第十四話:潜入捜査 ~天穂捜査官~
天穂が訪れた『テオスゲノスの民』大田区支部の外観は西洋建築の教会のようだった。
クリーム色の、両手をのばしても収まらないほど太い石柱を見上げていくと、二メートルほど隣にある隣接した石柱と、上方でアーチ形になって繋がる。
石柱は全部で四本あって、中央の日本の石柱の間に、木製の大きな西洋扉があった。
建物の全高は見上げるほどで、かやぶき屋根のようなハの字型の屋根は緑一色に塗られていた。
入口で受付を済ませて中へ入ると、建物内部もまた教会のように、白を基調とした、広くて天井の高い作りになっていた。
大例会の大広間とまでは行かないまでも、百人は収容できそうな広さである。
教会のような長椅子ではなく、ホテルの備品のように、座面や背もたれがしっかりとした作りの椅子が等間隔で並べられていた。
全部で五十はあるだろうか。半分ほどが既に埋まっている。
隣席同士で話をしている信徒たちの姿が見受けられた。みな、そわそわとしている。
頼りの小泉が新宿支部とあって、知り合いのいない天穂は、一人で腰かけている、近くの中年女性に声をかけた。
女性は、帰依して数カ月の新参だという。天穂が、初めて支部の集会に参加する信徒だと言うと、驚いた顔をした。
「まあ。それじゃあ、昨日は大例会に参加してらしたの? おどろいたでしょう?」
「そう、ですね。驚きました。まさか、あんなことになるとは」
「私もよお。大例会の日は、支部で例会をしてるんだけど、昨日は、支部長が急に、大例会の中継をみんなで見ますっていうでしょう。そんなこともするんだな、って思ってみてたらねえ」
「大例会の中継は珍しいんですか?」
天穂が訊くと、女性は頷いた。大例会の中継は、女性が知る限り初めてだという。
「支部の、他の方にも聞いてみたんだけどね。随分長く信徒をやってらっしゃる方も見たことがないっていうから、たぶん、初めてなんじゃないかしら」
その記念すべき最初の大例会で、よもやあのような惨劇が起きるとは……。ほとほと運がないのは自分か、あるいは加治木なのかと、呆れた笑いが込み上げそうになった。
大例会当日、事件後には支部内の信徒たちは相当にナーバスな状況だったと女性は語ったが、今日もまだ、信徒たちは昨日の衝撃が尾を引いているようだった。
中年女性も、誰かに話したくてうずうずしていたのだろう、話しが止まらない。
「私、アイダっていうのね。あなたは?」
宮島です、と答える。
「そう。宮島さんね。あなた、現場に居て、どうだったの? 私たち、中継の映像を見てるだけじゃあ、何があったのか、全然分からなくって」
映像は、会場の中央から、演壇の周囲を切り取ったような画角だったらしい。演壇に立つテンドウや、前列に座る人間の背中が見えていたという。
天穂は、思い出せる限り、現場で起きたことの説明をした。急にテンドウが倒れたように見え、何かが破裂したような音がして、悲鳴が上がったのだと説明した。
「それじゃあ、わたしたちと、あまり変わらないわね」
天穂が会場の様子を話し始めてすぐには緊張の面持ちでいた女性は、興が冷めた様に身体を引いた。
「私が見た限りでも、同じようなものだったわ。テンドウ三席の話が終わったと思ったら、急に演壇の向こうに倒れて、見えなくなって。
カメラを撮ってた人が、たぶん素人なのよね。それか、カメラマンがそもそも居なかったのかしら。
ずっと、おなじ光景ばっかり撮っていたから。
もっと、ズームとか、カメラを動かしてくれてたらねえ」
女性は残念そうに言ってから、はっとして、顔色を変えた。
「でも、それでよかったのかも。人が、死んでる所なんて……見なくてよかったわ」
シャツから伸びる腕をさすった女性は、寒気を堪えているようだった。
「そう思います。絶対に、見ていて気分のいいものでは無いですから」
「そうよねえ。会場に居た人が、気の毒よ」
女性は、天穂に同情の視線を寄越した。
女性を含め、信徒との共通の話題ができたことは、天穂にとって幸いだった。
その後も、近くに座った信徒との会話の種に困ることはなく、自然と、天穂は場に馴染んでいた。
話を誇張したり、大げさなリアクションをすることも、声を荒げることもない落ち着いた対応を見せ、目立ちすぎることはなかった。
天穂が、数々の現場への潜入で会得してきた、周囲に注目されることなく親密な関係を築くスキルが、遺憾なく発揮された形である。
軽妙な会話を交わしていたところへ、スピーカーを通した男性の声が聞こえた。
「えー、みなさん。時間になりましたので、夕会のほう、始めさせていただきます」
潮が引くように、会話が消えていく。天穂が会場の正面を見ると、そこには、マイクを持った年かさの男性の姿があった。
口周りにひげを蓄えていて、勤め人というよりは、芸術家然とした風体をしている。
「みなさん。まず最初に、昨日お亡くなりになられた、テンドウ第三神席へ祈りを捧げたいと思います。
あのお方の善意志は、多くの信徒を救いに導かれました。
その御霊は現世の因果を離れ、必ずや天世へと参られます。両手を組み、ご唱和をお願いします。
——いざ御霊、テオスの身許へ召されん」
「——いざ御霊、テオスの身許へ召されん」
天穂は、周囲の様子を真似て、祈りを捧げた。
祈りながら、テンドウという男が、教団に入る前にどのようなことをしていたのか、檜山警部から聞いた話を思い出す。
以前は極右団体に所属し、公安総務課でも監視対象になったことがある男だったという。
ろくでもない男であることは間違いがないだろうが、教団の中では人望もあったようであり、天穂の胸の内は、曰く言い難いものがあった。
祈りの最中、天穂の中で何かが揺れ動いた。
土の中を蠢いたように思えるそれは、地表付近をもぞもぞと這いまわって顔を出そうと、何らかの片鱗を見せた。
――もう、顔を出す。
「——祈りを、終えてください」
天穂は、目を開いた。
彼女の脳裏に、すぐそこまで迫ってきたものは、視界に迫る情報の海によって、再び埋もれてしまった。
髭の男は、支部長のヒグチといった。ヒグチの司会のもとで集会が進んでいく。
最初に、新しい信徒の紹介ということで天穂を含めた四名が、ヒグチの隣に引き出された。
突然のことであったものの、天穂は、宮島として組み上げた設定をよどみなく語り、難なく自己紹介を終える。
他の者はたどたどしくあったので、喋った後で、天穂は少しばかり後悔した。もっと不慣れにすべきだったかもしれない。
その後、聞いていた通り、瞑想とヨガ、聖書の音読や善行報告を聞いた。
初回ということで、天穂たち新たな信徒は、見ているだけだったが。
ヨガや太極拳を行うため、動きやすい服装で来るか、着替えを持ってきて着替えるようにと、ヒグチは説明した。
集会が終わると、参加自由の夕食会が開かれる。場所は大体が、近くにある飲食店だという。
新しい信徒の者たちと会話し、夕食会へ向かおうとしたところで、天穂たちはヒグチに呼び止められた。
「新しい信徒のみなさんは、もう少し、お付き合いください」
天穂たちは、広間に四人で残された。
ヒグチが一度、広間から姿を消した。沢山の信徒たちと共に居たときよりも、広大な空間がよそよそしくなってしまったように感じられた。
何事なのだろうと、信徒同士で話し合っているうちに、再びヒグチが現れた。
交流のために、支部の上席者と面談をさせてもらいたいのだという。
支部の集会運営や、行事の開催に当たっては、上席者以外に信徒の持ち回りで担当してもらうこともあるので、顔合わせも兼ねて、そうした話を丁寧に説明もしたいのだと、ヒグチは言った。
一人一人、順に呼ぶからと言い、ヒグチは、一人の信徒を連れて、再び場を辞した。
天穂は腑に落ちなかった。説明なら、一人一人に、計四回するよりも、四人を集めてまとめてやってしまった方が効率的ではないか。
思い返せば、テオスゲノスの民の規則には、丁寧過ぎて非合理的な慣例が、幾つもあるように思えた。
大例会の参加もそうである。
既往の信徒一人につき、新しい信徒が一人というセットでしか、教団への入会が認められない。
紹介制に近い形にすることで信徒の質を保っているのかもしれないが、沢山の信徒を入会させようとすれば、このルールは制約として働いているように思える。
順々に氏名が呼ばれ、面談が終わった者は、帰っていった。
天穂は、最後だった。静寂の広間にぽつんと残されて、よそよそしい空間の無機質さが一層強まった心地がした。
白い壁も、石柱も、アーチ形の天井も、ペルシャ風紋様の絨毯すらも寒々しい。
ヒグチが再度現れて、ようやく、天穂の名前が呼ばれた。
席を立ち、ヒグチの後について、広間から出る。
「すみませんねえ。長々とお待たせして。ええと、宮島さんは、この後のご都合なんかは、特にありませんでしたか」
「いえ。仕事を終えてから来たので、帰るだけです」
ヒグチは、髭に隠れそうな口元に、笑みを浮かべた。
「そうですか、それならば、良かった」
広間を出た通路も、どこか圧迫感があった。
窓がないからかもしれない。赤一色の絨毯に、白い壁。迷路のようにも思える。
ヒグチの後を追いながら、生き物の腹の中に入ってしまったような心地を感じていた。
「こちらです」
ヒグチが扉を開けて中に入る。天穂も、続いて部屋に入った。
その部屋も、広間のような異国風の毛の長い絨毯が床を覆っていた。
入ってすぐに椅子が一脚合って、正面には木製の横に長い机があった。
そこに、三人の男女が座っていた。この部屋にもまた、通路と同じ圧迫感があった。
やはり、窓がないのだ。
「どうぞ、座って下さい」
ヒグチに進められ、天穂が椅子の方へ歩み出た時だった。
突然、ヒグチにそっと、腕を取られた。
驚いて、思わず引っ込めようとした腕に、かしゃん、と金属がふれる音と、冷たい感触があった。
手にまとわりついた物が何なのか、視認するよりも早く、何者かによって、天穂のもう一方の腕が、ぐいと身体の後ろへと回された。
——かしゃん。
あっ、と叫ぶよりも早く。
天穂の両腕は、後ろ手に拘束されていた。手首に当たる金属の感触には、仕事で以前に馴染みがあった。
「これは……!」
ヒグチを振り返ろうとして、強い力で背中を突き飛ばされる。
何とか踏みとどまって、倒れるのは免れた。
ヒグチは、こともなげに佇んでいた。髭と一緒に、纏わりつくような口元が動く。
「雛田日奈子さん。お話をさせてもらえませんか。ゆっくりと……」
天穂は、絶句した。
その名前は、他でもない。公安一係の面々ですら、知る者のいない名前。
警察でも一部の人間だけが知る、天穂の本名だった。