第十六話:新たな気づき ~加治木捜査官~
日も暮れてしまったので、家に帰ろうとして加治木は思い直した。
ひとつ、中途半端になっていた久奧との会談をやり直すという考えが、頭をよぎったのだ。
加治木は、久奧に電話を掛けた。電話に出た久奧は、腹が減ったから来るならすぐに来いと言って、電話を切った。
大学研究棟の久奧の部屋に着くと、久奧は椅子に深く腰掛けて本を読んでいた。
「よう。一日、お疲れさん」
久奧は、読んでいた本にしおりを挟んで、閉じた。顔を上げる。
「暇人は羨ましいな」
「暇じゃないさ。これでも一日、事件のために歩き回っていたんだ」
「その献身には恐れ入る」
「恐れなくていいよ。その代わりに、話をしようじゃないか。いつも通り、他言無用で頼むんだが……」
加治木がホテルで新しく仕入れた情報を久奧に話すと、久奧は眉をしかめた。
「それは、事実か?」
「嘘を言ってどうする」
「ちょっとまて、今考えている」
久奧は、口元に右手を当てて黙った。目も瞑っている。
彼が深い思考に入る時の癖だった。情景をイメージしているのだ。
「現場は、照明が落ちていたんだっけか」
「演台は明るく照らされていた。眩しいくらいに」
「三発の銃声。一発の弾丸……」
ぶつぶつと久奧が呟く。そうして、ゆっくりと目を開いた。
「……不自然だ」
「え?」
「考えてもみろ。現場は演台の周囲以外は暗かったんだろう? どうして銃口からの閃光——マズルフラッシュに、誰も気がつかなかったんだ?」
「それは、サプレッサーで閃光を軽減していたんじゃないか」
久奧は首を横に振った。
「そんなものを付けていれば、人目を引くだろう。付けていなかったはずだよ。
それに、元自衛官とかいう幹部が撃ったとする可能性も腑に落ちない。
レンジャーというのは詳しく知らないが、それほど優秀な人間が、三発中二発を外すだろうか」
「それこそ、やっぱり現場が暗かったし、予想以上に、距離があったんじゃないか」
「そこだ」
久奧が、目を細めた。
「そもそもがおかしいんだ。三発中一発しか当たらない悪環境で、ましてや衆人環視のもとで、どうして犯行に及ぶ必要があったんだ?」
「どうしてって……」
加治木は、言葉を詰まらせた。
何故と問われると、答えが見つからなかった。
犯人が幹部の中にいるとすれば、大例会の後で個人的に会う約束を取り付けるとか、人目のないところで犯行に及ぶこともできたはずだ。
「殺すだけなら、もっといい方法が、あったかもしれないな」
答えが見つからず、加治木は呟く。
「そうだろう? 自分の身分を隠してやれたはずだぜ」
「殺すだけなら……。じゃあ、何か別の……」
言いかけて、加治木は、言葉を失った。思わず、目を見開いた。
目の前に、雷のような閃光が瞬いた気がした。
「別の、目的があったんだ」
喘ぐように、言葉が漏れる。
体が震えるのが分かった。
もしこの仮定が正しいとすれば、事件の裏に潜んでいるのは、言葉にするのもおぞましい闇だ。
「そうだ、だがそれがどうにも」
「分かったよ。あの瞬間でなければいけない、理由があったんだ。
あの時、あの場所でなければならなかった。条件がそろったのは、その時以外にあり得なかった。
それに中継カメラ……信者の動揺をみるに、たぶんあんなものは……」
次々と、恐ろしい空想が頭をよぎる。
だが、カメラは諸刃の剣だ。犯行が捉えられかねなかった。その危険を冒してまで、カメラが必要な理由があったのだ。
加治木の心臓が跳ね上がる。震える口から、言葉が漏れた。
「久奧。さっきの、三発の弾丸の話だが……」
「一人でぶつぶつ言ってるから、頭がおかしくなったかと思ったぞ」
「ああ、すこし、おかしいかもしれん」
緊張で、思わず加治木は笑ってしまった。
「久奧は、なぜ、エリートの元自衛隊員が、三発中二発も外したのかと言ったよな。
なぜ閃光が無かったのかとも。弾丸が見つからないのも、おかしいんだ。
おまえに言われてようやく気がついた。
狙いを外してしまったからって、八メートルも上の天井に弾丸が飛んだ訳がない。
弾痕は、床や壁に残るはずなんだ。数メートル先の的を外して、天上にあてるような人間は、あんな場所で、射撃をするわけがない」
「……なにか、気付いたのか」
「ああ、分かった。なんとなく。でも、まだ一部だ。動機が分からない」
久奧は溜息を吐いた。
「どうせまた、話せないんだろう。お前はどんどん秘密が多くなるな。人に話させるだけ話させておいて……」
「すまない。こればかりは……今回ばかりは、勘弁してくれ」
「わかったよ。……それに、俺だって多少は察しが利くんだぜ。聞かなくとも、お前の態度で分かってしまった」
久奧は、額に手を当て、天井を仰ぐ。
じっとしていると、堪えきれない焦燥が、加治木の中で湧き出してきた。
「俺は、行くよ。すぐ行かなければ……」
「まあ、まて」
久奧は居住まいを正し、デスクの引き出しから、紙を引っ張り出した。
ボールペンを手に取って、何やら書き込み始める。
「お前の予測が、外れていたらいいと思うんだけどな」
書き終えた紙を、久奧が差しだした。
「情報は多いに越したことはない。警察に協力するのは市民の義務だ」
加治木は、さっと、手元の紙に目を通した。有用な情報に違いなかった。
「……ありがとう。手間が省けた」
「警察の君に、こんなことを言うのはおかしな話なんだが……」
珍しく、久奧はその目を彷徨わせた。ややあって、こちらと目が合った。
「気を付けろよ」
加治木は、固く頷いて、早足で部屋を出た。行くべきところは、一つしかなかった。