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第十話:久奧研康 准教授

 西洋風の重厚なコンクリート造りのアーチを越えて、加治木は建物の内部に入った。


 玄関というよりアーケード上になっているアーチは、建物の正面から裏側までを貫通しており、通り抜けられるようになっている。

 まるで歴史ある博物館の中に入るようで、加治木は毎度のことながら、気の引き締まる思いでいた。


 以前説明されたところによれば、この研究棟は一九三八年に建築されて一部増築を経ながらも当時の姿を保っているらしい。

 ゴシック様式の建物で……などとつらつら口弁を垂れていた幼馴染の姿を思い起こした。部屋は確か、二階だったはずだ。


 入口を入ってすぐに見つけた階段を登る。建物の内装も時代を感じさせた。

 いささか寒々しいコンクリートの壁に塗られた塗装は、褪色しているようで淡い。

 階段の踊り場にある掲示板には、サークル部員を募集するチラシが、みっちりと張り付けられていて、学生たちの気概が感じさせられた。

 階段を歩くと、靴音がよく響いた。


 会談では数人の学生とすれ違ったが、どうやら講義中のようで、廊下を歩く人影は少なかった。

 二階に上がって、廊下を右手に進んでいく。

 茶色に塗られた扉の標識を眺めながら歩いて、ようやく目当ての部屋を見つけた。

 

 足しげく通っているわけでもないので、どの場所に居室があるのかつい忘れてしまう。

 茶に塗られた、昔ながらのスチール製の扉をノックする。

 それほど強くノックしたわけでもないのに、がしゃん、と扉全体に振動が伝わるような大きな音がした。


 どうぞ、という声を聞いて、扉を開けた。


 入ってすぐ、部屋の正面にある大きな窓から差し込む光で、加治木は目が眩んだ。

 思い起こせば、建物の中に入ってから、ほとんど窓が無かったように思う。


 窓の手前に准教授の大きな木製デスクがあって、そこに目当ての人間が座っていた。

 パソコンを操作しているようで、こちらには目もくれない。


 手前にある、来客用の向かい合わせになったソファと卓を越えて、デスクに近づく。

 部屋の片側は書架に占領されていて、背表紙が剥げているような、古めかしい本がいくつも並んでいた。

 何の気なしに、高閣の本を眺めて、部屋の主の方に近づいていく。


 デスクのそばに着くと、来客用に用意されたキャスター付きの椅子に座って、パソコンに集中している男に対面した。


「悪いね、仕事中に」


 針葉樹のような、顎の細い男に言葉を投げる。男は、眉を歪めて答えた。


「まったくな。こっちは中間考査用の問題制作で忙しいというに」


 黒のスラックスに、黒ソックス、黒のシャツに黒のジャケットという、全身を黒で染め上げた神経質そうな男、宗教研究室准教授の久奥研康(くおうけんこう)は、ただでさえ切れ長の細い目を更に細めてこちらを睨んだ。


「それは、なおすまん。俺は休みなんだ」

「すぐ帰れ」


 久奥は吐き捨てるように言った。


「それは困るね。相談内容は仕事だから」


 加治木が言うと、九条は訝しげな顔をした。


「サービス出勤というわけか? 公僕は大変だな。どれだけ働いても給料に繋がらない」

「それはお互い様じゃないか?」

「俺は別に、給料が欲しくてここにいるわけじゃないからな」

「お互いにね」


 言い返すと、久奥は観念した様子で、溜息を吐く。手を止めて、ようやくパソコンから顔を上げた。


「それで? 今度の話は、電話じゃだめだったのか」

「言ったろ。込み入った話は、直接話した方がいい」

「アナログな奴だな」


 久奧は呆れた声を出して、ぼさぼさの癖毛を掻いた。


「疾く話せ」


 せっかちなところは、中学生の頃から全く変わっていないと、加治木は思った。


 久奧と加治木は、東京にある同じ中学の出身だった。

 それほど勉強のできない加治木と、中学生時代から優秀だった久奧ではあったが、不思議と馬が合った。

 というより、偏執狂的な久奧と合わせられる人間が他に居なかった、というのが正鵠を射た表現である。


 久奧は歴史が好きで、中学の社会の授業中には進行が遅いなどと教師に文句をつけて度々閉口させていた。

 加治木などは、歴史なぞ覚えるだけの教科で、とんと興味もなかったのだが、久奧の話に耳を傾けているうちに、自然と多少詳しくなってしまった。


 加治木とて、中学入学当初は好んで久奧と付き合うつもりはなかったのだが、精神的に不安定だったせいもあってか、加治木の家庭事情を知っても変に気を遣うことのない久奧と居るのは心地が良かった。

 裏を返せば、無神経と言えるのかもしれない。


 東京の高校を出て警視庁に務めた加治木と、高校、大学、大学院を経て東京で生活する久奧は、時折顔を合わせていた。

 他愛ない酒宴を開くことのほかに、時には刑事事件の相談のために。


「宗教法人の幹部が、都内のホテルで銃殺された事件は、知ってるよな?」


 加治木は、自らが目撃した事件について説明した。一言一句とまではいかないが、テンドウの演説の肝を押さえながら、宗教法人の教義を説明する。


 話を展開していくうちに、久奧の顔はみるみる曇っていった。


「キメラのような宗教観だな。

 神を信仰するだけではなくて、科学や財の放擲という行動に主眼をおくあたりなんか、ベースはキリスト教ではなくユダヤ教のようだが、陰や陽といった両義性の思想は東洋的で道教にも通じるものがある。

 テオスとかいうのを唯一の神に置く一神教なわけか」


「あー。ちなみに、このテオスゲノスの民とかいう宗教法人が語ってる宗教は、どこかにあるのか?」


 久奧は、面倒くさそうに首を横に振る。


「聞いたこともない。聞く限りは俗物的な典型的な新興宗教だな。

 旧来宗教に基づいて、現代思想に馴染むように解釈を加えているのが、なんとも陋劣だ。

 まずこの天世という奴だが、キリスト教で言えば天国、仏教でいえば涅槃に近いんだが、両者の概念とも明確に異なっているのは、天世では幸福を定義していないところだな。

 だいたいが、宗教上の到達点を幸福に定めるものだが、こいつはそうではない。誰しもが平等に幸福になることなどありえないという主張を論拠にした、明らかな現代思想だ。

 一方で、現世との因果を断ち切るとか、断ち切らない限りは天世に至れないという考えは、仏教の悟りや輪廻転生の思想に近い。

 科学の放擲は神秘主義的な思想だし、財の放擲は宗教にありがちな禁欲思想だが……」


「なるほど、そこまででいい」


 加治木は、慌てて久奧の説明に割って入った。

 このまま放置しておけば、久奧は睡眠すら掛け構いなく、夜を徹していくらでも喋りそうだった。


「久奧と宗教談義をしたかったわけじゃないんだ。問題なのは、事件の方。

 こういう宗教観の人間たちは、どういう方面に恨みを買いそうなんだ?」


「そりゃあ、どんな宗教とも相いれないがね。もっとも、ただ信仰する宗教が違うからって、他宗教の信徒を無差別に殺すほどまで、宗教家ってのは狭量じゃないぜ。

 そんな思想が蔓延ってれば、今頃世界中で戦争をやってるよ」


 当たり前のことを訊くなと言わんばかりに、久奧が刮目した。


「そうか……。お前が言うなら、そうだよな」


 目論見が外れ、加治木は溜息を吐いた。


 寄進の返還を要求された場合には、返還をするし、違法な寄進の要求もなされていないと見えるテオスゲノスの民に、信者が殺意を抱くほどの反感を持っていたというのは考えづらい。

 そして、他宗教の信者からの反感という線も、専門家から否定されてしまった。


「なあ。テンドウを殺したのは、いったい、どんな奴だと思う?」


 加治木が問うと、久奧はゆっくりと目を閉じた。


「……窓はあったのか?」

「は?」

「ホテルの広間に、窓はあったのか?」

「いや、無い。広間の周囲は通路があって、演台のあった会場正面以外の三辺からは、本来は扉があって通路と行き来できるようになっている。

 だが、今回の大例会では、演台の対面にある出入り口が一つしか解放されておらず、それ以外の出入り口は、固く閉じられていた。念のため、扉を警備するための信者も居たと聞いてる」


 加治木は、思い出しながら答えた。


「つまり、外から狙撃はできなかった」

「そうなる」


 久奧は、目を開いた。


「じゃあ、犯人は殆ど絞れたようなものだ。テオスゲノスの信者でしかありえないだろう」

「それはまあ、そうなんだろうけど……。もう少し絞れないかな」

「ふむ。その、幹部に掛け寄ったときには応急処置もしたんだよな。傷口はどちらにあった? 正面か、背中か。左半身か、右半身か」

「正面だよ。左胸というか、脇のあたりに弾痕があった」

「会場の様子を描いてくれ」


 久奧は、机の引き出しを開けて紙を取り出し、併せてボールペンを差し出した。加治木は、大例会の様子を描き出してみる。


「入口がここ、会場はかなり広くて、新しい信徒が一〇〇人近くと言ってたから、既存の信徒も含めて二〇〇は居たはず。

 入口から見て正面には、周囲より一段高くなった演台があって、中央に演壇。

 この演壇で幹部は演説してた。俺は、入って左手前方のこの辺りに居て、下手の演壇のそばに司会が立ってた。

 俺が座ってた位置からは見えなかったんだが、幹部たちは会場の右手に居たみたいだ」


 簡単に描いた会場の図を、久奧はまじまじと見つめた。


「身体の左側を撃たれていた、ということなら、発砲は、会場上手側から行われたことになるな。

 ……いや、待てよ。幹部が身体を左右に動かしていた可能性も否定できないか」

「幹部は、演説を終えてお辞儀をした後に撃たれた。聴衆を真正面に見据えていたよ。

 やっぱり、会場上手側であってる。最初に二発の銃声がして、二発目の銃声で幹部が倒れたんだ。そのあとに、三発目があった」

「じゃあ、三発目は外れたわけか」


 久奧は、こともなげに言った。


「どうして?」

「だって、そうだろう。二発目で幹部はうつ伏せに倒れた。三発目が当たっていたら、弾痕は背中にできるはずだ。背中に傷が無かったということなら、三発目は外れている」


 言われてみれば、そうだ。弾が貫通した様子もなかった。


「一発目か、二発目が、致命傷だったわけか……。くそっ。最初の発砲で動けていれば、助けられたかもしれないな」


 その時、扉に何かがぶつかったような、金属が耳障りに振動する音がして、加治木は思わず振り返った。

久奧の「どうぞ」という声で、ようやくその音が、スチール製の扉をノックした音だと気がついた。


 扉を開け、失礼します、と言って入室してきたスーツ姿の若い女性には、どこかで見覚えがあった。

 ウェーブのかかった髪を顔の両側に分け、後ろの髪は束ねている。

 ぱっちりとした瞳や、鼻筋の通った顔貌は、微かにだが海外の血が流れているように見えた。


「あら、あなたは……」


 女性は、眉を上げ、僅かに驚いたような顔をする。高く澄んだ声がした。

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