21甘:夫婦の12の過去その7
その夜、エリザータは帰らなかった。アルヴェードは、両親にエリザータの件について問われ、こう返した。
「出ていきました。夫の私が許可致しました。不服でしょうが、これは、私たち夫婦の問題です。口出しは無用という事にしていただきたいです」
両親も、使用人たちも動揺したが、アルヴェードの冷たい視線と毅然とした態度に、それ以降の言葉をかける事は出来なかった。アルヴェードはその後、自らのベッドにて呟いた。
「二度と帰らないかもな。それはそれでいい」
一方、エリザータは大雨の中、ルルコス銀行の前まで歩いて行った。そこで、遠目に退勤する行員たちの姿を見る。傘を差し、お互いに労いの言葉をかけながら笑顔でその集団は解散していく。
「私、あの人たちの為に、アルヴェードとっ」
これからの人生が全てにおいて暗闇に見えた。次第にエリザータは嗚咽の声を上げ始める。しかし、大きな雨音にそれはかき消された。ふらふらとエリザータは歩き始める。顔を伝うのが雨粒なのか涙なのかわからない状況で、何度もエリザータは自らの頬を手で拭った。
通行人から奇異の目で振り返られながらエリザータは歩いて行った。しばらくすると、後ろから傘が差し出された。
「えっ?」
「どうしたの?」
雨音に負けないように張り上げられた声だったが、芯に優しさの通った男性が傘の方向から話しかけてきた。次第に相合傘状態になるエリザータと男性。エリザータは返答する。
「家出、してきてしまったの」
「なんと」
暗くてよく見えなかったが、男性の声色は、心底驚いていた。少しの沈黙の後、男性は言葉を続けた。
「よかったら、僕の所に来る?」
「で、でも、男の人の所は、こわいです」
男性は、笑った。
「そうだね?でも、大丈夫だよ。とりあえず、僕だけじゃないから。ちゃんと女の人もいる家だから、何かあったら彼女を頼っていいよ」
「な、なら、お言葉に甘えて」
そして、エリザータは男性について行った。辿り着いたその家は、一般的な住宅で、通常より少し大きめの物だった。男性は言った。
「玄関で待ってて?タオル持ってくるから」
先に家に入って行く男性。エリザータは玄関で立ち尽くしたが、程なくして大きなタオルを数枚持ってきた男性の姿を見る。エリザータは、タオルを受け取り、自らで濡れた体を拭くが、男性も手伝ってくれた。
「風邪引かないといいんだけど」
どこまでも柔らかく男性は対応してくれた。水滴がエリザータから落ちない事を確認すると、男性はエリザータを家に上げた。リビングへと案内されると、女性がいた。女性は言った。
「本当にびちょびちょね?」
「だろう?」
エリザータは、穏やかな雰囲気に包まれながらも、初対面で少し年上と思われる男女一組になかなか警戒感が拭えなかった。しかし、世話になるという事で、先手を切って自己紹介した。
「あ、あの、お世話になります。私、エリザータと言います」
「ああ、申し遅れたね。僕は、セブレーノ。彼女はキャナリーンだよ」
「よろしくね?」
「よろしく、お願いします」
それから、キャナリーンの勧めで入浴をさせてもらい、体が温まった所で話が始まる。セブレーノは尋ねた。
「人違いだったら、ごめんだけど、君、もしかしてクルーサム財閥の?」
エリザータの表情は硬くなる。キャナリーンは言った。
「セブレーノ、それは話さない方がいいんじゃない?」
「そうみたいだね?ごめん。君がどんな所の人でも、僕らは受け入れるよ」
「あ、ありがとうございます。そして、すぐに答えられなくてごめんなさい」
「変な事訊いちゃった僕が悪い。こっちには、特に事情ないから、説明しておこうかな?いい?キャナリーン」
「私が説明するよ。ここは、医療の仕事を目指す人のシェアハウスなの。私は看護師、セブレーノは医者だね」
「うん。先月まで5人で暮らしてたんだけど、他の3人、見事に独立したから、今は、僕とキャナリーンだけの家になってるんだ」
「そうだったんですか。てっきり、ご夫婦かと」
キャナリーンの顔が少し赤くなった。一方、セブレーノは大きく笑い出す。
「確かに!僕ら新婚さんに見えるかも!!」
屈託のないセブレーノの笑顔にエリザータはつられて少し笑った。キャナリーンはそれに反応した。
「エリザータちゃん、かわいい顔してるじゃん」
「え?」
「そうだね」
一転、セブレーノの顔は、柔らかい微笑みをたたえた。その顔にエリザータの胸の奥がトクンと鳴った。
それからというものの、エリザータは、学園に行かずにセブレーノとキャナリーンのシェアハウスに引きこもる日々を過ごした。




