01-出会いは突然に
早めの更新を心がけております。
宜しければ、感想をお願い致します。
それは、変わり映えのない日常の、不意を突いた出来事だった。
いつもの放課後、いつもの帰り道。いつもの時間に利用する、いつもの電車。
ひよりはいつものように、疎らに乗り込む人の波と共に、電車の一番右端の座席に座ると読みかけの本を取り出し、ぱらりと栞が挟まれたページを捲った。
ゆっくりと本に視線を落とし、がたごとと揺れる車内の振動に合わせて体を揺らしながら、小説の話の中へ意識を溶け込ませて行く。
どのくらい経っただろうか。
夢中になって本を読み耽っていると、急に左肩に圧しかかって来た重みに、違和感を覚えた。
視線を紙面から隣に向けると、人の頭と思しきものが、左肩に乗っている。
(寝てる……?)
怪訝に眉を顰めつつ、寄りかかっている人物をジロリと見れば、それは見知らぬ男性だった。疲れているのか、腕を組んで軽い寝息を立てながら、ひよりの肩に頭を凭れかけている。
(え、わ。綺麗な人……)
見知らぬ男性は、不快とか迷惑とかそんな感情を吹き飛ばすほど、綺麗な容姿をしていた。普段であれば、誰とも分からない男が寄りかかって来れば、迷惑千万、不快な事この上ない。たが、相手がイケメンであれば、不快感なんて一瞬で吹き飛ぶのは一般的な女性の感情として致し方ない。
それほどに、肩に寄りかかる男性の外見は整っていた。
ひよりの肩にかかる髪は、さらさらの黒に近いブルーグレー。一見、黒髪にも見えるが、零れ落ちた毛先に深い青みが差しかかっている。更に、前髪の一部は色が異なり、きらきらと銀色に光っている。
(部分染め?いや、脱色…かな。おしゃれな人ー)
相手が寝ているのを良い事に、ひよりはじっとその男性を観察する。伏せられた瞼の先で、長い睫毛が頬に影を落としている。通った鼻筋に、規則的に寝息を溢す唇は薄い。肌の色もまるで陶器のように白く、透明感がある。背の低いひよりの肩に綺麗に頭が収まるのは、座高が低いせいで、決して彼の背が低い訳ではない。その証拠に、脚の長さを示すよう引き寄せられている膝が、高い位置で折り曲げられていた。
全体的に体の線は細く、どちらかと言えば華奢な印象を受ける。
中性的な美青年。それが、彼に対するひよりの感想だった。
もしこれが、仕事帰りの疲れたオッサンだったら、ひよりもさっさと立ち上がり、席を改め座り直したかもしれない。
しかし、相手が超美形とあれば話は別だ。単純だが降りる駅まではと、目の保養とばかりにこの状況を堪能する事にした。
森崎ひよりは、所謂どこにでもいる普通の女子高生である。特筆する容姿でもなければ、これと言った特徴もない。彼女の通う学校は女子校のため、異性と関わる機会は稀だ。更にイケメンと触れ合う機会は、皆無と言っていい。
(私も例に漏れず、イケメンには弱かったんだなぁ)
肩に寄りかかる男性を鑑賞しながら、ふぅ、と静かに溜息を吐く。彼の顔をチラリと見てから、ずるりと眼鏡が滑り落ちた事に気づき、ひよりはゆっくりとずれた眼鏡を指で押し上げた。
しかし、隣で眠りこけるこの男、全く目を覚ます気配がない。ずっしりと肩にかかる重みが、彼の熟睡っぷりを顕著に表している。
(よっぽど疲れてるのかな)
規則的な寝息を立てている男性に、ぼんやりとそんなことを思う。推測するに、大学生か専門学校生くらいだろうか?高校生と言うほどには幼く見えない。
歳の頃は二十歳前半。バイト帰りで疲れて熟睡かな、と思った。
何となくだけど、働いている社会人のような雰囲気はない。
来ている服は質が良さそうで、一見してどこかのブランド物だと見て取れる。
イケメンの上にお金持ちとか、と内心呟いて思わず笑みが溢れた。
イケメン相手だと、ついつい妄想が捗る。どうせ、行き摺りのイケメンで、今後関わる事もないだろう。ならば、肩を貸す対価として、妄想くらいは許してほしい。
そう結論付けて、マジマジと凭れるイケメンを観察し続ける。
(しかし、本当に起きる様子がないなぁ。これ、どうしようかしら?)
ひよりの降りる駅までは、あと二つ。駅に着いたらこのまま立ち上がれば良いのだけれど、何となくそうするのは気が引けた。矢張り相手がイケメンだからだろうか。駅に着くまでに、彼が自然と起きてくれれば良いのだけど。
しかし、ひよりの願いは儚くもすぐに打ち砕かれた。彼女が降りるひとつ手前の駅で、急ブレーキがかかったのである。
キキキキーッ!!
甲高く軋んだ機会音と共に、強烈な圧力が身体へと降りかかる。同時に、ガタンっと車内が大きく揺れて、がくりとイケメンの頭がひよりの肩から滑り落ちた。
「えっ」
車内には、緊急停止を行った旨の放送が入り、それに伴い乗客たちが騒めき始める。
しかし、ひよりが驚いた理由は別にあった。肩に凭れかかっていたイケメンの頭が反動で滑り落ちると、ひよりの膝の上に乗っかったのだ。
「嘘でしょ」
その衝撃の後でも、イケメンが目を覚ます気配はなかった。規則的に刻まれる寝息で、彼が寝ているのは間違いないだろう。
ただ、この衝撃を受けてなお、目が覚めないのは異常である。
「ちょっと、お兄さん?お兄さーん!起きてください。大丈夫ですか?」
流石に不審に思い、肩を揺さぶりながら、膝の上の男性に声をかける。
膝枕している状態なのはこの際置いとくとして、このまま寝かせておく訳にはいかない。
「お兄さん、お兄さん!ちょっと、起きて!」
最初は遠慮がちにかけてた声も、時が経てば無遠慮に変わる。流石に起きてもらわなければ、こちらも困る。
「お兄さん、お兄さんってばっ!起きてよっ!」
「ん……ううん?」
幾度めか、強く肩を揺さぶると、やっと反応が返って来た。ひよりの口からほっと安堵の息が漏れる。
彼は眉間に少し皺を寄せ、パチパチと長い睫毛を瞬かせると、ひどくゆっくりと瞼を開いた。
(わ…綺麗な目の色。カラコン?だよね)
開いた瞼から覗く青年の瞳は、薄い灰色だった。改めて眺めると、まるで作りものの人形のように、人間離れしている美貌である。
こんなに綺麗な人間も実在しているんだ……なんて見惚れながら感心していると、青年の瞳が大きく見開かれ、慌てた様子で勢いよく起き上がった。
「えっ、僕、寝ていた?」
数度瞬いた後、驚いた表情を浮かべる青年が、誰ともなしに問いかける。
ええ、寝ていましたよ。それはもう、ぐっすりと。心の中で答えを返し、ひよりは少し引き攣った笑顔を浮かべた。
その要因の一つは、彼の直視する視線に耐えられなかったから、である。
寝ている間はまだ良かった。無遠慮に鑑賞するだけなら、全く問題はなかった。しかし、目覚めた彼が真っ直ぐにひよりを見つめると、その顔面の破壊力にひよりは言葉を失った。
(ちょっと待って!なにこれイケメン過ぎるでしょ?)
それでなくても、女子高に通うひよりは男性に慣れてない。更に、相手が超ド級のイケメンなら、全くの免疫がない。
「君が僕を起こしたのかい?」
他愛のない質問でも、ひよりの声が出てこない。ぶんぶんと、首を縦に振るので精一杯だ。
しかも、超ド級イケメンくんは、声もド級にイケメンだった。
言葉の語尾に艶があるのか、響く声がいちいち甘ったるく耳に響く。
「そうか、君が僕を起こしたのか」
何やらぶつぶつと呟く彼に、ようやくひよりは声を絞ると、ゆっくりと座席から立ち上がる。
「すいません、もう降りる駅なので…失礼します」
「あっ、待って!」
何とか言葉を搾り出し、焦りながら走り去ろうとしたところで彼に腕を掴まれた。
「な、なに?」
「あ、ごめん。降りる駅なのか。僕も一緒に降りるよ」
にっこりと微笑みを返されて、ひよりは一瞬惚けてしまった。
それほど、彼の笑顔の破壊力は抜群だったのである。
惚けたひよりの腕を掴み、青年は開いた扉から駅に降りた。彼に腕を引かれながら電車を降りると、ひよりは呆然と彼を見上げた。
「君、名前は?」
えっ、名前?名前、名前…私の?
「森崎ひより、です」
答えた後で、ひよりはハッと我に返った。相手がイケメンとは言え、見ず知らずの相手に何を名乗っているのだ、私は。
いくら何でも、軽率じゃないか?
相手がイケメンだからと言って、悪人じゃない事にはならない、が、名乗ってしまった以上、もうどうしようもない。
「ひよりちゃん。ひよりちゃんか、うん、可愛い」
「……は?」
「あ、名乗るのが遅れたね。僕は夢咲斗はるでもはるちゃんでも良いよ」
「……え?」
我ながら随分間の抜けた返事だったと思う。しかし、なんで自己紹介する流れになったのか、甚だ疑問でしかない。
それに、か、か、可愛いって何が?あ、名前か…。
相手のペースに乱され、脳内が右往左往しているひよりに、斗がじっと視線を落とした。表情からは、彼が何を考えているのか全く読み取れない。
「君は、桜園学園の一年生かな?」
「えっ、何で!」
分かるの、と言いかけて、再びひよりが口を噤む。学校名は彼女が着ている制服を見れば一目瞭然で、学年はひよりの外見から検討をつけたのだろう。反射的に返したひよりの返事で肯定を確信し、斗が柔らかく口許を緩める。
「とにかく、ひよりちゃん。これからよろしくね」
「はい?…えっ、どう言う意味?」
満面の笑みを浮かべ、斗がふわりとひよりの頭を撫でると、免疫のないひよりはその場でピシリと固まった。
頭の中では目まぐるしく、斗の言葉が駆け回っている。
これからよろしく?よろしくって、何を?何で?どう言う意味?
ぱくぱくと口を動かしても、全く声が出てこない。動揺がひよりのキャパを超えてしまったらしい。斗はそんなひよりに構わず、ひらひらと手の平を揺らすと、向かい側に到着した電車へと、開いた扉から乗り込んだ。
反対側の電車に乗り込んだと言うことは、寝過ごし降りる駅を通り過ぎていただろうことは想像するに難くない。斗はひよりに向かって手を振りながら、今日はありがとう。またね、と言葉を返す。
(ありがとうって、起こしたことのお礼のつもり?)
プシュッと電車の扉が閉まり、斗を乗せた電車が走り出すと、ひよりはようやく大きな息を吐いた。
突然起きた予想外の出来事の連続に、全く思考が追いついていない。現実逃避のように、斗さん、めちゃくちゃイケメンだったなぁ、なんて、一番どうでも良い感想を吐き出すと。急にボッと顔が熱くなった。
一連の出来事を反芻し、頭を抱えてうずくまる。
何だったの?何だったのよ、一体!
私はただ、彼を起こしただけなのに。
彼氏いない歴=年齢で、中学校から女子校に通うひよりは、普通の女子高生よりも男性に免疫がない。かと言って、カマトト振る気もないし、男性に興味がない訳でもない。
恋愛に興味もあれば、男の子にだって興味はある。ただ、自分の容姿が並程度である自覚があるため、積極的にはなれなかった。
ひよりは、小柄で背が低く、太い栗色の髪は少し癖がかかっている。雨の日は、毛先がピンピン跳ねて収拾がつかない。だから、いつも髪は一纏めに括っている。
視力が悪いので眼鏡は必需品だが、元来鼻が低いせいか、眼鏡が良くずり落ちて来る。癖のある髪の毛と低い鼻は、ひよりのコンプレックスだ。
取り立てて、人目を惹くような容姿ではないため、今まで男の子に声をかけられた事はない。男性に対して興味はあっても、絶対的な経験値が少ないのだ。
そんなひよりに、斗のような超ド級のイケメンは高レベル過ぎた。キャパオーバーになっても仕方ないだろう。しかも、斗から意味不明な言葉を連発されて、思考回路がショートしてしまった。
「……ホント疲れた。なんだったの、一体」
数度、深呼吸した後で顔を上げると、ようやく落ち着いたのか、ゆっくりと立ち上がって胸を押さえる。
「これからよろしく」と「またね」の言葉は気になったが、おそらくもう会うことはないだろう。
あれほどのイケメンが、ひよりに興味を持つなどあり得ない。ひよりが彼のことを知りたいと思ったところで、名前しか知らないのでは、調べようもない。
(良い目の保養になったなー)
やっと心臓が落ち着いたところで、ひよりはよろよろと駅の改札に向かった。
夢咲 斗。
彼が、のちにひよりと深い関わりを持つ事になろうとは、この時のひよりは想像もしていなかった。