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おっさん飼い始めました

作者: sin

おっさんがゲシュタルト崩壊する恐れあり



ひどい嵐の翌日、急に、魚が飼いたいと思った。



むやみやたらと擦り寄ってきたりしなくて、散歩も行かなくてよくて、固形の餌を毎日決まった時間にやればよくて、週に一度水槽の水を換えればいいような、手のかからない生き物が欲しかった。餌をやったら無心に口をパクパクするアホっぽい姿を見たかった。水の中をさらさら綺麗に切り裂いていく魚が欲しかった。




そう思って喜び勇んで網を片手に家を出た私が再び家のドアをくぐった時、私の背には一匹のおっさんが担がれていた。家の前で堂々と倒れていたそのおっさんからは微かに海の匂いがしたし、川は氾濫寸前だったので、これでいいかと妥協したためだ。

非常に不本意なことに、私はその日から、おっさんを飼い始めることとなった。






おっさんはひどい怪我をして衰弱していた。

伸び放題の髪の毛の隙間から見える無精ひげと目元の皺がおっさん具合を醸し出していた。おっさんというよりどちらかと言えば浮浪者だった。使っていないベッドを引っ張り出して、おっさんを寝かせた。素直に従った。何も言わないおっさんの怪我の治療をして、必要なものをそろえに街に出かけた。服を何着か、あと生活必需品を何点か。魚を飼う美しい硝子の水槽を思えば安い買い物だった。

家に帰ると、おっさんは寝ているベッドから窓の外を見ていた。私が家から出ていったときと同じ体勢だった。ぼんやりした緑の目がときどき瞬きをしている以外、おっさんに動きはなかった。窓から見えるのは川だけだというのに。私は、夕食の準備をしながら、随分辛気臭い面をしたおっさんだなと思った。これなら、ぱくぱく口を開けている魚を見ている方がよほど癒されるのにな、とも。







次の日、まだぼんやりしているおっさんを川に連れていった。おっさんを魚に見立てたかったわけじゃない。その身体を洗い流してもらうためだった。ものすごく控え目に表現しても、おっさんはとても汚かった。

おっさんが川で水と戯れている間に、シーツと服を洗濯した。水が茶色になるくらい汚かった上に、おっさんが着ていた服はボロボロ過ぎてもはやただの布と化していた。しかたがないから洗っていた手を離し、母なる海へと返して差し上げた。私はいいことをしたと思った。

おっさんのところに戻ると、すでに新しい服に着替えていた。私の目測が甘かったのか、腕の辺りがぴちぴちだった。結構筋肉質だった。でもおっさんは大して気にしている風でもなかった。鬱陶しいくらい長くて、同情するくらい傷んだ焦げ茶の髪の毛からぽたぽた水を垂らして、川の流れをぼんやり見ていた。髪の毛をガシガシ拭いてやってもされるがままだった。このおっさんはたぶん、私が今目の前で裸になっても、川の流れより関心を持たないだろうなと思った。さすがにやる度胸はなかった。







「髪の毛を切らせてください」


いい加減食事毎に縛ってやるのも面倒で、そう言った。長くて顔の半分以上を覆っている髪の毛がスープに入らないように苦心するよりも、その存在そのものが無くなった方が楽なことは分かり切っていた。おっさんは暫く私の言葉を吟味するように瞬きを繰り返して、自分の手元に目線を落としながら小さく頷いた。彼は半月でようやくベッドから窓を見るだけの生活を抜けだし、椅子に座って売り物用の花籠を作るようになっていた。手先が妙に器用なおっさんだった。

外に出て私に背を向けたおっさんは、背中の真ん中まで伸び放題だった髪を思い切りよくじゃきんじゃきんと切る私に度々不安を覚えたらしく、何度も振り返ろうとした。でもその度に怒られるので、最終的にはぴくりとも動かずに前を向いたまま身体を強張らせていた。途中で「…切りすぎじゃないか」という低い声が聞こえたが、とても小さな声だったので、鋏の音に紛れて聞こえないふりをしておいた。

緩いウェーブがかかった焦げ茶の髪が肩より短くなって、ずいぶんすっきりしたおっさんを前に、私は大満足のため息を吐いた。目元の皺がよく見えるようになった。緑の目がどこを見ているのかちゃんとわかるようになった。食事の度に髪を括らなくてもよくなった。髪の毛を整えてもおっさんはおっさんだったが、ずいぶんと清潔感のあるおっさんになった。







1カ月とちょっと経ったある日のお昼、おっさんがふらりと出ていったので、とうとうお別れかと思った。お礼も述べずに薄情な奴めと思ったが、実際私がしたことなんて、おっさんを連れて帰って怪我を治して髪の毛を切ったことくらいで、それほどお礼を言われるような事でもないかもしれなかった。おっさんの辛気臭い顔が見られなくなると思うと、ちょっとだけ寂しかった。でていく前に無精ひげを剃ってやったら良かったなとも思った。こんな気分になるくらいなら、もう当分、ペットは飼いたくないなとも思った。

そんな感傷に浸っていたので、夕方おっさんが死んだ兎片手に家に入ってきた時には心底驚いた。おっさんは一度荷物を置いて外に出て、すぐに戻ってきた。綺麗に捌かれた兎を持っていた。川辺で解体したのだ。手先の器用なおっさんはこういうところも器用で、無駄な部位は一切残っていなかった。

兎があまりに美味しくて、おっさんにおかわりをねだった。おっさんはちょっと驚いたような顔をした後、その唇の端を小さくつり上げて見せた。笑顔と言うには少し乏しすぎる表情の変化が嬉しかった。魚ではこうはいかないだろうなと思った。







おっさんは魚を飼うよりも手がかからなかった。私に増えた手間と言えば、用意する食事の量を2倍に増やすくらいだった。おっさんは朝起きてご飯を食べ、お昼まで花籠を作って、お昼ご飯を食べた後は夕方まで食料調達に行き、夜ごはんを食べ、眠るというサイクルを延々と繰り返していた。おっさんが捕ってきてくれる野生動物は美味しかったし、見たこともない木の実の食べ方も知っていた。

中でもおっさんが群を抜いて上手かったのは、魚の捕り方だった。いったいいつ思いついたのかわからないような複雑な仕掛けを作って、やすやすと魚を捕まえた。私が魚を飼いたいと思ったときにこのおっさんがいてくれたら万事解決だったのに、と思ったが、そもそもおっさんがいたら魚を飼おうと思わないな、とも思った。

おっさんはあまり辛気臭い顔をしなくなった。でもときどき、川の流れをじっと見つめて動かないことがあった。そういうときは、やはり私が裸になって目の前でダンスを踊ってもまるで関心を持たないだろうなと思うくらいぼんやりしていた。おっさんが川に呼ばれているようで、少し不安だった。








ある日おっさんが唐突に話しだした。


「何故俺を助けた?」

「はぁ、魚を飼おうとしていたんですが、おっさんが家の前で倒れていて」

「…魚?」

「少しだけ海の匂いがしたから魚みたいなもんかなと思って」

「……」

「あ、あと無精ひげが素敵でした」

「……」

「どうしました?頭が痛いんですか?」

「いや……魚、捕ってきてやろうか」

「今日はお魚ですか。いいですね、蒸し焼きにしましょう」

「飼いたいんじゃなかったか?」

「え、今はおっさんがいるじゃないですか」

「……そうか」

「おっさんのお世話の方が楽ですし」

「なあ、いい加減、おっさんて言うのやめないか」

「だって名前教えてもらってないですよ」

「……オーリィだ」

「オーリィ。私はフィンと言います」

「フィンか。良い名前だな。海を司る神のうちの一人だ」

「そうなんですか」

「…ああ、海を越えた国では、そう言われてる」

「ふうん。おっさん、私お腹すきました。お魚捕ってきてください」

「おいなんでまだおっさんなんだ」

「オーリィさんを言いやすく略しているだけです。さぁ早く、私のお腹と背中が張り付いてしまいますよ」


思えば、おっさんとこんなに長く喋ったの初めてだった。おっさんは奇妙な生き物を見るような目で私を見た後、見事に魚を捕まえて戻ってきた。その日から、おっさんと私はよくしゃべるようになった。おっさんは海の向こうの国々の話をたくさんしてくれたが、自分のことは何も話さなかった。逆に私は自分のことしか喋ることがなかったので、どうしてこんなに山奥に住んでいるか、日々の生活はどうやっていたかなど話したが、すぐにネタが切れた。だからおっさんとの会話は大抵、彼の口から出てくる色々な話を私が聞くというスタンスで成り立っていた。








ひどく怖い夢を見た。

ガタガタ震えて起きたのは久しぶりのことだった。吐き気がするほど最低な夢だった。私は、うーうー唸って夢の残滓を吐きだそうとした。すぐに無謀な挑戦だとわかった。私は暫く、為すすべもなくぶるぶる震えていた。

ふと気がつくと、おっさんが身を起こして私を見ていた。緑の目がゆっくり瞬くのに合わせて呼吸をすると、少し落ちついた。フィン。おっさんは、とても穏やかな声で、私の名前を呼んだ。


「こっちにくるか」


私が震えながらおっさんのベッドに向かうと、いきなり毛布が襲ってきた。抵抗する間もなく毛布に包まれて、ぎゅうぎゅうになりながらベッドの上に転がされた。頭から足の先まですっぽり包まった私をぬいぐるみか何かのように抱き込んで、おっさんは、よしよしと言い始めた。子供をあやす初心者が出すような、ぎこちない声だった。毛布越しに大きな手が背中に触れていた。あまりにもよしよししか言わないので、毛布の中から、もっと何か違うことを言えと要求した。するとおっさんは暫く黙って、そうだな、と呟いた。俺も酷い夢を見る。水が襲いかかってきて全部飲みこんでいって、俺だけが残る。名前を呼んでも誰も返事をしない夢だ。酷いもんだよ。

私はその情景を思い描いてみて、私の夢の方が幾分ましだったなと思った。それを伝えると、おっさんは、何も言わずに小さな声で歌を歌いだした。陽気で調子外れの歌だった。なんとなく、穏やかな海を思い出した。毛布とおっさんにくるまれたまま眠った。怖い夢は見なかった。









3カ月ほどたったある朝、久々に街に行くというと、おっさんは奇妙な顔をして私を見た。だけど何も言わずに私を送り出した。よくわからないおっさんである。何か買ってきてほしいものがあったのだろうか。

山を下って街に出ると、奇妙なほど兵隊がうろついていた。しかも完全武装である。まさか戦争でもおっぱじめる気かと思っていたら、よく行く生鮮市場のおばさんが話しかけてきた。


「あらフィン、久しぶりじゃないのさ。海賊にとっ捕まったんだとばかり思ってたよ」

「はぁ、海賊?」

「あんた知らないのかい?3か月ほど前だったかね、ひどい嵐だったろ。あれのせいで、海賊船が大破して流れ着いたのが向こうの海岸で見つかってねぇ。乗組員は見当たらないようだけど、生き残りもいるかもしれないって、今厳重警戒されてるんだよ」

「…はぁ」

「どうも大きな海賊だったらしいよ。義賊って噂もあるけど、国としちゃ野放しにしておけないんだろうねぇ。船長が着てた服が川下のほうで発見されたってんで、兵隊さんが船長の特徴までご丁寧に触れまわってるよ。確か焦げ茶色の髪に、緑の目だそうだ」

「…」

「名前はなんて言ったかね……ああ、ど忘れしちまった。なんだったかねぇ」

「…ありがとう。今日は帰ります」

「ああ、でも気をつけなよ。海賊ってのは野蛮な奴らさ。あんたみたいな小娘一人殺すなんて、造作もないことだろうからね」


私はおばさんに会釈をして、何も買わずに街を後にした。

家に帰ると、おっさんがちょうどイノシシの肉を倉庫から引っ張り出してきているところだった。おっさんは少しだけ小奇麗に肩口まで切られた焦げ茶の傷んだ髪で、無精ひげを生やしていて、緑の目元に皺があって、シャツの袖がぴちぴちしていて、ところどころに傷があって、海を渡った国の事をたくさん知っていて、魚を捕るのが妙に上手い、いつものおっさんだった。おっさんはイノシシの肉を片手に私に向かって口の端を上げ、「今日はシチューがいい」と言った。どうも緊張しているような顔つきだった。捨てられる前のペットの様な顔だ。

私は頷いて「そうですね、シチューにしましょう」と答えた。おっさんは口の端をますます上げて、緑の目を細めて、溜めた息を吐きだした。安堵しているようにも見えた。おっさんが初めて見せた、ちゃんと“笑顔”と言える表情だった。











ひどい嵐の翌日、急に魚が飼いたいと思った私は、不本意なことに海の匂いのするおっさんを拾った。


だけどおっさんは、むやみやたらと擦り寄ってきたりしなくて、散歩も行かなくてよくて、固形の餌だとちょっと怒るから私と同じ食べ物を毎日決まった時間にやればよくて、週に一度水槽の水をかえることもいらない、手のかからない生き物だった。餌をやったら無心に口をパクパクするんじゃなくてちょっと口の端を上げて「美味い」と言う生き物だった。もしかしたら、かつて、水の中をさらさら綺麗に切り裂いていたのかもしれない、生き物だった。だけどそれはまぁ、別に気にすることもない話だ。


「おいフィン。なにやってる」

「おっさん、最近お腹が出てきたんではないですか?」

「馬鹿言うな、食った分はちゃんと動いてる」

「仕方ないですね、まぁ日ごろのおっさんの働きに免じて、散歩くらいならつきあってあげてもいいですよ」

「俺の話聞いてたか?」



おっさんと私の生活は、今もまだ続いている。







何が言いたかったかというと、おっさんが好きってことです。渋いとなおいい。ダメ男でもいい。

あと、結局魚もどきは飼えたよねってお話。



欲望駄々漏れでさぞ読みにくかったことでしょう。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] おっさん、すてき。 違う視点から、読んでみたいです。もう、書きませんか?
[一言] このお話が大好きでもう何度も読み返しています。 おっさん視点も読みたいなとか、フィンのみた夢はどんな内容だったのかなとか、その後はどうなったのかなとか色んな事を考えてしまいます(笑) た…
[良い点] おっさんってそういうことですか! [一言]  すっかり騙されてしまうストーリー。  タイトルの引き込み方がハンパなかったです。  そういうセンス……憧れますな。
2013/11/03 11:24 退会済み
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