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「よお、東郷! 今日は早いじゃん」
賭け麻雀をしている本田が、楽しそうな声で挨拶をしてきた。本田は中学の時から、賭け麻雀をしている。いつもならここに尊も加わるところだが、今日はそれどころではない。
本田は、中学の制服を着ていた。顔も、どことなく幼い感じがする。
「……二年前、か」
三年一組の教室の中で、尊はひとりごちた。
尊の通っていた中学校は、二年生と三年生の教室が二階に密集している。一年生の教室は、三階だ。三階にはその他に、音楽室やパソコン室、理科室がある。一階は、校舎のちょうど中央にあたる部分に下駄箱があり、入って左側に職員室と校長室、右側には保健室と美術室、図書室があった。
――尊の記憶通り、各教室はそれぞれの位置に『配置されて』いた。
一階を駆け足でざっと回ってみたが、これといって変わった部分はなかった。職員室では教師がのんきにコーヒーをすすっていたし、保健室の隣に備え付けられている緑色の公衆電話には、相変わらず『故障中』の紙が貼り付けられていたし、美術室には『夜中に勝手に目が動く』誰かの肖像画が壁に立てかけられていた。
「……見た感じ、普通の学校ですね」
あたりを見渡しながら、如月が声を出す。
「そりゃ、普通の中学だったからな」
尊は肩をすくめ、「二階に行こう」と声をかけた。麻衣と秀がどこへ消えたのかも気になるし、この学校が『何年前の』学校なのかも知りたかった。
職員室でコーヒーを飲んでいた教師は、尊たちが卒業するのと同時に退職したと聞いた覚えがある。つまりこの学校は、『現在の』中学校ではないはずだった。
「おーい東郷、どうしたんだよボケっとして。麻雀やらねえの?」
本田が訝しげな顔で、尊の方を見てきた。
「……今日は遠慮する」
「つーかお前、なんで私服なんだよ」
「色々、事情があってな」
「ふーん。肌寒くなったとはいえ、それは着込みすぎじゃねえのか? ――と、ポン!」
……肌寒くなった?
尊は眉をひそめた。自分の知っている世界では二月だったし、如月と初めて会ったバス停も、寒かった覚えがある。だが、本田に指摘されてみると、確かにこの教室は暑かった。
「今日って、何月何日だ?」
尊はジャケットを脱ぎながら、本田に尋ねた。本田は、麻雀に夢中になりつつあるらしい。
「黒板に書いてるだろ、寝ぼけてんのかよ」
そう早口で答えると、「よっしゃきたこれ!!」と叫んだ。尊は本田の麻雀を無視して、黒板を見る。
「――……十月、十五日」
声を出したのは、如月の方だった。尊は、後ろで居心地悪そうに立っていた彼女の方に目を向ける。如月は、尊の方を見上げていた。
「二年前の、十月十五日。何かありましたか」
「…………いや」
尊は腕を組み、首を振った。
「さすがに、日付だけ言われても思い出せねえな。……如月は?」
「わたしも、なにも……」
「だよな」
尊はため息をつき、黒板の横に貼りつけられている座席票を見た。月に一度の席替えは、生徒の間では重大なイベントだった。好きな子の隣に座れたとか、離れたくないとか。今思えば、どうでもいいことで盛り上がっていたものだと思う。
「俺の席はー……窓際の、後ろから二番目だな」
尊の席は後ろから二番目だが、最後尾の席は空白になっていた。机はあるが、誰も座っていないということらしい。事実上、尊が一番後ろの席だということになる。
「あの席か」
尊は声に出して確認すると、自分の席へと向かった。如月も、そのあとに続く。
尊の席には、何も置かれていなかった。基本的に授業中は寝ていたので、教科書を机に隠すような真似もしていなかった。尊は自分の席に座ろうとして、――すぐ後ろの席、つまり窓際の最後尾の席に、気付いた。
「――尊さん、これ……」
同じものに気がついた如月が、口に手を当て絶句した。
最後尾の席には、油性のマジックペンで様々な落書きがされていた。『死ね』『消えろ』『ゴミ』……。コンパスの針で削ったのか、カッターで傷つけたのかは知らないが、机はボロボロに傷んでいる。机の中には、これでもかと言わんばかりにゴミが詰め込まれていた。
そう、それは明らかに。
「この席……」
尊は、思い出す。そうだ、このクラスは、確か……。
賭け麻雀に夢中になっている本田に、尊は再度話かけた。
「おい、本田!」
「ああ!? なんだよ、今忙しいんだけど!」
「俺の後ろの席ってさ、誰が座ってたっけ?」
「はああ?」
本田は面白そうな声を出し、肩をすくめた。
「何言ってんだ。お前が、窓際の一番後ろの席だっつうの」
尊も如月も、目を見開いた。そしてもう一度、後ろにあるボロボロの机を確認した。――それは確かに、そこにあるのに。
重要なヒントだと、少年は笑った。
これでも何一つ思い出せないようなら、すぐにゲームオーバーにしてやってもいい。
ゲームオーバー。そう、それはこの世界では簡単なことだ。
「死ね」と言うだけで、いいのだから。




