翠の休日
私と四色さんは口が開いたまま塞がらない、今や女性でその名前を知らない人はいないくらいの有名人、あの‘蘭葉夜’の口から出た一言、間違いなくそれはコウのイメージを大きく崩すもの、コウは童貞、外見や中身とは違い子供。
コウは物凄い形相になって蘭葉夜を睨んでる、蘭葉夜は見ないようにしてるけど、そのオーラに顔から冷や汗が出てる。
「死にたいか?」
「ぶ、物騒な事言うなよ、ほ、ほら、口が滑ったって事もあるだろ?」
「それよりコウ、蘭葉夜が言う事は本当なのか?」
私はその時優越感に浸ってた、コウから一本取った事、そして、コウのファーストキスの相手は私、それが堪らなく嬉しかった。
コウは顔を真っ赤にして、大きく目を見開いて私を見てる、その顔はいつもの冷静さや冷酷さは無く、私の一番見たかった顔、コウの焦る顔。
「そうなんだ、蘭葉夜が知る限りだとコウはキスすらしてないんだ」
「う、うるせぇ」
「まぁコウ、ヤらなくても死なないから」
「黙れ疫病神!帰れ!俺の前から消えろ!」
コウって取り乱すとこうなるんだ、もう一生見られないかもしれないから、たっぷりと網膜に焼き付けておこう、可愛いから写メで残しておきたいけど、流石にコウが暴れだすよな?
「怖いなぁ、アオミ帰ろう、このままじゃコウに殺されちゃうよ」
「ハヤさんがいけないんでしょ?」
「ハハハ、そうかもね」
蘭葉夜は財布を取り出して、財布の中から福沢諭吉を一人だして伝票に挟んだ、そのまま逃げるように四色さんと出ていった。
余談だけど、後ろ姿まで蘭葉夜と四色さんはお似合い、名声抜きで誰もが振り返るくらいだな。
コウは頭を抱えながら、テーブルに肘をついてる、本当にショックだったらしい。
そんなコウを見てると優越感は自然と失せた、チラッと私と目が合うと本当に切ない目をしてる、凄く可哀想。
「コウ―――」
「馬鹿にしろよ、ガキだって笑えよ」
「良いだろそれくらい、それで何かが変わるわけじゃ無いんだから」
「正直に言って良いんだぞ?言ってくれた方が楽だ」
「馬鹿にしないよ、でも、…………私がファーストキスの相手なのか?」
コウの顔がさっきよりも更に赤くなった、しどろもどろしてるのはやっぱり可愛い。
「どうなんだ?」
「は、初めてだ」
「本当か?」
「本当だ!」
コウは怒鳴るようにそっぽを向いてしまった、でも今までには無いコウの反応が私の心をくすぐる。
コウの新しい一面を見る度に私はコウを好きになる、嫌いなコウも、好きなコウも、可愛いコウも、怖いコウも、カッコイイコウも、全てが私の宝物に昇華される。
コウは私しか知らない唇にビーフシチューを運ぶ、それを考えるだけで堪らなく嬉しくなる。
私が知らないコウ、私しか知らないコウ、全てはコウだけしか持ってない。
「何見てるんだ?」
「ファーストキスはどうだった?」
「ゲホッ!ゴホッ!ゴホッ!」
コウはむせると水を思いっきり飲んだ、コップをそっと置くと私の顔を上目使いで、眼鏡のレンズの無い上の部分から見てきた、不覚にもそれで私はドキドキしてる。
「言わなきゃダメか?」
「蘭葉夜に言っちゃおうかなぁ〜」
コウは舌打ちしながら髪の毛をグシャグシャにした、そのまま真っ赤な顔で明後日の方向を見ながら頬を掻く、本当に今日のコウは可愛い。
「み、ミドリで良かった」
へっ?私で良かった?それは私が特別だから?それとも私がそんな簡単に言いふらさないって知ってるから?
何にせよ、私にとっては最高に嬉しい一言、もう一回言ってほしいけど無理なんだろうな。
「な、何大口開けてるんだ?」
「熱でもあるのか?」
「無い」
「私にお熱とか?」
「古い」
「じゃあオーバーヒート?」
「うるせぇ、他の女よりはましって事だよ」
やっぱりそうだよな、無理矢理ファーストキスを奪ったのに良い反応を期待する私の方がおかしいよ、でも間違いなくコウのファーストキスの相手は私、それは変わらない。
いるか分からないけど、世の中のコウファンに一歩リード、私の知る限りだと、生徒からはアイドル並に人気だからね。
「早く会計済まして次行くぞ」
「もう少しくらいいても良いんじゃないか?」
「別に良いが、買い物以外の時間が減るぞ」
そっか、今日は一日中コウとデートなんだ、コウが何時まで一緒にいてくれるかは分かんないけど、一分一秒でも長くいられるように頑張ろう。
「どうせ夜まで俺を帰さないんだろ?」
「いや、コウに任せるつもりだったけど、コウが一緒にいたいって言うんなら一緒にいるぞ?」
「まぁ良い、付き合ってやる」
あれ?もう帰るとか言われると思ったのに、そんなに予想外の反応されたら誤解するだろ、もしかしたらコウは私の事好きかもって。
「嫌か?」
「嫌じゃない!嫌じゃない!」
「夕飯確保」
「もしかして私の家でご飯食べるつもり?」
「汚名返上のチャンスをやるだけだ」
口が巧い、まぁ学校に泊まった時のは事故だからな、本当に美味しいのを作れば惚れ…………はしないけど、女として見直してくれるはず。
そうと決まれば私の用事なんて済まして、早くコウとの自由時間だ。
私とコウは最後のメイク全般を取り揃えたお店へ、コウには嫌々着いてきてもらった、コウの好みをさりげなく聞きながら取り揃えれば、コウの好みが何となく分かるかもしれないという完璧な作戦。
中に入ると当然女性だらけ、そして私の最大の盲点、それはコウが女性の目線を集め過ぎるということ。
コウはあんまり気にして無いけど、私は嫌でしょうがない。
「高いな」
コウはいつの間にか近くにあった化粧品を眺めてた、男性には馴染みが無いから高く感じるんだろうけど、女のオシャレはお金を気にしてたら始まらない。
「アイツこんな高いのをあんな大量に持ってるのかよ?」
「あ、アイツ!?」
「チカの事だ」
良かった、でも潤間さんってどれくらい化粧品持ってるんだろ?高校生なのに凄い上手だし、凝ってるからかなり持ってるんだろうな。
「高校に入ってから急に増えたし」
「恋してるからじゃないのか?」
「四色のガキのタメにって事か?」
「女の子なんてそんなもんだよ、好きな人のタメに色々頑張るもんだぞ」
コウは低い所で拳を握ってる、妹が可愛いのは分かるけど、潤間さんは四色しか見えてない、コウが思ってるほどコウの事を見てないのにな。
「コウはどんな感じのが好き?」
「濃くなければ何でも良い」
「それじゃあつまんないだろ、こんなメイクの女は好きとか無いのか?」
「俺がケチつける事じゃないだろ?その人が頑張ってメイクしたんだ、強いて言うなら、それが俺のタメだったらありがたい、それだけだ」
少しドキドキしちゃったかも、コウにしては良い事言うじゃん。
まぁコウは気付かないんだけどな、毎日頑張ってるのにコウは何も分かってくれない、男なんて所詮そんなもんだろ?
コウは私の事なんて気にせずに店内を歩いてる、何かを見付ける度に関心して、私は一緒に選んでほしかったのに、結局コウは私に興味は無いのか。
私は小さな買い物籠にどんどん入れていった、コウが離れてるなら早く終らせたい。
「それ良いんじゃないか?」
「ひっ!?」
いつの間にか後ろにいたコウに私は情無い声を出してた、コウは私の上から覗くように私の持った口紅を見てる。
「そういう薄い赤は好きだ」
「ほ、本当か!?」
「あ、あぁ」
私は迷わずに籠に入れた、正直普通よりも高いから悩んでたけど、コウが良いって言うなら買うしか無いだろ。
「三芝先生に潤間先生?」
私とコウが振り返ると後ろには高校生くらいの女の子が、今の高校生とは違い落ち着いた感じで、誰もが可愛いと思うような可愛さがある。
「ミドリ、知り合いか?」
「う〜ん…………」
後少しで分かりそうなんだけど、誰だか分からない、私達の事を‘先生’と呼ぶからには多分生徒なんだと思う、生徒の顔が分からないなんて教師失格だな。
「あっ、すみません、これで分かりますか?」
その女の子はポケットから眼鏡を取り出し、髪の毛を手で束ねてやっと分かった、私のクラスの矢野さんだ、確か春日さんと仲が良くて、生徒会グループ以外で五百蔵とまともに喋れる珍しい奴だ。
「や、矢野さん!?」
「は、はい………」
「女って化けるもんなんだな、学校で見るより数倍可愛い」
矢野さんは顔を真っ赤にしてうつ向きながら、眼鏡をポケットにしまった、コウが他人に向かって可愛いって言うなんて、私に言ってほしかったな。
「先生はデートですか?」
「いや、まぁ、そのぉ―――」
「俺が三芝先生のタクシーをやってるだけだ」
コウの切り替えの速さが少し悲しい、口が滑ってでも良いから生徒の前で‘ミドリ’って呼んでほしかった、コウが私の事を女として見てるという証になると思ったから。
「デートみたいですね」
「そ、そうかな?」
「あり得ない、たまたま俺が見付けて、三芝先生が無理矢理乗り込んで来ただけだ」
「でも噂だと―――」
「噂は噂だ」
コウが完全否定するごとに私の胸が締め付けられる、私の前と生徒の前、どっちが建前だか分からなくなってきた。
「そうですか、私はこれで帰ります」
「気を付けて帰れよ」
「バイバイ、矢野さん」
矢野さんは一礼してお店を出て行った、うるさいはずの店内なのに何故か虚しい、まるで私一人だけが立ってるように、それくらいコウの言葉が苦しかった。
「どうした?」
「なぁ、矢野さんの前のコウが本物なのか?」
「馬鹿言え、教師の仮面を被った潤間先生だ」
「じゃあ矢野さんに言った言葉は?」
「ミドリと一緒に仕事するための嘘だ、俺がミドリとデートしてるという噂が学校に広まってみろ、確実にどっちか飛ばされるぞ、それでも良いのか?」
そっか、コウはそんな事まで考えてたんだ、確かに同じ学校の先生同士がデートしてたなんて学校からしたら煙たい事実、私情ばっかり挟む私には出来ないし、考え付かない事だな。
それにコウはデートって言った、もしかしてこれが私とコウの初デート?
「コウ、コレって私とコウの初デートだよな?」
「まぁそうなるな」
私は心の中でガッツポーズしながらレジに向かった。
少しずつだけど私のコウは近付いてる、遅い歩調だけど、いつになったら叶うか分からないけど、いつかはコウに求められたい。
コウ、私はコウの事が好きだよ、コウがくれる全てが私の宝物、中学生みたいだよな?でも、女の恋はいつまで経っても成長しないんだよ。