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10.

 赤い竜が大地に咆哮をひびかせていた。


 彼は、竜の中でもっとも荒々しいといわれている赤い竜たちの王だ。他の種類の竜を滅ぼし、空の覇権を得た彼は、次に大地の覇権を求めて地に降りる。今、ニールゲンの王城の建っている丘に、赤竜王が舞い降りたとき、ニールゲンという国は生まれたのだ。


「おっかないネー。こんなのが目の前に来たら、オイラ、真っ先に逃げ出すよ」


 イーズが城の一室にある赤竜王の壁画をながめていると、バルクがひょっこり姿をあらわした。両手にいっぱい菓子をかかえている。


「これって、赤竜王サマの絵だっけ」

「そうだよ。ニールゲン誕生の瞬間を描いた絵。迫力満点だよね」


 朝日で赤く染まった空を背景に、赤竜王は咆哮している。手前には彼に従うさまざまな生物たちが、背後には彼の配下が、赤竜王のすぐそばには人間の女性――赤竜妃がいた。赤竜王が彼女の笛の音に魅了され、彼女を妻とするためにも人になる決断をしたというのは有名な話だ。


「姫サン、知ってる? 最近、この絵から人の話し声がするんだって」

「話し声?」

「夜、見回りの兵がこの前を通ったら、話し声がしたのにだれもいなかったって――」

「バルク、おまえ、こんなところで油売っていていいのか」


 噂話を続けようとするバルクを、シャールが不機嫌に遮った。バルクは肩をすくめる。


「いーのヨ。だからこーしておやつをたくさんもっているワケで」


 バルクは幸せそうに、監視役の褒賞である焼き菓子を頬張った。イーズは表情を明るくする。


「パッセン将軍が帰ってくるまでは無理だと思っていたのに」

「姫サンが哀しそーにするから、やめたんじゃない?」

「まさか。バルクのこといったとき、シグに仕方ないことだって流されたよ」


 シグラッドが自分の態度に判断を左右されたとは信じられず、イーズは笑った。だが、バルクは菓子をイーズに渡しながらなおもいう。


「そうカナー。オイラを姫サンの警護にもどしてくれないあたりに、オイラはヘーカの気持ちが表れてると思うケドナー」

「どうして?」

「オイラと姫サン、仲いいデショ。たぶん、嫉妬してるんダヨ」


 イーズは頬を赤くした。バルクのいうことを真に受けたわけではなかったが、照れくさい。もらった甘くやわらかい菓子にかじりつきながら、目線を床にさまよわせる。


 すると、床と壁画のわずかな隙間に、何か挟まっていることに気がついた。爪先で引っかき出すと、ふちが紫がかった黒いうろこが出てきた。


「あは。夜中の怪異の原因、分かった。オーレックだ。ここでだれかと話していたんだ」

「この壁画、地下通路とつながっていたんですね」

「だれと話していたんだろ?」


 イーズはためしに壁画を押してみたが、びくともしなかった。シャールやバルクも加わるが、動かない。何か仕掛けがしてあるのか、オーレックの怪力でなければ無理なようだった。三人はあきらめて、部屋を出た。


「昼間なのに、姫サンが部屋の外にいるなんて、珍しいネ」

「休憩中だったんだ。シグと一緒に、広場で竜王祭の段取りを教わってたの。私、さっきのところで竜笛を吹くってきいたから、下見に行ってたんだ」

「竜王祭まで後二ヶ月かー。あわただしくなってきましたネ」


 バルクのいう通り、石材や木材を積んだ荷車や、係りの者と商談している商人や、倉庫から出された国旗など、普段は見かけない人間や物品が行き来している。


 イーズはきょろきょろとその様子を観察していたが、群青のマントを羽織った人物を目にとめた。日に日に暑さの増すこの時季にそぐわない服装だ。ふしぎに思っていると、その人物はふり返った。銀のうろこがついた仮面が太陽に光る。


「どうかお気をつけて」

「え?」

「天災のように、災いは突然に降りかかってきます。避けようのない災難です。でも、恐れないで。それはあなたを成長させるものだから」


 イーズは目をしばたかせた。シャールも面喰っている。二人がぽかんとして去っていく姿を目で追っていると、バルクが一人得心して手の平を打った。


「分かった。さっきの人、竜王祭のときに建国話の寸劇をやる役者サンだ。銀竜様役なんだ。さっきのセリフは、劇中で銀竜様が赤竜妃サマにいう言葉とまんま一緒」

「皇妃候補のアルカ様を見て、からかってきたということか」


 シャールはなんだと呆れ、主人を先へとうながした。イーズはまだ後ろを気にしていたが、あまりのんびりしていると、シグラッドたちを待たせてしまう。早歩きに広場へとむかった。


「おかえり、アルカ」

「ただいま、シグ。待たせちゃった?」

「いや、全然。もっと遅くてもよかったと思うぞ。みんな話に夢中だ」


 シグラッドは退屈そうに、広場の彫像の方を指差した。イーズは目を丸くする。シグラッドの側近たちが、イーダッドを囲って談笑していたのだ。


「ティルギスの軍師殿は話し上手だな」


 シグラッドは進行表を宙に投げ、大きくあくびをした。主を放ってしまうほどに、側近たちはイーダッドとの話に夢中になっている。皇帝は不機嫌一歩手前だった。


「申し訳ございません、陛下。話し込んでしまって」


 皇帝の機嫌にいち早く気がついたのは、イーダッドだった。立ち上がり、非礼を詫びる。側近たちもあわてて居住まいを正し、それに倣った。ニールゲンの家臣たちがイーダッドにならうので、決してそうではないのに、あたかもイーダッドが彼らの主導者であるようだった。


「陛下には、これはもうご覧に入れましたでしょうか?」


 イーダッドが懐から取り出したのは、小さな船の模型だった。シグラッドは手にとって、四方から模型を眺め回す。


「その船は、最近開発された新しい型の船で、今までの二倍早く動くそうです。その船でニールゲンに海軍を作ったらどうか、という話をしておりました」

「ふうん、おもしろい案だな。この船、どこが開発したんだ? 設計図が欲しいな」

「座ってお話しすることをお許しいただけますか?」

「許そう」

「では、遠慮なく。開発したのはジュールマーレンです」

「あっさり教えるな? ティルギスに得はないだろうに」

「ふふ。じつは、改良の得意な別の国へ持って行って、さらに改良してもらっている最中なので、ジュールマーレンの設計図は不要なのですよ」

「抜け目のないやつだな」


 シグラッドは座って会話をする小国の軍師を、にらむように見下ろした。イーズは何か言い繕わなければと焦ったが、無用の気遣いだった。イーダッドは怒らせない程度に気性の激しい皇帝を翻弄し、会話を楽しませる術を心得ていた。その証拠に、シグラッドは、次の瞬間には機嫌を直して笑っていた。


「ティルギスは本当に遠くまで足が伸びるな。耳も早い。ジュールマーレンなんて、南の最端といってもいいようなところなのに」

「最良の友が――天馬の血を引く馬たちがおりますから。各地に特別速い馬を配して、何かあればすぐに情報が入ってくるようにしております」

「それだけじゃないな。馬が移動しやすいよう、道も整備しているんだろう? 道が整備されれば、商人がよく行き来するようになって情報を運んできてくれるし、物資の流通も潤沢になる。相乗効果だ」

「その通り。陛下は聡くていらっしゃる」

「おまえには感心する。私の関心が何にあるか、どこにあるか、よくわかってる。私だけでなく、だれでも、なんだろうな。皆がおまえの話に引き込まれるのも仕方がない」


 シグラッドは同じく話に聞き入っていた家臣たちをぐるりと見回し、ふん、と鼻を鳴らした。


「どうだ、ハルミット。私の家臣にならないか? 大臣なみの扱いをしてやるぞ」

「もったいないお言葉。ですが、アデカ王は私のことを無二の親友と思ってくださっている」

「金貨を十箱つけるといっても?」

「我が王には、それ以上に価値のあるわがままを聞いていただきました」


 慇懃に、しかしきっぱりと誘いを断られ、シグラッドはおもしろくなさそうにした。半ば冗談だったのだろうが、相手が少しも揺れなかったのは悔しかったようだ。広場を去っていくイーダッドの後姿を、憮然として見送る。


「陛下はイーダッド様のことをすっかりお気に召されたようですね」

「本人は目立ちすぎたって、後悔してそうだけど」


 たしかに、とシャールは苦笑した。イーズはイーダッドの背を見送っていたが、ふと思いついて、後を追いかけた。先ほど拾った黒いうろこを差し出す。


「イーダッドおじ様、これ。本物の竜のうろこ。竜は世界で一番強い生き物だから、持ってると厄除けになるんだって。前に聞いて」

「迷信の類いは、信じない主義ですので」

「分かってるけど、でも」


 イーズは思わず素の口調で反論したが、イーダッドは目線を広場へやった。皇帝たちが再開する準備を終えていた。イーズがもどってくるのを待っている。


「じゃあ、だれかに渡してください。――イ、イーズとか」


 自分の名前を自分で口にすると、イーズは悲しくなった。無造作に自分の手からうろこを取り上げる手の形が涙でにじむ。泣き出してしまわないよう、イーズは強くまぶたを閉じ、息を深く吸った。


 そのときだ。イーズは吸い込んだ空気の中に、甘ったるいにおいを感じた。思わず目を開けると、なぜか視界が暗かった。いつの間にか足元に大きな影が落ちている。二階のバルコニーから黒い影が落下してきていた。立派な金属の支柱のついた、赤い竜の旗が。


「アルカ様!」


 人々の絶叫に近い声を聞きながら、イーズはとっさにイーダッドの身体を押した。杖を支えに立っている身体はあっけなくバランスを崩し、背中から倒れていった。見開かれた大きな目と目が合う。


 イーズは、父親が叫んだのが分かった。声にならない叫びだったが、何をいったかは、今まで何度も見てきた口の動きだ、分からないはずがなかった。本当の自分の名だ。


「ち――」


 父上、と呼ぼうとした声は途切れた。支柱がイーズに圧しかかり、二人の姿は完全に赤い竜の旗におおい隠された。

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