第74章 寄り道 ◆
歩駆と礼奈、数ヵ月ぶりの会話。
しばらく見ない間に少し髪型を変え印象が変わっていた。
さぞや勇気を出しただろう。なのに歩駆は礼奈の誘いを聞いて、
「黒鐘」
と、佳衣那の方を向いてしまった。本を渡せ、と礼奈よりも先にそちらを優先に思ってしまい気まずくなる。
「その子、誰?」
礼奈が眉間に皺を寄せて問う。礼奈にとって見知らぬ下級生である佳衣那は、咄嗟に歩駆の腕を掴んでじっと見ていた。
「誰だと思います?」
質問に質問を返す佳衣那。クスリ、と微笑すると掴む歩駆の腕をグイっと自分の胸に引き寄せた。突然の行為に歩駆の表情は硬直、視線が礼奈と佳衣那を行ったり来たりしながら血の気が引いて青ざめる。
「貴女こそ誰なんです?」
「わ、私は真道歩駆の幼馴染みで」
「渚礼奈さんじゃあ無いですよね?」
「そう……は? 何を言ってるの?」
頷きかけたが質問がおかしい事に気付き礼奈は聞き返す。
「しらばっくれても駄目ですからね。そうやって……あっ」
ポンと手を叩く佳衣那は歩駆の前に立って向き合った。
「真道先輩。もしかして言ってないんですか?」
その言葉に歩駆の心臓が跳ねる。その事は隠しているのだ。今はまだ言うべき時じゃない。
「この渚礼奈さんはイ」
「止めろよッ!!」
本気の大声で叫ぶ歩駆。帰ろうとする生徒らが驚き一斉に振り向く。下駄箱前での痴話騒ぎか、と野次馬の生徒らも集まってきた。
「……怒鳴らなくてもいいじゃないですか」
佳衣那は頬を膨らまして拗ねてみせた。
「私はお邪魔みたいですね。ここは譲ります、では失礼しました」
軽やかなステップを踏みながら佳衣那はこの場を去っていった。それと同時に見物客も詰まらなそうに解散していく。
「何なの、あの子?」
と、礼奈が尋ねる。
「知らん、頭おかしいんだ……で、何?」
「あのね……んと……ラーメン食べ行こ? 奢ったげるから」
いつもよく行くデパートは《模造獣》との戦闘により破壊され影も形もない。だが、流石この地域を拠点とするチェーン店である。歩駆達の新たに住む場所にもテナントビルで営業していた。
「でもさ、スガキアはスーパーとか百貨店の地下オア屋上にあってこそだよ……ズルズル。その日に買った戦利品を眺めながら食う“肉入り”は格別だと……ズルズル」
「食べるか喋るかどっちかにしなよ。ほらネギ付いてる」
礼奈にされるがままに任せる歩駆。端から見れば学生服を着た親子である。
「ねぇ……あーくん、その後どう?」
アイスぜんざいを食べ終えた礼奈は本題を切り出した。
「どうって、何が?」
「だってほらさぁ、ずっと喋って無かったし。何か怒ってるのかなぁ……ってね」
弱気に言う礼奈。突き放したのは自分のせいだと言うのに、歩駆は心苦しかった。
「……別に、怒ってはないよ?」
「嘘っ! だってあーくん真っ直ぐ家に帰るでしょ? いつもだったら毎日コンビニで立ち読みするのに」
「か、環境が変われば自然とそうなる。その言い方、俺が金持ってないみたいだろ。欲しいのは買ってるから」
苦しい言い訳するが礼奈にはお見通しだ。
「でも今年に入ってあーくんが漫画本や玩具を買ってるの見たこと無い」
「だから環境が変わって」
「さっき戦利品がどうのこうの言ってたのは?」
「あん? 揚げ足を取るんじゃないよ。フードコートの在り方を説いただけの事!」
思わず立ち上がり声を荒げた歩駆。ふと周りを気にするが誰も見ていなかった。
「…………あーくん後悔してるんでしょ?」
「そんなことねーよ」
ぶっきらぼうに答えながら歩駆はラーメン丼と礼奈のアイスぜんざいの器をレジ横の返却カウンターに返した。ついでに水のおかわりをコップに二人分を注いだ。
「ずっと楽しくなさそうだったものね? でも、三年生になってお昼を一緒に食べる友達を作っちゃってまぁ……しかも女の子。色気付いて眼鏡までしちゃって」
「お前が思ってる様な仲じゃない。それに、たく……いや眼鏡て」
しどろもどろになって取り繕う。これは礼奈にプレゼントした物だろ、と内心突っ込みながら傷付いた。
「あ、そうだ! 礼奈、俺の本ってどうしたんだ?」
歩駆はプレゼントで思い出した。
「本? 何の?」
「アニメロボ大全2021だよ!」
「あぁ、皆ご存じの的に言われても……あーくんのほ、ん……ぅ」
腕を組んで記憶を探る礼奈だったが、段々と眉間の皺が深くなって頭を抑える。
「大丈夫か?」
「平気平気……最近ね変な夢を見るの」
深呼吸をして息を整え、水を一杯飲む。
「私とあーくんが、もう一人増えちゃってね。その私とあーくんがね……ふぅ」
「おいおい、本当に大丈夫なのか? 病院行くか?」
「心配しないで、薬は貰ってるから」
とは言うものの余計に心配で仕方がない。礼奈はピンク色の小さなケースから錠剤を二粒出して水と一緒に飲み込む。
「……何もしてないのに凄い疲れるの。その夢のせいかな? 寝ても疲れが取れない」
頬杖をついて深い溜め息を礼奈は吐いた。
「去年は色々あったもんね? でもクリスマスパーティーは楽しかった。あーくんのあんな姿、初めて見た」
どんな姿なのかは分からないが、その真道歩駆は自分ではない、とは言えない。
「今年はさ、ジャンボプールランド行こうね。高校にプール無いから最後に泳いだの中学生の時だよ? あーくんを泳げるようにするって言ったもんね」
「飛行機も船にも乗らないし、海にも山にも行かない。都会派だから水泳が出来なくてもいいのだ」
二人に笑顔が戻る。歩駆は数ヵ月間の自分の行いを悔いた。もう日常に戻っているのだ。平穏な日々を送って悪いことなんて無い。そう思っていた矢先、地面が揺れた。
「な、何? 地震?!」
遠くで何かが壊れる音がして、サイレンが鳴っている。窓から外を見ると人が集まり騒いでいる。歩駆と礼奈は店を出た。
五件先の広い空き地。高層マンションが建設予定の工事現場で、酔っ払いのサラリーマン風の中年男性が無人のhSV(人型建設重機)に勝手に乗り込み暴れているらしい。
安全第一とボディに書かれた黄色のhSVは両腕の大きな鋼鉄のアームで資材を滅茶苦茶にして、近隣の建物にも屋根や壁が壊れるなど被害が出ていた。
『危ないから、直ぐに降りなさい!』
『ぅるせぇーっ! くにがわるぅいからおれがやめさせれんだよぉーが!?』
呂律の回らない声で喚き散らし、隣の鉄骨を持ち上げてガンガンと地面を叩く。白黒カラーの警察SVは距離を取って隙を伺っていた。
『これ以上暴れると罪が重くなるぞ! いいのか?!』
『むぉんくがあるぅなら……そーうりだいじんをよべぇーぃ』
『こんな事をして、家族や両親が泣いているぞ!?』
『せぇんげつりこんしたし、かぁちゃんはもうしんでんだよぉーぅっ』
必死の説得も火に油状態だった。そんな様子を歩駆はおもむろに眼鏡を外して見ると、パイロットの警官は〈イミテイター〉なのに対して、酔っ払いは普通の人間だった。
「行こうぜ礼奈」
特別怪しい気配を警官からは感じない。普通に警察としての役目で動いてる様だった。それならば大事にはならないだろう、と歩駆は立ち去ろうとするが周りに礼奈の姿が無かった。
「って、おい! 止めろって!」
周りの騒がしさに歩駆の声は掻き消され、礼奈は野次馬を押し退け進んでいく。数人の警官らが立つバリケードの隙間に潜り込み、工事現場の中へ入っていった。
「マジかよ……」
お節介もここまで来ると命が幾つあってもたりないぞ、と歩駆は頭を抱える。逆に彼女が確かに礼奈だと言えるので安心したりもするが、どうしたものかと困る。
「ちょっとオジサン! 恥ずかしいと思わないの?」
二機のSVの間に礼奈が立つ。さっきまでの弱気は何処へやらhSVの方へ果敢に向かっていった。
「おいおい……あの子、大丈夫かよ?」
「言うなら誰か止めろよ」
『ちょっと君! 危ないから下がりなさい!』
周囲がざわつき、警察SVのスピーカーから声による制止。それでも礼奈は食い下がる。
「大人なんでしょ? こんな所で暴れたって何も解決しないでしょ!?」
『こ、こっ小娘になぁにがわかるぅ!?』
「わからないよ! どんなに辛い事があっても、他人や物に当たっりして迷惑かけるなんて最低なんだから!」
『ぃいーわせておけばぁ!?』
怒濤の口撃に酔っ払いは遂に逆上した。
アクセルを思いきり踏み込み、酒で震えた手で握る操作レバーでフラフラと蛇行しながら猛スピードで前進する。が、自分がぶちまけた瓦礫がある事に気付かず、躓いてしまった。
「れなちゃんッ!?」
歩駆が叫ぶ。hSVの転倒先には礼奈がいる。
誰でもいいから助けてくれ、と見ている事しか出来ない己の未熟さ故に他人に願ってしまう。
何故黙って見守っていた何故今行かないのか、と頭の中で思考がグルグルしているだけの歩駆。
すると、一つの人影が超高速で群衆の頭上を飛び越えた。歩駆は一瞬だけ、その顔を目撃する。
「……黒……鐘?」
意外な人物の登場に何も出来ない歩駆は、ただただ絶句する他無い。
まさに電光石火の早業と言うべきか、それは人間業ではなかった。
その少女、黒鐘佳衣那は走り幅跳びの要領で群がる野次馬や、それを抑える警察官達の上を軽々と飛び越えて見せる。
着地と同時に駆け出す佳衣那の掌と足の裏に微かな輝きが見える。
──あれはフォトンフラッシュ……?
四肢から発せられる虹色の光が点滅しながら体勢のバランスを取る。それは走っている、と言うよりも滑空しているようだった。
頭を抱えてしゃがむ礼奈の前に立つと、倒れるhSVの装甲をバレーのトスの様に両手で跳ね上げる。hSVは反対側に勢いよく倒れ混んだ。中の酔っ払いは頭を打ち、白目を剥いて気絶していた。
歩駆を含めたその場の人達は目の前の出来事に唖然とする。いきなり出てきたか弱そうな少女が突然SVを吹き飛ばしたのだ。
シーンと静まる現場で、佳衣那はキョトンとした表情をして見上げている礼奈に手を差し出す。
「あの……え?」
「手を」
「手……うわっ?」
礼奈の手をガッチリ掴んで佳衣那が跳躍する。そこに地面が在るかの様に、空を踏みながら徐々に上昇していく。
「礼奈ッ!」
「あーくん!」
警官達と野次馬の上を行く佳衣那。手を伸ばす礼奈を歩駆は高くジャンプして両手で掴む。それを確認して佳衣那の跳躍が建物を飛び越える勢いで高くなった。
「撒きます。しっかり離さないでください」
下では酔っ払いの後始末の傍ら、こちらも追いかけようとする警察官と携帯電話のカメラで撮影する野次馬が向かってきている。靴底を光らせ、佳衣那は天高く加速した。
織田竜華は自室でペンタブレットと向き合っていた。
絵心はある方なのだが、風景画が主でSVのオリジナルデザインなどやった事は無い。機体のコンセプト設計や予算決めならば何度かした経験がある。
「コンセプトは歩駆様専用のカッコいいSV。採算は……度外視で」
兄が兄なら妹も妹である。
デザインの参考に新旧様々なロボットアニメの設定資料集を読み漁っていた。わざわざ山の様な本に埋もれていないで、SV専門のデザイナーを呼べば良い話なのだが。
「ダイガワラ、ダイバリ、モリカワ……うーん、歩駆様は誰が好み何ですの?」
こうなれば全部入れてしまえ、と各所の特徴的な部分を真似て竜華なりにアレンジを試みる。作業は深夜まで続き、電気スタンドの明かりに顔を照らされ一人部屋でぶつぶつと独り言を呟き、トイレに行く為に通りかかった兄、龍馬に気味悪がられながらも黙々と続ける。
「で、出来た……ふぁぁ」
完成した頃には外が明るみ始め、小鳥が騒がしく鳴いていた。栄養ドリンクで眠気覚ましをしていたが、流石にもう眠気が限界である。
「これを早速、技師達の元へ……もと、へ……」
竜華は机の上でぐっすりと寝落ちしてしまう。
「じ、ジーアー…………くぅ……」
今日が休日で助かった。