第十三話:潜入作戦 ~天穂捜査官~
——俺は公安だけど、刑事でもある。
殺人事件は一課の本職だよ。
……なに、心配しなくてもいい。公安にこれ以上の迷惑はかけないから。
予測不能な、いつもどこか陰のある上司の言葉が頭にリフレインして、天穂は深い溜息を吐いた。
「……おい、天穂」
「あ。はい」
天穂が顔を上げると、三人の顔が見つめていた。
いつもの一係の分室が、違う場所のような違和感があった。
正面に座る、厳めしい榎田、パーマの栗原に変わりはない。
右手に視線をやった。そこに座っているのは、二係の林田警部補という中年の男性捜査官だった。
恰幅が良く、鬼の面のように平ぺったい顔をしているが、鬼ほど怖くはない。
そして、たぶん、原因はここにあるのだろう。
「話、聞いてたか?」
榎田が、浅黒い眉間に皺を寄せる。
「すみません、気が抜けてました」
「しっかりしてくれよなあ。お前の役割が最重要なんだぜ?」
榎田の呆れたような声に、すみません、と天穂は頭を下げた。
心の中でこっそりと、自分の心身に混乱を来してくる上司を詰る。
当の上司はだいたい苦笑してばかりで、まともに相手をしてくれないのであるが、それが余計に腹立たしい。
「頼むでえ、天穂ちゃん。ワシは加治木君とは、勝手が違うかもしれへんけどさ」
林田が言う。
「いえ。人が変わっても、やることは変わりませんから」
口にすると、やっと調子が戻ってきた気がした。
「その意気や。ほなら、また最初からいきましょか。エノさん、たのんます」
「了解。今日からの捜査方針案の確認だが……」
榎田が、宗教法人『テオスゲノスの民』への捜査について計画を語る。
計画のベースとなるのは、教団の活動だった。天穂と加治木が、帰依と呼ばれる入信に当たって、信徒から集めた情報である。
テオスゲノスの民の活動は、大きく、平日の集会と休日の集会に分かれている。
平日の集会では、朝六時半から一時間、あるいは十八時半から一時間の間、集会が行われる。
集会では、十分間の瞑想、十分間の太極拳(朝のみ)、十分間のヨガ(夜のみ)、旧約聖書の音読、各信徒の善行報告、朝食会ないし、夕食会が執り行われる。
奨励される参加率は週に一回だが、毎日参加している人間もいる。
週末の集会は、毎週土曜日の朝十時から始まり、瞑想から善行報告までの定例的な活動を実施したのち、昼食会を挟んで、勧誘活動を行う。
「天穂には、これらを毎日、朝夕参加してもらう。土曜日もな。
信徒と交友関係を広めて、教団内部の情報を収集することが主目的だ。
銃撃事件の直後だから、慎重に事を進めなければならないことには注意が必要だ」
「了解です」
「エノさん。あんまりに高い頻度で参加しては、怪しまれはしまへんやろか。ごっつう熱心なやつやなと」
林田が訊いた。
「その懸念もあるにはあるんですが、信徒数人の行動を俺と栗原で監視していたところでは、朝夕に参加する信徒はそれなりにいる。
だからさほど目立たないだろうし、放火事件の緊急性も考えて、他の信徒との関係構築を急ぐ、てな計画です」
「へえへえ、さよか」
林田は、腕を組んで何度もうなずく。
天穂は、この中年警部補を少しばかり見直した。
同じ係で仕事したことはなかったし、係を越えて評判を聞くようなことも無かったから、実はと言えば、それほど印象が無かった。
けれども、甲羅を経ているだけあって、公安らしい慎重さを備えているようである。
「林田さん、俺と栗原は、教団の幹部連中を監視。林田さんには、ナンバーツーの男、小平庄司を追ってもらいます。
俺と栗原で、教団四番手の皆藤兵輔を追う。
刑事部から聞いた情報じゃあ、この皆藤兵輔という男は、元自衛隊のエリートらしい。
放火事件の中核を担っているのではないかというのが、檜山警部の見立てです」
天穂は話を聞きながら、心中複雑だった。
加治木が銃撃事件の矢面に立って作戦が失敗してしまったことは残念だが、その一方で、捜査一課による銃撃事件介入により、公安の監視対象が一挙に明るみに出たのだ。
本来であれば、教団に潜入して信徒の信頼を得て、怪しまれないように幹部の情報を聞き出すことになったところが、捜査期間を大幅に短縮できていた。
「つまり、その皆藤っちゅう男を重点監視するわけやな」
「ええ。俺と栗原で、一日中見張るつもりです」
榎田が、栗原に向けて顎をしゃくった。栗原が頷く。
「ふむ。監視対象は、二人だけかいな?」
「それは……檜山警部」
榎田が、檜山警部に水を向ける。気がつくと、檜山警部は、四人の机のすぐそばまで来ていた。話を聞いていたようだ。
「うん。元々の計画だと、こんなに早く対象が絞れると思っていなかったからねえ。
一係で地道にやるつもりだったんだけど、思いのほか、一気に捜査対象が分かったから、大久保課長と相談して他係から人員を分けてもらった。
二係で、教団の幹部残り二人を、三係の面々には、一般の信徒を追ってもらうつもりだよ」
指示はこちらで出しているから気にしなくていい、と檜山警部は結んだ。
榎田は頷き、再び口を開いた。
「最後に、月一回の例会だ。次は一月後だから、今言う必要もない。開催前に、再度打合せすることにしよう。これで全部だが、栗原、天穂、いいな?」
榎田が、二人の顔を見回しながら言った。皆、頷く。
「林田さん。何か、全体で気になるところは?」
「ええよ。特にないわ」
今度は、榎田が檜山警部を向く。
「檜山警部は、どうでしょう」
「私も、異論はないね」
檜山警部は、頷いた。
榎田がふっと安堵の息を吐いた。
天穂には、部屋の緊張が少し和らいだ心地がした。
その一方で、何か腑に落ちないものもあった。言語化できない不安が、胸の内を蠢いている。
「これで……いいんですよね」
胸のわだかまりは、口を衝いて出ていた。
「なにか、気になることがあるのか?」
榎田が、むっとしたように言った。
「なんというか、気になるというほどではないんですけど……。何かを、見落としているような気がするんです」
「分かるよ、うん。その気持ち」
栗原が、真剣な顔で頷く。仄かな期待を込めて、天穂は、栗原の方を見た。
「天ちゃんはさあ、つまりは、カジさんがいないから張り合いが無いというか。そう、寂しいという……。はは」
睨みつけているうちに、栗原は語尾を濁して貧相な笑いに変えた。
「不真面目ですね」
天穂が言う。
榎田も鼻を鳴らした。
「アホの栗原は放っておいてだな。何もねえな? 言い残したことは?」
周囲に合わせて、天穂も、渋々と頷く。何かを言葉にできない以上、仕方がない。
「じゃあ、林田さん。あと頼んます」
「おう。任せとき。ほなら、者ども! 出撃や!」
応っ、と合わせた榎田と栗原に、やや遅れて倣い、天穂も呟いた。