分近くが過ぎていた。
星河と手を繋いだまま、ただ黙って夜空を見上げていたが、そろそろおじさんとの約束の一時間が経とうとしている。
時間も遅いし、いつまでもこうしている訳にはいかないだろう。そう思って、星河にどう切り出そうかと考えていると、
「よっし! それじゃあそろそろ帰ろうかぁ」
と急に星河が立ち上がる。
あまりに明るい声だったので、さっきの様にただの空元気じゃないかと勘繰ってしまう。
その内心がまたしても読まれてしまったのか、
「もう大丈夫よ。一輝から、元気を分けて貰ったから。完全にって言ったら嘘になるけど、でももう平気。お父さんの前に行っても普通に話せると思うし……これ以上心配かけるわけにもいかないしね」
僕が口を開くよりも早く、星河は答えていた。
繋いでいた手を離し、ぐーっと上に両手を上げ、伸びをする。
「うーーーんっ、それじゃあ帰りますか」
同じく伸びをしてそう答えると、僕は公園の入り口へと向かって歩き出し、星河もその後ろに続く。
そして、入り口に着き、止めておいた自転車へと手を掛けようとしたその時、
「一輝、あれ見て」
声を潜めるようにして、急に星河がそう口にした。
振り返ると、星河の視線は公園の外、歩道を歩く一つの人影へと向けられていた。
「ん、あれは…」
こんな時間だが、街灯のお陰でそれがどのような人物なのか、遠目でも判断することが出来た。
服装は、おそらく間違いが無いだろう。僕が毎日学校に行くときに着ている物と同じ。つまり、近明高校の男子制服。
そして、女と見間違うような長い髪が首筋の辺りで一つにまとめられている。
これらの外見から心当たりのある人物はただ一人しか居なかった。
それはもちろん――
「青木時雨、か?」
結構な距離があり後姿ではあったが、それは昼間確かめた彼の姿と一致していた。
むしろ、あれだけ気にしていたのだ。気が付かないほうがおかしい。
「こんな時間に制服で、手ぶらだなんて怪しいわね」
「まぁ星河も制服だけどね」
茶々を入れると、星河にぎろりとにらまれる。
「格好はとにかく、こんな所でこんな時間に彼に会うってのは何かあるんじゃない? 予知夢、彼だったんでしょう?」
星河の言いたいことは分かる。
予知無を見た以上、僕の未来に何らかの影響を与えるのは確かなのだ。だから、今、僕に関わる何かが起きるのではないのか、と。
「で、どうしろと?」
答えは予想できるものの、一応聞いてみる。
案の定答えは、
「後を付けるに決まってるでしょ! 早くしないと見失っちゃうでしょー!」
さも当然といった感じ。声は抑えているものの、そこには力がこもっている。
そして、星河は僕の答えを待たずに、青木時雨の後姿へ向かって歩き出す。
「ちょ、ちょっと! 自転車は?」
「そんなの乗ってたら見つかっちゃうわよ! 置いて来なさいよ!」
そんなのって、一応配達とかにも使うからないと困るんですが…。
「後で取りに戻って来ればいいでしょ! ほら早く!」
「はいはい、分かりましたよ」
こうなったらもう星河を止めることは出来ない。
僕は諦めて、自転車をそこに残したまま星河の後に続いて歩き出した。
公園を出てから五分程歩いただろうか。僕達は黙って青木時雨の後を追っていた。
彼は何度も何度も交差点を曲がりながら進んでいて、良く知る街中だというのに、自分がどちらに向かっているのか分からなくなる。
もしかして追跡がばれているのか、などと考え始めた頃、星河が歩き始めてから初めて口を開いた。
「彼、一見何処に向かっているのか分からないように歩いてるみたいだけど、一つだけはっきりしてることがある」
「え? 何処に向かっているか分かったの?」
耳元で囁くような声に、同じ様に声を潜めて応える。
「ええ。徐々に郊外に向かって行ってるわ。そして、その先にあるのはあの竹林…聖風家の屋敷がある方向ね」
「良く分かるなぁ。俺は、今どっちに向かっているのかもさっぱりなのに」
「一輝がどうかは別に良いのよ。とにかく、彼が予知夢に出てきた男だとしたら、聖風家に向かってるって考えて間違いないわね」
自信満々な星河の言葉だが、僕はというと今一確信が持てない。
方向感覚がないってのは置いておくとしても、本当に彼が聖風家に向かっていると断定して良いんだろうか。
確かに、夢に出てきたのは青木時雨で間違いないだろう。だからと言って、彼は今本当に屋敷に向かっているのか?
何かが引っかかる――そう考えながら彼を追って、あるT字路を曲がると、
「あれ?」
「嘘…居ないわ」
数秒前にそこを曲がったはずの人影は、忽然と消え去っていた。
「やっぱり気が付かれてた、かな」
角から次の十字路まで走って確認した所で、僕はそう口にした。
「逃げられたわね。でも……行き先は分かってるんだから先回りしましょ!」
と星河は言い終わるが早いか、振り返って走り出す。
「え、あ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
僕は慌ててその後を追い掛けて走り出す。
「竹林までの近道知ってるんだから――絶対に逃がさないわよ!」
なんだか鬼ごっこをしている子供のような星河の声が聞こえてきた。