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15.

 イーズが歩く訓練をはじめ、元の通り勉学もするようになると、周囲の人間たちは目を見張った。


 平気そうには振舞っていても、どんより沈んでいることもあったイーズだ。それが、毎日ベッドの上で汗だくになって足を動かす訓練をし、事故に遭う前よりも積極的に勉学に励むようになったので、皆、どんな心境の変化が起きたのかと驚いた。


「だって、動かなくなったものは仕方がないし。いつまでも泣いていても、状況はよくならないもん。人生一からやり直しと思って、がんばることにしたんだ」


 侍女たちに元気になったわけを訊かれると、イーズはそう答えた。理由は他にあるのだが、ティルギス以外の人間にもらすわけにはいかない。理由は隠し、心情を答えることでごまかした。


「アルカは本当にすごいね。一見、弱々しそうなのに、とても芯が強いもの。アルカを見てると、元気が出てくるよ」


 見舞いにやってきたレギンは、ベッドの上で、単調で地味でつらい訓練を溌剌とこなすイーズをまぶしそうにした。レギンの言葉に、侍女たちも同意してうなずく。皆にうつくしい誤解をされ、イーズは胸がちくちくと痛んだ。ある意味、足が悪くなったときよりも肩身が狭かった。


「竜王祭、笛は吹かないかもしれないんだって?」

「竜笛を吹くと、私が次期候補だって確定するでしょ? でも、今、こんな状態だから、保留させて欲しくて。ごめんね。せっかくレギンに吹けるようになるよう手助けしてもらったのに」


 イーズは、レギンの背後に控えているアニーにも謝った。謝りながら、アニーの様子をうかがう。皇太后に足が不自由になったことを漏らしたのは、アニーではないかと疑っているので、アニーの挙動が気になるのだ。だが、アニーはいつものごとく彫像のように静かに控えているだけで、とくに変わったところはなかった。


「竜王祭には出るんだよね?」

「それもどうしようかと思ってて。動けないと、みんなに迷惑かけちゃうし」

「迷惑なんて。アルカ、竜王祭、初めてでしょ? 出席ぐらいしようよ」

「うん……」


 イーズの歯切れは悪い。レギンは不安そうに眉根を寄せたが、話題を変えた。


「ところでさ、アルカ。ハルミット様は今日、こちらにいらっしゃらないの? ボードゲームをする約束なんだけど」

「もうすぐ戻ってくると思うよ。おじ様、レギンと対局する気になったんだね」

「これから一度、城をはなれるから、その前にどうですかって誘ってくださって。僕の棟でする約束だったけど、僕の棟まで来るのも大変だろうと思って来たんだ」


 話しているうちに、ちょうどイーダッドが帰ってきた。イーダッドはレギンの姿に頭を下げ、アニーにも丁寧にあいさつをした。


「わざわざ迎えに来てくださったのですね。お待たせしてしまって、申し訳ございませんでした、レギン殿下。では、参りましょうか」

「いえ、ハルミット様。わざわざ僕の棟までお越しいただかなくても大丈夫です。ほら、この通り、盤も駒も準備してきましたから」


 レギンは小脇に抱えていた盤と駒を小卓においた。だが、イーダッドは首を振る。


「ここではアルカ様の迷惑になりますから」

「私? 私は全然気にしないよ」

「長い試合になりますし、陛下もそのうちこちらにいらっしゃるでしょう。邪魔になります」


 イーズは訓練を中断し、はじまる一局に身を乗り出していたが、イーダッドはあくまで固辞した。盤と駒を片手に持ちながら、アニーに尋ねる。


「ヴォータン夫人。今日、そちらにマギー老はおいでですか」

「おります。ここのところ、ずっと滞在しておりますから」

「それはよかった。城をはなれる前に、一度お会いしたいと思っておりましたので。お話ししたいことがあったのです」


 イーダッドはシャールに、二つ三つ用事を頼み、イーズにはそろそろ休みなさいと指示をして、レギンたちと共に部屋を出て行った。


 首筋の汗をぬぐいながら、イーズは小首をかしげる。レギンと関わるなといっていたイーダッドが、自ら関わりにいっているので、妙な感じだった。


「気にしなくてすむようになるからかな」


 シグラッドとの婚約が破棄になれば、レギンとの付き合いをためらう理由もなくなる。イーズは嬉しくなった。


「姫サーン、ハルミット様、こっち来ませんでしたー?」


 イーダッドたちと入れ違いに入ってきたのは、バルクだった。シャールが顔をしかめると、バルクは違う違うと首をふった。


「ハルミット様を見張ってるワケじゃないですよ。オイラ、ハルミット様と一緒にティルギスへ行くことになったんで。ただ探してるんデス」

「おまえが一緒に?」

「そうデス。今度はオイラ、ハルミット様に雇われたんですヨ」


 何もやましいことはないというように、バルクは胸を張った。シャールはなぜこんなやつを、と思い切り顔をしかめたが、イーズは喜んだ。


「じゃあ、バルクはこれから私たちの仲間なんだね。よろしくね」

「仲良くしましょーね、姫サン。ティルギス行ったら、何かお土産買ってきますよ。欲しいもん、あります?」

「いいの? 故郷のものならなんでもいいよ。羊乳のチーズでも、フェルトでも……」


 イーズはこれからバルクが観るティルギスの風景を思い浮かべ、懐かしさに胸がいっぱいになった。不機嫌なシャールにバルクが追い払われたあと、窓辺によって、空を見上げる。夏らしく蒼々として、爽快に晴れ渡った空だ。ティルギスの空に似ている。夏草のにおいをふくませて吹く風に、イーズは故郷の歌をのせた。


「めずらしいな、アルカが歌を歌ってるなんて」


 機嫌よく歌っていたイーズは、シグラッドの声に歌をやめた。知らない間に入ってきて、しばらく黙って歌を聞いていたらしい。イーズのために飲み物を取りにいっていたシャールが帰ってきたが、シグラッドの姿に驚いていた。


「故郷の歌か? 耳慣れない歌だったが」

「そうだよ。歌詞らしい歌詞のない歌だから、めずらしいかも」

「その窓で故郷の歌は歌わない方がいいぞ。よくない噂があるから」

「噂って?」

「そこで歌を歌うと、故郷に帰ることになるんだ」

「初めて聞いた、そんな噂」

「私の母がその一人目だ」


 イーズはなぜだかぎくりとさせられて、応対に困った。シグラッドは椅子を勧められたが、無視して、壁にもたれて立っている。ベッドのそばで椅子に座って話をするのが常だが、今日はそうしない。


 いつもと違うシグラッドの様子に、イーズは上半身を起こし、クッションにもたれて居住まいを正した。


「蜂に襲われたんだって?」

「あ――ああ、うん。じつは、そうなんだ。イーダッドおじ様が、他にはいうなっていってたから、いわなかったんだけど」

「私にもいうなって?」

「表ざたにするなって……シグは侍女さんたちから聞いたの?」

「何かあったら絶対報告するようにと厳命していたから」


 シグラッドは腕を組み、イーズをじっと見つめている。本人の口から報告がなかったことを、シグラッドは怒っているようだった。


「前に、家出する前には私に相談するって約束しただろう。なのに、何かあっても一言もなしか」

「だ、だって、ただの蜂だったし……たんなる事故だろうから……」

「だから?」


 言い訳だと自覚しながらもしてしまった弁明は、シグラッドをさらに苛立たせる要因となった。イーズは身をちぢこまらせながら、皇帝のため息を聞いた。


「竜王祭、竜笛は吹かなくても、出席はするだろう?」

「吹かないことに決まったの?」


 シグラッドは不機嫌そうに黙る。沈黙は雄弁に語っていた。


「今回は、諦める。しかし、竜王祭には出席だぞ。ゼレイアが竜王祭までに帰って来られたら、紹介したいからな」

「でも、私、こんな状態だから」


 イーズが断ろうとすると、シグラッドは寝台の上に、黄金と宝石で作られた飾りを投げてきた。炎と赤い竜を組み合わせた紋章に、五つの指輪と腕輪がつなげられた、手の甲をかざる装飾品だ。


 ニールゲンでは、結婚するまでの間、婚約相手の紋章が入った手袋やかざりを身につける慣習がある。イーズもシグラッドと初めて謁見したときは、同じような手袋を身につけた。今回はこの手甲らしい。


 出ろ、という無言の意思表示に、イーズは言葉を詰まらせた。大事な家臣に引き合わせてくれようとするシグラッドの心は嬉しいが、会えば、皇妃を降りるときが今以上に後ろめたくなる。


「竜王祭が終わった後じゃ、だめ? 竜王祭のとき将軍様が戻ってこられるかわからない状態なんだし、戻ってこられたとしても、いろんな人とあいさつするのでお忙しいだろうから、ゆっくりお話出来ないと思うんだ」

「ゼレイアだけじゃない。他にも会わせておく必要のあるやつが何人もいる。絶対にだめだ」

「でも、出ても、私がこんな身体だと、皆にこんな子が皇妃かって不安がられるかもしれないから……」

「だからだ。皇太后のせいで、アルカにあったことはそこら中に広まってる。竜王祭で、何がどうであろうと、アルカが次の皇妃だって印象付けておかないと混乱する」


 シグラッドは壁をはなれ、寝台のそばへ寄った。イーズは反射的に身を硬くし、身構えた。


「歩く訓練もはじめて、勉強も前の通りにするようになって、でもどうして竜王祭に出ることはそんなに消極的なんだ」

「ど、どうしてって……」

「こっちを向いて答えろ、アルカ」


 寝台に上がってきたシグラッドに厳しい口調で問い質され、イーズは緊張に全身からどっと汗が吹き出た。嘘が、つけない。ベッドカバーをつかむ手が汗ばむ。


「出るな? 竜王祭」

「で……で……出ない」


 シグラッドの威圧に耐えながら、イーズはなんとか声を絞り出した。


「わ……わ、私、やっぱり」

「やっぱり?」

「……………国に帰る」


 イーズはもう一つの枕を手にとって、ぎゅっと胸に抱え込んだ。シグラッドの反応がない。怖くて顔が見れないイーズは、うつむいたまま、しゃべりだした。


「その方がお互いのためだと思うんだ。シグは子供がたくさん欲しいっていってたけど、私じゃ、希望が叶えられるかどうか怪しいもん。ティルギスの軍事力も欲しいっていってたけど、ニールゲンの軍事力だけでも、きっとシグの夢は叶えられるよ。

 婚約解消したら、私、イーダッドおじ様みたいにティルギスとニールゲンの間を取り持つ仕事をしようって考えてる。だから、国には帰らないで、ニールゲンに留まることになるかも。シグとも顔をあわせる機会があるかもしれないから、完全にはお別れにならないね、きっと。

 シグはさ、最初、気が強い子がいいっていってたでしょ? 今度こそ、気が強くて、賢くて、かわいい子をお妃様に選べるいい機会だよ。良かったじゃない」


 先ほどまでとは打って変わって、なめらかに話しながら、その実、イーズは自分が何をいっているかほとんど分からなかった。


 こんな状態になってもまだ、自分を見捨てようとはしないシグラッドを裏切ることに、やましさをぬぐえない。罪悪感が心をせきたてて、早口に理由ともいい訳ともつかない言葉を吐かせる。


「お互い、がんばろうね」


 勇気を振り絞って、イーズは顔を上げた。作り笑いを浮かべた。笑いはそのまま固まった。胸に抱いていた枕が、シグラッドの爪に裂かれる。イーズは声が出ず、のどをひきつらせた。


「勝手なこというな」


 裂かれた枕は寝台に叩きつけられ、中身の羽毛をばら撒いた。扉は荒々しく閉じられた。

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