紅翠の休日
私の家にあんまり食材が無いからスーパーに向かった、もう買い物しすぎてすぐにでも帰りたいんだけど、コウを見返さなきゃいけないからな、頑張って私の料理の腕を見せ付けてやる。
私の家の近くの大型スーパーに行った、この時間帯は高年齢層しかいないからもう他の女の目も気にしなくて良い。
コウがカートを引きながら私が食材を選ぶ、でも何を作れば良いんだろう、いつも有り合わせで作ってるんだけど、今日はダメだよな?
「コウ、何が食べたい?」
「美味いもの」
アバウト過ぎ、まぁコウらしいんだけど、困ったなぁ、コウの好きなものでも分かれば良いんだけど、コウなら何でも食べそうだし。
「好きなものとかは?」
「基本的に何でも好きだ」
やっぱり、何を作っても食べてくれるのは嬉しいけど、何を作れば良いか分からない、せめて嫌いなものがあれば話は別なんだけどな。
「ハンバーグが食いてぇ」
「はい?」
「ハンバーグが食いてぇ、チカは挽き肉系が苦手だから家じゃ食べない」
決定!今日はハンバーグ、コレはコウなりに気を使ってくれたんだよね?それに家では潤間さんに全部作らしてるんだ、潤間さんもしっかりしてるな。
私は迷わず挽き肉売り場に行った、奇跡的にも私はハンバーグだけは人並み以上に作れる、私が好きというのもあって一人暮らしをしてから頻繁に作ってたからだ。
挽き肉を買い終えて、さっき通りすぎた野菜売り場に行く途中、まだ歩けるようになったばかりの子供が床に座って泣いてる、その光景を見る限り、私でもその子が迷子だって分かる。
コウはカートを私に任して子供に近寄った、子供とか嫌いだと思ってたのにな。
「ガキ、迷子か?」
言葉遣いは悪いまんまなんだ、コウは泣き止まず、何も答えない子供を軽々と持ち上げると片腕で抱いた。
「ミドリ、コイツの親を捜すから一人で買い物しててくれるか?」
「私も行くよ」
「分かった」
私はカートを押しながらコウの隣に行った、子供は自然と泣き止み辺りを見回してる。
子供を抱いてるコウを見てると本当の父親みたい、……………って事は私は母親!?コウのDNAを受け継いだ子供って可愛げなんて無いんだろうな。
「ガキ、母親の特徴は?」
「きれい!」
自分の子供に綺麗なんて言ってもらえるなんて、羨ましい母親だな、私もそういう母親になれるかな?
「おじちゃんとおばちゃんは‘けっこん’してるの?」
私とコウはビクッと肩が震えた、こんな小さい子供でもそんな単語を知ってるんだな、子供の脳内だけでもコウと繋れた事が少し嬉しかったりする。
「ガキ、俺は‘おじちゃん’って呼ばれるような歳じゃない、‘お兄さん’と呼べ」
何だ、コウが引っ掛かったのはそっちか、子供だからそれくらいは良いと思うんだけど、コウって案外小さいんだな。
「子供だから許してやれよ」
「甘い、ガキの頃から甘やかすからクズが出来るんだ、ガキだからといって俺は妥協しない」
妥協とは違うと思うんだけどな、それに自分の息子ならまだしも、他人の息子に説教するなんてただのうるさいおじさんじゃん。
「自分の子供ならまだしも知らない人の子供だぞ」
「知らん、俺が目を付ければ自分の子だろうが他人の子だろうが注意する」
正義感というかなんというか、そういうところは人一倍強いんだよな、それが無かったらただ口が悪い人。
私はそんなコウの時々見せる真っ直ぐなところに惹かれたのかな?自己チューだと思ってたのも信念を貫く事なのかもしれない、そう思えばコウがもっと良い奴に見える。
「ガキ、分かったか?‘おに―――」
「ナオキ!」
コウが子供の説教を再開しようとした時、心配を顔一面に張り付けたような若い女の人が走って来た。
「ママ!」
子供はコウの腕から身を乗り出そうとしたけど、コウが押さえたお陰でコウの腕から落ちずに済んだ。
コウが子供をゆっくり下ろすと、子供は走って母親と思われる女性の方に走って行った。
確かに母親は綺麗だな、若いし、羨ましい、私と同じくらいなのに凄くしっかりして見える、母親の貫禄ってやつ?
「本当にありがとうございま―――」
母親は深々と頭を下げ、頭を上げてコウの顔を見ると固まった。
「潤間君?潤間君だよね?」
コウの頭にはクエスチョンマークが浮かんでる、コウって人の事覚えるの苦手そう、特に女の人とかは煙たがってたし。
「私だよ、高校で3年間一緒だった金井、覚えてない?」
「……………あぁ、3年間で俺に14回も告白したあの金井か」
うわぁ、コウの人の覚え方も残酷だな、私は『俺のファーストキスを無理矢理奪ったミドリ』にならないように頑張ろう。
金井さんは少し落ち込んでる、そりゃそうだよ、思い出すきっかけが恥ずかしい過去なんだもん、それにコウのモテ自慢もさりげなく入ってるし。
「そちらは彼女さん?」
「同い歳の上司だ」
「初めまして、三芝翠です」
私は一応自己紹介をしておいた、本当は友達くらいに昇格してほしかったけど、コウだからしょうがないよな、『有り得ない』とかよりはましだし。
「潤間君って何の仕事やってるの?」
「高校教師だ」
「先生!?」
金井さんは天地が引っくり返ったくらいビックリしてる、私的にはかなり天職だと思ってるんだけど、もしかしてコウに何か過去が?
「あの潤間君が先生………」
「あのぉ、コウってそんなに酷かったんですか?」
「こここ、コウ!?」
金井さんって驚きやすい体質なのかな?さっきから驚いてばっかりじゃん、子供もその度に驚いてるし。
「潤間君の事を下の名前で呼び捨てにしてる」
「本人がそうしろって言ったからなんですけど、それって奇跡なんですか?」
「奇跡も奇跡、太陽爆発よりもショックウェーブですよ!」
コウの過去ってどんなだよ?本人は呆れて関わらないようにしてるし、まぁコウだからかなりキツイ事やってたんだろうな。
「高校時代ってどんなだったんですか?」
「殺戮ベビーフェイスと呼ばれて―――」
既にベビーフェイスじゃないじゃん、かなり悪役なんですけど、まぁコウだから何かあるはずだ、そう言われる由縁が。
「悪い事した人になりふり構わず喧嘩を売っていったんです、駅でたむろしてる学生や、カツアゲ、うるさい不良や、若い女の人に絡む酔っ払いに至るまでですよ―――」
やっぱりコウらしいや、でも喧嘩ってのが今とは違うんだな、話を聞く限りだと確かに殺戮ベビーフェイスだし。
「女の子の告白なんて呼び出されて、指定の時間になる前に教室まで断りに行くので有名だし、馴れ馴れしくされるのが嫌いだから、下の名前で呼んだ日には集中治療室行きとまで言われたくらい、唯一下の名前で呼んでたのが、今や有名人になった蘭君だけですよ、そりゃホモ疑惑の一つや二つは出ますよ―――」
何か凄まじい高校時代だったんだな、確かにそれが教師になるなんて太陽爆発も霞むよ。
「でも私は思ったんですよ!もしかして潤間君は寂しいからそういう事をやってるんじゃないかと―――」
それはない、コウは例え地球上に一人になったとしても、肉体的にも精神的にも一人で生きていける男だ。
「だから私がその寂しさを癒そうと、何度も告白したけどダメだったんですよね、14回ってのは、潤間君は本当に一人が好きだって気付くまでの回数なんですよね―――」
随分かかったんだな、でもそうなるとコウは何でこんなにまで私に付き合ってくれるんだ?単なる暇つぶしだとしても、コウみたいな性格なら一人の方が良いとか言いそうだし、コウの考えてる事を考えようとしても無理だよな、宇宙よりも分からない事が多い男なんだから。
「でもでも!唯一の進歩が私が一緒にいても怒らなくなった事なんですよ、潤間君は蘭君以外は絶対に近寄らせなかったのに、私が一緒にいても怒らなくなったんです、それって進歩ですよね!?」
「話を聞く限りでは進歩ですね」
「でも私は三芝さんが羨ましいです、今はダーリンがいるから変な意味じゃないですよ!」
本当にテンション高い人だな、多分コウはこういう底無しの明るさに惹かれるのかも、私には無理だな、すぐに凹むしマイナス思考だし。
「潤間君がここまで心を許すなんて―――」
金井さんは私の耳元に口を近付けた、そして私にしか聞こえないような小さな声で喋る。
「潤間君は気付いて無いけど、三芝さんの事を必要としてると思います、今までは蘭君にしか出来なかったけど、もしも潤間君が弱いところを見せたらちゃんとサポートしてあげて下さい、彼、ああ見えて凄く繊細ですから」
私に惹かれてる?コウが繊細?でも3年間も友達だった人がそう言うんだから確かなのかもしれないけど、まったくもって信じられない。
「終わったか?」
「ゴメンね潤間君、デートの邪魔しちゃって」
「コレはデートなのか?」
「私に聞かれても困る、コウで判断しろ」
「私は帰るね、………潤間君、人の心に不変の真理なんて無いんだからね」
金井さんは子供の手を引いて帰って行った、それより‘不変の真理’って何?どこかで聞いた事があるんだけど、何だかすっかり忘れた。
「コウ、不変の真理って何だ?」
「太陽は昇る、時は流れる、みたいに決して変わる事の無い事だ、英語の用語だよ、ミドリは学校で何をしてた?」
やっぱり一言多い、それより、金井さんが言いたかったのは『変わらない人の心はない』って事?随分難しい事を言うんだな。
「金井さんって意外に頭良いんだな」
「あれは俺の受け売りだ」
嘘?あれはコウが言った事なの?でも今考えればコウらしいかも。
食材を買った俺とミドリはミドリの家にあがった、ミドリすぐに着替えてエプロンを着けてキッチンに立つ、俺には待つことしか出来ないからソファーに座り、テレビのスイッチを入れた。
あの時金井が言った『人の心に不変の真理はない』、あの言葉をまだ覚えてたのか。
あの言葉は金井が幼馴染みに告白されて、俺と幼馴染みと俺の間で揺れてた時だったな、人として金井の事は好きだったが、女としては見てなかった。
でも幼馴染みは金井の事を好いてくれる、まだ俺の事を好きだった金井に……
『相手が明日まで金井の事を好きとは限らない、人の心に不変の真理なんて無い、逃がした魚は大きかったじゃ笑えないだろ?』
って言ったんだっけ?我ながら臭いセリフだったな、でもそれで金井は今の幸せな生活に礎を作った、たまには臭いセリフも言ってみるもんだな。
でも金井は何であの時あの言葉を言ったんだ?もう金井は俺の事を好きじゃないとか?そんなの分かりきってる事だろ、……………女の心は分からねぇ。
「コウ!出来たぞ!」
後ろを向くとテーブルの上に夕飯の支度が出来てた、俺はテレビを消してミドリの前に座る。
学校でミドリが作ったのより美味そうだ。
「何考えてたんだ?」
「過去の事だ」
「ベビーフェイス時代のか?」
「馬鹿言え、………いただきます」
まずは味噌汁から、やっぱり味噌汁って人によって違うな。
「どうだ?」
「ん?美味いよ」
ミドリの顔がいつになく笑顔になる、次にデミグラスソースのハンバーグに手を付ける、軽く箸で切ると中から黄色い何かが出てきた、俺は気にせずに口に運ぶ。
「……………うま」
ボソッと出た一言、中の黄色いのはチーズ、デミグラスソースもかなりの絶品だしチーズでかなりまろやかになってる。
「そのソース私が作ったんだ」
「本当か?凄く美味い」
ミドリは満面の笑みで俺が食うのを見てる、自分の食事には一切てを付けずに、変な光景だな。
「何で食わないんだ?」
「いや、そのぉ………」
「まぁ良い、たまには食いに来て良いか?」
「はい?」
「だから、たまにはこのハンバーグを食いに来て良いか?ハンバーグだけじゃなくて、他の肉団子系も」
「も、もちろん!」
チカに見習わせたいな、こんな美味いのが毎日食えたら家に帰る意味もある、ミドリと結婚すれば早い話だが、それは有り得ないな。
「コウ、コウは今幸せか?」
「何だ急に?」
「私は幸せ、私の料理を美味いって言って食べてくれる人がいるから」
「俺もだな、これだけ美味い飯にありつけて幸せだ」
何故だかミドリといると安心出来る、それが仕事仲間なのかミドリの人柄なのかは分からないけど、この安心感、悪くないな。
食べ終り、ソファーに座った時に疲れが襲ってきた、多分安心しすぎて忘れてた疲れだろう。
俺は軽く横になると、意識が朦朧としはじめ、徐々瞼が………………。
洗い物が終わり、コウの方に行くとコウはソファーで眠ってた、私は眼鏡を破らないように外し、テーブルの上に置いた。
そういえばこうの裸眼も初めて見るかも、眼鏡越しとはちがって柔らかくて優しい。
私はソファーの隣に腰を下ろし、コウの顔を眺めた、その口は私が作ったハンバーグを美味しいって言ってくれた、その鋭い目は呆れながらも優しく私を見てくれる、スッと通った鼻は私の匂いを覚えてるはず、全てが私だけを求めてくれれば良い、でもコウに私の心は届くかは分からない、それでも私はコウが好き。
私は軽く身を乗り出すと、コウの唇に私の唇を近付けた、こうやって寝てる間だけしか出来ない、私達はまだ仕事での関係でしかないから、形が整った私しか知らない唇、でも了解の上でのキスじゃない、私の一方的なキス、また私はそのキスを繰り返そうとしてる。
「う、………んん」
私が慌てて顔を離すと、コウは寝返りを打った、キスをし損ねた。
私は諦めて、コウの顔を眺めてる事にした、男のクセにこんだけ近くで見ても綺麗な顔、なんだかムカつく、これだけ綺麗な顔してたら、そりゃ教師になってもモテるよ。
私はコウの顔をジッと見てたら、何だかうとうとしてきて………………。
俺はいつの間にかソファーの上で寝てたらしい、時計を見たら既に深夜の2時になっていた、そしてミドリがこっちを見ながら寝ている。
ミドリの悲しそうな寝顔を見てると、俺が寝たことに罪悪感を感じた、確かに食うだけ食って寝たからな、何も付き合ってやれなかった。
俺は眠ってるミドリを起こさないように抱き上げた、そのままミドリを寝室まで運ぶと、ベッドに寝かせた。
俺は帰ろうとしてリビングに戻ったけど、激しい睡魔が襲ってきた、覚醒しきって無い頭を使ったが動かない、仕方なくミドリの家に泊まる事にした、事故るよりはましとの打算だ。
何でミドリといると落ち着くんだ?正直男勝りでうるさくてしつこいあの女が、俺に心の安らぎをくれる、不思議な女だな。