3話 オレはオレに会った
朝、起きたら元の身体に戻っていた。…なんてことを願ってはいたが、現実はどうもそうじゃないみたいだ。
女の身体になって二日目、朝を迎えるのは初となる。オレはまだ違和感の残る身体をゆっくりとベッドから起こしつつ、今日行うことの日程を考えていた。
日程といっても、やることはただ一つ。あの住所の場所へ行くことだ。もちろん不安はあるけど、なんかゲームのミッションみたいで少しテンションが上がってきた。
オレはさっさと顔を洗って歯を磨くと、家族揃って朝食を食べることにした。
オレが一生懸命シャケの身をほぐしていると、横から姉が顔をベタベタ触ってきた。
「それにしても、またやけにかわいい子になったのねぇ…。」
「や、やめてよ…。」
「こんなことしたら、どうなるのかなっ?」
「ひやっ!?」
姉はオレの胸を鷲掴みにした。
「へー。感度いいのねぇー。」
感度もなにも、オレは胸を揉まれたのなんて初めてなんだから、当たり前の反応ではないだろうか。大体男が胸を揉まれるなんて人生でそうそう経験することではない。太ってたら…わかんないけど…。生憎オレは今も昔も太ってない。
姉は目の前の女がオレだとわかってからいたずらを仕掛けてくるようになってしまった。なんというか……もうやだ…。
「こーら明。嫌がってるでしょ、やめなさい。」
「はーい。」
母の言葉に助けられて、オレはやっと食事を再開することができた。父は笑ってこっちを見ている。下心がないといいのだが…。ウチの父に限ってそんなことはないか。
「ところで光、今日どこか出かける予定ある?」
母が聞いてきた。
「う、うん…ちょっと。行ってみたいところがあって…。」
「まさか男をナンパでもするんじゃないでしょーね。」
また姉が乱入。
「し、しないよ!…もぉ…。」
なんで男のオレが男をナンパしなきゃいけないんだ…。オレは姿こそこんなだが女の子が好きなんだ!…オレは今の自分の姿で女の子とイチャイチャしているところを想像して、少し恥ずかしくなった。
「じゃあ服がいるわねぇ…。お母さんので似合うかしら…。」
「い、いいよ!昨日の制服で…。」
「そぉ?でも下着は洗濯しちゃったから、どっちみちなにか貸してあげるわね!」
「あ、う、うん…。」
なんか母はやけに嬉しそうだな。まさか母までオレが女になったことを楽しんでるんじゃないだろうか…?
「お母さんは女の子を欲しがってたからなぁ…。嬉しいんだろう。」
「え?女の子ならお姉ちゃんがいるじゃん。」
「違う違う。光みたいなお淑やかな女の子だよ。」
「そ、そんな…。オレお淑やかなんかじゃないよ…。」
「そうよね。『オレ』なんて言ってるもんね。女の子なら普通『わたし』よね。」
「やだよ…。男のオレがなんでそんなコト…。」
「…光、光はもう女の子なのよ。それに、家の外でもそうやって言うつもり?…」
母にまで言われるとちょっと考えてしまう。それにしても、オレはまた学校に通ったりできるのだろうか。
「わ…わたし…。」
「もうっ!なんでお母さんに言われたら言うのよ!…まったく…憎たらしい弟なんだから…!あ、もう妹か!ははは。」
姉はそう言ってヘラヘラ笑っていた。ムカつく!
食事が終わると、父と姉はそれぞれ通勤、通学に行った。二人とも土曜日なのに大変だな…。
残ったのはオレと母の二人。母は微笑みながらオレに手招きしている。オレは両親の部屋に入った。
「光、着替えるわよ。」
「う、うん。」
オレはパジャマとキャミソールを脱いでパンツ一丁になった。女の子にパンツ一丁という表現はなんか合わない気がする。
昨日一度見られているオレの身体だけど、今日は湯けむりも無いためか、恥ずかしさが拭えない。
「そんなに恥ずかしがらないの。今お母さんがブラ着けてあげるからね。」
「い、いいよ!自分でやるから…。」
そう言うとオレは母の手からブラジャーを奪い取った。
でもいざ着けるとなると全然上手くいかない。ただ胸をカップに収めるだけなのに!もう、なんで女の子の服はこう着にくいものばかりなんだろう。
「あらあら…光、全然着け方が違うわよ。……………こうして、下を向いてかがんで……………。」
結局オレは母に着けてもらうハメになってしまった。
自分でやるなんて言ったオレが恥ずかしい。…そうか、胸を重力で落としてからカップに入れるのか。なんか色々と合理的だ。
紺のハイソックスはさすがに母も持っていなかったので、代わりに黒のタイツを履くことにした。しかしこれもまためんどくさい。どうしてもお下品なガニ股になってしまう。こういうのも慣れていかないといけないのかなぁ…。早く戻れればいいんだけど…。母はオレが女の子になって嬉しそうだし…。一概に戻った方がいいとはいえないのだろうか…。戻りたいのは山々なんだけど…。
時刻は8時30分。
着替えも済ませたオレは、少し早いかもと思ったがもう行くことにした。少し歩くし、あまり遅いと家に誰もいないかもしれないと思ったからだ。
出発の前にトイレを済ませておこう。…トイレ!?トイレか…。また面倒なことになった。だがそうも言ってはいられない。
オレは便座に座った。チョロチョロと流れる尿。男と違って向きを調節できないが、別にその必要はなかった。
男のくせに小さい方をするにもいちいち座らなくてはならないオレ…。なんかものすごく惨めだ。
出し終わった後、つい拭くのを忘れそうになる。姉のパンツを汚してしまっては大変だ。
オレは少し暗い気持ちになりながらも、なんとか母を心配させないようにと、明るいあいさつで家を出た。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃーい。」
静かに歩き出すオレ。
誰も男だと気づかないだろうか。気づくワケないか。
玄関から出てくるオレを、近所のおばあちゃんが『こんな子いたっけ?』という目で見てくる。
オレは軽くあいさつをしたが、おばあちゃんはしかめっ面でオレを睨んでいるだけだった。
気づいているワケじゃないと思うけど、おばあちゃんってこういうトコちょっと怖い。
オレは苦笑いするしかなかった。
オレはなんとか女の子らしく内股で歩くことを心がけた。途中何度も転びそうになった。
ほどなくしてオレは住所の場所に着いた。
そこは、オレの家とさほど変わらない、特になんのへんてつもない普通の一軒家だった。
恐る恐るドアを開ける…。
緊張の瞬間だ。だってなにが出てくるかわからないのだから。
ドアから出てきたのは、オレの想像を絶するものだった。まさに自分の目を疑ったという表現がふさわしい。
そこにいたのは…
「お、オレぇ〜〜〜!!!??」
「アタシ〜〜〜!!?」
相手もなにか叫んでる…。
そう、オレの目の前に現れたのは、間違いなくオレだ。……なんで!?オレはオレなのに…。目の前のヤツまでどうしてオレなんだ!?
ここでオレはふと思い出した。母に家の外では自分のことを『わたし』って言うように言われているんだった。でも今はそれどころではないのだ。早くこの頭の混乱をどうにかしたい。
オレがなにを言おうかパニックになっていると、目の前“オレ”は気でも狂ったかのように突然歓喜の表情になり、さけびながらオレに抱きついてきた。
「葉月…。葉月ィーーー!!!」
その瞬間、オレの体は憎悪で満たされた。
気持ち悪い!悲しいが。男に、というか自分に抱きつかれるのはこんなにも気持ち悪いものなのか…。
しかしそれと同時に、オレの頭にある一つの疑問がよぎった。
…葉月?どこかで聞いたことあるような…。
!!そうだ。昨日お風呂に入るとき、制服から取り出した生徒手帳に載ってた、つまり制服の持ち主の名前!…ということは…オレの名前?オレが葉月…桐山 葉月なのか!?
じゃあ、目の前のオレに抱きついている“オレ”は誰なんだ?
オレはそっと聞いてみた。
「…あなたは…誰ですか?…」
「ん?アタシ?……葉月!桐山 葉月だけど…。」
!!?どういうことだ!?桐山 葉月は二人いるのか?
「もしかしてアンタ…山瀬 光ぅ?」
「そ、そうですけど…なんで……!!!」
そのとき、オレの中でなにかが一つに繋がった。きっとこの人も、オレの制服から生徒手帳を取り出して見たのだろう。
オレは山瀬 光だが、外見は桐山 葉月。そして目の前の“オレ”は、桐山 葉月だが外見は山瀬 光。つまりオレ。
……そう、オレたちは多分…入れ替わったのだ……!
「ホントに入れ替わっちゃったんだね…。アタシら…。」
その後桐山さんはオレを家に上げてくれた。
話を聞くと、この人も昨日の事故でオレになり、親になかなか信じてもらえなかったらしい。今でも半信半疑の状態だとか…。お互い大変だ。
「そうみたいですね…。」
「ねーなんでそんな敬語なのー?入れ替わった仲じゃん。」
どんな仲なのだろうか。桐山さんはだいぶ気さくな気がする。というかなれなれしすぎる気さえする。オレには今日会ったばかりの人にタメ口きくなんてマネ到底できない。まあ、見た目はオレなんだけど…。
女の子の部屋に入ったのは初めてだけど、この部屋はそんなに女の子らしい感じじゃない気がする。こんなものなのだろうか。それとも、こんな性格の桐山さんの部屋だからだろうか…?
オレがキョロキョロ部屋を見回していると、なにか思い立ったように桐山さんが口を開いた。
「ねぇ!アタシもう男なんだから、男言葉で話すね!光も女なんだから女言葉で話してよ!!」
いきなり名前で呼ばれてオレは少しドキッとした。
「は、はぁ…。」
「よォ!俺は男だゼ!昨日からだゼ!入れ替わったゼ!」
アホみたいだ。
「あの、男はそんなにぜーぜー言わないですよ…。」
「そうなのかゼ?じゃあやめるゼ!」
なんかムカついてきた。
「あのっ!もっとちゃんとした話しません?これからのこととか…。」
「…そうだな…。悪い。でも男言葉はやめないから!光も女言葉つかえよ?じゃないと学校とかで困るだろ。」
学校…!?そうだ、オレたちには学校というものがあるんじゃないか!あさってからどうやって学校へ行けばいいのだろうか…。そういえば桐山さんはどこの学校へ通っているのだろう。
「あの、桐山さんの学校ってどこなんですか?」
「あ?俺?西綾女子だけど…。」
もう完全に男になりきってるようだ。
「てか生徒手帳見たんでしょ?だからココ来たんでしょ?なに言ってんの?」
「あ…そ、そうでした…。」
頭がパニクっててすっかり忘れていた。そういえばそうだったではないか。どうしちゃったんだろう…オレ。
「光っておバカさんなんだねー。かわいいよ!好きだなーそういうトコ。」
オレの顔が一気に赤くなる。…そんな!こんなかわいい子から『好き』だなんて…!もっとも、そんな意味で言ってるワケではないし、見た目はオレなんだけど…。
「…あの、じゃああさってからはもちろん……。」
「そう!俺が光の学校に行って、光が俺の学校に通う!これしかないっしょ!!」
「そ、そうですよね……。」
「クラスとか細かいことは生徒手帳に載ってるからな!」
「…はい…。」
オレの学校はあさってから西綾女子か…。って、ん?西綾女子…?ていうことはつまり………女子校ぉぉぉ!!?
「あ、あの。西綾女子って、女子校ですよね!?…」
「だから“女子”ってついてんだろ?ホントにバカ?」
「うぅ…。」
桐山さんの言う通りだ。オレは本当にバカなのかも知れない。なんか…気づくのがいつも遅すぎる気がする。
オレは女の子だらけのところで上手くやっていけるのだろうか。そりゃあ確かに姿かたちは女の子だけど、言葉とか動作とか好きなものとか、女の子として知らないことが多すぎる。
「まあそんなに気に病むなよ…!なるようになるって!」
そう言って桐山さんはオレの肩をポンポンたたいてくれた。
見た目はオレなのに、やけにかっこよく見えるのはオレの気のせいだろうか…?
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。」
オレが何気なく行った一言に、桐山さんの声のトーンが一気に低くなったのでオレは驚いた。
「光、お前自分が女になって不幸だと思ってんのか?…」
!?突然なにを言い出すんだ?そんなの決まっているではないか。
「そ、そりゃあ…。まあ…。」
「だったらその考えは今すぐ捨てろ。今のお前は少なくとも幸せだと思うぜ?」
オレが幸せだって?一体どう考えたらそんな結果に結びつくんだ。桐山さんの方こそバカなんじゃないか?
「な、なんでそうなるんですか!?わたしは」
オレが続けようとしたら、桐山さんが割り込んできた。
「お前俺になってなかったら死んでたかも知れないんだぞ?」
「!!!??」
「あんなおっきい事故に捲き込まれて、死んでないなんておかしいと思わないのか?…それはひょっとしたら神様が死の代わりに、俺たちを入れ替えるという運命を選んでくれたのかも知れないんだぜ?…たとえ性別が逆転したとしても、死ぬよりは幸せなんじゃねーの?」
オレはその言葉に、だだただ驚くことしかできなかった。こんな考え方ができたなんて……。オレは神様とかはあまり信じないタチだけど、この考え方ならオレは十分幸せだ。オレの心は、一気に軽くなった。
そんなオレの気持ちを察してくれたのか、桐山さんは小さく微笑んでくれた。オレはやっぱり今日ここに来てよかった。
「桐山さん……ありがとう。」
「いいよ…。わかってくれれば。光は決して不幸じゃないってこと。」
「桐山さん…わたしね、事故の瞬間、まだ死にたくない、もう少し生きていたいって思ったんだ。」
「ふふっ、俺も。」
「ほんと?…だから神様が二人の願いを叶えてくれたのかなぁ…。」
オレたちはその後もいろいろ話し合った。
気持ちはとても落ち着いていた。