第三話
*3*
-副社長室-
「成瀬、戸田あかりさんを呼んでくれ。昨日言ったクビを取り消すと伝えたい。」
「そのことなら、昨日、戸田さんにメールしておきました。」
「お前、彼女のメアドを知ってるのか?!」
「やだなぁ、俺におっては、女子のメアドをゲットするくらいのこと、朝飯前だぞ?」
「けっ。あ!でも、それだと、お前のおかげみたいになるじゃないか!」
「分かったよ。後でちゃんと副社長のお手柄だと言っといてやるよ。」
「ほんとだな?」
「本当だって!そんなにムキになることか?」
「ははは!ム、ムキ?ムキになんてなってないぞ~。ほら、早く秘書の仕事に戻るんだ、成瀬秘書!」
「ま、そういう事にしといてやるよ。」
と成瀬は言っていたがどうも気になる。あいつの性格だ、彼女は昨日のことで落ち込んでいるだろうから、そこにつけけこんで、さあ、僕が君のクビは繋いだから安心して、デートしよう!なんて言ってそうだよな。あの女もバカだろうから、恩返しさせてください!なんて言って、ほいほいついて行くだろう。いや、そこまでバカじゃないだろう…。そうだ、もしかしたらあの女にも彼氏がいる可能性もあるじゃないか!いや…もしいるとしたら、その男は物好きな奴だな。成瀬だって、物好きじゃないはず…いや、でもな…あぁ、なんでこんなに気になるんだか。牧野蒼汰、見に行けば分かるじゃないか!!そうだ。成瀬が心配でお前はあの女を見に行くだけだ。断じてあの女が心配なわけじゃないぞ。
牧野蒼汰はあれこれと呟きながら、副社長室をぐるぐると歩き回り、昼の時刻が来たのも、秘書の成瀬が副社長室に訪れたことで知った。そして、成瀬の誘いで会社の近くにできたポラリスというカフェに行くことにした。
-ポラリス-
戸田あかりは、最近、会社の女子社員の間で噂になっているポラリスを友達の新島潤子と共にに訪れていた。店内を見回すと、女性が気に入りそうなおしゃれでさわやかなカフェということが伺える。向こうから、これまた爽やかそうなイケメンがメニューを運んできた。彼は、戸田あかりに気付くと、笑顔でやって来た。しかし、戸田あかりは先ほどトイレでコンタクトを落とし、眼鏡は家にあるため、彼女の視力は現在0.3だ。彼と彼女の距離は数メートルはある。当然、彼女には彼の顔は見えない。
彼との距離、およそ三メートル、二メートル、一メートル…段々顔がはっきりと見えるようになったとき、彼はメニューを持って、彼女の席にやって来た。
「いらっしゃいませ。」
彼が注文を取る三番の席には、笑顔と、拍子抜けした顔と、戸惑いの顔があった。
「あなた、もしかして昨日の…!ここの店員さんだったの?」
「えぇ。ちなみに、店員ではなく店長です。またお会いできてよかったです。」
「私もです!そうだ。店長さん。私、会社を辞めなくてよくなったんです。秘書の方が融通を利かせてくださったみたいで。」
「それは良かったですね!ほら、やっぱりあなたを認めてくれてる人はいるんですよ。今度、お祝いにご飯でもおごらせてください。」
「え、いいんですか?!」
「ぜひとも。」
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。」
「では、また注文を取る際にお伺いします。」
彼が厨房に戻ると、潤ちゃんが興味深そうに聞いていた。
「あかり、店長さんと知り合いなの?」
「うん。昨日、大泣きして道端にあったベンチでいつの間にか寝てたのに、目が覚めたらここにいてね。運んで来てくれたのが彼だったの。その後も、私の愚痴を聞いてくれてさ。」
「そうだったの…。あんた、昨日、大丈夫って言ってたから、先に帰ったのに。最近、ここら辺の道端で、変質者が出たって言うのに、傷心中でもそんな場所で寝ないでよ!」
「うん。ごめん。これからは気を付ける…。」
「でもあかり、あんなイケメンと知り合いになるなんて男運が上がったんじゃい?」
「そうかな?ふふっ、そう思う?」
「冗談よ。さぁ、早く食べて、会社に戻らないと。」
「はーい。」
カランカランッ。ポラリスのドアには軽快に鳴るベルが吊るしてある。そのベルを鳴らせて、入って来たのは、牧野蒼汰、成瀬晃の二人組だ。その二人組は牧野陽介という名札を付けた店員に、運が悪いのか、良いのか、テーブル四番席へと通された。この四番席は、三番席の隣だ。仕切りのないこのカフェでは、隣席の客の顔など、すぐに分かる。
まず、二人に気付いたのは壁側に座っていた新島潤子だ。そして、次に彼女らに気付いたのは、牧野蒼汰だ。
「潤ちゃん、固まっちゃってどうしたの?」
と、
「陽介、あっちの席にする。」
の声は、同時に発された。しかし、二人の焦点が合うことは無かった。なぜなら、振り返ろうとした戸田あかりの顔を新島潤子が両手で押さえ、牧野蒼汰は顔を自分のブリーフケースで隠し、成瀬晃が二人の間に立ちはだかったからだ。新島潤子は、早く行けというふうに、顔で合図を送り、その二人組は、ここらかは見えない店の一番奥の席へと消えた。
「潤ちゃん、さっき、副社長…いや、あの魔王の声が聞こえたんだけど。」
「そ、そんな人がこんなところに食べに来るわけないでしょ!さぁ、仕上げはデザートよ。デザートはあたしがおごってあげるから、選んで。」
「やった!潤ちゃんありがとう!」
一方のこちらの二人。
「ふぅー、危なかった。」
「いや、今だって十分危ないんだけど!なんで、お前、店から出なかったんだ!!」
「なぜって、これしかないだろ。こ、れ。」
「これ?」
いつの間に頼んだのか、店員が、チーズケーキを運んできた。
「兄貴、一人前でいいのか?」
「ああ、こいつはチーズケーキ食べないから。」
「うへ。チーズケーキかよ…。って、えぇ?!兄貴?誰が誰を?!兄貴だって?」
「俺だよ。成瀬さん。お、れ!ほら、ここ読んで?」
「ま、き、の、よーすけ?牧野陽介?!お前、弟なんていたのか?!」
「ああ、いるよ。ここでバイトしてる。」
「成瀬さんでしょ?いつも兄貴がお世話になってます。」
「こちらこそ。」
「兄貴、俺もチーズケーキ食べたいんだけど。」
「ダメだ。仕事中だろう?」
「いや、夜から入ってたから、そろそろ終わる。」
「あぁ、だったら厨房に戻るついでにこいつのハンバーグ定食と、お前のチーズケーキ頼んでおけ。」
「ラジャー!兄貴、サンキュ。すぐ来るから、席空けといてよ?」
「あぁ、分かった。」
「しっかし、お前に弟がいたとはな~。しかも、素直で愛想が良い。お前に似なくて良かった。」
「俺の弟、かわいいだろ?やらないぞ?」
「そりゃ、残念だ。」
-厨房-
「店長!そろそろ、時間なんで瑠璃と交代してきます。」
「あぁ、牧野君、お疲れ様。悪いけど、最後にそのチーズケーキ、三番テーブルに持って行ってもらえるかな?」
「了解っす。」
「お待たせしました。チーズケーキとコーヒーになります。」
「ありがとう。あら、あなた、牧野陽介って言うのね。失礼だけど、お兄さんに蒼汰って方いるかしら?」
「はい。兄貴が蒼汰ですけど、何か?」
「じゃあ・・・」
せっかくいい情報が聞き出せたのに、潤ちゃんが口を挟んで来た。
「いえ、何もありません。ただ副社長と同じ苗字だったものですから~気になって。あはははは。おほほほほ。」
「はぁ、そうですか。では、これで失礼します。」
「あ、待って。これ、店長さんに渡しておいてくれるかしら?」
「分かりました。」
そう言うと、少年は首を傾げながら、厨房に戻っていった。
「潤ちゃん。さっき、何渡したの?」
「ふふ、秘密~。あかりはこれから頻繁に携帯をチェックしなさいよ。」
「なんで?」
「いいから、いいから。」
潤ちゃんは、何か企んでるみたいに、にやりと笑って、チーズケーキを一口、口に入れた。
「店長、これ四番テーブルの方が店長に渡してくれって。」
「あぁ、ありがとう。あと、さっきのハンバーグ定食は僕が持って行くから。君は先にチーズケーキだけ持って、あがっていいよ。」
「了解っす。じゃあ、店長、後は頑張って!」
「あぁ、お疲れ様。」