9 取引
ウエキが姿を見せなくなって、2週間ほどが経った。
気付けば、猫の事件に関わった人間の数は、数えられるほどになっていた。
…たくさん殺した。
俺がこの手で殺した。
復讐は復讐を生むだけだ――それはわかっている。
全てやるべきことをやれば、死んだっていい。
…でもまだ死ねない。
「……」
視界のピントを合わせないまま、ただぼーっとしていた。
この静けさにもようやく慣れた。
あの耳元で叫ぶ元気な声や、滅多にしない悲しそうな表情、正体の分からぬ胸の痛みも、もうしばらく出会いそうに無い。
「…静かだな」
思わず呟いた。
さぁ今日はどうするか。
…また誰か殺すか?
それとも、今日はしばらくじっとしているか。
ふと、隣に猫が座っているのに気付いた。
黒い斑模様の猫。
少し黒ずんでいて、毛はボサボサだ。
「…お前も1人か」
そう言うと、猫はノシロを見上げて、にゃあと鳴いた。
「そうか。俺もこないだ1人になった」
いや…
生まれたときから、ずっと1人きりだ。
「どこか行くところでもあるのか?」
偶然か、それとも言葉を理解してか、その猫はふるふると首を振った。
「…俺もだ」
猫の首を撫でた。
ゴロゴロと気持ち良さそうな声を出すと、すっと歩き出した。
立ち止まると、ノシロをじっと見つめる。
大きい瞳の中に、何か暗いものを見た。
見つめたまま、猫は動かない。何かを伝えたいようにも見える。
「…なんだ?」
その言葉を聞くと、猫は去っていった。
「野良猫と会話か?」
その声でふっと顔を上げると、またあの男がいた。
「はて、あの猫は君の言うことが理解出来たのかね?」
微笑している男……間城タガミだ。
「…何の用だ」
「まぁそうカッカしないでくれ。
君に、ひとつ聞きたい事があってね…」
キッと、ノシロを見下ろした。
「一緒にいたウエキという女はどこへ行った?」
タガミの話し方に、ぐっと粘りけが増した。
「…さぁな」
「ちゃんと答えろ」
「……」
ノシロは睨み返した。
タガミは、"ハギノ"を捜しているんだ。
決定的な証拠でも見つけたのか、ウエキを"ハギノ"と断定したらしい。
「俺は知らない」
「見え透いた嘘をつくな。
あの女がお前に、何も言わずに去るとは思えない」
タガミは、深く濁った黒い瞳を細める。
無防備に振り撒く、うわべだけの微笑みからは想像できない表情だ。
…言ったらどうなる。
ウエキは捕まるか?
俺の一言で?
「そうだ、こうしよう」
タガミが目を細めて言った。
「お前は、あの女の居場所を教える。
私は、滅亡の真実を教える」
「…何?」
滅亡の…真実?
「君なら分かるだろう?
猫の滅亡のあの日さ。あの日の、真実だ」
何だと――この男。
猫の滅亡の…何を知ってる?
「君は猫の滅亡に興味があるようだからね。
そうだろう?
…永峰、ノシロ」
「…!!」
俺の名を知っている。
こいつ…どこまで知っている?
俺が猫の一族だということか?
俺が滅亡に関わった人間を殺していることか――
「全て、知っているぞ」
その一言に、思わず背筋が凍った。
まるで心の中を全て見透かされたようだ…
「お前は永峰ノシロ、猫の一族の生き残りだな」
認めたくないが、タガミは勝ち誇った顔をしている。
「お前と一緒にいたウエキという女の本当の名は、ハギノだ。写真を見せただろう?
顔を変え、偽名を使い、10年もの間 罪を償わずに平然と暮らしていたようだ」
ぐっと喉から出かかったものをこらえた。
ウエキは――猫を守ろうとしただけだ。
罪を償うべきなのは、お前たちのほうだ…
「取り引きだよ、ノシロくん」
ノシロと向かい合うようにして、タガミはしゃがんだ。
「私は真実を教えよう。君は、ハギノの居場所を教えてくれるだけでいいんだ」
ノシロは、きゅっと口を結んだ。
心臓が高鳴る。心が、真実を知りたいとせがんでいるのが分かった。
でも口は、開けてはならない。
「…君に、人間をかばう必要が?」
「……」
その言葉で、胸が熱くなった。
これは…迷いか。
俺は迷っているのだ。
いや迷うな。
言うな。
「俺は…」
人間。
憎い憎い、人間。
人間は俺たちを滅ぼした。
俺は1人きりになった。
人間が戦争なんか始めなければ、こんな感情を抱くことは無かった。
俺という復讐鬼を生む事も無かったのだ。
俺は人間が嫌いだ。
なのに、ウエキと共に長い時間を過ごした…
「…何、してるんだろうな…俺は…」
馬鹿馬鹿しい。
何してるんだ、俺は。
人間と馴れ合い?
ふざけている。
人間に滅ぼされたんだ。
何を迷う必要がある?…
「ウエキは2週間くらい前、街を出た。」
とどまっていた、胸の痛みが ふっと消えた。
「…ようやく正気に戻ったらしいな」
タガミは立ち上がると、ふぅとため息をついた。
「死に損ないが」
タガミはきびすを返す。
「! 待て、取り引きは――」
膝をつき立ち上がろうとすると、
「ハッタリさ」
タガミの薄ら笑いを浮かべた顔が見えた瞬間、黒く光沢を放つものが見えた。
拳銃だ。
パシュッという音が脳に届く前に、ノシロは意識を無くした。




