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14.

 次期皇妃の姫君が、足が不自由になったという事実は、ブリューデルによってまたたくまに宮廷内にひろまった。そして、さっそく婚約者を変える気はないと言い張る皇帝と、変えるべきと抗議するブリューデルの間で、激しい口論がはじまった。


 分は、シグラッドの方が悪かった。ブリューデルに味方するものは多くいたし、あわよくば自分の娘を皇妃にと考えているやからは無数にいた。人々はあの手この手で、皇帝を説得しようとし、また、ティルギスにも皇妃の地位を退くように圧力をかけた。


「そのうち納まるでしょうか」

「パッセン将軍がもどられるといいのだがな。ティルギスとニールゲンの婚姻は、パッセン将軍の後押しがあったおかげで成った。将軍なら皇太后を抑えられるだろう」

「将軍は今どちらに?」

「ハンバートだ。橋が壊れて、足止めを食っている。皇太后の差し金かもしれんな」


 少しだけ開いた扉のむこうで、イーダッドとティルギスの大使、シャールがぼそぼそと話し合っている。イーズは刺繍をする手を止めて、耳をそばだてていた。動けなくなったことで、外界と隔絶されていたイーズは、宮廷内の様子を詳しく知らなかったのだ。


「竜王祭、アルカ様は出席するつもりで良いのですよね」

「今更、退くつもりはない」

「では、衣装の準備を進めます」


 杖をつく音と、シャールの静かな靴音がこちらに近づいてくる。イーズは刺繍をわきの小卓におき、入ってきた二人を見上げた。


「イーダッドおじ様。私、竜王祭にはでません」


 イーズは竜王祭で着る衣装の入った箱や道具に顔をしかめた。シャールは困って一瞬ひるんだが、イーダッドはひるまない。例のくろぐろとした、底の知れない目でイーズを見つめる。


「考えたんです。自分に何ができるか」

「結論は出たか」

「大使やイーダッドおじ様みたいに、ニールゲンとティルギスの橋渡し役をします。ニールゲン語も話せるし、故郷の人たちよりは、ニールゲンの作法をおぼえてる。未熟なのは分かってるけど、これからたくさん勉強します。だから、だから――」


 イーダッドがあきれた様子を見せると、イーズは言葉を詰まらせた。椅子から床に落ち、硬く手を組み合わせて訴えた。


「私をどうかこの座から下ろしてください。不自由な身体で王宮に留まって危険に脅えて暮らすのも、身分を偽りつづけるのももう嫌なんです。普通の生活にもどりたい」

「アルカ様」

「お願いです! きっと――いえ、必ず、今以上に役に立ってみせます。一生懸命働きます。だから、お願いします!」


 イーズは周りにあるものを引き倒すのもかまわず、腕の力で這った。衣装箱の上にのっていた香水瓶が倒れ、中身がこぼれたが、頓着しない。イーダッドの足元で、イーズは懇願した。


「私を父上の娘にもどして!」


 鬼気迫る覚悟で叫ぶ少女に、シャールは固唾を呑んでいた。イーダッドはただじっと、叫ぶ少女を見つめた。イーズは、いつもであれば怯えるイーダッドの目におびえなかった。眦に涙を浮かべた目は揺らがない。揺れたのは、イーダッドの方だった。


「――お二人とも!」


 シャールが叫ぶと同時に、短剣を閃かせた。蜂が真っ二つに分かたれて落ちる。羽音に気づかないほどやりとりに集中していた二人は、床に落ちた蜂の大きさに話を中断した。刺されれば、死にはしないが、肌が腫れて苦しむことは間違いなかった。


「窓を閉めましょう」


 窓に寄りかけたシャールは、思わず歩みを止めた。黒い小さな霞がこちらにむかってきていた。殺したものと同じ種類の蜂が群れをなし、イーズの部屋に飛び込んできた。


「伏せて動くな!」


 シャールは机の下にしゃがみ、イーダッドはイーズを床に押し倒し、羽織っていた外套で身をおおった。ぶんぶんと耳障りで恐ろしい羽音をたてながら、蜂たちが部屋の中を縦横無尽に飛び回る。イーズは息を詰めて、ひたすら恐怖に耐えた。イーダッドに押さえ込まれていなければ、パニックのあまり暴れていたかもしれなかった。


「……何かしかけられたな」


 イーダッドが舌打ちした。羽音に不審をおぼえ、部屋の外に控えていた侍女たちが、遠慮がちに部屋の扉をノックした。入室を求める声に、イーダッドが叫ぶ。


「開けるな! 蜂に刺されるぞ!」

「は、蜂ですか? そんな、では、どうしたら」


 問いに対する答えはなかった。一匹に二匹ならまだしも、大量にいては追い払うのは簡単ではない。逃げ出そうにも、イーズやイーダッドの位置から窓は遠い。イーズは蜂の飛び回る部屋に、泣き出しそうに顔をゆがめた。


「――伏せているんだよ、私のいとしい子。火傷をする」


 落ち着いた女性の声と共に、うつくしい紫色の炎が上がった。黒い霞が一瞬にして灰にかわり、床に降り積もる。部屋の中が完全に静かになると、イーズはイーダッドの下から這い出て、部屋の中を見回した。


「オーレック、どこにいるの?」

「だめだよ、私は人前に姿はさらせないからね。無事か?」

「大丈夫。ありがとう!」

「つくづく災難に見舞われる子だね。できることなら、私が代わってやりたいくらいだ」


 オーレックの声は窓の外から聞こえてくる。シャールはありがとうございますと声を張り上げた。イーダッドもゆっくりと身を起こし、窓の方をむいた。


「礼をいいます、オーレック」

「礼には及ばん。おまえと私の仲だ。気にするな」


 イーズは目をしばたかせた。


「いつの間に、そんなに仲が良くなったの?」

「アルカの知らない合間にだよ。ふふ、イーダッドは昔、私が好いた男と似ていたものだから。一目で気に入ってしまったのさ」

「赤竜王様の壁画があるところでおしゃべりしてた?」

「よく知っているね。今度から、来られたら二人でおいで。歓迎するよ」


 オーレックはやわらかな声でいう。イーダッドは立ち上がり、外套についた蜂の死骸を払った。そして、いまだ立ち上がれないままの娘を見下ろした。


「シャール」

「はい」

「おまえはどう思う」


 聞かれたシャールは困惑した。イーズとイーダッドに視線を往復させて、答えあぐねる。シャールは命令を受けて動く側だ。国の進退に関わるほどの重要な事柄に意見を求められるような立場ではない。当然のとまどいだった。


 それに気がついたのだろう。やがて、イーダッドは我に返った。片手で頭を押さえ、自嘲交じりにぽつりとつぶやく。


「焼きが回る、というのは、こういうことか」


 騒ぎがおさまったことを察して、扉の外にいた侍女たちが入ってきた。部屋にちらばる大量の蜂の死骸に目にし、掃除をはじめる。


「どうして突然、こんなにたくさん」

「部屋の花に惹かれてやってきたのかしら」


 行きかう侍女たちの間を縫って、イーダッドはイーズの座っていた場所まで近づいた。イーズの引き倒した香水の小瓶に目を留め、元のとおりふたをする。侍女頭に報告へ走ろうとする侍女を呼び止めた。


「このことは、他言無用にしてくれ」

「内緒に?」

「表ざたにしないで欲しい。ようやくつかめた尻尾を逃してしまう。頼んだぞ」


 奇妙な命令に侍女は訝しげにしたが、命令に従った。イーダッドはイーズの座っていた椅子に腰掛け、掃除が終わるのを待った。部屋が綺麗になると、シャールも下がらせ、イーズと二人になる。イーダッドは机の上の竜笛を手に取り、二、三度なでると、おもむろに口を開いた。


「なぜ自分でなければいけないのかと、おまえは私に質問したな」

「うん」


「簡単なことだよ。おまえが私の娘だからだ。自分の娘が大陸随一の国の妃となり、その子を生む。そうすれば、私は皇帝の祖父だ。

 だれも知らなくていい。私だけが知っていれば。人から見れば、つまらない、自己満足の野心だ。しかし、それが、私が地を這い、泥にまみれ、木偶人形と揶揄されながら見た夢だった」


「アデカ王は知っていたの?」


「知っていたよ。知っていて、この入れ替えを承諾してくださった。シグラッド陛下に家臣にならないかと誘われたとき、いっただろう。我が王にはそれ以上に価値のあるわがままを聞いていただいた――と。金貨なぞ要らぬさ。自分の血を引く者が、やがて王座を手に入れるのだから」


 常人であれば夢と諦めるような目標を野心として、ともすれば故国を滅ぼす嘘をつきながら、イーダッドはまったく罪悪に頓着していなかった。黒い目を輝かせた顔は、笑っているようにも見える。イーズはあきれた。


「とんでもない軍師だ」


「それをいうなら、承諾したアデカ王もだ。あの方だってとんでもない。

 入れ替えを申し出たとき、アデカ王は私の自分勝手な企みにお気づきになった。私は罰を覚悟したのだが……“私もおまえに隠しごとがあるからおあいこだ”と笑っただけだった。長年、褒賞を顧みず仕えてくれたからと、私のわがままを聞き入れてくださった。

 本物よりも、おまえの方が適任だと思ったのもあったようだったが」


 イーダッドは床に捨て置かれていたイーズの杖をひろった。


「歩く訓練をはじめなさい。それではティルギスに帰れない」


 イーズは差し出された杖に顔を上げた。


「私はこれから、一度、アデカ王の下へ帰る。参上するようにとの書状が届いたから」


 イーダッドは懐から書簡を取り出した。手紙には、ティルギスとニールゲンの国境近くまで行く予定があるので、一度直接会って、国のことを相談したいということが書かれているらしい。


「アデカ王に謁見し、この窮状を奏上し、皇帝との婚約を解消するご許可を頂く」

「許してもらえる、かな?」

「おまえがニールゲン皇帝の世継ぎを生むことが難しいのでは、この計画をつづけるには無理がある。もう一度、やり直しだ」


 イーズは杖を受け取った。杖を使っても、当然、まだ立ち上がることはできなかったが、故郷に帰れるという希望は、不自由さに対する苛立ちを消え去った。


「服が痛むからやめなさい、イーズ」


 自分の服にすがりついて泣く娘に、イーダッドはやれやれとため息を吐いた。

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