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5.

 数日後、イーズはシャールと共に皇太后の住む棟へ赴いた。


 ブリューデルは先帝の妃妾たちの中で唯一、城に残っている妃だ。ニールゲンの女性の中で一番身分が高い。それだけでもイーズには敷居が高かったが、ブリューデルの棟にはイーズを嫌う皇子、ブレーデンもいる。棟へむかう足取りは自然と重たくなった。


「皇太后様って、どんな方なんだろうね」

「先王の側室を全員、この城から追い出すようなお方です」


 シャールの回答に、イーズは一気に胃が重くなった。そんな危険人物に笛を習いに行かなければならず、しかも大事なものを盗み出そうとまでしている。自然、ノックの音は遠慮がちになった。


「おはようございます。アルカ=アルマンザ=ティルギスが参りました。ブリューデル皇太后様はおいででしょうか」


 取次の侍女が出てくると、イーズはぎくしゃくと挨拶をした。うながされ、中へと入る。棟内はブリューデルの香水のにおいが充満しており、イーズはにおいに辟易したが、そのうち鼻が麻痺して気にならなくなった。


「また壊したのよ」

「今度は何?」

「シャンデリア。室内で毬蹴りして遊んでいたのよ。どこに隠れているのかしら」


 廊下の片隅で、侍女たちが掃除用具を片手にひそひそと会話を交わしていた。だれのことか察して、イーズはしかめっ面になる。おそらくブレーデンのことだろう。顔を合わせませんように、と密かに心の中で願う。


「ここでお待ちください。間もなく、お呼びがかかると思いますので」


 イーズたちは花の模様が彫刻された扉の前で待たされた。扉のむこうがブリューデルの私室なのだろう。背筋をただし、声がかかるのを待つ。呼ばれた時間通りのはずだが、皇太后は身支度に準備がかかっているのか、長く待たされた。しまいにシャールが扉をにらんで、ティルギス語でつぶやいた。


「イーダッド様に倣っていうのならば、五十点引きですね」


 シャールは通りかかった侍女をつかまえた。まだなのかと訊ねるが、侍女は曖昧な返事をするばかりで、要領を得ない。


「本当にこの時間でよかったのか、確認していただけませんか」

「時間は合っていらっしゃるかと。そのようにお聞きしていた気がいたしますし……」

「こちらがもう参上していることは、伝わっているのですよね?」

「お分かりだと思いますが……。申し訳ござません。皇太后様の方からお呼びがない限りは、わたくしどもでも、入室を硬く禁じられておりますので」


 侍女は関わることを嫌がるように、そそくさと皇太后の私室の前から去っていった。イーズとシャールはそっと顔を見合わせる。召使のふるまいや様子というは、その主人の気性を反映することが多い。おびえた召使の様子から、皇太后の性格がさまざまと想像されて、二人は渋い顔になった。


 入室を許可されたのは、指定された時間より一時半を過ぎてからだった。イーズは立ちっぱなしで疲れた足を動かして、部屋に入った。皇太后は白い毛皮の敷かれた椅子にゆったりと座っていた。


「初めてこちらにいらしたとき以来ですね、アルカ殿下。どうぞよろしく」

「お手間をおかけいたしますが、努力してまいりますので、ご指導よろしくお願いいたします、皇太后様」

「朝早くからご苦労様でした。では、今日はもう帰ってよいですよ」


 予想もしなかった言葉に、イーズはきょとんとした。しかし、ブリューデルは侍女にショールを持ってこさせ、馬車の準備するよう命令し、もうイーズなど眼中にない様子だった。声の出ない主人に代わり、シャールが訊ねる。


「今日は一日、笛の練習というお話でしたが」


 すると、ブリューデルはうるさげに片眉をしかめた。


「今日はこれから観劇の予定が入ったの。だから、その件はまた今度といったのよ。分からなかった?

 突然のことだったから、着る衣装に迷って、支度に時間がかかってしまったわ。もっと早く知らせろというのよ。まったく」


 皇太后は憤然とした足取りで、部屋を出て行く。途中、何か不備があることに気がついたらしい、侍女に何事か怒鳴った。玄関口で怒鳴っても、二階にいるイーズたちに聞こえるくらい大きな怒鳴り声だった。


「……なんなんですか、これは」


 シャールは柳眉を逆立て、もっともな怒りを口にした。


「長時間待たせた挙句に、予定を勝手に変更するって、いったいどういうことですか。早く知らせて欲しいのはこっちですよ、まったく!」

「シャール、声大きいよ」


 イーズは周囲をはばかって、シャールをなだめた。幸い周囲に人はいなかった。皇太后の要望に応えるのに侍女たちが精一杯になっていて、部屋に人がいなかったのだ。


 二人はよし、とうなずきあった。


「今のうちに探りましょう。アルカ様は見張りをお願いします」


 イーズが戸口に立つと、シャールは隣室へつながる扉を慎重に押しあけた。たくさんの衣装が吊り下げられていたので、衣装部屋と分かる。衣装をかきわけ、シャールは奥へと進んでいった。


「なんだよ、おまえ!」


 第三者の声に、イーズは飛び上がりそうなほど驚いた。衣装部屋をのぞけば、金の毬を小脇に抱えたブレーデンがいた。まなじりを吊り上げられる。


「おまえまで! 人の部屋に勝手に入って、何してんだよ、ブス」

「な、何もしてないよ。ブレーデンこそ、何してるの?」

「う、うるさい。なんだっていいだろ。それより、こんなところまで無断で入って。母上にいいつけてやる!」


 イーズはあわてて引き留めようとするよりも早く、シャールがブレーデンの動きを封じた。鮮やかな手際で、腕を後ろにねじりあげてしまう。


「――いたたたたたた! やめろよ! 何するんだよ! 母上にいいつけるぞ! おまえらなんかこの城から追い出してやる!」

「お静かにお願いいたします、ブレーデン殿下。シャンデリアを壊してしまったから、殿下もこのお部屋に隠れていらしたのでしょう? 見つかるとまずいのでは?」


 図星だったらしい。口だけは自由だったブレーデンだが、口も封じられた。ふてくされた表情で、静かになる。


「ごめん、ブレーデン。シグに――あなたのお兄さんてやっていることなんだ。見逃してもらえないかな」

「兄さんの?」


 兄という単語に、ブレーデンの態度がころりと変わった。知りたくて仕方がなさそうに目を輝かせる。


「何? なんで兄さんが、母上の部屋を探れなんていったの?」

「大事な探し物があって」

「大事なものって?」


 身まで乗り出され、イーズは上半身をのけぞらせた。ブレーデンは協力するといわんばかりの勢いだ。


 だが、そこで、三人の会話は途切れた。ブリューデルを見送った侍女たちが、部屋にもどってくるけはいがしたのだ。シャールはブレーデンの拘束を解き、すぐに衣裳部屋を出た。


「まあ。ブレーデン殿下、こんなところに」


 一番年長の侍女が、腰に手を当ててブレーデンをきつく睨んだ。ブレーデンはむっと口をへの字に結び、片手で毬をつかんだ。侍女たちにむかって投げつける。


「いけません、ブレーデン殿下。そんなことをなさっては」


 シャールは片手でいとも簡単に毬を受け止め、かばった侍女たちを振り返った。


「叱らないであげてください。ずいぶん、反省なさっていたようですから」


 シャールは物腰柔らかに、紳士的な微笑を浮かべていった。侍女たちはそろって、この男装の麗人に惚け、態度を軟化させた。反省していたなら、まあ、とあっさり引き下がる。


「ブレーデン殿下。もう少し大人にならないと、女の子にももてませんし、尊敬する兄上からも呆れられますよ」

「うるさい、この男女!」


 毬を返されると、ブレーデンはさっさと部屋を出て行った。シャールはやれやれと肩を落とし、主人を目で廊下へと促す。戸口では、侍女たちが、熱い視線をシャールに注いでいた。


「せっかくいらしたんですし、よろしければ、お茶の一杯でも」

「い、いえ、この後、用がございますので」

「お邪魔しましたっ」


 二人は侍女たちのわきをすり抜け、皇太后の館を早足に去った。だいぶ遠ざかってから、歩調を落とし、胸をなでおろす。


「危なかったね、シャール」

「見つかったのがブレーデン殿下で良かったです」

「大丈夫……だよね?」

「あの様子なら、まず、ばらしたりはしないでしょう」


 イーズは胸をなでおろした。のんびりと鳥が飛びかう空を見上げ、大きく伸びをする。


「今日、予定がなくなっちゃったね。笛の練習のはずだったのに」

「昼食も皇太后様のところで、一緒に頂く予定でしたしね」

「ありがたいけどね。シグ、昨日の夕食のとき、気をつけて食べろってすごく心配していたから」

「陛下のお母上が城を去ることになったのは、ブリューデル皇太后の仕業だとかいう話ですから。警戒なさって当然でしょうね」


 シグラッドの母親は、毒を盛られ、二目と見られない姿になって王宮を追われている。道理で、とイーズは納得した。


「よく知ってるね、シャール。だれから聞いたの?」

「あの男ですよ。鳥の巣頭の。叩くと、埃のように次から次へと情報が出てくるんです。気づいたら、一晩一緒に飲み明かしていました」

「バルクと飲み明かしたの? なんだ、結構仲いいんだね」

「よくありません。今日のために話を聞いていただけです」


 シャールはすっぱりと全否定した後、のんきな主人にため息を吐いた。


「アルカ様、あの男は、本っ当に怪しいですよ。あまり信頼なさらないでください。危険です」

「そ、そうかなあ? そんなことないと思うけど……」

「あの男は、ただの警備兵にしては知りすぎです」

「噂好きだからじゃないかな。お仕事サボってつまみ食いに厨房に行くと、厨房って、噂がたくさん集まってくる場所だから、嫌でも耳に入ってくるっていってた」


 イーズの声は尻すぼみになった。バルクが、見た目も怪しければ、素行も怪しい、不審と不信と疑念の具象というのは、自身も認めるところなのだ。ただ、イーズは、なんとなくという勘だけで、バルクの善性を信じているに過ぎない。


「お昼、陛下のところへいかれてはいかがです? 何か用意していただけると思いますし、陛下も安心なさるでしょうし」

「ん……そうだね」

「食事が終わられたころに、またお迎えに上がりますね」


 バルクへの疑いを払拭させられなかったことにしょんぼりしながら、イーズはシャールと別れた。

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