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4.

地上へ帰ったイーズは、それまで通りの生活にもどった。うんざりする量の勉強に、堅苦しい礼儀作法、外交のための付き合い。地下の気ままで気楽な生活とは正反対の日常だ。たちまち辟易したが、ため息はこらえ、勉学に励んだ。


 そして、約束通り、シグラッドは公務が終わるとイーズのところに顔を出すようになっていた。イーズは恐縮しきりで、来ると、遊んだり、一緒に勉強をしたり、取りとめもなく話したりと気を張っていたが、一つの部屋で、言葉を交わさず、お互いしたいことをしていることもあるようになると、そうでもなくなった。冷めたというわけではない。互いの存在に慣れたという感じだ。


 ある日、訪ねてきたシグラッドに、イーズは思わずぽろりとこぼした。


「お帰り」


 部屋の戸口に立ったシグラッドは、今までかけられたことのなかった単語に珍妙そうにした。イーズははっと我に返る。


「ごめん。なんだか、おじい様とか、おばあ様とか、親戚のおじさんが入ってきたような気がしたものだから。間違えちゃった」

「ふうん?」

「いらっしゃい、シグ」

「ただいま」


 さらりと返され、イーズは一瞬、きょとんとした。部屋に入ったシグラッドは、何も珍しい事はなかったというように、召使に上着を脱がせている。明日からはお帰りといおう、とイーズは心に決めた。それはなんだか、嬉しいことだった。


「シグが毎日きてくれるようになって、なんだか楽しいや」

「そういうものか?」

「だってこの部屋、一人じゃ広すぎて。落ち着かないんだ。シグは一人だと寂しくない?」


 シグラッドに、イーズの感覚は理解されなかった。考えてみれば当然だ。シグラッドは生まれも育ちも王宮なので、広い部屋も、家族が別々に暮らすのもふつうのことだ。


「アルカは私が来ると嬉しいのか?」

「うん」


 シグラッドはまた、ふうん、とつぶやいて、それからイーズの頬にキスをした。

 された方は、顔を真っ赤にする。


「先代の皇帝陛下は、母の部屋に来ると、母にこうして挨拶していた」

「そ、そうなんだ」


 シグラッドに他意はないとわかっていても、キスに慣れていない文化圏のイーズには刺激が強かった。自分も同じことを要求されると恥ずかしいので、無意識にシグラッドから逃げる。


「ナンか、新婚サンみたいだねえ」


 戸口からひょっこり顔をのぞかせた兵が、イーズを冷やかした。イーズの棟の警備隊長、バルクだ。鳥の巣のようなもじゃもじゃの頭が特徴的な、年齢不詳の男だ。


「一時はどうなることかと思ったケド、ヘーカとの仲は良好だネ。らぶらぶぢゃん」

「バルクがいうほどじゃないよ。シグは心配してきてくれているんだから」

「好きじゃなかったら、心配なんてしてくれないと思うんだけどなー」

「大事にしてくれているのは確かだけど、好きかどうかは別問題だよ。だって、ほら、自分で言うのもなんだけど……私とシグじゃ、釣り合わないし」


 イーズは婚約者の美貌に溜息を吐いた。バルクはそうかな、と反論する。


「人の魅力って、顔だけじゃないっショ。オイラは姫さんのこと、かわいーって思うけど?」

「そう? どのへんが?」

「オイラのあげたお菓子をうれしそーにもぐもぐ食べてるとき? なんか野生のウサギやリスを手なづけた感じで嬉しくなるんだよネー」


 バルクはくしゃくしゃとイーズの頭をかきまわすようになでた。イーズは髪を乱されるのを嫌がりながらも、楽しげに笑う。二人は兄妹のように仲が良い。


 だが、上下のない、気楽すぎる二人の関係をよく思っていないシャールは、無遠慮なふるまいを見咎め、バルクの足を踏んだ。


「今日の警備の報告を」

「……ヘイ」


 バルクが引っ立てられていくと、イーズは才気煥発、眉目秀麗な婚約者と向き合った。バルクは兄を相手にするような気楽な気持ちでいられるが、シグラッドはそうもいかない。心が引き締まる。


「おつかれさま。シグは今日、何してたの?」

「公務と歴史の講義と、鍛錬。――鍛練していたらな」

「してたら?」

「副将軍のヅラが取れそうで。気になって気になって、全然勝負に集中できなくて、一敗した」


 もっと違うことを予想していたイーズは吹き出した。シグラッドが悔しがっている様子なので、なおのことおかしい。


「副将軍さんって、役職のわりには、まだお若かったよね?」

「そうだが、荒野が間近という噂だ。ゼレイアがいないせいで業務が増えてハゲが進んだらしい」

「ゼレイアさん?」

「ゼレイア=フォン=パッセン。皇国軍の将軍だ。エルダに遠征している」


 イーズはああ、と思い出した。シグラッドの教育係の一人でもあったはずだ。


「ゼレイアを追い出したクノルはいなくなった。早いところ呼びもどしたいが、まだ皇太后が反対している。それに、エルダとの戦線が膠着しているから、もどせる状態でもない。何かきっかけが……増援でも送れば、事態はよくなるんだろうが」


 そうはいっても、政治の実権は現在、家臣たちにあり、幼い皇帝の手にはない。増援を送りたいといっても、皇太后よその取り巻きに反対されて終わりだ。シグラッドは深々とため息を吐いた。


「では、ティルギスから援軍を送りましょうか?」


 唐突に投げかけられた言葉に、シグラッドは部屋の隅をふり返った。膝に書簡を山と積んだイーダッドが、影のように座していた。


「ハルミット、いたのか」

「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。こんばんは、陛下。ご機嫌麗しく」


 イーダッドは広げていた書簡を閉じた。前置きというように、ちがう話題を持ち出す。


「クノル卿は口を割りましたか?」

「なんのことだ?」

「先王陛下の最後の手紙の場所です。クノル卿は、手紙を持っているといわれている皇太后と仲がよろしかったようですから」


 シグラッドの目つきがするどくなった。イーズは何のことか分からなかったが、シグラッドにとってはかなり重要な話題らしい。警戒心の強い皇帝に、イーダッドがいきなり懐に飛び込むようなことをいうので、イーズは肝を冷やした。


「ハルミットは、ニールゲンの内情に詳しいんだな」

「いいえ、マギー老が酒の席でぽろりとこぼしたから知っているだけです。酒と美女で、かなり口が軽くなっていらしたようで」

「あのスケベジジイ」


 シグラッドは眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げた。目の前の男の意図を測ろうとするように、じっと、イーダッドを注視する。不審がられていることを悟ると、イーダッドは無理強いせず、話題を元にもどした。


「エルダのことですが、ニールゲンと同盟を結んだおかげで、イルハラントへの心配がなくなりました。その分、兵に余裕がありますので、陛下がお望みでしたら援軍をお送りいたします」

「他の家の火事に首を突っこんでいていいのか?」

「火中の栗を拾うためです。火傷は仕方がない」


 イーダッドはアーモンド形の大きな眼に、ニールゲンの皇帝を映した。イーダッドは皇帝の信頼を欲しがっているのだ。シグラッドはちゃんとそれを察したが、疑いの眼をむけた。イーダッドの底の見えない、くろぐろとした、不可解な眼をのぞきこむ。心の奥底まで射るような強い視線だった。


 どう判断したのかは分からない。やがて、シグラッドは結論を出した。


「できるのならすぐにでもやってくれ。ゼレイアを早く連れもどしたい」

「かしこまりました。ニールゲンの重臣たちの了解を得次第、すぐに手配いたします」


 イーダッドは書簡を箱に片づけた。足元の地図を丸め、書棚に返す。イーズの部屋には、地図を借りに来ていたのだ。父親が来ると、自分の行状を監査されているような気になるイーズは、帰り支度がはじまってほっとした。


「アルカは、密偵は得意か? いや、シャールでもいい。探ってほしいことがある」


 皇帝から頼まれるのは、めずらしいことだった。イーズとシャールは顔を見合わせ、自国の軍師を見た。受けよというように、イーダッドは皇帝に目線をやる。


「探って欲しいことって?」

「さっき、ハルミットが私に聞いただろう。それだ」

「ええっと……先王様の最後のお手紙、だっけ?」

「前に、少しだけいったことなかったか? 皇太后が遺言状を盾に脅してくるって」


 ボードゲームをしながら、そんなことを聞かされたようなおぼえがある。イーズはうなずいた。


「どうしてもそれを手に入れる必要があるんだ。協力して欲しい」

「それはよいのですが、私たちが皇太后様に近づけるのでしょうか? 今までほとんど面識もございませんし」

「大丈夫だ、シャール。ちゃんと考えてある」


 シグラッドがいうには、半年後に五年に一度の大祭、竜王祭があるのだという。ニールゲンの建国を祝って催される祭りで、祭のはじめに皇妃が笛を吹く。笛を吹くのは、まだ皇妃ではないが、今、イーズが一番適当だ。演奏を教わるために、イーズは先王の皇妃であるブリューデルのところへ通う必要があるのだ。


「本当にあるのかどうかも怪しかったんだが、クノルがあるといった。隠し場所も、ブリューデルが住んでいる棟で間違いないらしい。だが、正確な場所までははっきりしない。寝室か書斎かなんだが」

「寝室か書斎、ですか。アルカ様の練習中に、私が探ってみます」

「シャール、大丈夫? そんなところに入ったら、すごく疑われると思うんだけど」

「迷ったとでも言い訳しますよ、アルカ様」


 それでもイーズが心配そうにしていると、よせばいいのに、バルクが口を挟んだ。


「大丈夫ですよ。姉サンなら、侍女さんたちをたらしこんで、うまーくやりますって。姉サン、兵士たちにも人気あるケド、男顔負けに強いし、男装の麗人サンだから、凛々しくてすてき、本物の皇子様みたいって、侍女サンたちの間でも人気ありますから」

「シャール、そんなに人気者なんだ」

「この間も、ほっぺた赤らめた侍女さんからお菓子をもらってましたよね。ね、姉サン」

「黙れもじゃ男。貴様が宿舎に隠している菓子をすべて掘に捨てやる」

「ぎゃいやああああああ! それだけはあああああああ!」


 悲鳴を上げるバルクの横で、イーダッドがゆっくりと扉を押し開けていた。イーダッド自身はまだ皇帝の信頼を得られていないが、イーズたちは良好なので満足したらしい。


「ハルミットは、しばらくニールゲンに留まるのか?」

「はい、陛下。当分、この城にお世話になります。ニールゲンで人材を集めたいものですから。あちこちうろつくことになるかと」

「不自由な足では、城の中を移動するだけでも大変だろう。案内人をつけてやる」

「身の周りを世話してくださる召使ならば、すでにつけていただいておりますよ」

「ただの案内人じゃない。ティルギス語が話せる案内人だ――バルク」


 シグラッドは、シャールに足蹴にされている警備隊長を呼んだ。


「おまえは今日でここの警備隊長は免職。代わりに、ハルミットの案内役を務めろ」

「えええ? そんな、ココロのジュンビが」

「つべこべいうな。サボらずちゃんと案内役を務めたら、菓子を山と食べさせてやる」


 バルクはちらりと、皇帝の顔をうかがった。立ち上がり、イーダッドに礼儀正しく頭を下げる。


「ハジメマシテ。ハルミットサマ」

「はじめまして。バルク」

「ドーゾヨロシクお願いいたしマス」

「こちらこそ」


 バルクのティルギス語は拙かったが、日常会話であれば問題なさそうだった。バルクは元々、ニールゲンの人間ではなく旅人だ。故郷はティルギスに占拠された国なので、ティルギス語をおぼえているのだろう。


「イーダッド様、案内でしたら私でもできますので。この男に不自由しましたら、お声をおかけください」

「よい、シャール。おまえはアルカ様をお守りすることだけに専念しろ」

「しかし」

「心配はいらん」


 イーダッドはいいきったが、なおもシャールは不安そうにしていた。イーズは小首をかしげる。


「大丈夫だよ、シャール。バルク、城内の事は本当に詳しいし、何かあったときでもおじ様にはおじ様で護衛がいるし」

「ええ。……そうですよね」


 シャールは納得したようにうなずいた。だが、顔から憂慮が消えない。いったい何が不安なのか、イーズは自分なりに考えた。バルクに色々と注文をつける。


「バルク、歩きやすくて一番近い道を選んでね。階段や傾斜はなるべく避けてね。おじ様、歩くのがゆっくりだから、バルクもゆっくり歩いてね」

「リョーカイ。おぢちゃんにお任せあれ」


 バルクはイーズの無邪気さに、少し困った顔をしながら敬礼した。

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