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第十三話 「ナミと婚約?結婚近し」

 主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。

 だが、いつも寄り添ってくれる妻ナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。

 ナミは婚約指輪的な物が欲しいようで、俺がオフ(休み)になってから買いに行く事にした。

 ナミは買いたい指輪を調べてあるらしく「俺の払える金額で頼むよ」と言うと「大丈夫、大した金額じゃないから」と話していた。

 俺は今日からオフ(12月1日~)に入り、グラブやバット、スパイクの手入れをしていた。

 ナミが帰って来てから買い物に出掛け、誕生日プレゼント等を買っていた。

 ナミと行ったジュエリーショップは高級店ではなく一般的な店で少しホッとしていた。

 「少しは気を使っているな」と思いナミが気にいったリングを店員が出し、サイズ感等を確認していた。

 俺はレジに表示された金額を見て「えッ!」となった。

 支払い金額は税別で二十七万円だ。

 「高くネ?」と思ったがナミは逆で「かなり金額を抑えたのよ」と話す。

 庶民との金銭感覚の違いは変わらなかった。

 俺はカード一括払いで会計を済ませた。


 その後、昼飯に行ったり、買い物行ったりと色んな所を歩き廻り、マンションに帰宅した。

 いつもいっぱいの荷物だが、ナミは今後の事を考えての買い物だと話した。

 二人でソファに座り、ナミは買ったリングを左手薬指に付けると満面の笑みで「ハル、有難う。私はハルの婚約者だネ」と言うのだ。

 「そうか?そういう事を女の子は望んでいたんだ」と初めて気づいた。

 今日はナミの誕生日を祝って美味しいお肉を食べに出掛けた。


 翌日は、球団から来季の契約について話しをするため、球団事務所に出掛けた。

 年間の年俸(年間の給料=契約金)等の交渉をするのだが、俺は初めての事なので、事前に先輩達から話しは聞いていた。

 球団事務所に着くと、球団職員から小会議室に案内された。

 すぐに球団役員等が来られ、俺の総合的な評価していただいた。

 来季の年俸は三十パーセントアップを提示され、今の俺にとっては来季も契約していただけるだけで満足で「有難うございます」と言い、提示された契約書にサインした。

 俺はマンションに帰宅し、ナミが帰って来てから来季契約(年俸等)の話しをすると「ハルが納得してればいいと思うよ」と話した。


 翌日、レンタカーを借り、俺達は初めて新潟県内の温泉地に二泊の小旅行に出掛けた。ナミと俺の一年間の疲れをゆっくり温泉に浸かり楽しんでいた。

 宿泊先はナミ母の紹介の温泉旅館だ。

 貸し切り露天風呂に入り、雪を見て美味しい料理を堪能し、贅沢な旅行となった。

 その後、俺達は一度マンションに戻り、年末年始の沖縄旅行の準備をしていた。ナミの両親の会社が関わっている豪華な沖縄のホテルで過ごす予定だ。

 沖縄に出掛けるまでは、ランニングや筋トレを毎日欠かさず行っていた。

 沖縄に出掛け、那覇空港に着くと解放感に満ち溢れ、毎日は感動の連続であっという間の六日間だった。

 きれいな海と美味い飯、初めて体験したシーサーを作り。メスは俺、オスはナミが作り、個性あるシーサーが完成した。

 焼き上がったシーサーは後日送られてくるようで待ち遠しかった。

 沖縄でもホテルにあったフィットネスルームでできる限りの筋トレを行い、身体の常態をキープしていた。

 観光地巡りもタクシーに乗り、毎日を楽しく過ごした。


 一月三日にマンションに戻り、翌日には新年の挨拶と沖縄のお土産を持って、大石先生宅、俺の実家を廻っていた。

 ちなみにナミの実家への挨拶は両親が忙しいので、一月中であれば良いと話していた。

 大石先生宅を訪問すると大歓迎を受け、沖縄のお土産を渡すと昼飯をご馳走になった。

 大石先生は昨日まで娘さん、息子さん家族が来ていて大騒ぎだったと話していて、孫の相手が大変だったと笑顔で話していた。


 その後、俺の実家に行くとおとんは退院していて、職場復帰するらしいがトラックには乗れず、運行管理関係の仕事をするらしいと話していた。

 おとんは、事故で怪我した身体のために酒はしばらく辞めると話していた。

 おかんは相変わらずスーパーで元気に働いている様だし、兄いは三月で大学を卒業し、県職員(公務員)になると話していた。


 俺は一月十日からチームのキャンプが始まるまで宮崎に行き、チームの先輩や他チームの方々と自主トレを行う予定だ。

 ナミはプロの自主トレやキャンプに興味があったようで、同伴する事になり、月末まで同行していた。ナミは豪華なホテルを予約して、一緒に宿泊していた。

 一緒に自主トレしている方々から羨ましがれて困る事もあるが、余り気にせず野球の身体を作り上げていた。

 練習場にナミは顔を出し、俺の練習を見ては夜にダメ出しされていた。


 二月から二軍のキャンプが同じ宮崎で始まり、身体の調子を見ながら守備や打撃練習を繰り返していた。

 後半は紅白試合が多く、実践に向けての身体を慣らしていた。

 ナミは大学があるので一足早く帰り、俺の住むマンションから大学に通っていた。

 月末にはキャンプが終わり、各自荷物をまとめ帰宅した。

 俺は久しぶりにマンションに帰り、明日から三日間の休暇なのでナミと過ごす予定だ。


 ナミは今まで住んでたマンションを二月から友達二人に貸していると話していた。俺は「両親に黙ってここに住んでいる事がバレたらヤバくネ」と言うが、ナミは平気な顔をしていた。

 ナミは個々のマンションから大学に通学した方が近いとの理由で以前からちょくちょくこのマンションに泊まり大学に通っていた。

 ナミの事だから例え両親にバレても上手くやるとは思っていた。

 俺は毎日ナミが居てくれた方が嬉しいし、色々と励みになる。


 ナミは二軍練習場へ俺が電車通勤している事に対し「車なら通勤時間は短くなるよネ」と言うが、今は車を買う程でも無いと思っていたし、マンションの駐車場は空いてないし、近隣の月極駐車場は高いしで「今の俺には手が出ないし」と話した。

 するとナミは「任せなさい!」と言い、何やらあちこちに電話していた。

 どうやらナミの両親の伝手でマンションから徒歩五分程の所にレンタカーの営業所があり、そこの車を俺に貸してくれると言うのだ。

 そこのレンタカー(千五百CC前後)一台を俺に優先して月額十二万円の安価で貸してくれるとの事だ。駐車場料金込みで必ず借りれるメリットが良かった。但し、免許取得後、運転経験が無かったので少し不安なのだ。


 プロ野球二年目に突入。

 三月中旬から二軍のリーグ戦が始まり、ほぼ毎試合スタメンでに出場した。  

 ポジションはショートが六割、サードとレフトが各二割だ。

 打撃はまだ安定しない所もあるが、コーチやシゲさんのアドバイスをヒントに打撃練習を繰り返していた。

 木製バットのバットコントロールは難しいが、練習あるのみだ。

 守備だけは監督もコーチも一軍並みと評価してくれるが、守備だけでは上(一軍)に上がれない事は十分わかっていた。

 監督・コーチ、シゲさんからも「焦るな、じっくり練習で仕上げて行け」と

言われていた。

 また、怪我が怖いので、トレーナーやナミの紹介の病院(スポーツインストラクター等)に相談したり、マッサージ等の身体のケアに気を使っていた。


 四月になり、ナミは大学二年となった。

 俺のチームは現在リーグで六位(八チーム中)だ。

 二十五日には俺の二十歳の誕生日で、朝球場に行って練習を終えると球団職員の方が「お誕生日おめでとうございます」と花束をいただいた。

 監督・コーチからも祝福され少し恥ずかしかった。     

 この日はスタメンに入り、六番ショートで出場した。

 一打席目はレフトフライで、二打席目はショートゴロ、三打席目には左中間を抜けるツーベースヒットだ。

 試合は二対六で快勝した。

 試合後、居残り特打ち(室内練習場で一時間程マシンを相手に打ち込む)をしてからシャワーを浴びて帰宅した。

 マンションに帰ると洗濯・掃除をしてナミの帰りを待つと小さなケーキと俺へのプレゼントを持ってナミは帰って来た。

 俺が球団から貰った花束やヒットを打ってチームが勝った事を話しながらナミにお祝いしてもらった。


 五月に入り、遠征での試合が多くなり、試合の出場回数が増えて行った。

 新潟の三連戦はスタメンで出場し、中一日で横浜・千葉と六連戦となった。

 俺はスタメンで使って貰うが今一つ打撃が好調ではなかった。

 九戦で二十八打数九安打二点だった。

 久しぶりにマンションに帰り、ソファに座り、居眠りをしていた。

 流石に疲れていたのか一時間程眠ってしまった。

 起きてから洗濯と掃除を済ませ、冷蔵庫から冷えた炭酸水を呑みテレビを見ていた。

 ナミが大学から帰って来て、久しぶりに会う俺を見て「痩せた?」となり、体重を図ると出掛ける前より五キロ痩せていた。

 ナミは「ご飯行こ」とスマホで予約したところに出掛けた。

 そこは焼肉店で、俺は腹パンになるまで食べ、ナミに「遠征中ちゃんと食べてなかったでしょ」と言われ図星だった。

 ナミに正直に答え「遠征中、バッティングの事で考えていたら寝れなくなって、飯も余り喰えなり、身体に力が入らなくて途中交代が多かった」と話した。

 俺は腹パンでマンションに帰るとソファに座り、とナミは俺の横で腕を組み、色々と話し励ましてくれた。

 俺は明日休みで、ナミも明日は大学を休むと話していた。

 俺の気分転換はナミと一緒にいる事かもしれないと思った。


 翌日からホームでの三連戦となり、スタメンで六番レフトとなった。

 この日、打撃は好調でタイムリー二本を含む三打数三安打四打点とチームに貢献し、二対六で勝った。

 その後も同様に六番レフトで出場し、三打数三安打二打点となった。

 最終戦は六番ショートで出場し、三打数二安打二打点となり、初めて納得いくバッティングができた。

 監督やコーチから「この三連戦、凄く良かったぞ」と言われ、シゲさんからも「ようやく芽が出て来たか?」と言われた。

 居残り特打ちをして今日のいい感じを身体に刻み込もうとしていた。


 明日は休みで次の三連戦はホームだし、気合が入る。

 シャワーを浴びてレンタカーで帰宅途中に信号待ちで止まると後ろから追突されてしまった。

 幸い、頭、首、その他はエアバックにも助けられ特に痛みは無かった。

 追突した車のスピードはそれ程出ていなかったので、怪我は無かったが、警察の調書が終わってから念のために救急車で病院に向かい全身の検査をした。 

 俺は病院からナミや球団に連絡し、事故の事を話した。

 ナミにはレンタカー会社に連絡して貰うよう伝えた。


 俺の検査は終わったが、翌日以降身体に痛みが出た場合はまた病院に来るよう言われ、その後帰宅した。

 翌日は休みだが、午前中からレンタカーの事で保険会社の方が来たり、球団職員から連絡があったり、午後からは加害者の方と会社の方が謝罪に来て気づいたら十五時を過ぎていた。

 事故の原因は、加害者の方が運転中にスマホを操作していた事で追突したとの事で、十対0の損害賠償請求となるようだ。

 俺は追突の衝撃が軽かったからまだ良かったが、衝撃が強かった場合を考えるとゾッとした。


 翌日、新たなレンタカーで二軍練習場に向かうと監督やコーチ、球団職員の方々に俺の身体の事を聞かれ、特に痛みは無い事を伝えた。

 その日は試合には出場せず、守備・打撃練習のみだった。

 俺はシャワーを浴び、帰宅しようとした際、監督から「ハル、明後日から上(一軍)に行ってくれ、ホームだから」と言われ、球団職員の方が詳細を教えてくれたので、明後日、ホームでの一軍戦に参加する事になった。

 帰宅し、明後日から一軍行きの事をナミに伝えると「明日病院に行こう。もう一度検査してから一軍に行った方がいいよ」と言われ、明日病院に行く事にした。

 病院に行き、血液検査やレントゲンやMRI等の検査があり、身体中のマッサージをして貰うと、検査結果異常無しと言われ帰宅した。

 俺は明日からの一軍に興奮していたが、出場できるかどうかはわからなかった。

 

 翌日、十四時には一軍のホームグランドへ行くよう言われていたので、グラブ、シューズをバッグに入れ、電車で出掛けた。

 コーチからの話しだと一軍の試合を直接見て、今の自分と比較し、今後に生かして欲しいという狙いと今の自分が一軍で通用するかどうか身近で体験して何か得るものがあるだろうと考えているようだ。

 俺以外にも後日二人が同じような一軍体験を別日程で行う予定と話していた。これはサラリーマンでいう「研修」みたいなものらしい。


 一軍参加当日、早めに球場入りし、球団職員から一軍の監督・コーチ・ベンチ入り選手に紹介され挨拶をした。

 その後、身体を解し、守備練習と打撃練習をしてベンチに戻ると監督から「守備が上手いと聞いている、どこかで守備ショートに着いてもらおうか」と言うので「よろしくお願いします」と答えた。

 他の選手からは「可愛い子がいる様だね」とかイジられ、試合前から大変なのだ。

 コーチからは「シゲさんから噂は聞いているよ」とか言われ、前評判は良さそうだ。

 夢にまで見た一軍のナイターゲームで興奮と緊張で落ちつかなかったが、コーチからガムを貰い噛んでいると不思議と落ちついて来た。


 試合が始まり、ベンチ内には緊張感が漂っていた。

 俺は一軍の試合をベンチから見るだけだったが、試合は六回裏が終わり、監督から「八・九回とショート頼むぞ」と言われ自分のグラブを袋から出した。

 八回表にショートに着き、ボールを廻していた。

 人工芝の感触を足で感じ、打球の早さを確認した。

 先頭バッターの打球が俺のところに来ていい感じで捕球し送球してアウトにすると観客の声援が心地良かった。

 その後2回も俺のところに打球が来て三者連続ショートゴロとなり、俺は観客からの声援が嬉しかった。

 俺は九回も守備に着き、六・四・三のゲッツーを決め、チームは二対五で勝利した。

 ゲームが終わり、ロッカーへ行き、シャワーを浴びて帰ろうとするとコーチの一人と先輩選手二人に「ハルの歓迎会しよう」とタクシーに乗せられ、街へと連れて行かれた。ナミにメールし、今の状況を報告した。

 中華店に入り、早速ビールやつまみ等がテーブルに並び「お疲れ!」と乾杯するのだが、「俺ビール初めてッス」と言うと「そうか、無理に吞まなくてもいいぞ」と言ってくれた割には何回もビールを注ぎ入れてきたのだ。

 少し手荒い歓迎会だが、気のいいコーチと先輩達だった。

 店を出て俺は帰宅し別れたが、コーチと先輩達はタクシーに乗って消えて行った。

 俺は駅まで歩き電車で帰り、マンションに着いたのは二十二時半頃だ。

 ナミは「飲み会?」と言い、「手荒い歓迎会だったよ、初めてのビールや中国酒を飲まされ、イジられ大変だったよ」と答えると、ナミは「二十歳を越えたら皆こんな感じなのかなあ」と話していた。

 また、初めてのビールは苦くて「皆良く飲むなあ」が第一印象で中国酒は暖かく砂糖入れて飲んでいたけど俺は好きじゃなかったとナミに話していた。


 明日は休みだが、明後日もホームでナイター三連戦だ。

 ホームでの三連戦は全て途中出場でショート、サード、レフトの守備を経験し、打席には二度立たせてもらったが、ノーヒットに終わり、翌週からは出場登録を抹消され、二軍へ戻る事になった。

 一軍での四試合で得たものは何だろうと頭の中を整理していた。

 やはり、ピッチャーの迫力は全く違っていたし、そのためバッティングではタイミングの取り方やバットコントロールが難しかった。

 今の自分では一軍で野球をするレベルでは無い事を実感した。

 四試合で二打席は少ない経験ではあったが、打撃の未熟さを痛感した。

 二軍での練習や試合経験を積み重ね、一軍から声が掛かるような選手になろうと気合が入った。


 翌週からまた二軍のグランドへ行き、練習と試合に参加していた。

 監督やコーチから一軍での感想を聞かれ、「ハルが感じた事を実践にどう生かすか、それはハル自信の取り組み方次第だな?」と言われた。

 十三時から試合があり、俺はスタメンで二番ショートだ。

 初回から積極的にバットを出し、芯で捉えるバッティングを心掛けた。

 狙いは三遊間・二遊間・一二塁間である。

 一打席目はサードゴロ、二打席目は三遊間ヒット、三打席目はセカンドゴロとなった。

 翌日の一打席目は右中間ヒット、二打席目はピッチャーの足元を抜く二遊間ヒット、三打席目は三遊間ヒットとなった。

 最終戦の一打席目はレフト前ヒット、二打席目は一二塁間ヒット、三打席目はライト前ヒットで九打数七安打三打点となった。


 七月にはチームは三位となり、だいぶ活気づいてきた。

 猛暑による体調の変化の無いよう、スポーツドクターやトレーナー等の指導を受け試合に出場していた。

 その後は遠征が続き、ナミとはしばしの別れだ。

 ナミの大学は夏休みに入ると俺と一緒に移動する事もあった。

 

 八月に入り、チームは三位だが二位との差が一ゲームとなり、チーム内の活気は良かった。

 俺は体重を五キロ程落としながらも筋力の維持に勤め、トレーニングをしていた。

 バッティングも好調になり、規定打席を越え、打率は三割一分以上をキープし、リーグ打率では二位に入った。

 ここ二・三ヶ月でヒットが量産し、三振は少なくなっていた。

 シゲさんは「もう、何も言う事が無くなってつまんね~な」と最高の誉め言葉だ。 

 たまにシゲさんと呑みに行くのだが、俺にとっては「野球のおとん」みたいな存在だ。

 シゲさんは来年いっぱいでこの仕事を終えると話していた。

 この話しは俺にしか言って無いようで、来年の夏頃皆に話すと話していた。

 シゲさんの年齢は七十歳で、元気だし、口うるさいが優しいし、俺にとっては貴重な存在だが、シゲさんは「俺が何時までも居ると次の奴らがやり難いだろ」と話していた。

 シゲさんはもっと早く引退したかったようだが、球団がなかなか辞めさせてくれなかったようだ。俺もシゲさんにはいつまでも居て貰いたいけど。

 「ハル、頑張り過ぎなくていい、観客が喜ぶゲームをして欲しい。野球ファンが少なくなっているのは俺は寂しい」とシゲさんは話していた。

 シゲさんから「ハル、観客が喜ぶプレイって何だ?」と聞かれ、俺は「守備でのナイスプレイと得点に結びつくヒットやホームランかな?」と言うとシゲさんは「そうだな、それが観客が喜こぶプレイだ!」と言われた。

 

 九月も過ぎ、チームは二位のまま最終戦を迎えた。

 ホームでの最終戦はナミも見に来ていた。

 俺は二番ショートでライト前やレフト前、三遊間へ次々とヒットを打つが相手チームとの点差はわずか一点で負けていた。 

 九回裏八番から始まり二・一塁ノーアウトで一番がセンターフライに倒れ俺の打順だ。

 俺は二球目のカーブをライト線に運び、一点返し同点となったが、勢いは続かず引き分けとなった。

 チームはリーグ二位で終わり、俺の個人成績は打率二位、安打数一位、三振は最小となり、二軍での二年目は満足のいく結果で終わる事ができたと思う。 

 帰りにシゲさんにナミを紹介すると「ハルの原動力となった人か」と話していた。シゲさんと別れマンションに帰った。

 ナミから「一年間お疲れッス」と言われ感謝しかなかった。

 俺は二週間程休み、秋季キャンプに出掛けた後、オフに入る予定だ。

 今年の秋季キャンプは千葉で三週間行われ、その内一週間はナミも一緒に近くのホテルに宿泊する予定だ。

 このキャンプでは水中トレーニングと外野守備と打撃練習を行っていた。

 筋力は年々強くなっていると思うし、身体の柔軟さも維持していた。

 あとは食事と睡眠の専門的な指導があり、昨年には無い充実した内容で終了した。


 その後、大石先生と奥さんに会い、今年の報告をし、来年一月にはナミと結婚する事も伝えた。

 おとんとおかんより早く報告した事を叱られたが、俺達の中では「恩師が一番かな」という想いで報告したまでで、先生は叱ってはみたものの本当は凄く嬉しそうだった。

 その後、おとんとおかんに会いに行き、ナミとの結婚を含め、色々と報告した。

 それからナミの両親に揃って報告はできなかったが父と母の順に会って報告をした。ナミ母は色々と聞いてきたり、アドバイスをしてくれたので凄く有難かった。

 また、ナミ母は実家の後継者(砂山グループ)で、ナミ父は婿養子との事だ。ナミは俺を砂山家に婿養子で迎えたいと言うが、ナミには二人の兄が居るのだが、俺を婿養子にしたがるのは兄(長男)は外科医で、もう一人の兄(二男)は整形外科医でスポーツ医療をしており、両親の後継者としては期待が薄いと話していた。

 そういう事もあり、後継者候補はナミが有力となるだろう。


 今の俺には野球しか考えていないし、ナミは俺に野球を思い切りやらせたいとの想いがある。

 俺の野球は自分の夢でもあり、大石先生の夢やナミからの想いが詰まっていたので俺は今後も野球を続けるつもりだ。


 球団から来年の契約更改の話しがあり、球団事務所に出掛けた。

 球団関係者と役員から説明を受け、年間の給料(年俸)等の提示があった。

 来季は七十五パーセントアップとなり、俺は満足過ぎて即サインした。

 球団役員は「来季、一軍昇格を期待している」と言われ、期待の大きさを実感した。


 俺は球団事務所を出て、真っすぐマンションへ帰り、ナミの帰りを待っていた。

 ナミは夕方頃帰宅し、明日から冬休みに入るので色々とやる事があったようだ。

 その後、晩飯に出掛け、俺の来季の年俸を伝えると「ハルが頑張った成果だネ」と褒めてくれた。

 晩飯を済ませ、マンションに帰り、ナミに誕生日プレゼントの話しをすると「腕時計がいい」と言うのだ。

 ナミの時計は中学から使っているらしく、バンドは定期的に交換したが、本体の調子が良くないらしいと話していた。

 ナミは「ハルにいい物買って貰おうかな」と言うので、「三十万円以内でお願いします」と言うとナミは「OK」と言っていた。


 二人共休暇に入ったので、ナミの企画した旅行に出掛けた。

 ナミと初めて海外旅行に出掛け、暖かい南の島へ一週間程滞在し、ナミの誕生日を祝い二人でくつろぎ、楽しんでいたが、毎日のランニング等は欠かす事無く続けていた。

 その後、台湾・香港を廻ってトータル二週間程の旅を終えた。

 自主トレやキャンプ、開幕戦と続くため、「今の内に旅行行っちゃえ!」みたいな感じであった。


 お互い二十歳になり、成人式を終えたら結婚する予定だし、この球団に居れるのであればこのマンションに二人で住むつもりだ。

 ナミはそれを想定しつつ、色々と買い揃えていた。


 十二月は、一月の結婚式に向け色々と準備をしていて、大きな結婚式(挙式・披露宴)では無く、親族、お世話になった方々や友人等を交えた総勢五十人程のものを考えていた。

 会場はナミの両親が紹介したホテルで全てを行うように決めていた。

 また、招待する方々へ招待状を用意したり引き出物を決めたりしていた。

 その他にナミと一緒に衣装合わせも行い、この休暇中に準備していた。


 俺達の結婚式は一月十二日に決定した。

 結婚式の準備は年末までに終え、二人だけの年末年始を迎える予定だ。

 おせち等の食材は取り寄せて、二人だけでのんびりと過ごしていた。


 結婚式当日、久しぶりに会う方々と挨拶し懐かしい話し等をしていた。

 緊張した挙式も滞りなく終わり、ナミと俺はホッとして記念撮影に向かった。撮影が終わるとお色直し後に披露宴が始まった。


 ホテルの方が司会進行を勤めてくれ、大石先生の乾杯の音頭で宴が始まった。

 大石先生と奥さんが俺達にビールを注いでいただき、この日が迎えられた事の感謝をしていた。

 続いて監督やコーチ達が来てくれ、マサトとケン達やコトミ達が来てくれた。

 マサトは先月怪我をして今は休んでいるようだが、ケンは一軍のストッパーで大活躍していた。

 その後も次々と来ていただき、最後にはシゲさんが少し赤い顔をして来てくださり、「ハル、カミさんに優しく、野球に厳しくだ」と有難いお言葉をいただいた。

 出席していただいた方々がカラオケやマジックショー等を披露していただいたので楽しく、温かい披露宴となった。

 約二時間程の披露宴も最後になり、俺とナミで皆さんに感謝の言葉を述べるとナミのお母さんは涙していた。

 おかんは冷静でおとんは酔っぱらってご機嫌だった。

 お帰りになる方や二次会に参加される方にタクシーチケットとお土産やお酒を渡して見送っていた。

 ナミと俺は二次会には出席せず、二次会の店を提供してお好きな方々だけで楽しんで貰う事にした。

 ホテルの方に「皆さんお帰りになりました」と言われたので、俺達も帰る事にした。

 ナミと俺はタクシーに乗り、マンションに帰った。

 帰ってから二人の左手の結婚指輪を重ね、「ナミ、今日から堂々と一緒に住めるぞ」ともう同棲では無くなった。

 ナミとは中学一年から今まで七年が経った事を思い出し振り返っていた。

 その後、今後の事を話し、ホッとしたのと気疲れで、シャワー浴びて眠ってしまった。

 子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。

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