悪役令嬢は断罪して差し上げますわ。
「エレオノーラ! 君との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業を間近に控えた夜会。その華やかな会場に、王太子アルベルト殿下の声が響き渡った。
突然の宣言に、周囲の貴族たちが息を呑む。楽団の演奏も止まり、会場は水を打ったように静まり返った。
私は手にしていたグラスを給仕に預け、婚約者であるアルベルト殿下へと向き直った。
「……理由をお聞かせいただけますか?」
「理由だと? 君には心当たりがあるはずだ!」
殿下は怒りを露わにすると、隣に立つ少女の肩を抱き寄せた。
メイ・ローズ男爵令嬢。
淡い金色の髪に、愛らしい顔立ち。小柄な身体を包むドレスは、男爵家の令嬢には不釣り合いなほど上等なものだった。
彼女は殿下の腕にしがみつきながら、私を見上げている。その口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「君がメイに対して行ってきた数々の嫌がらせについて、僕はすべて知っている!」
「……嫌がらせ、ですか?」
「そうだ! 彼女を執拗に呼び出し、身分を笠に着て説教を繰り返したそうじゃないか!」
私は思わず眉をひそめた。
確かに、メイ嬢には何度か注意をしたことがある。しかし、それは嫌がらせなどではない。貴族令嬢として、あまりにも目に余る振る舞いが多かったからだ。
「殿下。私は彼女に、貴族としての礼節を指導していただけです。婚約者のいる殿方に必要以上に接近したり、王族の方々に敬語を使わなかったり、そのような振る舞いは慎むべきだと申し上げました」
「それが余計なお世話だと言っているんだ!」
「余計な……?」
私は耳を疑った。
メイ嬢は学園内で、身分を問わず多くの男性と親しくしていた。王族や高位貴族はもちろん、平民出身の生徒まで周囲に侍らせ、まるで自分が学園の中心であるかのように振る舞っていたのだ。
そればかりではない。授業を欠席することも珍しくなく、教師に対しても友人に話しかけるような態度を取る。
私が注意するのは当然のことではないか。
「殿下は、彼女の振る舞いを問題だとは思われないのですか?」
「思わないね。むしろ、そういう誰にでも分け隔てなく接するところが、メイの魅力なんだ」
「……は?」
思わず声が漏れた。
すると、それまで黙っていたメイ嬢がくすくすと笑い始めた。
「ねえねえ、エレオノーラ様。もしかして、まだ自分が正しいと思ってるの?」
「……何ですって?」
「だって、アルベルト様に捨てられちゃったんでしょ? あんなに偉そうにしてたのに、無様すぎて超ウケますわ」
「なっ……!」
顔に血が上るのを感じた。
なんという無礼な娘だろう。王太子殿下の御前で、未来の王妃となるはずだった私に向かって、よくもそのような口を利けたものだ。
しかし、アルベルト殿下は彼女を咎めるどころか、困ったように笑っているだけだった。
……駄目だわ。
この方々には、何を言っても通じない。
私は深く息を吐いた。
「承知いたしました。殿下がそこまで仰るのであれば、婚約破棄をお受けいたします」
「そうか。ようやく理解してくれたんだね」
「ええ。ただし、正式な手続きにつきましては、両家の間で協議させていただきます」
殿下は満足そうに頷いた。
どうやら、私が何を言っているのか理解していないらしい。
この婚約は、単なる男女の約束ではない。王家と公爵家の間で交わされた正式な契約である。
私は十年間、未来の王妃として教育を受け、公務の一部を任されてきた。王家の事業に関する調整や、各貴族家との折衝も行っている。
それらを誰が引き継ぐのか。
婚約破棄に伴う違約金を、王家はどのように工面するつもりなのか。
そもそも、王家と公爵家の信頼関係が損なわれることを理解しているのだろうか。
……まあ、よろしいでしょう。
そこまで教えて差し上げる義理もありませんものね。
「それでは、私は失礼いたします」
私は優雅に一礼すると、二人に背を向けた。
背後から、メイ嬢の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
今に見ていなさい。
自分たちがどれほど愚かなことをしたのか、いずれ思い知ることになるでしょう。
◇ ◇ ◇
それから二週間が経過した。
婚約破棄に伴う違約金の協議は、予想に反して難航していた。
「……王家が支払いを拒否している?」
「はい。先方は、婚約破棄の原因がエレオノーラ様の不適切な振る舞いにあると主張しております」
父の執務室で報告を受けた私は、思わず聞き返した。
「馬鹿なことを。殿下が一方的に婚約破棄を宣言されたのでしょう?」
「その点については争いがございません。しかし、婚約を継続し難い正当な理由があったと……」
私は呆れ果てた。
まさか、国王陛下と王妃殿下まで、あのような言い分を認めるとは思わなかった。
不審に思った私は、王宮に出入りする者を通じて事情を調べさせた。
すると、信じられない報告が届いた。
アルベルト殿下とメイ嬢は、国王陛下と王妃殿下に対し、私の学園での振る舞いを詳細に説明していたという。
平民や下級貴族に対する差別的な発言。身分を理由に他者を見下す選民思想。周囲と協調できない性格。そして、王妃としての資質の欠如。
そのような理由を並べ立て、婚約破棄の正当性を訴えているらしい。
しかも、驚くべきことに、国王陛下と王妃殿下はメイ嬢をたいそう気に入っているという。
王宮へ招いて食事を共にすることもあれば、私的な茶会を開くこともあるそうだ。
「……信じられない」
私は報告書を握りしめた。
十年間。
私は十年間、未来の王妃となるために努力してきた。
遊びたい盛りの少女時代も、友人たちが恋愛や観劇を楽しんでいる間も、私は勉学と王妃教育に励んできた。
それなのに。
あの方々は、私の努力を何一つ見ていなかったというのだろうか。
私は父に願い出て、国王陛下との直接の面会を求めた。
このまま黙って引き下がるわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇
王宮の会議室には、六人の人間が集まっていた。
国王陛下、王妃殿下、アルベルト殿下、メイ嬢、父、そして私。
正式な協議の場であるというのに、メイ嬢はアルベルト殿下の隣で、実に気楽そうに座っていた。
私はその姿を見るだけで、胸の奥がざわついた。
「エレオノーラ。此度の件については、我々も慎重に検討した」
口を開いたのは国王陛下だった。
「結論から申し上げよう。王家として、違約金の支払いには応じられぬ」
「……陛下。それは、どのような理由によるものでしょうか」
「婚約破棄に至った事情を調査した結果、そなたにも相応の責任があったと判断したからだ」
私は膝の上で拳を握りしめた。
「ですが、私は十年間、王妃となるために……」
「その努力については、我々も承知している」
国王陛下は静かに言葉を続けた。
「ゆえに、これまでの労をねぎらう意味で、相応の慰謝料は支払うつもりだ。無論、婚約の解消についても正式に公表し、そなたの今後の縁談に不利益が生じぬよう配慮しよう」
私は唇を噛んだ。
慰謝料。
そんな端金で、私の十年間を清算しようというのか。
これでは、まるで私が王家から施しを受けるようではないか。
「陛下。恐れながら申し上げます。皆様は、あの娘に騙されておいでです」
「エレオノーラ!」
父が咎めるように声を上げたが、私は構わず続けた。
「私は十年間、王妃教育を全うしてまいりました。礼儀作法、歴史、政治、経済、外交。いずれも教師の方々から高い評価をいただいております。公務においても、数多くの案件を滞りなく処理してまいりました」
「ええ。存じておりますよ」
王妃殿下が静かに答えた。
私はその言葉に、わずかな希望を抱いた。
「では、なぜ……!」
「ですが、エレオノーラ。十年間も教育を受けて、その結果が今のあなたなのですか?」
「……え?」
王妃殿下は悲しそうに眉を下げた。
「王妃に必要なのは、礼儀作法や知識だけではありません。臣民を思いやり、周囲の人々と心を通わせること。それが何より大切なのですよ」
「もちろん、存じております。私は常に臣民の模範となるよう……」
「では、あなたはこの十年間、私たちと一度でも私的な食事を共にしたことがありましたか?」
私は言葉に詰まった。
「……それは、陛下方の貴重なお時間を頂戴するわけには……」
「お茶会に誘ってくださったことは? 私の誕生日に、手紙をくださったことは?」
「そ、そのような私的な振る舞いは、王族の皆様に対して失礼に当たるかと……」
王妃殿下は小さくため息をついた。
「メイは違いましたよ。私たちの記念日には贈り物をしてくれますし、折に触れて手紙も書いてくれます。先日は、私の好きなお菓子を見つけたからと、お茶会に誘ってくれました」
「なっ……!」
私は思わずメイ嬢を見た。
当の本人は、きょとんとした顔でこちらを見返している。
「王族の方々を私的なお茶会に誘うなど、あまりにも無礼ではありませんか!」
「えー? なんで?」
メイ嬢は首を傾げた。
「だって、アルベルトのお父さんとお母さんでしょ? 家族になる人たちを大切にするのって、当たり前じゃない?」
「そ、それは……!」
「えっ、もしかして、十年も王妃教育を受けてそんなことにも気づかなかったの?」
メイ嬢は目を丸くした。
そして、にやりと笑った。
「うわぁ。エレオノーラ様、王妃にならなくてよかったねぇ」
「……っ!」
私は怒りで身体が震えるのを感じた。
この娘は、何を言っているのだろう。
王族と親しくすることと、王妃としての責務を果たすことは、まったく別の話ではないか。
「そもそも、学園でのあなたの振る舞いこそ問題でしょう! 婚約者のいる殿方に馴れ馴れしく接し、平民の男性まで周囲に侍らせて!」
「はぁ?」
メイ嬢は露骨に顔をしかめた。
「なにそれ。友達と話しちゃいけないの?」
「ですから、男女の間には守るべき節度というものが……!」
「えー、じゃあ婚約者がいる男子とは話しちゃ駄目なの? そんなのおかしくない?」
「それは程度の問題です!」
「それに、平民だからって友達になっちゃ駄目なわけ? 学園が入学を認めてるんだから、みんな同じ生徒でしょ?」
「身分には、それぞれ相応の立場というものが……!」
「うわ、出た。そういうとこだよ」
メイ嬢は呆れたように肩をすくめた。
「エレオノーラ様ってさ、いつも身分がどうとか、礼儀がどうとか言ってるけど、相手のこと全然見てないよね。平民だろうが貴族だろうが、いい人はいい人だし、嫌な人は嫌な人じゃん」
「あなたは貴族社会というものを理解していないのです!」
「えー? 理解してないのはそっちじゃない?」
メイ嬢はアルベルト殿下をちらりと見た。
「アルベルトだって、そういう態度を何度も注意してたでしょ? なのに全然直さないから、アルベルトまで嫌な奴だと思われてたんだよ。まだ気づいてなかったの?」
「……その通りだ」
アルベルト殿下が口を開いた。
「エレオノーラ。君は、メイの周囲にいる平民出身の生徒たちを、身分が低いという理由だけで軽んじていたね」
「私は、そのような……!」
「彼らの中には、非常に優秀な者が何人もいる。すでに卒業後の王宮への登用が決まっている者もいるんだ」
私は驚いて殿下を見た。
「……平民を、王宮に?」
「そうだ。身分だけで人材を判断するのは愚かなことだよ。メイが彼らと親しくしてくれたおかげで、僕も多くの優秀な人間と知り合うことができた」
殿下はそこで一度言葉を切り、私をまっすぐに見据えた。
「君は確かに優秀だった。与えられた仕事を正確にこなし、勉学にも熱心だった。それは僕も認めている」
「……でしたら!」
「だが、君は何でも自分一人で仕切ろうとする。他人の意見に耳を傾けず、自分のやり方が正しいと信じて疑わない。誰かと協力することにも、人を育てることにも、まるで関心がなかった」
私は息を呑んだ。
「人の上に立つ者に必要なのは、自分一人の能力だけではない。周囲の人間の力を引き出し、共に物事を成し遂げることだ。君には、それが欠けている」
「そ、それは……私は、王家のために……!」
「君は優秀な実務家にはなれるだろう。だが、僕は君と共に国を治めたいとは思えない」
殿下の言葉が、胸に突き刺さった。
私は十年間、誰よりも努力してきた。
それなのに。
それなのに、この方は……!
「……そもそも、私の方が学業の成績も優秀でした! あの娘とは、比べるまでもありません!」
「え?」
メイ嬢が不思議そうな声を上げた。
「何を言っているのです。私は常に学年でも上位の成績を……!」
「あー、うん。そういうの、いちいち自慢しない方がいいよ」
メイ嬢は頬杖をつきながら、つまらなそうに言った。
「うざいだけだから」
「なっ……!」
「ちなみに、学園の成績なら私の方が上だけどね」
私は固まった。
メイ嬢は何でもないことのように続けた。
「でもさ、そんなのいちいち自慢しなくない? 勉強ができるからって偉いわけじゃないし。あ、エレオノーラ様は違うのか。自分が一番じゃないと嫌なんだもんね」
「……嘘です」
「え?」
「そんなはずがありません! あなたのような、授業もまともに受けない娘が、私より優秀なはずが……!」
「あー、授業サボってるってやつ? あれ、先生に許可もらってるんだけど」
「……は?」
「課題と試験で必要な成績取ってるから、空いた時間は好きに使っていいって。エレオノーラ様、知らなかったの?」
メイ嬢はくすくすと笑った。
「もしかして、私のことばっかり気にして、自分の勉強に集中できなかった?」
ぷつり。
頭の中で、何かが切れた。
「……いい加減になさい!!」
私は椅子を蹴って立ち上がった。
「あなたのような無礼で下品な小娘に、何が分かるというのです! 私は十年間! 十年間も、この国のために……!」
「エレオノーラ!」
「黙りなさい! あなたさえいなければ! あなたさえ現れなければ、すべて上手くいっていたのよ!!」
私はメイ嬢に向かって手を伸ばした。
その細い肩をつかみ、今すぐにでも引きずり下ろしてやりたかった。
しかし、その腕は途中で強くつかまれた。
「やめなさい!」
父だった。
「お父様! 離してください!」
「いい加減にしなさい、エレオノーラ!」
父の怒声が会議室に響いた。
私は思わず動きを止めた。
父が私に対して、これほど声を荒らげたことなど一度もなかった。
父は私の腕を離すと、国王陛下に向かって深々と頭を下げた。
「陛下。娘が大変な無礼を働きました。公爵家当主として、心よりお詫び申し上げます」
「お父様……?」
「此度の婚約破棄につきましては、我が家に責任があったことを認めます。慰謝料についても、辞退させていただきたく存じます」
「なっ……! お父様、何を仰っているのです!」
「黙りなさい」
父は私を見ようともしなかった。
「娘の教育については、私にも責任がございます。今後は一から教育をやり直し、貴族として、そして一人の人間として、恥ずかしくない振る舞いができるよう努めさせます」
私は呆然と立ち尽くした。
父まで。
父まで、あの娘の味方をするというのか。
国王陛下はしばらく沈黙した後、静かに頷いた。
「公爵の申し出、確かに受け取った。此度の件は、これにて終わりとしよう」
「寛大なるご処置、感謝いたします」
父はもう一度頭を下げた。
こうして、十年間にわたる私とアルベルト殿下の婚約は、正式に解消された。
◇ ◇ ◇
それから数日が経った。
王太子アルベルト殿下と、エレオノーラ・ベルフォード公爵令嬢の婚約破棄は、瞬く間に貴族社会へ広まった。
当初こそ、王太子が男爵令嬢に心を奪われ、長年の婚約者を捨てたという噂が流れたものの、やがて事情を知る者たちの口から、別の話が広まっていった。
公爵令嬢は確かに優秀だった。
しかし、自分の能力を過信するあまり、他者を見下し、周囲と協調することができなかった。
誰よりも優秀であると信じ、他人の能力を認めようとしなかった結果、最も大切なものを失ってしまったのだと。
自分を理解できない相手が無能なのではない。
自分以外の誰も理解できなかった彼女こそが、最も愚かだったのではないか。
そんな噂が、社交界のあちこちで囁かれるようになっていた。
そして今日も、王立学園の中庭には、メイ・ローズ男爵令嬢の姿があった。
「メイ! この前の試験、どうだった?」
「んー? まあまあかな。そっちは?」
「聞いてくれよ! お前に教えてもらったところが全部出たんだ!」
「えー、よかったじゃん!」
「メイさん、今度のお茶会にも来てくださる?」
「行く行く! あ、でもその日はアルベルトと約束があるから、ちょっと遅れるかも!」
「構わないわ。みんなで待っているから」
男女も、身分も関係なく、彼女の周囲にはいつも人が集まっている。
笑い声が絶えない、実に楽しそうな光景だった。
その様子を、校舎の窓から見下ろす一人の令嬢がいた。
エレオノーラ・ベルフォード。
かつて王太子の婚約者として、未来の王妃の座を約束されていた公爵令嬢である。
彼女は窓枠を強く握りしめた。
……許さない。
何が友達よ。
何が人を思いやる心よ。
礼儀も知らず、身分も弁えず、殿方に媚びを売って、周囲の人間を言葉巧みに操る。
あの娘が現れるまでは、すべて上手くいっていたのに。
私の十年間を奪い、王太子殿下を誑かし、国王陛下も王妃殿下も、挙げ句の果てにはお父様まで騙してしまった。
それなのに、今日もあんなに楽しそうに笑っている。
許せない。
絶対に、許せない。
エレオノーラは唇を噛みしめ、窓の向こうにいる少女を睨みつけた。
……今に見ていなさい。
いつか必ず、その化けの皮を剥がしてみせる。
そして、すべての人々の前で、あなたの罪を明らかにしてやるのよ。
エレオノーラは口元に冷たい笑みを浮かべた。
そう。
悪役令嬢は、断罪して差しあげますわ。
――完。
これを好きって言ってくれる人とは美味い酒が飲めそう。あ、連載版はありません。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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