あれが過ぎると申します 菱
人を喰つた話だと云ふ
否何 人を喰ふのではない
鬼の仔を喰ふのだと云ふ
鬼が人を喰ふのでなくて
人が鬼を喰ふのだから
人を喰つた話なのだと
何やら合點が行くやうな
行かぬやうな事を云ふて澄ましてゐる
まあ 見給ヘ
小聲で耳打ちすると
うそうそ邊りを憚つて
懷からそつと取出した
掌で一寸隱すやうにしながら
ほうらこれだよと撫でてゐる
何だいこれは
目も鼻もないぢやないか
知らないか
鬼の仔とは
昔からさういふものだよ
飽迄眞面目である
成程
さう云はれてみれば
さう云ふものかも知れぬ
小さいながらも妙に嚴つい形には
鬼の面魂が
ひしひし宿つてゐると云つても可い
これはどうも赤鬼らしいね
と訊くと
神妙な容貌で頷いてゐる
さうして
これはね 茹でてあるのだよ
と仔細らしく頤を撫でる
鬼の仔とは茹でるものかね?
さうさね
どうも茹でたが良いらしいね
ほら かうするのだよ
二つの角を摑むと
天窓を眞ん中からばかりと割つて見せた
ほつくりした
白い髓が見えてゐる
半分づつ
赤玄い皮を剝いで口に入れて見せた
まあ遣り給へ
目の前に突出されたものを
曖昧なる薄笑で胡麻化さうにも
すつかり肚を見透された體にて
斷らうにも斷りきれぬ
仕方なしに一口
兢兢嚙んでみると
幽き中に味はひがある
懷から幾らでも出してくるのを
ただ默默と貪つた
最后の一つを嚥下して
これで乃公も
人ならぬものに爲りおほせたなと覺悟した
鬼の淚が滂沱と落ちた
<了>