紅の必要
まだ師走じゃねえのにこの忙しさはなんだ、何で今年赴任されたばかりの俺がこんな残業ばかりしなきゃいけないんだ、ミドリの奴も先に帰りやがって、ってかこんなイライラしてる時に何でミドリの事を思い出さなきゃいけない。
この学校に赴任してからパソコンを打つ速度が速まった、悔しい成果だよ、本当に嫌になる。
やっと終わったのが9時、まだ今日は早い方だ、俺はタバコを吸いながら下駄箱に向かった。
下駄箱にはまだ女子生徒がいる、最近はミドリがいない時はコイツがいるのが定番になった。
「矢野、また帰ってないのか?」
「いや、それは………」
「親は心配してないのか?」
「それは………」
「帰るぞ、俺の車に乗れ」
本当にいつも遅くまで飽きずにいるよな、ってかコイツは何で待ってるんだ?まぁ聞くのは野暮かもしれないから聞かないけど、教師としては送るのだけでも困る。
俺は矢野を車に乗せるとエンジンをかけ、新しいタバコに火を付ける、最近寒くなってきたけど窓を開けないわけにはいかない。
窓を開けると冷たい風が車内に入ってくる、そしてそれで身震いする矢野。
「寒いならこれ着ろ」
俺は着ていたジャケットを渡し、そのまま発進させた。
「でも先生が寒いですよ」
「知らん、早く着ろ」
こんなところで風邪をひかれたら困る、受験生なんだから教師として体を労るのは当然だしな。
今日は金曜というのもあって道が混んでる、国道通って帰ろうとしたんだが、それが見事に裏目にでやがった、本当に最悪だ。
「矢野、お前受験生なんだから早く帰れ」
「いつも学校で勉強してて遅くなっちゃうんです」
「いつも夜遅くまでか?」
「は、はい」
コイツは何で嘘を吐いてる、目が泳いでるしそんなバレバレの嘘が通用すると思ってるのか?俺も甘くみられたもんだ。
動かない車の群れに苛ついてる時、ポケットに入ってる携帯が鳴り始めた、エンジン音がうるさい車だから案外小さく聞こえる。
「もしもし」
「コウ、今学校か?」
「ミドリか、そんなわけ無いだろ」
「学校に手帳を忘れたんだ」
「それは良かった」
「馬鹿!今から迎えに来い!……プッ」
切りやがった、こんだけ短い上に一方的、本当にミドリって女は俺には理解出来ない、嫌いなタイプの第1位独走中だな。
俺は携帯を折り畳んでポケットに入れた、矢野は隣で何故か凹み気味で俺の事を見てる。
「ミドリちゃんですか?」
「そうだ」
「コレからデートですか?」
「笑わせるな、俺がアイツとプライベートで好んで会うわけないだろ」
「でもミドリって呼んでましたよ」
俺は同様してアクセルを踏み込み過ぎた、ガクンと車体が揺れて俺の同様を代弁してくれたらしい。
完璧に忘れてた、隣に矢野がいる事を頭に入れて話すべきだったな、一度デートを見られてるだけに手痛い失態だ。
「確かにそう呼んだが、生徒が喜ぶような関係では無い」
「信じて良いんですか?」
「あぁ」
「それなら私にも可能性があるんですね?」
俺は赤信号の停止で停まろうとしてブレーキを踏んだが、クラッチを踏み忘れてエンストした、調子乗って外車にするんじゃなかったな、今度はオートマを買う事にしよう。
「無くはない、ただし―――」
「私好きです!」
はぁ、このセリフに慣れた自分を初めて便利に思ったよ、コレだけは何も表に出さずに聞けた。
「俺も教師として本望だよ」
「違います、潤間先生の事を男性として好きです」
人気があるのは知ってだが直接言われたのは初めてだ、悪いもんじゃないけど、良いもんでもない。
「私、潤間先生と特別な関係になりたいです」
「生徒と教師だぞ、有り得ない」
「だから、私が卒業してからじゃダメですか?」
そうきたか、確かに卒業してからならなんら問題はない、でも、俺が矢野を受け入れられるかどうかは別だ、やっぱりそれも有り得ない。
「俺はそういう感情を矢野には抱けない、悪いが応えられない」
「やっぱりミドリちゃんなんですね?」
「それはない」
「でも、ミドリちゃんといる時の潤間先生は楽しそうでした」
楽しそうか、確かに女といるのにミドリは楽しい、だがそれとこれとは全く別だ、好きかと言われたらノーだ。
「それは友達としてだ」
「それだけでも羨ましいです、………あ、家はココです」
俺は車を停めた、矢野は悲しそうな顔で車から降りた、軽く屈んで俺の事を見る。
「潤間先生が私の初恋でした」
矢野は笑ってドアを閉めた、初恋か、俺の初恋はいつなんだ?そもそも俺は他人興味を抱いた事があるのか?
何で、何で俺は他人に興味を持てないんだ、ハヤはいるのが当たり前、チカは妹だ、他には、他に俺の周りにいる奴は……………ミドリ?ミドリに興味か、無いと言ったら嘘になるかもな、俺って煩わしい生き物だよ。
ミドリの家の前に行き、携帯に電話するとすぐに来た、ミドリは何の躊躇もなく車に乗り、俺の顔を見て笑う。
俺と言ったらさっきの事で上の空、他人を好きになるという意味をこんなに深く考えた事はない。
「どうした?早く出せよ」
「ミドリ、人を好きになるって、どんなんだ?」
「な、何だよいきなり?」
やっぱり動揺してるミドリ、俺がコレだけ悩んでる事自体が珍しいのに、それが哲学者みたいな悩みなんて、本当にどうかしてるよ。
「俺っておかしいよな?」
「今更気付いたのか?」
「あぁ」
「どうしたんだ?今日のコウはおかしいぞ」
「告白されたんだよ」
ミドリは更に動揺してる、何で生徒に今更気付かされなきゃいけない、俺がどれだけちっぽけな人間だか、今になって知るなんて。
「誰に告白されたんだ?」
「矢野だ、生徒の矢野」
「そうなんだ………」
「断ったけど、俺は人を好きになった事がないから分からないんだ、何で俺なんかを好きになるのか、何で特定の人物と一緒にいたくなるのかがな」
「コウにはいなくなって困る人はいないのか?」
いなくなって困る人?別に今の俺にはそんな人はいない、今はハヤとはたまにしか会わないから必要とは言えない、チカだって必要なわけじゃない、ただ保護者としての責任を果たしてるだけだ。
じゃあ隣にいるミドリは?コイツの必要は顧問としてだ、精神的には困らない。
本当にミドリは必要無いのか?毎日のように会ってたのはハヤだけだが、勝手に着いてきただけ、そしてミドリも勝手に着いてきただけだ。
「俺は一人で大丈夫だ」
「本当に?ハヤさんが四色さんに取られても、潤間さんが四色に取られてもか?」
ちょっと待て!何で俺の周りにはこうも四色の名が付く奴を好きになるんだ?有り得ない、四色は呪われた一族だ。
「別に、それはアイツらの自由だろ」
「そうか、じゃあ私がお見合い受けても何とも思わないのか?」
ミドリが見合い?まだそんな事するような歳じゃない、でもしたからといって馬鹿にするような歳でもない。
だがそれはミドリと誰かが結婚を視野に入れて付き合うということだ、そんなのミドリに勝手だが、………………何だこの胸のざわつきは?
「好きにしろ」
「相手はIT会社の若社長らしい、将来有望だぞ?」
将来を見てる女なら食い付かないはずの無い話だな、だがコイツ結婚に焦ってるようにも見えないし、金に目がくらむような女でもない。
それ以前に何で俺はミドリの事で悩んでるんだ?さっきから分かってるだろ、コイツの人生に口出す権利俺には無い。
「でも結婚するなら社長より、公務員の方が良いんじゃないのか?」
「それはコウの事を言ってるのか?」
「違う、ただミドリのタメを思って言っただけだ」
「コウが私のタメを思ってねぇ」
何だその目は、その悦に浸った目は?俺がミドリに助言したらいけないのか、……………助言?もしかして俺、他人のタメを思って何かを言ったのは初めてかもしれない。
「コウがそこまで言ってくれるならお見合いは受けないよ」
「ミドリが決める事だろ」
「だってコウが言ってくれたんだから、珍しい言葉は大事に受け取らないと」
それで何安心してるんだよ俺は、ミドリは本当に良いのか?確かにIT関係はピンキリだ、でも若社長って事はそれなりに能力がある、そんなのを本当に捨てても良いのか?
「こんだけおいしい話は無いぞ」
「別に良いんだよ、今の仕事を辞めたくないし、コウのストッパーも必要だろ」
「じゃあしっかりストッパーになってくれよ」
俺は車を急発進させた、ミドリはシートベルトを思いっきり握りながら、もっとゆっくりと叫んでる。
柄にもテンションが上がってる俺には届かない、ミドリのせいで俺は日々退化してる、本当にミドリに感化されすぎだ。
俺には必要な人間がいない、でも、ミドリだけは許せる、ミドリのお陰で俺の何かが変わっている、ミドリは俺にとってどういう存在なんだ?