第1話 忘れられないあの日
目を開けると、葉をつけた木々が左右に見えた。空は雲に覆われていて、昼間にも関わらず薄暗い。
辺りを見回す。
自分は何をするためにこんな場所にいるのだろうか?
ぼーっと立ち尽くして考えていると、途端に脳内を駆け巡るように記憶が思い起こされた。
「そうだ……村に帰るんだった」
俺はお世辞にも整備されているとは言えない道を歩いていく。
自分の左腰には、一振りの剣がぶら下がっている。
スベル王国の紋章が彫られたそれは、俺が王国の騎士に関係する者であることを示している。
故郷の村を訪れるのは久しぶりだった。
何年ぶりかすら思い出せないほどだ。
何故、俺は何年も故郷に帰らなかったのか。
少し考えるが、分からない。
分からないが、足を進めた。
進めなければならないと思った。
謎の焦燥感が俺の心を満たしていた。
気がつけば走っていた。
騎士としての修練で鍛えているはずなのに、何故か息がすぐに上がる。
しかし、それでも走り続けた。
――視界が暗転し、景色が変わる。
そこは、俺の故郷の村だった。
自然に囲まれた、小さくのどかな村。
小さな村だからこそ、村のみんなが仲良しだった。
そんなみんなが、出迎えてくれるはずだった。
「あっ……え?」
シミがあった。
地面に赤いシミが広がっていた。
もはや、それが誰であるかは分からない。
かつて人であったろうそれは、もう潰れた肉塊にしか見えなかった。
――道楽だ。
すぐに理解した。
これをやった何かは、食事を目的としていない。
何の明確な目的もなく、ただの遊びで人間を叩き潰し、この惨劇を引き起こしている。
「何でそんな化け物がこの村に……」
吐き気を堪えながら必死に自分の家へと向かった。
道中には赤いシミ、そして灰色の生き物が見えた。地面にへばりついた肉塊に集まっている。
裂風狼――魔物だ。
しかし、この惨劇を起こしてのはこいつではない。こいつにそこまでの知性はない。
こんな奴らに構っている暇はない。
そいつらを無視し、一直線に自分の家に向かった。
「うそだ……」
家のドアが開いていた。
玄関から、赤い液体が流れ出ていた。
「父さん、母さん……」
音が聞こえた。
何かを噛み切る音。
何かを咀嚼する音。
家の中に入ると、一匹の灰色の狼が何かを貪り食っていた。
点々としか皮膚と肉が残っていない複数の骨。
赤いシミとは別の理由でそれが何なのか判別できない。
判別できないが、それが何だったかは十分に理解できた。
「うぁぁぁ!」
気がつけば、左腰にぶら下げいた剣を抜き放ち、食うのに夢中でこちらに気がついていない狼に振り下ろしていた。
涙を流し、大声をあげ、何度も何度も振り下ろした。
首を、足を、腹を、何度も何度も切り刻んだ。
そして、切り刻んでしまったからこそ、その狼の胃の中が見えてしまった。
肉と骨、そして――俺と同じ茶色の髪。
「うぇぇ」
胃の中身を床に撒き散らし、その場にへたり込んだ。
「何で……こんなのことに。何のために、俺は騎士を……」
涙で視界が歪む中、自分の右手に持っている血が滴る剣に目を向けた。
思考が、鈍化する。
何も、考えられなくなる。
「死にたい」
俺は躊躇いなく、その剣を喉に突き刺した。
◆
「……ここは?」
目を開けて最初に視界に入ってきたのは、満点の星空だった。
パチパチと、焚き火の音が耳に入ってくる。
「うなされてたぞ。またあの夢を見たのか?」
俺は上体を起こすと、一人の男と目があった。
「はい……おかげさまで気分は最悪です」
頬に冷たい感触が走る。
触れると手が濡れた。
いつもと同じだ。この悪夢を見ると、決まって無意識に泣いてしまう。
最後に自害して目が覚めるのもまた、同じだ。
あの惨劇の日、現実の俺は死ねなかった。
剣を持つ手が震え、死の恐怖で自害できなかった。
そして騎士にならず、殺されるために狩猟士として魔物を狩り続けていた。
そんな中、俺を別の道へと導いてくれた人物こそ目の前の男性――アランさんだ。
「どうする? まだ交代の時間じゃないし寝てても良いぞ」
「悪夢で眠気飛んじゃいましたよ。俺は起きてるので、アランさんこそ早めに寝ても良いですよ?」
俺は立ち上がり、背のびをしながらそう言った。
ふと、自分の両手を見る。
カタカタと、力なく震えていた。
グッと力を込めて握るも震えは止まらない。
手が、あの狼を殺した時のことを思い出しているのだろう。
これもいつものことだ。いつものことだが、俺は手を後ろに組んで座った。
「しかしオレも寝る気分じゃねぇんだよなー」
俺は、アランさんの視線が自分の手に向いた気がし、身をこわばらせた。
色んなことで助けてもらったからこそ、尊敬しているからこそ、弱い部分を見せたくなかった。
「よし。暇だしオレの嫁と子供の話でもするか!」
アランさんは自身の太ももを叩き、名案だと言わんばかりに大声でそう言った。
それに対し、俺は「うぇー」と不満の声を上げる。
「まずは、オレの息子と娘が道端の花を使って花束を作ってくれた話だな」
「もういいですよそれ。何回聞いたと思ってるんですか? せめて新しいのにしてくださいよ」
「しかたねぇだろ? もう話が尽きたんだよ」
それはそうだろうさ、と思う。
毎回毎回、妻や子供についての話を語っていれば、ネタも尽きるに決まってる。
俺の露骨な態度も全く気にせず、アランさんはは俺がもはや暗記している話を堂々と語り出す。
胸焼けするほどの家族愛。
手の震えは、いつの間にか止まっていた。