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18.

 いくらティルギスからの人間とはいえ、妃妾の棟に男が居座るというのは侍女たちが許さなかった。男たちは別の棟に案内されていった。しかし、男たちは警護という名目で見張りを一人残していき、イーズの行動を見張っていた。


 侍女たちは強引なティルギスの使者たちを不審そうにしていた。だが、他国の事情を深く詮索することはできず、遠巻きにしていた。相談できる者もいないまま、イーズは暗い部屋の中、一人先々のことについて不安な想像をめぐらせた。


 窓にこつん、と何か小石のようなものがあたる音がしたのは、夜が更けてからのことだった。


 心配事でねむれなかったイーズは、すぐにその音に気がつき、身を強張らせた。枕の下に潜ませておいた懐剣を握り、じっと外のけはいをうかがう。ひょっとしたらシャールか大使が、見張りのティルギス兵を避けてやってきたのかもしれないと思いつくと、窓の鍵を開けた。


「夜分遅くにゴメンナサイネ、姫サン」


 窓の下に、身を潜めるようにしてかがんでいたのは、バルクだった。ぼさぼさの頭がさらにぼさぼさになったバルクは、背を丸め、くたびれた様子で、イーズにかるく手を上げてみせた。


「オイラも頑張ったつもりだったケド、やっぱ早いネ。あっちのが一歩先だったみたいダネ」


 イーダッドに同行したバルクは、襲撃を受けたものの助かって、ここまで戻ってきたようだった。男たちより先にニールゲンについて、イーズに危険を知らせるつもりだったのだろう。


「バルクは無事だったんだね」

「オイラはね。もう、全部聞いちゃった?」

「聞いたよ。バルクだけでも無事でよかった」


 孤独で途方に暮れていたところに、一人だけでも信頼できる仲間が戻ってきて、イーズはほっとした。溶けた緊張が涙となって目頭にこみ上げてきたが、唇を噛んで堪えた。


「姉サンいる?」

「ううん。シャールも大使も、捕まっちゃった」


 バルクはがっくりうなだれた。ぼりぼりと頭をかき、小さくうなる。


「こんなウチワの醜聞、そうそうだれかに相談できないしなあ」

「このままだと、私、竜王祭に出なくちゃいけなくなるよ」

「仮病使ったらどうにかなりませんカネ」

「あの人たち、私が瀕死の状態でも連れていくと思う」


 死んでもかまわないと思われているのだ。イーズは首につきつけられた刃の冷たさを思い出して、ぶるりと背筋を震わせた。


「分かりました。なら、姫サン、このまま竜王祭まで大人しくしててください」

「竜王祭まで?」

「そう。姫サンは出るフリをして、竜王祭の準備を続けるんです。もちろん、ヘーカたちには出るなんていいませんよ。あそこの物騒なおっちゃんたちを騙すだけです。油断した隙に、姉さんたちを助けますカラ」

「わかった、その後は? 私、これからどうすればいいの?」

「ダイジョーブ。ちゃんとハルミット様から策は預かってきてマス。あの人は、誓っただろ? たとえこの身が滅んでも、自分の言葉が姫サンとの約束を守るって。だから、何も心配要らないヨ」


 ぽん、と頭におかれた手が、イーズは父親のものであるように錯覚した。イーダッドはこの世界にもういない。だが、存在をイーズは確かに感じることができた。


 バルクを見送った後、イーズはまた寝台に横になった。目を閉じると、幼い頃のことが思い出された。他愛のない記憶だ。小さい頃、イーダッドの膝に座って、イーダッドが細工物を彫っている手を飽きもせずに見つめていたこと。はじめて狼を見たとき、イーダッドの外套の中に隠れたこと。


 怖がっていたくせに、その実、兄弟の中では自分が一番イーダッドに懐いていた。イーダッドも、兄弟の中では一番、イーズを気にかけていた。


 なぜかと不思議がる自分に、母親はいっていた。やっぱりおぼえてないのねえ、あなたが自分からあの人を選んだのに――記憶の世界で遊んでいるうちに、イーズはねむりに落ちた。


 翌朝目覚めたイーズは、いつになく、思考がはっきりしていた。恐れも不安も心配も、何もなかった。昨日は怖くてろくに見ることができなかった襲撃者の姿を、しっかりと視界に捕らえることもできた。


 よく観察していると、襲撃者はニールゲンに不慣れなようだった。侍女たちの話すニールゲン語もあまり分かっていないようだ。腕を組んだり解いたり、立ち位置をずらしたり、落ち着かなさげにしている。侍女たちの方も不審そうにしているので、部屋にぎすぎすとした雰囲気がただよっていた。


「あの、すみません」


 おなかを押さえた見張りに、イーズはティルギス語で声をかけた。見張りの襲撃者は戸惑いつつ、イーズの方を振り返る。


「なんだ」

「何か食べました? おなか、空いていませんか」


 気遣われ、見張りは不意を突かれたようだった。水と携帯食糧を少し、と決まり悪そうに答える。一応、食事は用意されたらしいが、見知らぬ土地で見知らぬ人間にだされた食事を警戒して、自分の手持ちで済ませたらしい。


 イーズは侍女を呼ぶと、自分と見張りにあたたかい食事を用意してくれるよう頼んだ。見張りはおそるおそる温かいスープを一口すすった後、質問してきた。


「準備は済んでいるのか?」

「まだです。今日から再開します」

「いい心がけだ」

「おじさんたちは、ティルギスのためを思って、こんなことをしたんですよね」

「そうだ。あの男にこのまま国を任せていたら、ティルギスはやがてニールゲンの属国にされてしまうかもしれないからな」


 イーズはそんなことはない、と反論したくなったが、堪えた。感情的になって怒っても、今は意味がなかった。


「ティルギスのために尽くす気持ちがあるのなら、協力して欲しいことがあるんです」

「協力して欲しいこと?」

「帰途で足止めを食っているパッセン将軍を迎えにいって欲しいんです。私が皇妃になることを反対している人たちはたくさんいます。でも、パッセン将軍が帰ってきて、私を後押ししてくれれば、こんなに心強いことはない。

 パッセン将軍はハンバートにいます。普通の人間なら、馬でいっても竜王祭まで連れ帰ってくることは間に合わないけれど、あなた方なら間に合うと思うんです」

「……」

「ティルギスがニールゲンに用意していた献上品は、ティルギスの失敗を望む人間のせいで台無しにされた。代わりのものを用意できる時間はない。

 だけど、パッセン将軍を竜王祭にお連れすることができれば。シグラッド陛下はどんな宝よりも絶対に喜びます。私は先日、陛下の不興を買ってしまいましたが、それもきっとお許しいただける。だから、お願いします!」


 イーズが頭を下げると、見張りは口の動きを止めた。眉根を寄せて、悩む。それから、パンを呑みこんだ。


「分かった。俺ではなんともいえないが、他のやつらに相談してみる」


 見張りはスープを一気に飲み干し、口元をぬぐうと、席を立った。首領の男を連れて戻ってくる。首領は、イーズが竜王祭で着る衣装や小物をいじっているのを見ると、一つうなずいた。竜王祭に出るということを信用しているようだった。イーズはさきほど見張りにした話をもう一度した。


「そういうことであれば、協力するのはやぶさかでない。その将軍はハンバートにいるのだな?」

「はい。橋が落ちて、渡河できず、帰れなくなっているそうです。軍隊ごとだと橋の修復が終わるまでは無理ですが、将軍一人だけなら何とかならないでしょうか」

「竜王祭までに往復というのが難しい。途中に、険しい道があってな。馬の消耗が激しくなる」

「迂回すると――他国を通りますね」


 イーズは周辺の地図を思い浮かべ、眉を八の字にした。


「無理……ですか?」

「いや、一気に駆け抜ける。本気で走るティルギスの馬は、風のようなものだ。風をだれがつかまえられるものか」


 首領の男は、唇に自信をたたえて笑んだ。見張りだった男にすぐさまきびきびと指示を出し、出立の準備をさせる。首領の男が語るところによると、彼らは八人いるらしい。そのうちの三人を派遣するといった。


「こちらのことは任せよ。おまえはおまえで、自分のなすべきことをしろ」

「いわれなくても、そうします」


 イーズはかるく睨むようにして言い返すと、首領の男はかすかに笑った。もう一度、部下を走らせると、何か布につつまれたものをもってこさせた。イーダッドの杖だ。杖の先は折れていたが、細工のついた柄頭は傷一つなく、無事だった。


「おまえの名は、なんだったか」

「アルカです。アルカ=アルマンザ=ティルギス」

「ああ……そうだったな」


 男は愚かな質問を悔いたようだった。苦い顔をする。


「シャールたちは無事なんですよね?」

「竜王祭が終われば解放する」


 首領は違う人間を見張りに残し、去っていった。イーズはやや憮然としながら、竜王祭で着る服に袖を通した。竜王祭には出ないといっていた主人が準備をしているので、侍女たちはふしぎがったが、大使の代わりに出席することになったからといってごまかした。


「裾と袖を調整すれば、ドレスの方は完成ですね。香水も新しく調合いたしましたし」

「新しくしたの?」

「はい。ハルミット様のご指示で。以前の香水も、一応残してあるのですが」


 侍女が以前の香水を持ってくると、イーズは目を丸くした。香水には分厚い布がしっかりと巻かれ、落ちても容易に割れないようになっていた。


「ハルミット様がこのようになさったのですけれど……」

「おじ様が? ……そう、分かった。ありがとう。私が預かるよ。あと、この杖を直してもらえる?」

「新しいものをご用意することもできますが?」

「いいの。私がもう一度立つためには、この杖でないとだめだから」


 イーズは先の折れた杖を、祈るように両手で握りしめた。イーダッドの残した言葉が、遺志が、自分だけでなく、ティルギスを守ることを祈って。

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