17.
竜王祭が十日後に迫ると、各地から使者が到着しはじめた。到着した使者をもてなしたり、献上品が倉庫に運んだり、だれもかれも忙しげに動き回り、ファブロ城はにぎやかさを増している。
それはシャールも例外でなく、毎日、忙しくしていた。竜王祭でニールゲンに献上するために、方々に頼んでいた品が届いてくるので、その確認や置き場の確保に走り回っていた。
「申し訳ありません、アルカ様。護衛だというのに」
「気にしないでよ。私はこの通り、一歩も部屋から出られないし、侍女さんたちもいるから大丈夫だよ」
シャールは書簡やロープなど雑多なものをかかえながら、イーズに頭を下げた。その間にも、小間使いの一人がやってきて、シャールに何事かささやいた。途端、シャールの表情が険しくなった。
「どうかしたの?」
「献上品が……」
報告に来た小間使いはおろおろとうろたえ、シャールは唇を噛み締める。ニールゲンへの献上品として用意していた品々を、城の一室に保管していたのだが、それがめちゃくちゃにされていたらしい。今回は、上等な織物や布を献上品として用意していたのだが、それが泥水で汚され、贈り物にならなくなっていた。
「だれがそんなこと」
「ティルギスを邪魔に思う者はたくさんおりますから」
イーダッドがあっという間に皇帝の注意を惹いたこともあり、宮廷でのティルギスの心象は以前より悪い。新参者が大きな顔をして、と苦々しく思っている人間は多かった。
「他に代わりになるような品は?」
「探しますが、今からでは難しいでしょうね。竜王祭のために、珍しい品や良質な品は、この辺りでは買いつくされているでしょうから」
あったとしても、平生よりも値段は数倍になっているだろう。だが、探さないわけには行かない。シャールはため息を飲み込んでいた。すると、今度は侍女がおずおずとドアをノックした。
「失礼いたします、アルカ様、シャール様。ティルギスから使者が到着して、アルカ様たちと面会を求めていらっしゃいますが、いかがなさいますか?」
「ティルギスから? ……イーダッド様では、ないのですよね。早すぎますし」
「はい」
うなずく侍女に、シャールは不可解そうにした。取次ぎの侍女も不安そうにする。
「ご伝言でも持ってみえたのでは?」
「普通は伝令役が持ってくるのですが――何か予定外のことでも起きたのか?」
シャールは一人ごちたあと、イーズを振り返った。
「だれが来たのか、大使と一緒に確めてきます。アルカ様はここにいてください」
「私も何か手伝えることあったら、いってね。いってらっしゃい」
一つに束ねた黒髪を駿馬の尾のようにはずませて、シャールは部屋を出て行った。次から次へと、せわしない。部屋に残ったイーズは、動けない自分の身を嘆いたが、すぐに切り替えた。足を動かす訓練をするため、寝台に横になる。
すると、窓のガラスを叩く音がした。
「おい、ブス」
「ブレーデン」
珍しすぎる来客に、イーズは眼を皿にした。なぜと驚きながら、窓を開ける。すると、ブレーデンは上着の下からよれよれになっている封書を取り出した。
「おまえがいってたやつ。見つけたから」
ブレーデンはぞんざいな態度で、無造作に封書を差し出してきた。あまりに唐突に安易に目の前にやってきたので、イーズはそれが何であるかを、最初、まったく分からなかった。やがて気づいて、愕然とする。
「これ、まさか」
イーズが口を半開きにする。ブレーデンはふふん、と得意げに笑った。
「この間、母上がちょうど書斎でこれを出しているところを見たんだ。これだろ、兄上が探していらっしゃるものって」
イーズは恐々、封筒を裏返した。赤い封蝋に、竜と花の印章が捺されている。ブリューデルの右の手の甲に彫られていた紋章と同じもので、先王の紋章だ。信じられずに、イーズは封を開けて中身を確めようとしかけたが、思いとどまった。イーズにあける権限のある手紙ではない。
「兄上からも、おまえと同じことを頼まれたから手に入れてきたんだけど、兄上忙しくて渡せないからさ。おまえに預けにきたんだ」
「あ、ありがとう。報酬は――」
「竜涎香ならもうもらっているよ。前報酬で兄上がくれたんだ」
イーズは、数日前、廊下でシグラッドとブレーデンにも会ったことを思い出した。ブレーデンはシグラッドから何か受け取った様子だったが、あれが竜涎香だったのだろう。
「だから、何もいらない。兄上にちゃんと手には、入れてきたって伝えておいてよ」
「わ、分かった。伝えとく」
用事を終えると、ブレーデンは長居したくないといわんばかりに、さっさと回れ右をしてした。イーズは、竜涎香は人によっては危ないとレギンがいっていたことを思い出し、注意をしたかったが、そのときにはブレーデンの姿は遠くなりすぎていた。
「取り合えず、どこかに隠そう」
シャールがいないときでよかったと思いながら、イーズはきょろきょろと部屋の中を見回した。枕の下、裁縫箱の中、絵の裏など、あれこれ目星をつけるが、どこもいまいち安心感に欠ける。
「――っと! あなたたち! なんですか、いきなり!」
突然、勢いよく扉が開かれた。イーズは飛び上がりそうなほど驚き、後ろ手に手紙を隠した。戸口を見れば、中に入るのを阻止しようとする侍女と、中に押し入ろうとするティルギス人の男たちがいた。
いずれも、見たことのない顔だ。だが、これが先ほど到着したというティルギスの使者なのだろうとイーズは理解した。男たちは乱暴に部屋へ押し入ると、扉を閉めて侍女たちを締め出した。
イーズは身をかたくした。雰囲気が妙だった。彼らに会いに行ったはずのシャールと大使の姿がなく、不安が胸をよぎった。
「おまえが、ハルミットの娘だな?」
男の一人――濃い髭を生やした、首領格とおぼしき男が、ティルギス語でいった。低く硬く、剣呑な声音だ。イーズはかすかにうなずいた。
「足が動かなくなったというのは、本当らしいな」
昼間から寝台にいるイーズを見下ろし、男たちは視線を交し合った。
「なにか御用ですか」
「大した用ではないさ。きちんとおまえが竜王祭で、ニールゲン皇帝陛下の婚約者として役目を果たすのを見届けに来ただけだ」
濃い髭を生やした男の言葉に、イーズは当惑した。冷たく見下ろしてくる男たちを、おどおどと見上げる。
「あ、わ、私――」
「嫌とは言わせない」
イーズの舌は凍りついた。眼にも留まらぬ速さで抜かれた剣が、喉元に突きつけられていた。
「なぜおまえなどのためにティルギスが損害を負わねばならないのだ? さすがのあの男も、自分の娘のこととなると判断が甘くなるらしいな」
男は吐き捨てるようにいった。だれかは知らないが、イーズはどういう相手かは察することができた。ティルギスの発展に貢献したイーダッドには、賛同し、追従する者もいればそうでない者もいる。男たちは後者の部類に属する人間のようだった。
イーズは叫ぶこともできず、喉をひくつかせる。鋭く冷たい刃が、首の薄皮を切るか切らないかのところで止まっていた。
「ニールゲン皇帝との婚約を解消し、最終的におまえの身をティルギスに引き取るなど……人質の代わりに、ティルギスがどれだけの代償を支払わねばならなくなるか。
アデカ王はあの男に甘すぎる。ティルギスには何の得もないのに、エルダに兵を派遣することも許して。もう我慢がならない!」
「待って、待ってください。私のためにティルギスが損害を負うことなんて、ないはずです。ち、父は、そ、そういってました」
イーズが震えながら弁解すると、剣が少し遠のいた。髭面は、不可解そうに眉根を寄せる。
「ハルミットがそういっていたのか?」
「ニールゲンを出るときに、そういってました。ニールゲンに銅貨一枚だって払う気はないって――そう、アデカ王にも申し上げたのではないのですか?」
髭面たちの返事はなかった。互いに互いの視線を交わしあい、黙っている。イーズの胸に新たな不安が兆した。
「父はアデカ王に、お会いしたんですよね」
「いいや。その前に、私たちと会った。伝令兵がハルミットの手紙を運んできて、アデカ王に皇帝との婚約を解消する旨を伝え、アデカ王は止むなしと判断なされた。それを知って、私たちはハルミットを待ち伏せたから」
「あなた方と会ったとき、父はなんていったんですか?」
イーズの問いかけは部屋にむなしく響いた。男たちは誰も答えなかった。不気味な沈黙に、イーズの声は震えた。
「話したのでしょう?」
なおも答えはない。かたく口を閉ざす男たちに、イーズは自分の父親のたどった運命を悟った。おそらく、イーダッドはこの世にもういない。弁明する間も与えられず、彼らの手で葬られたのだ。
「騒ぐな」
悲鳴とも嗚咽ともつかない声をもらしそうになったイーズに、ふたたび剣が突きつけられた。イーズの歯が恐怖でかちかちと鳴る。
「ティルギスに損害があろうがなかろうが、そんなことはどうでもよい。おまえがニールゲンの皇妃になれば済む話だ」
剣先が動き、イーズの顎を捉えた。イーズは歯を食いしばって歯の鳴る音を止めたが、代わりに震えだす手先を止めることはできなかった。
「今さら後に引くことなんて許すものか。ここはおまえの死に場。生きて故郷に帰れるなどと思うなよ」
冷たい刃をむけて、男はイーズに宣告した。




