9甘:病
ミルーネはその日、豪華客船に飾る為の描き下ろしの絵画を完成させた。その知らせは、アルヴェードの元に届く。勿論、電話をしてきたのはミルフォンソだった。
「アルヴェードさん、ご依頼のありました絵をミルーネが完成させました。納品に伺いたいのですが、いつがよろしいでしょうか?」
「それはそれは、お早い。当財閥へのご協力、ありがとうございます。我々が取りに伺いますよ。お手を煩わせるわけにはいきません」
「そんな。それは遠慮します」
アルヴェードは、軽く笑いこう返す。
「絵を取りに伺うだけですよ?何を警戒されてるんですか?」
ミルフォンソの返答は、遅れる。
「警戒なんて、とんでもない。ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。その、絵は既にお渡し出来るようにしてありますので、引き取りはいつでも構いません」
「では、改めて日程はご連絡します」
「お待ちしています」
アルヴェードとミルフォンソの電話は切れた。アルヴェードは、ヘーブリン造船所に連絡し、担当者の都合を聞き出した。すると、2日後の引き取りが決定した。
そして、当日。アルヴェードは、造船所の担当者とミルーネ宅を訪れた。すると、ミルフォンソではなく、ミルーネが待っていた。そのミルーネは、全身を茶色の衣服等で覆い、目だけを露出した姿で立っていた。
「アルヴェードさん!お待ちしてました!!」
ミルーネの声は弾んでいた。アルヴェードは笑顔で返した。
「ミルーネさん、まるでチョコレートみたいだ。それはそうと、絵を完成させてくださり、ありがとうございました」
「こちらこそ、私の絵が船に乗って世界中を旅出来るって思ったら、楽しくなってしまって一気に描き上げてしまいました!」
唯一見えるミルーネの目は、奥底に辛さが見えたが、笑っていた。アルヴェードは、その目を見つつ、言った。
「早速ですが、絵を見せていただけますか?」
「はい!」
ミルーネは、アトリエにアルヴェードと造船所の担当者を案内した。そこには、一際大きな絵が。全体的に淡い色で彩られたその水彩画は、沢山の実在しない動物のようなものが集まっていて、それが世界地図の形を形成していた。アルヴェードは、感嘆のため息をついた。
「これを、暗闇で制作されたんですよね?凄い腕だ」
「そうですよ」
そして、絵は白い布に包まれ造船所の担当者に運び出された。そして、アルヴェードは造船所の担当者に指示した。
「事故のないように持ち帰ってくれ。私は、ミルーネさんと少し話をしてから帰る」
造船所の担当者は、それを聞き届けると、トラックにて帰路に就いた。アルヴェードは、それを見送りつつミルーネに話しかける。
「あの絵は、言い値で購入させていただきますよ」
「勿体ないお言葉。あの絵が旅をするっていう事だけでとっても満足だから、寄贈したいくらいなのに」
「それはいけませんよ。しっかりした仕事には、それなりの報酬を差し上げないと、芸術の価値が揺らいでしまいます」
「身に余る言葉です。ありがとうございます。なら、後ほど金額を考えて請求します」
「是非」
アルヴェードは、そう返答しながらミルーネを見た。すると、ミルーネの眉間の下辺りが異様な赤みを帯びている事に気づいた。アルヴェードは、「ここに来た時、ミルーネはこんな感じだったか?」と心の中で言った。そんなアルヴェードにミルーネの声が届く。
「す、すみません。カーテンを引きます。暗くなりますが、いいでしょうか?」
「いいですよ?」
ミルーネは、カーテンを引く前に、キャンドルに火をつけた。そして、小さな壺を引き出しから出し、手に収めた後、分厚いカーテンを急いで閉めた。アトリエは、闇に落ちる。
「大丈夫ですか?」
アルヴェードの問いに、ミルーネは答えた。
「ごめんなさい。『時間切れ』で」
「『時間切れ』?」
2度目のアルヴェードの問いに、ミルーネは答えず、壺から軟膏を手に取り赤みが出た眉間の下に塗る。塗り終わると、一呼吸置きミルーネはようやく返答した。
「これから、お付き合いしていただくアルヴェードさんにもお伝えしなきゃなりませんね。その、私、病気なんです。光で火傷をしてしまうんです」
アルヴェードの目が見開かれる。その様子は、ミルーネには届かない。
「それはそれは、大変ですね?ミルーネさん。痛いですか?」
「今日は、痒みが出ています」
「ああ、何と言う事だ。日の高い時に伺うべきではなかったんですね」
「いいんです!私、アルヴェードさんに会いたかったから!!」
ミルーネは顔の痒みに耐えながらアルヴェードに抱きつく。
「アルヴェードさんにまで見捨てられたら、私っ、壊れてしまいますっ。だから、お会い出来る時間は、アルヴェードさんに合わせますっ。」
「そうですか、わかりました」
アルヴェードは、腕の中のミルーネの背中をさする。
「今まで、お辛かったんですね。その病をひっくるめて貴女だ。私は、その病まで愛し尽くしますよ。ミルーネさん」
「アルヴェードさんっ!」
ミルーネの腕の力が強まる。アルヴェードはそれを受け入れ、引き続き、ミルーネの背中をさすった。
ミルーネが塗った軟膏は、即効性があり、痒みを取り去った。それを感じ取ったミルーネは、一度アルヴェードの胸の中から出て顔を覆っていた布を全て取り払う。そして、再びアルヴェードに接近し、唇を重ねた。アルヴェードは、この口づけもミルーネの薬になればと、情熱をその唇に乗せた。アルヴェードは、心の中で囁く。「ミルーネを守りたい」と。
過熱する口づけは、しばらくの間続いたが、お互い名残惜しそうにそれを終わらせる。アルヴェードは言った。
「火傷させない愛を、これから私は、貴女に贈ります」
「貴方の愛になら、火傷してもいいです。アルヴェードさん。愛してます。ああ、どうしようもないくらい、愛してますっ」
「そうですか、嬉しいですね。では、その心を火傷させに伺いますよ?」
「是非。私の心を焼き尽くしてください」
ミルーネは、再びアルヴェードに抱きついた。