02-兆し
カランコロン。
「いらっしゃいませ」
扉の開く鐘の音に呼応し、統一郎が反射的に挨拶の声をかける。そのまま視線を入り口に向けると、予想に反して扉から現れたのは統一郎が知った顔であった。
スラリとした細身の身体に、バランス良く整えられた目鼻立ち。大きめでアーモンド形の瞳は、気が強そうに目尻が少し吊り上がっている。黒髪にさっぱりとしたショートカットで、全体的に活発な印象の美少女だ。
見るからに不機嫌そうな少女の様子に眉尻を下げ、統一郎が仕事の手を止めた。
「ねぇ、斗は来てる?」
ちらっと店内の様子を窺い、自分の他に客がいない事を確認すると、少女はスタスタとカウンターに向かって統一郎に問いかけた。
「いえ、今日は見ていませんよ。さて、どうしましたか?」
苛立ったような少女の口調に、統一郎は肩を竦め、控えめな声音で返す。
少女は期待が外れたと言わんばかりに、はぁぁぁーと大きく息を吐き、スツールに腰を下ろすと、カウンターに突っ伏した。
「撒かれた」
統一郎は、またか、と心の中で嘆息し、淹れたての珈琲を少女の前へと差し出す。
「斗くんを捕まえておくのは至難の業でしょう。アレは、そう言う生き物だと思って諦めた方がいいですよ」
香ばしい珈琲の香りに惹かれて、ゆっくり少女が顔を上げると、差し出されたカップに指を引っかける。しばし、香りを堪能したところで琥珀の液を口に含み、一口飲めばようやくホッ、と息をついた。
「別に、斗を縛り付けるつもりなんかないわよ。私はただのお遣いだもの。変調があったから、報告しに行っただけでさ」
「変調、ですか」
「そう、それも被害者は全員十代の女の子。症状も全部一緒で、今のところ原因不明の疾病で片付けられてる。でも、間違いない。十中八九、私たちの専門分野よ」
「本家の判断ですか」
そう、と溜息混じりに少女が頷き、再び珈琲を口に運ぶ。
「斗くんの携帯は?」
「通話は留守電、LINEは既読スルー。メールは無反応!GPSは切られてる!!」
「通常運転でしょ?」と諦めモードで少女が溢すと、統一郎も同意した。
「日に日に被害者の人数が増えて来てるの。今はまだ、範囲も狭いし人数も少ないから、今のうちに対処しないとって……でも、私や兄さんの能力だけじゃ、多分太刀打ち出来ないわ」
「斗くんの力が必要ですか」
唇を尖らせ、うん、と不満そうに項垂れる少女の表情をみれば、思わず統一郎の顔に苦笑が浮かぶ。
「誰か、あの暴君王子を制御してくれる人間はいないのかしらね」
「さぁ、私は22年間、ずっと彼を見て来ましたが、そんな酔狂な人間に心当たりはありませんね」
「兄さんでも手に負えないものを、私がなんとかできる訳ないじゃない。本家もそのところ分からないのかしら」
本日いくど目かの溜息を零して、少女がカウンターで頬杖をつく。
「湊さん。ため息ばかりついていると幸せが逃げますよ」
「………逃げたのは、幸せじゃなくて斗よ」
統一郎に湊と呼ばれた美少女は、いまだに唇を尖らせたまま、文句を告げる。
上手いことを、と短く笑って統一郎はエプロンのポケットから、携帯を取り出した。
「兄さん?」
「捕まる保証はありませんが」
可愛い妹のためです、と統一郎が画面を操作し、スマホを湊が座る席の横に置いた。すると、数秒後、ブルッと一度、振動が響く。
「嘘っ、返事来た?」
「みたいですね。どうやら、起きてはいるようです」
湊が兄のスマホを持ち上げ、画面をそっと覗き込む。スマホの画面に未読のLINE通知が一件表示されていた。
「あいつ………兄さんにはちゃんと返信するのね。ホント、頭にくるな」
「私が斗くんに連絡することが稀だからでしょう。まぁ、彼の方から連絡が来ることは殆どありませんよ」
「そりゃ、兄さんに用がある時は、ここに来れば大抵会えるもの」
無料でお茶も飲めるし、とやっと晴れやかに笑う妹に、統一郎は目を細めるとそっと手のひらを差し出した。
心得ているかのように、湊はその手の上にスマホを乗せる。
兄妹と言え、無遠慮に兄のスマホを覗くなんて事は出来ない。湊もそこは分かっているので、大人しく統一郎からの返事を待つ。
「30分後に来るそうです」
「あっ、そう」
「何がそんなに不満なんですか?」
「べっつにー!」
分かりやすく剥れる妹に、微笑ましく笑みが漏れる。ちらちらと兄の様子を窺って、気になっていたことを何気なく口にした。
「どうやって呼びつけたの?」
頬杖ついた姿勢のまま、湊が不思議そうに兄へ問いかける。フッと甘い笑みを浮かべ、フッと細く目を開いた兄の低い声が静かに響いた。
「まぁ、こんな文章を送っただけです」
差し出されたLINEの画面、記されたメッセージにヒクッ、と湊の口が引きつった。
『これ以上、私の妹を怒らせたら、絶対許しませんよ♡』
画面の文字と温和そうな目の前の兄の姿を見比べて、湊の顔が微妙に歪んだ。
確かにこんな文章を送られたら、既読スルーでは済まされまい。しかも、語尾につけられたハートマークにただならぬ圧を感じる。
「お見事ね」
「姫にお褒めに預かり光栄です」
他愛のないやり取りの後、兄妹2人で笑い合うと、カランコロン、と再び入り口から客の来訪を知らせる鐘の音が響いた。