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第九話:北新宿駅の連続殺傷事件

 目に焼き付いて離れない光景を、加治木は語った。


「二十数年前だから……君が、まだ生まれて間もない頃かな」


 天穂は、絶句していた。目を大きく見開いている。


「北新宿駅の連続殺傷事件……」


 彼女の口から、言葉が漏れた。

 加治木は頷く。


「そう。死傷者四〇人を超す惨事だった」


 侵入防止策のない歩道から駅前広場に突入した車両は、三〇人近くを跳ね飛ばして、車を降りた犯人が、鉈を持って通行人に襲い掛かった。


 そうした事件の詳細を加治木が知ったのは、事件からしばらく経ってからだった。


「妹さんは……どうなったんですか」

「……死んだよ。犯人に斬りつけられてな。

 父親もだ。俺と妹が襲われている所に駆け付けて、犯人ともみ合ったらしい。

 父は、俺をかばって死んだ」


 話の詳細は、母親から聞いた。

 もっとも、美咲が事態に気付いたのは、父親を執拗に切りつける犯人が、駆け付けた警察によって取り押さえられてからのことだった。

 

 美咲は、警察や人づてに、加治木たちの身に起こった詳細を把握したのだという。


「俺は、悩んだよ。テーマパークで、妹を突き飛ばしていなければ。

 幼児を助けに行った妹を、さっさと連れ戻していれば。幼児を見捨てていれば。

 沢山の仮定で、自分を責めた。犯人も恨んだが、それは、結局無駄なことだったし」

「あの、事件の犯人は確か……」


 天穂は、口元を横に結んだ。


「よく知っているね。最高裁までもつれて、心神喪失で無罪になった。責任能力がない、とな。

 精神病院から抜け出してきたところ、病院を訪れていた造園会社の車輛を盗んで、駅に突っ込んだらしい。

 計画性のない突発的な犯行だった」


 そこまで喋って、加治木は乾いた笑いを漏らした。


「どうしようもない。天災に巻き込まれたようなもんだ。

 でも、そう思うと、なぜ俺だけが天災の中で生き残ったのか、と思ったね」


 天穂は黙っていた。涙が止まっていた。


「妹が助けようとした命や、父に助けられた命、色んな人間の命があの場所に合ったのに、俺は生きている。

 俺の命は妹や父よりも高尚だったかといえば、幼児を置いて逃げようとしたぐらいなんだから、卑俗と言えるだろう。

 ……結局、運なんだ。人の命が重いか軽いか、判断できる存在なんてどこにもない。

 ただ、俺は運がいい。だから俺は運を誰かに分けてあげなければいけないと思った。

 妹が、か弱い幼児を助けようとしたみたいに。父親が俺を助けようとしたみたいに。

 困っている運のない人間に、運を分けるんだ」


 その行為が、なぜ警察官という方向と結びつくようになったのか、意識的なきっかけは覚えていない。


 無意識的なきっかけを辿るなら、殺傷事件の犯人に立ち向かう警察官の姿が、加治木に警察官という道を誘引したのかもしれなかった。


 気が付くと、天穂は顔を伏せていた。その両肩を、激しく震わせている。


「私は……」


 天穂のつぶやきを訊き返そうとして口を開いたとき、彼女は立ち上がった。

 そして指で両目の目もとを拭う。


「直談判に行ってきます」

「え?」


 見ると、天穂の目は、力強く開かれていた。


「加治木警部補の、処分撤回を求めてきます」

「よせよ、誰のためにもならんさ。俺は天穂を誘導するつもりで、こんなことを喋ったんじゃない。

 君が困っているようだから、参考になればと思って話しただけだ。

 それに、俺があの教団にもはや潜入不可能なことは、君だって分かるはずだ」

「それは、そうですが……!」

「君は自分の仕事をするんだ。これは上司命令。俺を上司と認めないなら、直談判にでも好きに行くといい」


 天穂は不服そうな顔をして黙った。溜息を吐いて、再びソファに腰かける。


「それでいい。一週間という謹慎だって、休暇と思えばなんということもない。逆に、しっかりと勤務をしている君らに申し訳ないくらいだね」

「……やはり、直談判に行くべきかもしれませんね」


 濡れた瞳を拭ってから、呆れた顔をして、天穂が言った。


「冗談だよ。それに、俺には俺のやり方がある。一週間でやれるだけのことをやるさ」


 加治木が言うと、天穂は訝しげな顔をした。


「処罰の破れかぶれに、何か企んでるんですか? あまり、出過ぎた真似は……」


 加治木は首を振った。


「俺は公安だけど、刑事でもある。殺人事件は一課の本職だよ。なに、心配しなくてもいい。公安にこれ以上の迷惑はかけないから」


 口角を上げ、天穂に笑みを寄越す。天穂は、不安げな顔をした。


 彼女の顔を見て、加治木は予てからの疑問が払拭されていくのを感じた。

 おそらく、こうして天穂と二人きりで話を交わし、彼女を間近に感じたからだろう。


 自分が何故、天穂に厳しく当たられても、彼女を嫌うことができないのか、加治木にはその理由がようやく分かった。


 子供と大人を比べるなど、馬鹿らしいことと思う。あるいは、天穂がただ年下であるという理由だけなのかもしれない。


 彼女は、なぜだか自分に、妹を連想させる。

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