3
弟の秀に似ている、と思った覚えがある。鈍くさくて、いつもおどおどしていて、それが何故だか癇に障った。
誰が言い出したのかは覚えていない。
誰がやりだしたのかも、覚えていない。
だが。
「――思い出した」
尊は、ボロボロの机に手を当てながら呟いた。
「このクラスには、いじめがあった。クラス全員で、一人の奴をいじめてたんだ」
楽しそうに笑う本田たちの声が、教室中に響き渡った。
「……いじめ?」
如月が眉をひそめる。尊は頷き、続けた。
「一人だけ、――この席の奴だけを対象にして、クラス全員で」
「それは、どういう……」
「殴ったり蹴ったり、そいつの持ち物壊したり、…………くそっ、だめだ」
尊はため息をつきながら、自分の席に腰を下ろした。前かがみになり、額に手を当てる。
「思い出せたのはそこまでで、いじめられてた奴がどういう奴だったのか、さっぱり思い出せねえ」
「――その人、今はこのクラスにいないんですか」
如月が教室の中を見渡す。アイドルグループの話で盛り上がっている女子達、漫画の話をしている男女、賭け麻雀をしている本田たち……。少なくとも、この教室の中に、はじき出されている『異分子』はいないように見える。
「……いない、と思う」
そう。二年前のこの教室で、一つだけ欠けている物。
「――……尊さん」
「ああ」
如月の言いたいことを察して、尊は声を出した。ボロボロになった机を、こつこつと叩きながら。
「多分こいつが、今回の『現象』の原因だ」
授業開始を告げるチャイムが鳴ると同時に、尊は立ち上がった。そのまま教室を出ていこうとする尊に、本田が声をかける。
「あれ? 東郷、授業でねえの?」
「ああ。今日は、そのために学校に来たんじゃないんだ」
本田は麻雀牌を片付けながら、首をかしげた。彼の横には、千円札が何枚か置かれている。どうも、賭け麻雀には勝ったらしい。
「んじゃあお前は、何しに来たわけ」
不思議そうに尋ねてきた本田に、
「この世界の神様を、一発殴って差し上げようと思ってな」
尊は笑いかけると、わざと大きな音を立てて扉を閉めた。
「……どうするんですか、これから」
尊の後ろに続いていた如月が、蚊の鳴くような声で言った。声も、顔も、不安を隠しきれていない。……無理もない。自分の出身校に来ている尊とは違い、如月にとっては初めて来る場所なのだから。
「ちょっと思い出したことがあるんだよ」
尊は、デニムのポケットから携帯を取り出し、電波状態を確認した。アンテナは、二本立っている。
「その、いじめられてたやつさ。よく、図書室にいた気がするんだ」
「図書室って……」
「一階にある」
尊は下を指差しながら、笑った。一階を散策している時、図書室には鍵がかかっていたので、あとで来ようかと言っていたのだ。
尊は自分の携帯を開く。携帯の時刻と、学校の時刻は一致していた。現在、午前九時過ぎ。それを確認すると、尊は顔をあげた。
「図書室に、何かあるかもしれない。まだ鍵がかかってるようだったら、職員室で鍵を貰おう」
尊はそこで言葉を切ると俯き、頭を掻いた。
「――……あと、さ」
「はい?」
「如月、携帯持ってる?」
問われた如月は、一瞬ぽかんとしてから「あ、も、持ってます」と返事をした。
「よかったら、番号教えてくれないか? 俺はともかく、あんたが迷子になるかもしれないし。――なんかあったら、すぐに駆けつけるから」
それを聞いた如月は逡巡し、けれどもパーカーから携帯を取り出した。黒色の携帯は年季が入ってるのか、ところどころ塗装がはげていた。
赤外線送信で、お互いの番号を送信する。如月の登録データを確認してみると、名前の欄に「如月由梨」と表示された。
「――名前、ユリっていうのか」
尊が顔をあげると、苦虫を噛み潰したような顔をしている如月がそこにはいた。彼女は、自分の名前にコンプレックスでもあるのだろうか。
「……安心しろよ。如月って呼ぶから」
尊が苦笑すると、如月も笑った。彼女の笑い顔を、尊は初めて見た。
思った以上に、可愛かった。
「……行くか、図書室」
頭を掻きながら尊は前を向くと、さっさと歩きだした。後ろにいる如月に、その可愛さに、動揺している自分を見られたくなかったから。
「――ま、ぎりぎりセーフってところかな。『存在』は思い出してもらえたみたいだし?」
少年は笑う。
「だけど……覚悟しておきなよ? ――愛する者を失った時の、喪失感を」
少年は、面倒くさそうに頭を掻いた。
「さて。……次は図書室だね」




