36甘:誤報
ベルカイザ号がレト共和国の港で足止めされた日の翌日。夕方、ブンボル王国内にとある報せが駆け巡った。「新造豪華客船、ベルカイザ号がレト共和国に拿捕された」と。それは、レト共和国の近隣諸国からの情報であった。勿論その報せは、自宅にいたエリザータの耳にも届く。エリザータは、極めて小さな声を上げる。
「そんな、アルヴェードっ」
懸念した事態が起きた。エリザータは、内心の激しい動揺を隠しながらも、使用人たちの前では気丈に振る舞った。
「アルヴェードの無事の帰りを信じて待ちましょうね」
しかし、動揺はエリザータをアルヴェードの自室へと誘う。主のいない部屋に1人となったエリザータ。ベッドの横に座りながら、布団に顔を埋めた。
「嫌よ、万が一の事があったら、嫌よ。アルヴェードっ」
エリザータの涙は、アルヴェードの布団を濡らした。
「今すぐ、会いに行きたい。けど、行けないわ」
とめどなく流れる涙に負け、いつの間にかエリザータは眠ってしまった。
エリザータの夢の中で、アルヴェードは遺体で帰って来た。夢の中のエリザータは悲鳴と共に倒れる。代わりに現実のエリザータが夫を呼ぶ叫び声と共に目を覚ます。
「ゆ、夢。ああ、よかった。けれど、けれど」
全身を覆い尽くす勢いのエリザータの不安。それをかき消そうとエリザータはアルヴェードのベッドを何度も何度も撫でた。
その頃、レトの港では、嵐が去ろうとしていた。アルヴェードは一刻も早く晴れて欲しいと願っていた。そんなアルヴェードであったが、急に後ろを振り返る。財閥の部下の男性が、隣で首を傾げながら尋ねた。
「次期総帥?何か?」
「い、いや?何でもない」
アルヴェードは言えなかった。妻の声が聞こえたような気がしたなどと。アルヴェードは、1人になると、胸をきつく抑えた。そして、呟く。
「エリザータ」
エリザータと会いたい衝動が、アルヴェードを襲う。
「必ず、必ず帰る。エリザータ、待っていてくれ」
アルヴェードは、そう決意すると旅程の変更に伴う調整会議に向かった。会議では、寄港予定の一部の国から、日程変更は認められないとの通達が来た事が明かされた。アルヴェードらは旅の中断を決断。ブンボルに引き返す事になった。
「帰国までの道中、乗客には楽しさを感じてもらえるよう、全力を尽くそう」
アルヴェードは、そうメンバーに声をかけた。
そして、翌日。空は晴れた。また、波も次第に落ち着いた。全ての安全が確認される。ベルカイザ号は、出発の時を迎えた。レト共和国側から、クルセイン首相の談話が通信で入ってきた。女性が代読するその談話は、このような内容であった。
「この先の航行に対し、無事を祈ります。そして、レトとブンボルの未来が良きものになりますように」
アルヴェードは、ブリッジでそれを聞き、頭を深々と下げた。ベルカイザ号は、ゆっくりレトの港を出航して行った。
しかし、この時、アルヴェードらは知らなかった。自国でベルカイザ号拿捕の誤報が流れている事を。




