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重い沈黙を破ったのは、尊の携帯の着信音だった。
『受信メール 1件』
「……麻衣からだ」
首をかしげる如月に「妹だ」と説明しながら、尊はメールを開いた。
『タケル、いまどこにいるの?
急に出ていったから、びっくりしたんだけど。
とりあえず、家に帰ってきてれない?
お父さんがさっき帰ってきたんだけどさあ、
タケルはどこにいるんだってうるさくて、ウザいの。』
――お父さんも死んでくれたら、静かになるのに。
最後の一文を見て、尊は愕然とした。足元で潰れているピンク色の携帯に目をやる。
匿名だろうが、掲示板だろうが、ブログだろうが、文章にしてしまったら『それ』は効果を発揮する。
――お父さんも死んでくれたら
「如月、悪い。俺、家に帰らねえと……!」
尊の様子を見て、如月も何かを察したらしい。
「わ、わたしも一緒に行っちゃダメですか?」
おろおろしながらも立ち上がった彼女に、尊は「駄目だ」と言いたかった。恐らく、いまさら家に帰ったところで、父親を救うことはできない。惨たらしい死体を如月に見せつけることになるし、駅前から家まで走って帰ろうとしている尊にとって、如月は邪魔だった。
だが、彼女は今のところ、尊が唯一知っている『まともな人間』だ。人の死に恐怖し、安易にその言葉を口にしない、唯一の。
そんな女の子をここで一人きりにするのも、気が引ける。
「――分かった。俺についてきてくれ。なるべく急ぎたい」
尊は如月に気を遣いつつも、走りだした。
走りだしてから気付いたが、如月には気を遣う必要がなかった。彼女は、駅前から尊の自宅までの一キロほどある道のりを、尊の全力疾走とほぼ変わらないスピードで走りきった。
家の周りは、いやに静かだった。騒がしい住宅街というのもどうかと思うが、この世界での静寂はやけに不気味だ。尊は門扉をあけながら、自分の家を見上げた。青みががったグレーの外壁に、黒の屋根。ベランダには洗濯物が干されたままになっている。
「……如月も中に入れよ。外、寒いし」
「でも……」
「いいから入れ」
困惑している如月を半ば強引に、家の中に押し込む。幸い、玄関先に父親の死体が……ということはなかった。尊はため息をつくと、
「――ここでちょっと待っててくれ」
そう言って、一人で靴を脱いだ。如月を玄関に残したまま、尊はリビングに足を踏み入れる。そして、
「やっぱり……」
父親の死体を、発見した。
首の千切れた母親のすぐそばに倒れている父親には、両手首がなかった。そこから流れ出している大量の血液が、フローリングの溝を伝って、部屋中に血のにおいをまき散らしている。
「あ、タケル。おかえりー」
そんな匂いも死体もお構いなしといった様子で、麻衣が笑った。
「ねーねー、玄関にいる可愛い子、だれ? まさか彼女?」
「…………」
「うっそ!! タケルと付き合うとか、どんだけゲテモノ好きなの!!」
楽しそうに笑う麻衣を、尊は睨む。
「――お前」
「ん?」
「お前が、親父を殺したんだぞ」
「はあ?」
「お前が、死んでくれたらなんて言うから、親父は……!!」
激昂する尊に、麻衣は呆れたと言わんばかりの表情を作る。
「タケル、本当にどうしちゃったの? 死ぬはずじゃないじゃん」
「……ああ?」
「そんな言葉で、人が死ぬはずないじゃない」
……本当に、こいつらには自覚がないのか?
自分の言葉で人が死んだという、自覚が。
尊は無言で、麻衣の目を睨み続ける。麻衣は、尊のどす黒いブレザーに目をやって、「うげっ」と声を出した。
「タケル、いくらなんでもその恰好はどうかと思うよ。とりあえず着替えたら? 血まみれの服を着るのが趣味なのかと思われちゃうよ? 彼女にさ」
麻衣の言葉を最後まで聞かず、尊はリビングを後にした。
玄関で待っている如月に、「ごめん、着替えてくる」とだけ言い残し自室へと向かう。如月は不安げに尊の顔を見ていたが、何も言わなかった。
「……自覚がないんだねえ」
少年は、笑った。
「まだ、思いだせないんだね。これでも結構ヒントをあげてるつもりなんだけど。――もう少し分かりやすくしたら、思い出してくれるかな?」
少年は、地面に、――世界に手をかざす。
「……世界を作り変えようか。もう少し、思い出しやすいように」
創世主はそう言ってから、思い出したように呟いた。
「そういえば、カウントするのを忘れてたな。――面倒だから、今回は一つだけでいいや」
新しい世界を創りながら、少年は記録する。
「犠牲者その七。中年男性。両手首切断による失血性ショック。彼を殺した言葉は、――死んでくれたら、でした」
少年は地面に手をかざすのを辞めると、微笑んだ。
「さあ、楽しいゲームの再開だ。次のステージは――――」