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2.

 朝議が終わると、王の間からは家臣たちが続々と出てきた。朝議のあとは各々持ち場に散って仕事をはじめるのが常だが、今日はちがった。皆、一様に同じ方向へ流れていく。イーズたちがふしぎがっていると、最後に出てきたシグラッドがいった。


「アルカ。これから外でクノルの処刑だ。来るか?」


 戦場を経験してはいるものの、イーズは暴力や血が苦手だった。だが、自分の脅威に決着がついたところを見ないと、落ち着かない気もした。


「嫌なら、目を瞑っていればいい」

「それもそうだね」


 イーズは人々の流れにのった。ティルギスの大使やシャール、イーダッドも後につづく。だが、五歩も行かないうちにイーダッドは遅れはじめた。イーズは肩を貸そうとしたが、無視された。イーダッドはシャールに力を借りた。


 なれなれしくするなという無言の意思表示に、イーズは宙に浮いた手を下ろした。自分はもうイーダッドの娘でなく、アデカ王の孫のアルカなのだと思い知らされた。無性に寂しくなる。


「皆、元気?」


 シグラッドたちと充分に距離がはなれていることを確認してから、イーズは声を潜め、ティルギス語でたずねた。息災だ、とイーダッドのそっけない答えがある。


「イルマに二人目の子が生まれた。今度は男だ。ヒーリットは少し変わったな。あれの元気には負けるらしい。振り回されて、自分のわがままを通す隙がないようだ。最近、大人しい」


 イルマはイーズの兄で、ヒーリットは弟だ。あれ、というのは、アルカのことだろう。父親が自分の娘となったアルカのことを、イーズと呼ばなかったことに、イーズは少し安心した。


「あと――え、っと」


 母親のことを聞きたかったのだが、イーズはなんと呼ぶべきか困った。


「キールは子供に手がかからなくなったから、最近は剣を振り回している。昔ほど身体が動かない、と不満そうだったが」

「あは。そうなんだ」

「忘れなさい。おまえはもう会うことのない人たちだ」


 イーズは笑いかけのまま、表情を固まらせた。イーダッドはかまわず娘の先を行く。シャールは二人の間に存在するほそく深い溝を感じとって、居心地が悪そうにしていた。


「あれも昨晩の騒ぎか」


 イーダッドが廊下の外を見やった。花畑に巨大な石塊が突っこまれており、庭師がどけるのに難儀していた。そばを通りかかった雑夫は、石塊と、昨晩の騒ぎの現場――ゆうに百歩ははなれている――とを見比べ、その飛距離におどろき呆れていた。


「オーレック、これで本気の半分っていっていたけど、本気出したら、どうなるんだろう」


 イーズは窓に張り付いてぼやいた。明るい陽のもとで見ると、昨晩よりも現場の荒れようがよくわかった。芝生はめくれ、こげてる。彫像はなぎ倒され、大砲は地面に突っ込まれている。剣は曲がり、矢は折れ、そこらじゅうに散乱している。黒竜は徒手空拳だったはずだというのに、被害は甚大だった。


「黒竜オーレック……黒き死の影、紫焔の王、無双の竜姫か」

「イーダッドおじ様、知ってるの?」


 イーダッドの返事はなかった。シャールの介添えからはなれ、外を見回りはじめる。心ここにあらずといった体だ。こうなると何を話しかけてもろくな反応が返ってこないことを知っているイーズは、シグラッドたちに遅れないよう先へ進んだ。


 処刑場所は、城の本宮前にある広場だった。兵士たちによって、特設の台が設けられている。早くもわいわい、がやがやと、人だかりができていた。昨晩の騒ぎはあっという間に広まり、家臣の間でも、召使たちの間でも話題になっていた。


「生きてたんだ」


 イーズの姿を不満そうにしたのは、シグラッドの異母弟であるブレーデンだった。寝巻きに上着を羽織っただけの格好だ。大騒ぎがあったことを聞いて、起きるなり部屋から飛び出してきたのだろう。


「そのまま黒竜に食べられてしまえばよかったのに。もどってきたって、どうせろくなことができないんだからさ。学習能力ってものがないんだね」

「泣き寝入りするほど、やわじゃないの」


 イーズはにっこり笑って応じた。今までとは一味ちがう反応に、ブレーデンはとまどったようだった。ふん、と鼻を鳴らし、去っていく。


「相変わらず、嫌味なお子様ですね」

「でも、シャール、ブレーデンはかわいいものだと思うよ。ああやって素直に敵意をむき出しにされたほうが、分かりやすくていい」


 イーズは苦い顔をしながらも、余裕のある態度を見せた。


 皇帝が側近ととも台に登ると、人だかりの西側でわっと声が湧いた。武装した近衛兵に引っ立てられて、宰相だった男がやってくる。髪は乱れ、目にくまを作り、疲弊しきっていた。


「謀反の大罪は死で購ってもらうぞ、クノル。領地、財産は没収。おまえの一族も皆殺しだ」


 シグラッドの側近が囚人に罪状を突きつけた。特設台の上で、処刑人が剣の刃をきらめかせる。クノルの乾いて血走った目に恐怖が宿り、小太りな身体がふるえだす。


「クノル、温情だ。首は落とすが、おまえにはまず、毒で楽に死なせてやる。新米の処刑人らしいからな。首を一度で落とし損ねる可能性が大きい。長く苦しむのは嫌だろう?」

「へ、陛下……」

「おまえが私に盛ろうとした毒だ。どんなものか、味わってから死ね」


 シグラッドは右手に水の入った銀の器、左手にクノルから没収した指輪を持った。指輪に隠されていた毒が器に落ちると、器は黒ずみはじめた。クノルが叫ぶ。


「や――やめてくれ! どうか、どうか、どうか命だけは!」

「わめくな。耳障りだ。どんな死に方をするか楽しみだな。私もこの毒は実際に使ったことがないんだ」

「お願いします、なんでも、なんでもいたしますから。命だけはお助けを。あなた様の命を狙うなどとんでもない。あの小娘の戯言を信じないでください」


 クノルは兵士の拘束を振り切ろうともがき、台の上で転んだ。鼻血を垂らしながらも、シグラッドの足元にひざまづき、助命を乞う。


「お願いいたします、貴方の望むものを差し上げますから! 望むもの――そう、たとえば、先王様の……!」


 皇帝は罪人の命乞いにまったくの無関心だったが、その一言に、ぴくりと、わずかに反応した。希望の光が差したと知って、クノルの顔にほんの少し生気がもどる。いったい何だろう、とイーズは皇帝と罪人を不可解そうにした。


「夜も騒々しかったと思えば、朝も騒々しいこと。一体、何の騒ぎかしら? 陛下」


 イーズは鼻に甘いかおりを感じた。香水のにおいだ。においの元を探って、背後をかえりみる。人だかりが割れ、その間から、ふくよかな身体つきの貴婦人があらわれた。竜と花をかたどった彫り物のある手に、扇子を携えている。台の上の側近たちが、すぐに膝を折った。


「皇太后のブリューデル様ですよ」


 だれかわからないでいるイーズに、シャールがそっと耳打ちする。


「手の甲に、竜と花の紋様があるでしょう。あれは先代皇帝陛下の紋章。それを身体に彫り付けられるということは、妃の証です。第二妃で、ブレーデン殿下のお母上です」

「ブレーデンの。……似てるや」


 皇太后と、その後ろについている皇子の顔を見比べ、イーズは納得した。


「おはようございます、ブリューデル皇太后。お騒がして申し訳ありません。すぐに済ませますので」

「一体、何事なのかしら? そこではいつくばっているのは誰? ――まあ、クノル卿。どうなさったの?」

「もう、卿ではありません。私を殺そうとした大罪人です」


 皇帝の言葉に、皇太后は大げさに驚いて見せた。口元を扇子で隠し、クノルに軽蔑のまなざしを送る。


「皇帝に弓引くなんて、なんて畏れ多いことを。どうぞ早く始末なさいませ」

「皇太后、私を見捨てるおつもりですか! あれだけ色々と――!」

「それはこちらのセリフよ。おまえのことは、何かと面倒を見やったというのに。国に仇をなすなんて。恥を知りなさい」


 ブリューデルはすがりつかれることすら厭うように、顔をしかめた。ブレーデンは、母親の影から、まだかまだかと処刑の時を待っていた。群衆もこれからはじまる見世物に興奮し、息を荒くしている。クノルはいよいよ顔を青ざめさせた。


「さ、お早く。そうこうしていううちに、その男、陛下のお足に噛み付きそうで。見ていられません」


 皇太后が処刑を急かしたが、シグラッドは毒を手にしたまま動かなかった。クノルを一瞥し、いや、と首を横にふる。


「ここは場所が悪い。使者や来賓が必ず通る場所だ。そんなところを血で汚すわけにはいかない」

「いえ。よい見せしめになりますわ。ニールゲンに逆らった者がどうなるかの」

「皇太后様は怖いことをおっしゃられますね」


 猛毒を片手に、皇帝は肩をすくめた。クノルの肩を蹴り、兵たちに目配せする。


「こいつをもう一度牢に繋げ。塔の最下層、重罪人を入れるところにだ」

「は……牢に、ですか?」

「二度も言わせるな」


 少年皇帝にするどい視線で射られ、兵たちはあわてて罪人を引っ立てていった。手に平を返すような皇帝の態度に、イーズはとまどった。観衆たちも拍子抜けして、不満そうな顔をしていた。


「シグラッド兄さん、あんなやつさっさと殺しちゃえばいいのに。どうしてしないの?」

「後でもできる。それより早く着替えて来い、ブレーデン。みっともない」


 ブレーデンは不満そうに口をとがらせ、クノルの後姿にむかって石を投げた。観衆たちも野次と小石をクノルに投げる。イーズは何もせず、不安そうに両手を握りあわせた。


「心配するな。西の塔の地下から脱出できるやつなんていない。あそこは黒竜のいる地下通路とつながっている。牢の罪人は地下の番人どもの餌になるんだ」


 台からおりたシグラッドは、安心させるようにイーズの肩を叩いた。イーズはいきなり意見を変えた理由を知りたかったが、シグラッドの注意はすぐに皇太后へむけられた。騒ぐ観衆の中、皇太后は静かだった。口元に扇子をあて、何事か思案をめぐらせている。そのうち、ブレーデンを連れて去っていった。


 何か自分にはわからない思惑が働いているらしい。イーズはシグラッド、クノル、皇太后の三人の考えを想像してみたが、知恵も知識も経験も不足しているので、思考は空回りした。


「……ふむ」


 背後にいたイーダッドが、意味深長につぶやいた。


「噂は、本当だったか」


 イーズは振り返ったが、イーダッドに説明する気はないようだった。次はどこへむかおうかと、他に興味をむけてしまう。イーズはなにも分からないまま取り残された。

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