5 警察署長
しかしその次の日だった。
全てが何もかも変わったのは。
「それでね、その人ときたら――」
ウエキはいつものようにニコニコと笑顔を振り撒きながら、口を動かす。
「ねぇ ノシロ、聞いてるのっ?」
「聞いてる、近所に住む恰幅の良い女性の話だろう」
「なんだ、聞いてたの」
「…なんだその言い方っ!」
「キャーーっ、ごめんなさーーい!!」
ノシロはため息をついた。
「…あ、初めて笑ったね」
ウエキがそう言った。
「え?」
「ノシロ、笑ったよ」
「お――俺が?」
ほぼ無意識だった。
「…………笑う…か、俺が……」
「なに考え込んでんのさー!
笑うことは良いことだよ? だってさ、幸せな気持ちになるじゃん!」
ウエキは伸びをした。
「きっとね、思うよ。
自分だけじゃなくて、他の誰かも幸せにしたいって」
「…………。」
「ね、ノシロ。
人の幸せを願うことって、よっぽどのことがないと有り得ないと思ってたんだ。
でもね、私はノシロに幸せになってほしい!」
ウエキはいつものように、ニコッと笑った。
「ノシロは私にとって、大切な人だから!
だから、幸せになってね」
そんな笑顔はどこか寂しくて……。
ノシロは、無意識に口を開いていた。
「俺は…お前に」
「ちょっといいかな、君たち?」
ノシロは物凄い勢いで振り返った。
男が、1人。
隣で小さく息を飲む音が聞こえた。
「人捜しをしていてね。
ちょっといいかな」
「お前、誰だ」
ノシロは間髪入れずに言った。
「あぁ、すまないね。では自己紹介を」
座り込む2人の視界に、くすんだ紺色が飛び込んできた。
硬そうな帽子から、少ししわのある男性の顔。
「警察署長、間城タガミ」
相手の顔からにやり、と笑みがこぼれた。
「…用は?」
猫は警戒の目をやめない。
「実は人を捜していてね。ある事件を起こした少女なんだが」
タガミは胸ポケットから写真を取り出す。
「この子だ」
小さく微笑む、少女の写真。
クリーム色の髪は小さく跳ねていて、少しだけ大人びた表情からは、子供なりの正義感が溢れていた。
「彼女の名前は、ハギノ。当時、14歳だった」
タガミは写真を地面に静かに置いた。
「もう10年も前の話だがね…」
タガミは立ち上がった。
「君たちも知ってるだろう?
『猫の一族』の、滅亡を」
「………!…」
ノシロは目を見開いた。
「猫の…一族」
「まぁ彼女は猫の一族を守ろうとしただけなんだがね…」
タガミは空を仰いだ。
「10年前のあの日も…よく晴れた日だった」
「あの日…?」
フード越しに、ノシロの耳が小さく動く。
「お前……
一族の滅亡の日を知ってるのか?」
ギロリと睨みつける、猫の目。
「…気になるか?」
深い黒の瞳がノシロを見下ろした。
「もっ、もういいじゃん、ノシロ!」
黙りこくっていたウエキが、突然小さく叫んだ。
「私たちは、その写真の子なんか知りません!
行こう、ノシロ!!」
ウエキはノシロの腕を持ち上げると、歩き始めようとする。
「おいっ、ウエキ!」
腕を引っ張られるがまま、ノシロは小走りでウエキについていった。
「ウエキ、か…」
タガミはいやらしく笑みを浮かべた。




