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第十五話:対象監視 ~榎田捜査官~

 街灯の下に現れた、角刈りで肩幅の広い男を確認して、榎田は思わず息を止めた。


 男は、三階建ての一軒家の玄関扉を開け、中へ入っていく。


 一軒家は、ごく細長い煉瓦を積み上げたような外壁模様で、真新しい黒さが残っている。

 玄関のある通りに面した大きな窓のカーテンの隙間から、温かい光が漏れていた。

 おそらく、まだ築十年と経っていないだろうと、榎田は想像した。男の姿が、家の中に消えた。


 ふぅ、と息をついた。手元の電話を手に取る。


「栗原。対象は今、家に入った。念のため、周囲に気を付けて帰ってこい」


 皆藤兵輔の尾行を終えた栗原が帰ってくるまで、榎田は、皆藤の家を見張っていた。

 調査によれば、出入り口は通りに面したその場所しかない。

 両隣は、他人の家に挟まれている。どこに行くにせよ、玄関に現れないはずはなかった。


 家具のない、殺風景な部屋には、監視に必要なスコープや、寝泊まりするためのマットと寝袋、最小限の光度を確保するためのランタンなどが無造作に転がっている。


 その他にも、皆藤の家の見取り図や、自衛隊時代の皆藤に関する資料が、榎田のすぐそばに積まれていた。

 榎田はその全てに目を通していたが、皆藤が優秀な隊員であったことは分かったものの、一体どこで宗教法人に籍を移すようになったのか、そのきっかけは、いっかな掴めなかった。


 遠くで、扉が閉まる小さな音がした。

 ややあって、ビニール袋を持った栗原がリビングに入ってきた。


「お疲れ様です。これ、弁当です。あと、お茶」


 礼を言って受け取ると、温めてきたばかりなのか、ほんのりと温かかった。


「尾行中は、何か異変は無かったか」

「ええ、とくには。集会を終えて、まっすぐ帰ってきましたよ」


 榎田は手に弁当と箸を持ち、食事をしながら監視する。慣れたものだった。


「他の奴らは」


 ちらりと、榎田は栗原に目をやった。

 栗原は、コンビニの握り飯を頬張ろうとした手を止めた。


「他の奴らって、誰です?」

「一課の奴らだよ。たぶん、あいつらもあいつらで、皆藤をマークしてるはずだからな」

「見た所、いなかったっすね」

「なら、いいんだがな」


 胸に物がつかえている気がして、榎田は、ペットボトルのお茶を飲み下した。

 しかし、胸のつかえのような物は、取れてくれなかった。

 最悪のケースは、常に榎田の頭の中に、具体的なイメージとして存在していた。


 皆藤はおそらく、捜査一課に要注意人物として追われているだろう。

 教団の幹部を銃殺した、殺人容疑である。


 となれば、ふとしたきっかけで、刑事たちが皆藤の前に現れる可能性がある。

 刑事たちとしても、犯罪の容疑者であるから、わざわざ身を隠して近づこうとは、おそらく思わない。

 だが、皆藤の前に刑事たちが現れれば、皆藤は、自らが警察にマークされていることを理解するだろう。


 それでは、駄目なのだ。

 警察にマークされていることを皆藤が知れば、皆藤が刑務所の連続放火にかかわっていた場合、放火の手を緩めて、監視の目が緩むまで待つ、といった様子見をされかねない。

 そうなれば、公安が追っている、刑務所連続放火の容疑を立件するための証拠を、掴むことが難しくなってしまう。


 将来起きるかもしれない事件を防ごうとする者と、起きた事件を追う者の違いが、榎田はもどかしかった。


「心配すか」

「まあな。台無しにならなきゃいいんだが」


 刑事部と公安部の邂逅。


 似たようなことは何度かあった。しかし、どうにも管轄が違うのでバッティングが避けられないのが実情である。


 警察庁警備局の公安と鉢合わせることだってある。

 もっとも、その場合は、追っているものが同じ場合が多いので、もどかしいと思うことも少ないのだが。


「見張り、代わりますよ」


 気がつくと、栗原は食事を食べ終えていた。その手には、ノートパソコンが握られている。

 監視しながら、別の業務をするつもりなのだろうか。


 榎田は呆れつつ、今まで陣取っていた窓際のスペースを譲った。


 立ち上がり、息を吐いて伸びをする。身体の節々が、音を立てた。

 座ったままで、長いこと同じ姿勢でいたせいで、身体が硬くなってしまっている。


 栗原が、小さく笑った。


「凄い音しましたね。トシっすか」

「うるせえ」


 榎田は、自分の食事したゴミを、流し場で洗いに行った。


 リビングに戻ってくると、栗原は、先ほど榎田がそこにあったような姿のままで座り込み、窓の外を見ていた。

 胡坐をかいた上に、ノートパソコンを載せている。


「……いつまで、続くんでしょうかね」

「あ? 何が」

「いろんなものですよ」


 栗原は、窓の外を眺めながら言った。


「そりゃあ、放火事件の犯人が捕まるまでだろう」

「それだけじゃないっす。戦争やら、なんやら、ありとあらゆるもの……」

「はっ。どうした? 急に真面目なことを言うようになったな」


 榎田は、声を殺して笑った。

 栗原は、笑わなかった。


「榎田さんの家族は、仲がいいですか」


 突然、ぽつり、栗原がこぼした。


「うーむ。悪くはないな。カミさんには怒られたり怖いところもあるが、もう慣れた。

 二十年もいりゃあな。上の娘は、まあ、ちょっとした冷戦状態かな。

 受験が近いからか、最近ピリピリしてる。下の娘はもう少しマシだ。

 一緒に食事できるくらいの仲では、あるな」

「……羨ましいっすね」

「気持ちが籠ってねえぞ」


 栗原は、ふっと笑った。


「本心ですよ」

「いたって普通だっての。お前んとこだって、似たようなもんだろうがよ。今はしれねえが、お前が子供の頃とか」


 榎田が訊く。

 栗原は、口をつぐんだ。口元をもごもごと動かしている。


「……全ての人間の、全ての人間に対する闘争」

「あんだって?」

「ホッブズって人の言葉らしいっす。ある人に教わりました。それが、耐え難い暴力や不安を生む。

 そのために、我々は自由を放棄して、大きな存在に身をゆだねる。

 俺の家族はいつも闘争状態で、誰かに身をゆだねるばかりの、そんなガキだった気がします」


 栗原が、榎田の方を向いた。照度を絞ったランタンが、栗原の顔を照らした。


「エノさん。親の喧嘩はね、子供に見せるもんじゃない。次があれば、娘さんのために、気を付けてあげてください」


 榎田は、二の句が継げなかった。

 栗原の目に光が見えなかったのは、頼りない光源のせいだけではないように思えた。軽口をたたく気にもなれなかった。


 栗原は、窓にもたれて気怠そうに脱力していた。


「お前……」

「世の中は、闘争ですよね。耐え難い苦難ばかりだ。

 努力して、警視庁に入って、頑張ってるうちに公安にもなった。

 俺は、ようやく報われたような気がしてました。自分は凄いと思いたくなった。選ばれた人間だとね。


 公安って特に、そういう驕りで捜査官を洗脳してるようなところ、あると思うんす。

 自分が、絶対正しいって。これは公安だけじゃなくて、刑事や検察にもいえるかもしれないっすけど。

 その結果、冤罪が生まれたりね。


 まあ、その洗脳に浸っているうちは、別にいいと思うんすよ。闘争に気が付いていない。

 でも、例えば、自分より一等優れた後輩が、メキメキ仕事して評価上げて、それに追いつこうともがいても、とても追いつけないような時って、どうしようもなくなると思いませんか」


「栗原」


「ちょっと良いなと思ってた後輩が、ぽっと現れた男になびいていく様子を横目に、道化をやってるような時だって同じっす。

 二つが重なってるんだから猶更タチが悪い。

 もともとはね、チームのため、気の利く親しみやすい部下であるためだったかもしれない。

 でもね、色々なことに気付いたときには……洗脳が解けた時には、何のために自分が要るのか分からなくなる」


「……御託はいい。外を見ろ」


 榎田は、低く唸った。


 だが、栗原は動じない。


「聞いてくださいよ。

 世の中はね、闘争なんです。

 陰と陽、男と女、勝者と敗者。


 俺はもう、敗者でいるのが嫌なんです。選ばれた側でいたい。優れた人間でいたい。

 子供の前で毎日毎日怒鳴り合って、子供をびくびくさせるような愚かで下等な人間にはなりたくない。

 

 そんなやつは死んでしまえばいい。優秀な人間だけが残って、優れた世界を作っていけばいい。

 ……社会ダーウィニズムって言うらしいっす。これも、教えてもらいました。


 素晴らしいと思いませんか。

 優れた人間だけの社会です。

 他人に迷惑をかけるだけが才能みたいな、糞みたいな人間のいない、他人に支えられるだけの足枷みたいな人間がいない社会があるとすれば、無駄も苦難もなくなるはずなんです」


 遠くで、扉が開く音がした。


「……栗原。一度だけいう。今すぐ外を向くか、てめえが連れて来たお友達を帰らせろ」

「聞かなければどうしますか? 撃ちますか?」


 榎田は、奥歯を噛み締めた。


「……何を考えてやがる」


 栗原は笑った。

 青白い頬に、雫を滴らせながら。


「はは。……撃てばいいのに。エノさんは、優しすぎるんすよ。俺みたいなやつにも」


 足音が、近づいてくる。


「先に行って待っててください。俺も、遠くないうちに行きますよ。

 そうしたら、また、仲良くしてくれますか」


 榎田は、足下から力が抜けていくような心地がした。


「願い下げだよ、馬鹿……」


 薄暗い室内に、乾いた音が響いた。

 ガスの抜けるような微かな音だった。


 榎田の口から、それ以上、言葉は漏れなかった。


「これで……よかったんすよね」


「ええ、もちろん」


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