7
オレンジ色の看板が煌々としている牛丼屋の前で、尊と如月は途方に暮れていた。二人が出会ってから、一時間ほどが経過していた。
「どうすりゃいいんだよ……」
牛丼屋の中を覗きながら、尊は声を出した。冷たい北風が、二人の間を吹き抜ける。空腹感もあるし、普段なら迷わず牛丼屋に入るところだ。だが今は、肉を食べる気にはなれなかった。
この一時間で、七人もの人間が目の前で死んだ。
尊は唇を噛む。目の前で、人が死ぬ光景。それはやはり、慣れるようなものではなかった。
元の世界に戻る、あるいは戻すには、どうすればいいのか。二人はその方法を探しまわった。しかし、ヒントのようなものは何も見つからない。見つかるのは死体ばかりだ。――闇雲に探しまわったところで、そんな方法が簡単に見つかるわけがないのは、覚悟していたが。
「くそっ!」
尊は牛丼屋の近くにあった青色のゴミ箱を、思い切り蹴り飛ばした。思った以上に大きな音を立てて転がったゴミ箱と、
「や、やめてください尊さん!」
思った以上に大きく反応した如月に、尊は眉根を寄せた。如月はおどおどと周りを見渡した後、尊に耳打ちした。
「あまり目立たないでください。もしも、悪口でも言われたら……」
――死ねとでも、言われたら。
尊はガリガリと頭を掻き、黙りこんだ。牛丼屋の前を歩く人々が、尊の方を見ているのが分かる。
死ねも殺すも、今までなんの躊躇いもなく使っていた言葉だったはずだ。それなのに。
「――……くそっ!」
尊の声に、如月がびくりと肩を震わせる。その様子を横目で見て、尊は我に返った。
……そうだ。今なら、俺が如月を殺すことも、如月が俺を殺すことも簡単なんだよな。
「……怖がらせたな。大丈夫だ、俺は言わないから」
『何を』言わないと言っているのか、如月も理解したようだった。小さく頷き、ため息をつく。そして、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「言わないように、そして言われないようにすればきっと大丈夫だと思います。だからこの世界ではなるべく、他者との接触は避けて――」
ぴちゃりと音を立てて、如月の白い頬に赤い血が飛んだ。それは如月の血ではなく、……如月の側を通り過ぎようとしていた、女性のものだった。
如月は血の飛んできた方向を見て、
「……っ!!」
声にならない声で、叫んだ。
如月の隣にいた女性は、目や鼻から血を噴き出していた。脈拍に合わせて出てくる血を、自身で必死に止めようとしている。だがそんな行為も虚しく、あっという間に女性の身体は痙攣し始め、そして倒れた。
状況を理解できない尊は、周囲を見渡した。――この女性が、誰かに何かを言われていた覚えも、喧嘩していた覚えもない。
すぐそばで凄惨な光景を見た如月が、その場にしゃがみこんだ。
「如月。――……大丈夫、か」
大丈夫だというはずがない。大丈夫かと尋ねた尊も、力が抜けそうだった。
しゃがみこんだ如月は、自分の足元にあったピンク色の携帯に手を伸ばした。死んだ女性の持ち物らしい。血のついている部分に触れないよう注意しながら、如月は携帯を自分の方へと引き寄せた。
開きっぱなしだった携帯のディスプレイを見て、如月の顔から血の気が引いた。
「尊さん。これ……」
彼女は震える手で、女性の携帯を、尊の方に差し出してきた。
携帯のディスプレイには、某大型掲示板が映し出されていた。トップには、『最低なブログを晒すスレ』と書かれている。その下には様々なブログのURLが貼り付けられており、
『このブロガーまじ嫌い。はよ死ね』
『またこいつかwww うっぜwww 死にたいなら死ね』
『社会のゴミ こういうやつこそ死ぬべきだよね』
そういったコメントが、URLの下に書かれていた。
「……!!」
尊は血の付いた携帯を操作する。自分の勘が正しければ、――いや、外れていてくれと願いながら。
だが、尊の勘は正しかった。
目の前で死んだ女性は、ブログを書いていた。そしてそのブログのURLは、例の掲示板に晒されている。URLの下に書かれているコメントは、
『こいつも大概にしろって感じ。リアルで見たら殺したくなるわ こういう奴』
――殺したくなる。この言葉のせいで、彼女は死んだ。
「……口にするだけじゃなくて、文章にするのも駄目ってことなのか? ブログもこの掲示板も、匿名だってのに……!」
携帯を地面に叩きつけたい気持ちをこらえて、尊は声を出した。如月は頭を抱えたまま、肩を震わせている。尊はその様子を見て、自分の勘が外れていることを再度願った。
「……如月。お前、ブログとかやってない……よな」
尊の問いかけに、如月は首を振る。
「――……やってます」
尊は目を見開いた。如月は俯いたまま、震え続けている。
「コメントは、受け付けないようにしてます。メッセージも受信拒否して。だから、中傷コメントを貰ったことはありません。……けど、そういう掲示板で晒されてたら、もしかしたら」
「――……お」
お前のブログは大丈夫だろ、などと言っても何のなぐさめにもならない。
「――くそが!」
尊は今度こそ、女性の携帯を地面に叩きつけた。




