狩る者狩られる者
薄暗いうちから目が覚めた。既に起きているラビが僕を抱きかかえてくれている。密度の高く短く柔らかい毛が心地良い。まだ少し肌寒いからずっとこのままでいたいが、僕は異変に気付き起き上るのだった。レオとジャーがいなくなっていたのだ。
僕の肩に昨日の猪の毛皮を掛け、植物の蔓で編んだ縄と骨で作った針で前を縫い合わせてくれるラビ。パジャマのままここに来て、着替えなんて持っていない僕にとってはとてもありがたかった。毛皮は硬く独特の匂いを放っていたが風を遮る事が出来、ある程度保温力を持っている為に朝方には必要な装備と言えるだろう。
屈んだ状態で過ごす分の高さしか無い、四人で一杯一杯の広さしかない住居から這い出た僕の前に黒い影が現れた。何事かと思ったが、現れた影はジャーのものであり、得意げな表情をした彼女の両手には獲ったばかりと思われる血の滴るキジに似た鳥がそれぞれ握られているのだった。
「神様のおかげで無事に狩りを終える事が出来ました」
ただ寝ていただけの僕の前で跪き、鳥を頭上高く掲げて見せるジャー。ほんとに僕は何もしていないのだから、複雑な気分だ。でも、こうやって崇められるというのは何ともいえない高揚感がある。よく権力者が演説をして民衆から喝采を受ける姿が映画等で出てくるが、多分あれは権力者からすれば相当な快感だろう。独裁者が自分の椅子にしがみつく気持ちが少し分かった気がする。
「良くやってくれた。素晴らしい働きだ」
偉そうに、と自分で思った。神様としての威厳を保つ為、このくらいの感じでいいだろうか。ジャーが怒ったりしないだろうか?
「私目ごときに、ありがたいお言葉」
心配は無かったようだ。なんでも、知的な生物や社会性のある生物にとっては無関心が一番堪えるという話を思い出した。愛情の反対は憎悪ではなく、無関心だとか言われているが、まさにそう思う。現に無視とかの方法は犬のしつけにも使われているぐらいだし。賢い犬なんかは、無視されると直前の行動を失敗だったと判断し、反省するという話を聞いた事がある。
僕は、どんな些細な事でも皆に声をかけてやろうと思う。僕に出来る事は多くないが、せめて彼らに慕われる神様でありたい、そう思うのだった。
彼女は、僕の作りかけの弓矢を使って鳥を獲ったようだ。ここで僕は不思議に思う。獣人達はどの程度の知能を備えているのだろうか?
創るときにポイントをつぎ込めば相当に賢い個体を創る事が出来るらしい。でも特に何もしなかった場合は、どうなんだろう。人語を理解し、道具や火を理解することが出来る彼らの知能は人間と比べても遜色が無いのかもしれない。
そんな事を考えていると、次はレオが僕の前に姿を現すのだった。彼の手にはトウモロコシに似た植物が握られている。褐色で実の部分が短く、僕の知っているトウモロコシとはかけ離れた姿形をしているが、多分間違いはないだろう。
「レオもよく集めてきてくれた。これは実の部分を取り、粉にしたあと水で練って焼こう」
たしかトルティーヤとかいうやつだ。この手の穀物は確か熱を加えないと、栄養分を吸収出来ないはずだ。石板を吸収したせいかは分からないが、僕は結構知識が豊富になっていた。以前はこんな事は知らなかったはずなのに。
濡らした石と石を擦り合わせることで、滑らかな石器を作る事が出来る。それなりの厚みのある平べったい石を見つけ、中心部分を重点的に他の石で擦り続ける。こうすることによって今回はすり鉢を作ったのだった。言うのは簡単だが、これ一つを作るのにみんなで交代しながらの作業で昼までかかったが。
擦り合わせる作業は容易ではなく時間もかかるが、より精度高い工作を可能にした。石と石を打ち合わせて作った石器も、こうすることによってギザギザの刃部分がより鋭角で真っ直ぐな刃へと変わるのだった。こうして作った斧はあまり太くなければ木を切り倒す事も出来るのだった。勿論、これには人よりも強力な力を持つ獣人あってのことだが。
今日は一日中、磨製石器を作る作業を行った。といってもすり鉢と石斧、石槍、石のナイフがそれぞれ一つずつ出来ただけだったが。この作業を皆で行った為、狩りは行っていない。そのうえ、昨日の猪と今朝獲れた鳥二羽は綺麗に平らげてしまった。残る食料は、生きたヤギ二頭とちょっとした穀物類しか残っていない。
「明日は狩猟を行ってはいかがでしょうか?」
竈の前で皆で暖まっていると、食糧事情を察したラビが言って来る。
「私も薄暗いうちから獲物を探します」
ジャーも狩りをする気満々だ。
「俺は罠を仕掛けてみようと思っているのですが」
レオが意外な事を言う。堂々としたたてがみと筋骨隆々とした肉体の堂々たる体躯を持つライオンの獣人が罠を扱えるらしい。獅子は兎を狩るにも全力を出すというが、罠といった搦め手をも駆使するようだ。
彼の言う罠は、力がかかると縮まる結び方をした縄を地面に仕掛けるといった単純な作りのものであったが、なかなか良さそうだ。数を仕掛ければきっと、我々に獲物をもたらしてくれるだろう。たとえ効率が悪くても、仕掛けると他の作業をしていても獲物が期待できるという事は、非常に大きい。
「素晴らしい考えだ。今後もその罠を発展させていこう」
「ありがたきお言葉」
気がつけばすっかり日が落ちてしまっていた。辺りは、竈の明かりが無ければ数メートル先も見えない程暗くなっている。気がつけば、獣人たちは僕と肩が触れあう程近づいてきていた。理由は毛皮を持たない人間である僕が凍えないようにと配慮してくれたからだ。
忠実でなんとも頼もしい獣人達。皆一様にして、僕を助け敬う。こんな頼りない僕であっても、常に気にかけていてくれる。その彼らの態度に、僕は種族の違いを超えた信頼関係を感じ取ることが出来るのだった。僕は何としても彼らの暮らしを良いものにし、より彼らの文明を発展させていきたいと考える。
時計が無い為、時間が分からないがもう夜遅いはずなのにあまり眠くないことに気がついた。そういえば今朝も十分に寝たと思ったのにまだ薄暗かった。日本では普段僕は、8時間程寝ていたがいつも眠さを感じていた。だがこっちに来てからはどうだろう。
考えてみると他にも可笑しい点がある。いくら熱中していたとしても、あんなに日中の時間が経つのが早いだろうか?もしかしたらここは夜が長いのかもしれない。結局、散々考えた末に出た結論は、地球では無い為現時点ではなんとも言えないという答えだった。
随分と早いが諦めて寝ようと考え、起き上がる。早く寝て薄暗い時間から活動するという手がある。今のように完全に真っ暗な状況よりはそのほうが出来る仕事は多いだろう。寝床まで行こうと、一歩を踏み出したその時、突然大きな雄たけびが辺りに響き渡るのだった。
声質は発情した雄鹿のおたけびに似ているが、音量はまったく比べ物にならなかった。遥か遠くから聞こえてきているはずなのに、思わず身をすくめてしまう、そういった種類の大音量だ。
「神様は住居へお隠れください。レオ、ジャー住居の周りを固めなさい」
誰よりも早く動いたラビは命令を出すと同時に、竈から火のついた薪を取り出し、一つずつ投げ渡すのだった。松明の変わりだろう、受け取ったレオとジャーはそれぞれ住居を中心に反対方向に構えた。レオの手には石斧、ジャーの手には石槍が握られている。更に武器を持った手とは逆方向に松明を手にしており、竈と三人の獣人によって住居の四方が照らし出された。
大きな岩と岩の隙間に設けたこの住居、更に片一方は石を積み上げて封鎖している為、外と住居の中を繋ぐ通路は一つだけだ。たとえ野生動物が現れたとしても、一番ここが安全だろう。ラビは瞬時にそう判断し、僕をここに避難させた。彼女には既に「長」としての能力が備わっているのかもしれない。
「二本足の大型の獣。動きに迷いが無いから多分肉食獣。こちらを把握していてゆっくり近づいてくるわ。爪があるけど肉球じゃないみたい。聞いた事のない足音だわ」
ラビが聞こえてくる音質から特徴を教えてくれた。二足歩行の獣ってなんだろう?ひょっとしたらほんとに見た事の無い生物かも。
先ほど聞こえた雄たけびが再び辺りに響き渡る。今度はさっきよりも近かった。好奇心に駆られた僕は、住居の出入り口から顔だけを出し、外の様子を覗う。
松明絶えず動かし、照らす位置を変えて周囲の状況を探る獣人達。彼らはすぐに動けるようにと、背中を丸めて備えているようだ。辺りを緊張した空気が張り詰める。
地面に無数に散らばっている小石を踏みしめる音が聞こえた。そしてその音は、次第に大きくなっていく。聞こえてくる方向は、たしか湖の方角だ。
聞こえてくる音の反対方向を警戒していたレオが、こちら側に走り寄る。普段見せないような恐ろしい形相だ。ジャーのほうも、険しい顔つきをしている。肉食獣が獲物に襲い掛かる寸前の表情だ。
「来た」
ラビが短く告げ、ひときわ大きな、石を踏みしめる音がしたかと思うと。暗闇からゆっくりと巨大な恐竜を思わせる顔が現れるのだった。
ゆっくりとした動作で近づいてくる恐竜。暗闇から徐々にその全容を現す。大きな頭と足と尾、胴体部分に対して不釣り合いな手。図鑑等ででよく見かける肉食竜だ。
顔の長さは1メートル以上あるだろうか、大きく裂けた口元には鋭い牙が無数に生えている。目の辺りには大小様々な斑模様が付いていた。松明と竈では十分な明るさとは言えない為、身体の色までははっきり分からなかったが全長は8メートルを超えているだろう。
突然、恐竜の前に飛び出したかと思うと、すぐに右に跳ね、こちらから見て恐竜の右側へと位置を変えるレオ。彼は着地と同時に、恐竜を威嚇するように大きく吠えるのだった。
レオのフェイントに釘付けになる恐竜。その一瞬の隙を逃さず行動に出たジャーは、手にした石槍で恐竜の右目の辺りを素早く突いた。痛みで小さく吠え、レオから目を離しジャーへと口を開けて迫る恐竜。だが、ジャーは素早く突くとすぐに身体を返し、松明の握られた左手を恐竜のほうへと突きだしていたのだった。
松明を振り回し、恐竜に噛み付く隙をあたえないジャー。今度はフリーになったレオが石斧を振りかぶりつつ恐竜の左足に飛びかかる。跳ぶ勢いと体重を十分に乗せた石斧の一撃を膝付近に見舞うレオは、すぐに後方へと飛び恐竜の反撃に備えていた。
左足の辺りを気にしようとする恐竜に再び、ジャーが石槍で突く。今度も素早く、軽く、威力よりも精度を重視した攻撃だった。深く刺さるとそのまま武器を持っていかれてしまう為、有効な攻撃方法といえるだろう。
噛み付こうにも燃え盛る松明をかざされ、後手に回らざるを得ない恐竜。右目の辺りからは、赤い血が流れているのが覗える。ジャーの目を狙った攻撃が功を為したのだろう。
「待って、まだ目を潰せてないわ」
再度攻撃に出ようとするジャーに対し、ラビが指示を出した。それによって、踏みとどまり危うくも恐竜の顎がジャーの目の前で噛み合わされ、彼女は安全の為後方へと距離を取るのだった。
絶えず振りかざされる松明を鬱陶しそうに見る恐竜。ラビの言う通り、右目の辺りに出血はしているものの右目は健在のようだ。おそらく目の周りの斑模様が、目の位置を正確に掴ませない効果があるのだろう。
恐竜の後方で高く振り上げた石斧を振り下ろすレオの姿。発せられた悲痛な叫びが聞こえると共に、痛みに耐えかねてかこちらに向けて突進してくる恐竜。牛が突進してくるような速度で、真っ直ぐにこの住居へと向かって来たのだった。
身体のあちこちから血を流し、口を開けて僕の元へと突進する恐竜。その目は僕の方を見ていない為、ただこの場から逃げ出そうと思っての行動だったのかもしれない。危険が迫っているにも関わらず、動く事のできない僕。
目前まで恐竜が迫っている中、僕は無謀にも両手を交差させて防御の姿勢をとるのだった。
激しい衝撃と共に住居の屋根にしていた木の枝が飛び散るのが見える。一瞬宙に舞った僕の身体は何かに引っかかったまま、浮かんでいるようだった。
地に足の着かない状態で上下に揺らされながら風を受けている僕。真横にはさっきまで戦っていた恐竜が見える。慌てた僕は、その場から離れようとしたが宙に浮いた状態のままではただジタバタともがくしかなかった。
パジャマの肩の部分が恐竜の牙に引っ掛かっていた。もがき続ける僕が分かっていないのか、無我夢中で走り続ける恐竜。後方から、追いかけるラビ達の姿が見えた。
助けが来ている事に安堵した僕。だが次の瞬間、ラビ達の表情が一瞬強張りそして絶望へと変化していく、同時に僕は大きく揺らされたかと思うと、再び宙を舞うのだった。
この瞬間、すべてのものがゆっくりに見えた。飛び散る小石、離れた所で逆さまになった姿勢の恐竜。あれ?さっきまで恐竜の口元に僕はいたはずなのに。
そして崖の上から首を出しこちらを見つめている獣人達。今すぐにでも彼らの元へと帰りたいが、身体が言う事を聞いてくれない。そして愛しい彼らの姿はどんどんと遠ざかっていくのだった。