僕と彼女のティーバック
供養。
「もう知らない! 二度と話しかけないで!」
目の前にいた女の子が、怒りを露わにして去っていく。猫だったら毛が逆立っていてもおかしくない。それだけのことを僕はしたのだと思う。
毎回、僕は学ばない。
僕には一つの異能がある。
この現代日本でそんなことをハッキリ伝えれば、頭のおかしいやつだとか、病院に行ったほうがいいとか、黄色の救急車を呼ばれそうにもなるだろう。
たった一人を除いて誰にも明かしたことがないこの"秘密"を、僕は生涯守り抜く。
「はぁ。また振られたな。ルックスはいいって褒められるから、付き合えはするんだけど」
「中身が最低じゃ仕方ないわね」
「うおっ」
後ろから突然声が聞こえて、驚きのあまり声を上げた。
「何よ」
「あ! いや、うん。……雫」
一ノ瀬雫。僕の初めての彼女だった人であり、幼馴染であり、唯一、僕の異能を知る者だ。
そう、たった一人――雫には明かしてしまっていた。
「まだアレ、治っていないの?」
「いやいや、治るとかじゃないし。僕の力で当てて見せようか?」
「好きにすれば。もう隼人に興味なんてないから」
「……わかったよ。じゃあちょっとだけ」
僕は両目に力を込めた。どういう力を込めているのかは分からないけれど、とにかく力を込めた。
だんだん目が充血し、鼻血が出そうになる。
「――見えたッ!」
雫がびくりと肩を振るわせる。
「水色で紐で結ぶタイプの透けないティーバック! 今日もえっちじゃん!」
「えっちじゃないわよ、楽なのよこれ。男性用もあるし、隼人もきっと気にいるわよ」
「え? 穿いてないわけないじゃん。見る?」
「!? み、見ないわよ! 何考えてんのよ! こらッ、ズボン下げるなッ!」
躊躇いなく体育館の倉庫で体操服のズボンを下げると、雫が顔を逸らす。でも、それは少しばかり遅かった。
「見えちゃったじゃない! 本気で穿いてるの!? あり得ないわ!」
「それは男性差別だよ。男だって、ティーバックを穿いていいんだ」
「〜〜〜〜っ! もう知らない! どうせさっきの彼女にも、『今日はティーバックじゃないんだね』とか言って振られたんでしょッ!」
「よく分かってるね。さすが幼馴染兼元カノ」
顔を真っ赤にして去っていく雫。
大声に反応したのか、元々不安定だった台車に盛られたバスケットボールが一つ、転がった。
キャッチしてリリースする。
体育の授業は終わり、あとは着替えるだけ。
「憂鬱だ」
彼女には振られて、元カノにも怒られて、散々な日だ。
男子用更衣室にはもう誰もいないだろうか?
僕はティーバックが好きだし、見るのも見せるのも好きだけど――男のものを見る趣味も男に見せる趣味もない。
一度だけ見せたことがある親友には中学時代、めちゃくちゃ笑われた。クラスで言いふらされ、バカにされた。
そいつとは絶交したけれど、それがトラウマで、人前で着替えられないのだ。
* * *
僕はティーバックが大好きだ。
お尻の形がもろに出る形、ものによっては肌が見える透け具合。
ティーバックにもフリルが付いたものや、透けるものや透けないもの、布面積が比較的多いものもあるし、カラーバリエーションも豊富だ。
数多あるパンティーの中からティーバックを選び、その中からさらに選りすぐったモノを穿いている。――人それぞれ選ぶものが違って、とても見応えがある。
何より、ティーバックで一番素晴らしいことと言えば、どれだけパツパツのスカートやズボンを穿いていても、パンツの形が浮かび上がらないことだろう。女子にとってもメリットだし、僕としても「もしかしたらティーバックかもしれない」と思えるからメリットなのだ。
今日振られたばかりの元カノがよく穿いていたのは、水色で比較的透けるタイプの、布面積が極小さいものだ。どうやら一枚しか持っていなかった。僕が見たのはその一着だけだから、間違いないと思う。
「もっとティーバック穿いてくれればいいのに……」
ぼやいていると、雫がテニス部の活動をしていた。
いまは放課後。僕は教室でだらけている。
放課後にはこうして、教室から様々な女子のパンツ事情――もといティーバック事情を調べているのだ。
「お、あの子ティーバックじゃん!」
ポニーテールの髪がふわりと風に揺れる。
穿いているのは白のティーバックで、フリルがついた可愛らしいもの。――そして、紐で結ぶタイプだ。
彼女はどうやら、雫と同じテニス部の活動をしていた。
「雫に聞いて見よ」
すぐにスマートフォンでメッセージを送信する。
もちろん、返事は来ない。まだ部活中だからね、仕方ないね。
今日はもう帰って、明日にしよう。
次の日。
僕は雫に呼び出された。
「あのね、私だって暇じゃないの。紹介してっていうけど、朱音さんは先輩だからね! セ・ン・パ・イ! 隼人のこと紹介して、変態だってわかったら私の立場がなくなるわよ!」
腕を組み、僕に説教し始めた雫の今日のパンツは――、
「見えたッ!」
「!? 見るなッ!」
顔を真っ赤にして股間を手で隠す。
けれど、もう遅い。というか、そんなの関係ない。
「今日もティーバックか……さては雫、相当なティーバックファンでしょ」
「そんなんじゃないし」
いつもならヒートアップして声を荒げるのに、今日は違った。
顔を赤らめて、ぼそりと聞こえるか聞こえないかの声だった。でも、ちゃんと聞き取れた。
「じゃあどんなんなの」
「べっつに。関係ないわよ隼人には」
「まぁいいけど――それより、紹介してくれるの? してくれないの? してくれなかったら……直接行くしかないな」
「行くなッ! 絶対ダメ! わ、私がティーバック穿くからッ!」
「え、でももう見慣れたし……」
雫のティーバックのバリエーションは意外と豊富だ。
僕のことを変態呼ばわりする割には、ティーバックばかり穿いている。
月曜日は水色の透け具合の高い普通のティーバック。
火曜日は紺色で特に飾り気がなく透けてもいないティーバック。
水曜日は紺色で透けそうで透けないフリルのついたティーバック。
木曜日は水色で紐で結ぶタイプの透けないティーバック。
金曜日は青色で透け透けフリルのティーバックだ。
土曜日と日曜日はあまり出会わないけれど、基本的にティーバックを穿いていることはない。なぜなら、たまに見かけるときに何のパンツを穿いているかわからないからだ。
僕が見えるのは、ティーバックだけ。ティーバックを穿いていないと、何を穿いているかさえわからない欠陥能力だけど、僕にとってはじゅうぶんだった。
そして、今日は金曜日。
ローテーションを考えれば、見なくてもわかる。
でもたまに別のティーバックを穿いていることもある。
雫のティーバックのバリエーションは八つもあるのだ。凄い! ここまで多いのは僕調べでは一番だ!
「雫ってティーバックは八種類だよね? さすがにローテーションで同じものを穿かれると覚えちゃうし、見慣れちゃうよ。新しいの買ったら? 確か、月曜日と水曜日に見るやつってもう二年くらい穿いてるよね?」
「はぁ!? はぁ~~!? どういう神経してるわけ!? さすがに引くんだけど!」
「お、怒った」
「お、じゃない! お、じゃ! 怒るに決まってるじゃない! そんなに私のパ、パンツばっか見て、なんなのよまったく」
顔を真っ赤にさせて、恥ずかしそうに怒る雫はとてもかわいい。より戻してくれないかな? 無理か。
そのあと昼休みいっぱいまで使って、なんとか雫を宥めた。
さて、朱音先輩のところへ行こうか。
僕のティーバックセンサーからは逃げられないよ。
side 一ノ瀬雫
まったく、隼人ってば人の気も知らないで。
放課後。部活に行くために教室を出る。クラスメイトも部活へ行ったり帰ったりしていた。
「このままじゃ隼人が犯罪者になって、ケーサツに逮捕されちゃうかも……。おじさんとおばさんになんて言えば……」
隼人の両親は一昨年、交通事故で亡くなった。
私の両親が仕事の都合で、私の中学生活最後のテニスの試合の送迎をできなくなったことがあった。そのときに、代わりに送ってくれたのだ。車の中で、私は隼人を任された。ちょっと危ない子だから、面倒を見てあげて、と。
隼人は変態でちょっと気持ち悪いけど、私にとっては弟みたいなものだし、長い付き合いで慣れもある。
何より、隼人がほかの人に手を出さないようにティーバックを穿き始めたのだ。手を出すなら私に出してほしい。ほかの人に手を出すなんて許したくない。
……私って魅力ないのかな?
隼人と関わっていると、思わずそう考えてしまうことがある。
一度は隼人とお付き合いもしたけど、長続きしなかった。
付き合ってからは会うたびに、出会いがしらに「今日は何々のティーバックなんだね!」やら「今日はティーバックじゃないんだね!」やら言われれば、そりゃ滅入りもする。
いまでも言われるけど、出会いがしらには言われなくなったのが幸いだ。
「ローテまでバレてるし……新しいの買おうかなぁ」
意外と下着は高いのだ。上下で揃えたいから、お金がかかる。
部活ばかりでアルバイトもできないし、お小遣いも限られているのだ。
だから、気軽に手が出ない。
「ていうか、ローテまでバレてるのに手を出されないなんて――もしかして魅力なさすぎ? それとも、隼人ってホントにティーバックにしか興味ないってこと?」
廊下を歩きながら、うーん、うーんと唸る。
「朱音先輩ですよね! 僕二年の下田隼人です!」
その目の前で――朱音先輩をナンパしている変態がいた。
――――――――――――――――
朱音先輩は彼氏がいるらしく、とても僕なんかが入る余地はなかった。
声をかけた瞬間、
「俺の朱ちゃんに何の用だ?」
と眼帯を付け、佩剣した陰キャが出てきたのだ。
しかも朱ちゃんの発音が赤ちゃんと同じだった。あいつは間違いなく厨二病で、そんな人を彼氏にしている朱音先輩はヤバい人かもしれない。
心なしか朱音先輩もちょっと引いているように見えたけれど、そんなはずはないだろう。
予防は大切だ。
いくらティーバックを身に付けていても、危険は犯さない。
「今日は転校生を一人、紹介する。入れ」
「はい!」
月曜日、週の初めの挨拶は転校生の来校だった。
返事とともに扉を勢いよく開く。転校生はザ・陽キャといった風体で、髪をかき上げる動作がどうにも様になっている。
季節は冬、ブレザーの冬服をみんな着用している。なのにこいつは学ランで、とても目立つ。
女子の体を悉く観察してきた僕にはわかる。この転校生――どうやらブラジャーを着用しているらしい。
もしかしてジェンダーな人だろうか? それにしてはサイズが違い過ぎる。あれではブラジャーとしての機能を果たしていない。
胸の重みを支え、形を整え、体への負担を軽減するためにあるブラジャー。
それが、まったくと言っていいほど機能していない。
――間違いない。こいつは趣味でブラジャーを付けている!
「俺の親父はアコール・ランジェリーの社長だ!」
父親がよく出来た人だと、息子はバカになるテンプレパターンか。
「はぁ」
思わずため息が出る。
「俺は……ブラジャーが大好きだ!」
ガバッと学ランを広げ、その肉体が露わになった。
鍛え抜かれた筋肉。その胸筋を、ブラジャーが包み込んでいる。
「嘘だろ……」
思わず言葉が漏れる。
だってそうだろ。普通、ブラジャーを身に付けていることを明かすか? 知り合って間もない相手に? 絶対引かれる。なんだよ、こいつのメンタル強すぎないか?
「ギャハハハハ! なんだお前! おもしれー!」
「やべー奴来たじゃん!」
「ちょっと、え、アコールってもしかして、あの?」
「業界最大手の御曹司!?」
女子の反応を聞き、僕はすかさず検索した。
アコール・ランジェリー。
たった一代で女性下着メーカーとしての覇権を握るに至った、凄まじい会社だ。日本のみならず、最近では世界でも活躍しているとか。
ページの案内にティーバックを発見し、ついつい指が動く。
「これ、雫が穿いてるのと同じだ」
雫はアコールでティーバックを買っているのか。
「お前ら、よろしくな!」
僕が戦慄していると、自己紹介はいつの間にか終わっていたらしい。
しかも、僕よりもクラスに受け入れられている。
……おかしくない? ブラジャー付けてるんだよ? なんでそんなに簡単に受け入れられるんだよ。
僕がティーバックを穿いていることを認めてくれなかった、嘲笑ったクラスメイトたち。それはこの場にはいないけれど、全員が全員似たようなものだと思っていた。
ここにいるクラスメイトなら、受け入れてくれるのだろうか。危険は犯せない。もう、あんなのは嫌だ。
「よし、じゃあ下田の隣の席に座ってくれ」
「はい!」
「!?」
僕の隣!? 嘘だろ。こんな奴と隣の席だなんて。
「よろしく、下田くん」
「あ、ああ、よろしく」
アコールの御曹司が、僕をジロジロと観察する。
なんだ。何かおかしなところでもあったか? 僕は普通だ。普通を演じられているはずだ。あの姿は、雫にしか見せない。
はずなのに、こいつは言い当てた。
「凄いな。ティーバック穿いてるんだね」
あまりにも爽やかな笑顔で言うものだから、一瞬反応が遅れた。
「なっ、ば!」
大声を出しそうになり、慌てて声を潜める。
「絶対に誰にも言うなよ! フリじゃないぞ!」
「ああ、隠してるんだ。オープンにした方が楽だよ? みんな受け入れてくれたし、ここは良いところだな」
「……それは、君がアコールの社長の息子だからじゃん」
「? 何を言ってるんだ? ああ、でも確かに前の学校では、アコールの社長の息子って言わなきゃ女子からは逃げられたな」
「なっ、男子は? 笑われなかったのか?」
僕の問いかけに、こいつは面倒臭そうにため息を吐いた。
「笑われるに決まってるだろ。でもそんなの最初だけだ。時間が経てば、みんな何事もなかったかのように接してくる」
最初だけ? そんなわけがない。僕は、僕は――いや、僕はその先を知らない。卒業間近の中学校を転校したからだ。
両親は他界していたし、ちょうど引き取ってくれた叔父さんと叔母さんが、俺たちのところに来い、と言ってくれた。
雫に死ぬほど心配された。あのとき、雫と離れたくなくて告白したら、付き合うことになったのだ。
「でも」
「好きなものを好きって言って、何が悪いんだよ」
被せるように言われた言葉を聞いた瞬間、僕の常識が音を立てて崩れたような気がした。
そうだよ。僕はあのとき、好きなものを伝えたんだ。親友だったから。本当に好きなものを。
「好きなものさえ伝えられない友情なんて、クソほどにも価値がないと思わないか?」
「……うん、そうだね」
だけど、まだみんなに伝える勇気はないし、一つだけ疑問が残る。
「でもさ、なんで僕がティーバックを穿いてるってわかったの?」
転校生がニヤリと口を歪め、今日一番楽しそうに笑った。
「俺には“見える”のさ」
!?
「詳しく言うとだな、俺にはブラジャーやパンツが見えるんだ。女子も男子も、な。ただこれ、同い年にしか効果ないんだよ。不便だよなマジで」
「それは、凄いね。僕はティーバックしか見えないのに、君は同い年限定とは言え、全部の下着が……羨ましい」
「!? 待て待て待て、お前も見えるのか?」
「え? ああ、うん。……うん?」
あれ、え? 口を滑らせた?
いやいや、だってこいつが、転校生が見えるとか言うから。
「誰にも言うなよ! 僕にはティーバックだけだけど、すべての年齢のティーバックが見えるよ」
「マジかよ。見える奴は初めて会ったぜ……」
「僕もだよ」
このとき、僕と転校生は確かな絆で結ばれた。
若干人間不信の僕でも、それだけはわかる。
お互いに顔を見合わせてニヤリと変態的に笑う。――次の瞬間、頭に強い衝撃を受けた。
アイデアが閃いたわけでも、食指が動いたわけでもない。ただ物理的に、ゲンコツが落とされたのだ。
「いっ!?」
「いってぇ!」
見上げると、鬼の形相をした先生が。
「転校初日だからな、仲良くなる分には大歓迎だ。だがな、そうだとしても喋りすぎだ! 授業終わるんだぞ! 一限目が!」
「え、五〇分近くも見逃してくれたんですか?」
思わず出てしまった言葉。もう口の中に戻すことはできない。
「転校初日だからな! 今日だけだ!」
コメカミをピクピクさせた先生が捨て台詞を吐き、大股で教室を出ていく。同時にチャイムが鳴った。
「こんな優しい先生、知らない」
「いい先生だな。前の学校より雰囲気もいいし、クラスメイトも先生も優しい」
「いやいやいや、え? なんで、だって、僕はこんなの知らないよ」
「それは下田が周りを見てなかったからじゃないか? もっと周りを見たほうがいい。ティーバックしか見てないんじゃないか?」
ハッとした。
確かに、僕の目線は常にティーバック。ティーバックに照準が合わせられている。
周りを見て、僕の世界に色が戻った気がした。
「おい下田がゲンコツされてんぞ! 珍しいなー!」
「お前らあんま仲良くなりすぎんなよー! 俺らが入る余地なくなったらどうすんだ!」
「今度いい下着教えてね! 絶対買うから!」
男子からも女子からも、僕や転校生に声がかけられている。
「ほらね」
「ああ……」
懐かしいな。
親友にカミングアウトするまでの世界が、戻ってきたようだった。
毎回の授業が終わるごとに、転校生のもとへ人がたくさん寄って来る。
すべての高校で、転入生が来たらこんなことになるんだろうか。
「おい下田、お前も歓迎会来るよな?」
「え、いや」
ついでとばかりに、クラスメイトが僕にも絡んでくる。名前は知らない。
知らないというより、知ろうとしてこなかっただけなんだけど。
「ところで名前なんだっけ」
「……は? ちょ、俺の名前?」
名前の知らないクラスメイトが、自分を指差しながら問いかける。
「うん。ていうか、全員の名前覚えてない、かも」
恐る恐る、本当のことを言う。
たぶん、引かれたり、怒ったり、最悪はもう話しかけてこないかもしれない。
「はぁ!? なんだそれ」
そうだよね。はぁ? ってなるよ、やっぱり。言わなきゃよかった。
「おもしれー! もう二年の後半戦入ってるぞ! あ、俺は佐藤健な!」
思わず顔を上げる。まっすぐ彼の顔を見れば、めちゃくちゃ笑っていた。
「ありえねーんだけど。てか何? 俺らは下田のこと知ってんのに、下田は俺らのことなんも知らなかったってこと? ちな、俺は池谷真尋」
「そういうことね。でも、女子の間ではひどい噂も多いけど? ウチは和田朝香、よろしく!」
「あ、えっと、よろしく」
さすがに、ティーバックの話をするのは難しい。でも、ここにはそれを知る女子もいるはず。これまでにティーバック目当てで告白した女子は、たった三人。雫を除けば二人だけど、その二人にはこっぴどく振られたのだ。
とてもではないけれど、言えるわけがない。
「下田ってティーバックのことが一番好きなんだぜ」
隣の席から声が届く。
「おま、何言って! 内緒だって言っただろ!」
「おい下田お前マジか。さすがに引くわー」
「ティーバック? 下田って女子じゃなくてティーバックが好きなの?」
ほら引いてるじゃん!
「ウケんだけど! めちゃくちゃ変態じゃん。てか何? 下田のこと転校生のほうが知ってるんだけど
「下田が彼女にティーバック強要するって噂、マジってことー?」
マジじゃないよ。強要はしてないよ。
女子が笑い、それにつられて男子も笑う。
やっぱり、こうなる。ティーバックだ。ティーバックが好きなんだ。そう言って、親友にさえ笑われ、ドン引きもされた。
「……」
俯き、机を見つめる。
こんなことになるなら、転校生にも言わなきゃよかった。口を滑らせなかったらよかった。
「下田って意外と喋れんじゃん。なんでいつも黙ってたんだよ」
「それな! てかフツーにティーバックのこと考えてたからだったりしてな!」
考えてるよ。
「いやいや、それはないっしょって言いたいけど、ありそう~!」
「ウチのパンツ、ティーバックじゃないから見せらんないなー」
「私も私も! てかティーバック穿いてる女子いるの?」
いるよ。
「一人か二人くらいはいるんじゃね? 知らねーけど」
「おい最後、関西人かよ」
「えー、いいじゃん別に」
笑いが絶えない。そして、もうティーバックから話題が移りつつあった。
おかしい。
「てかさー結局、下田って歓迎会来ないの?」
「いやいや、もはや下田の歓迎会でもあるってこれ!」
「あ、ほんとだ!」
「下田~、主役が来ないなんてねーよな!」
「いや、その……」
周りを見る。みんなの顔に、嘘はない。俯いてばかりいた僕にキッカケをくれた転校生も、みんなと一緒に笑っている。僕の返事を待っている。
「……行く。行くよ。その代わり、ティーバックの話をさせてもらうよ」
何を口走ってるんだ、僕は。
みんながティーバックの話を聞きたがっているわけでもないのに。
「お、いいじゃん。俺はティーバックのこと全然知らねーけど、女子がどんなパンツ穿いてるのかは気になるしな!」
「うわ、サイテー」
「ねー、最低だよね。てか普通のパンツ穿いてるし?」
「ささ、ここでアコールの御曹司のご意見をどうぞ!」
咄嗟に話を振られた転校生が、つらつらと答え始めた。
「女子のパンツって種類が豊富で、オシャレもできるしいいものだぜ。売り場を眺めてるだけで、心が癒される。ちなみにパンツの色は紫が好きだな。なんていうか、大人っぽいだろ? 白とか水色とかもいいと思うけどさ、やっぱ子どもっぽいデザインが多いんだよな。購買層っていうの? 買う層によってよく買うパンツの色も変わるんだぜ」
え、転校生、凄い。
やっぱり売る側だと見ている視点も少し違う。
僕もその領域に辿り着きたい。
「でもさ、ブラジャーのほうが好きなんだよな?」
「そうだよ。俺はあの包み込む感じが好きなんだ。新しいブラジャーが欲しくなったら相談に乗ってもいいぜ」
「えー、男子に相談するのはちょっとねー」
「え!? さっきはいい下着教えてって……」
「仲良くなるための冗談だよ~。もう、真に受け取ったらダメだぞ☆」
転校生ががっくりと肩を落とし、ぶつぶつ呟き始めた。
「ブラジャーの情報を教えて適正なブラジャーを教えると共に実際に計測して完璧に包み込んだ胸をブラジャー越しに俺の両手で包み込みたいだけなのに。あわよくば彼女を作れたらと思っているだけなのに。彼女はやっぱりEカップは欲しいよな。包み込んでる感が大切だからな。その重みをしっかりブラジャーで包み込んで支えているところを、俺が揉みしだく……完璧だ。これしかない。これでいこう。ふへへへへへへ」
途中で聞くのをやめ、僕は筆箱や教科書を通学カバンに入れていく。
「じゃあ夜七時、校門前に集合な!」
「おっけー」
「はいよ」
ほとんどの部活動が終わるだろう時間に、みんなが納得した。
ファミレスに入り、僕たちは各テーブルに着く。
参加者は僕を含めて二十四人。クラスの三分の二以上が参加している。参加していないのは、運動部の中でも夜九時や十時まで活動している部や、予定があって無理な人だ。
純粋に来なかったクラスメイトは数人しかいないと聞いている。
「じゃあ改めて。よろしくな、下田」
転校生とは違うテーブルに入れられてしまった。心を通わせやすそうな転校生がいないと、少しばかり心細い。
「名前、覚えてる?」
このテーブルで唯一の女子、和田さんが冗談っぽく言った。
「もちろん。佐藤くん、池谷くん、和田さん……だよね」
「おお、すげえ。初めて下田の口から俺らの名前を聞いたわ」
「てか下で呼んでよ! せっかくだしさ」
確かに、雫のことも一ノ瀬じゃなくて雫って呼んでるし、ほかの元カノや親友も名前で呼んでいた。もう二年も雫以外の名前を呼んだことがないから、すっかり忘れていた。
「健と真尋と朝香、で合ってる?」
「おう!」
「うんうん! でさ、隼人っていつもティーバックのこと考えてたり?」
「え、うーん……まぁ、だいたいは」
「えー! 毎日毎日飽きない? どしてティーバックなの?」
どしてって、どうしてだろう。
小学生の頃。雫の家で遊んでいたときに、たまたま干してあったティーバックに目を奪われた。それが始まりだった。雫に穿いてみてよって言って、でもぶかぶかで。そのあと僕はティーバックをいろいろな場所で探し始めたのだ。
思えば、ティーバックが見えるようになったのもそれからだった。
「男ってのはそんなもんだよな。俺も毎日揉みてーって思ってるし」
「わかる。健は小さいほうがいいんだよな?」
「おう。そういう真尋は大きいほうが好きだよな。俺ら被ってねーし、隼人はティーバックだし、女で取り合うことねーな!」
「男子っていつもそう。女子のこと物か何かと勘違いしてるんじゃない?」
はぁ、とため息をつきながら、朝香が僕たちに苦言を呈した。
「んなことねーって」
「そうそう。それだけしか見てないってわけじゃないし。てか中身が合わないとやってられないっしょ」
「まぁ、それもそっか。隼人もさー、ティーバックばっかり見てたらダメだよ?」
「ああ、うん」
中身、か。
そういえば、僕って雫と話すときはティーバックのことしか話していない気がする。
前回に話したときはティーバックのローテーションの話だった。その前は元カノのティーバックの話。その前は雫が新しく買ったティーバックの話――あれ?
雫と話しても、雫の話を聞いていないし、僕が話す内容もティーバック一辺倒だ。付き合っていたときも、ティーバックのことしか話していない。そりゃあ嫌になって別れたくもなる。
乾きを訴える喉に、水を流し込む。
まずい。まずいぞ。
ごめん、雫。
「俺、スタメンに選ばれたんだぜ」
「すげー! 野球部っていま、三年だけでも十八人くらいいたよな?」
「おう」
「すげーって、真尋は今年の卓球大会でベスト四だったじゃん。ウチなんて初戦敗退。練習が嫌になってくるよ」
ときどき相槌を打ちながら、話を聞き流す。
スマートフォンで雫にメッセージを送る。
話したい。早ければ早いほうがいい。明日、話そう。
「って、聞いてるか? 隼人」
「聞いてるよ」
「スマホばっか見てんじゃん。誰? 彼女?」
「いやいや、ティーバックが彼女みたいなもんでしょ」
「ただの幼馴染だよ」
「ああ、そうなんだ」
三人が興味を失くし、周りを見た。釣られて僕も見ると、そこかしこで会話が止まっていたり、スマホを触っている人が目立ってきている。
「そろそろ席替えするか?」
「お、いいじゃん! 席替えしちゃおうぜ」
その後、二回の席替えを挟んで歓迎会を終えた。
もうすっかりくたくただ。こんなに人と、いろいろな人と話したのは本当に久しぶりだ。
雫からの返信でもいいよって返ってきた。まぁ雫に断られたことがないけどね。
「ただいま」
家に帰っても、誰からの返事もない。僕に両親はいないからだ。昔、交通事故で亡くなった。
「お風呂……明日入ろうかな」
荷物を放り投げてベッドにダイブする。スマホでアラームの設定をして、天井を眺める。
この二年間、雫としかしっかり話したことがなかった。その雫と話すのも、雫を見ずに、ティーバックばかり見ていた。
しっかりしろ、僕。
そんなんだから、雫に振られたんだ。友だちもできなかったんだ。
気合い入れろ。
もう一回、やり直す。
何回だって、やり直せる……はずだ。
「よし」
Side 一ノ瀬雫
「雫」
声をかけられ顔を上げる。
この声は隼人だ。待ち合わせ時間ぴったり。なんだか、いつもより声が明るい。何かいいことでも――まさか朱音先輩と進展が?
「何よ。朱音先輩と仲良くなれたの?」
「え? いや、それはどうでもいいけど……」
目を見開く。
まさか隼人から、ティーバックを穿く人に対して「どうでもいい」なんて言葉が出てくるなんて、思いもしなかった。
「じゃあ、どうしたのよ」
「その、いままでごめん。僕はティーバックが大好きなんだけど」
「知ってるわよ」
「ずっと人と関わることから逃げてたんだ。怖くて。ティーバックに逃げてたんだよ。だけど、それはよくないことなんだ、きっと」
「……何の話?」
「やり直すなら、ここからかなって。やっぱり、雫からじゃないと、僕はやり直せない」
やり直すって、何を?
胸がドキドキする。心臓がとても速くなっていく。
なんだろう。
隼人がこんな真面目な話をするなんて。
「僕と、もう一度付き合わない? 雫さえよければなんだけど」
まっすぐに私を見つめる隼人。今日はまだ一度も、ティーバックの話をしていない。視線もティーバックじゃない。
こんな隼人は、何年ぶりだろう。二年ぶりくらいかな。
「……いいわよ! その代わり、もう私以外のティーバックに浮気しちゃダメだから!」
新しいティーバックを買おう。
隼人が戻った。嬉しさのあまり、とても恥ずかしいことを口にした気がする。
私以外のティーバックに浮気って、なに?
―――――――――――――――
雫が僕の申し入れを受け入れてくれた。
先ほどまでの緊張が、次第にほぐれていく。
「よかったな、下田」
「ありがとう」
影から転校生が出てくる。
雫が顔を真っ赤にして、僕と転校生を交互に見た。
「ちょ、ちょっと待って。………………ずっと聞いてたの?」
「ん? そうだな。『私以外のティーバックに浮気しちゃダメだから!』は感動したな」
転校生が口を開けば、雫がどんどん涙目になっていく。
転校生が雫を見た。
じっくりと、舐め回すように。
……ちょっと、僕の彼女をそんな目で見るのやめてくれない?
「本当にティーバック穿いてるのか。いやちょっと待て! 上下揃ってる!?」
「え、なにそれ僕知らない」
雫、上下揃えてるの? 僕にはティーバックしか見えないのに?
もしかして雫って、結構僕のこと好きなのでは……?
「いつ見られてもいいように、上下揃えてるってのか? 凄いな。下田、愛されてるぞ」
「そ、そんなこと言うなって。さすがに恥ずかしくなるじゃん。ね、雫」
「〜〜っ!」
声にならない悲鳴をあげ、雫がしゃがみ込む。
同じようにしゃがみ、肩に手を置いて雫の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
僕も顔が真っ赤だろうし、雫も顔が真っ赤だった。目を滲ませ、うるうると僕を見つめては目を伏せる。
綺麗な瞳だ。
さらりと流れた髪をかき上げ、雫の顔が近付いてきた。
「な、なに?」
「なんでもないわよ」
いつもと同じ、厳しい言葉。だけど、今回は違った。声が震えている。怒りより恥ずかしさが上回っているのだろうか。
雫が目を閉じる。
何となく察した僕も目を閉じた。
唇に柔らかい感触が伝わる。
柔らかくて、甘くて。
名残惜しい感触が、少しずつ離れていく。
「可愛い」
目を開けて、最初に目に入った雫を見て、思わず出てしまった。
雫が一瞬固まり、小さくつぶやく。
「ずっと好きだったよ、隼人。これまでも、これからも」
「お二人さん?」
あ。
慌てて二人して立ち上がり、僕は転校生を見た。
「なんでいるの」
「なんで始めたんだよ」
そりゃそうだ。
「まぁ、仲良くなったようで何よりだな。俺はもう帰る。帰って――ティーバックでも穿くか」
「! ティーバックはいいよ! めちゃくちゃ過ごしやすいから! ね、雫!」
急に話を振られた雫がぷるぷる震え始めた。返事はまだない。
「もう知らない! 帰る!」
「あ……」
そりゃあ、嫌だよね。僕にされるのも嫌がってたのに、ほかの人とティーバックの話をするなんて。
「そういえば、君、名前なんていうの?」
「……は?」
「いやほら、自己紹介聞いてなくて。ブラジャーが衝撃的すぎてさ」
「あー……なるほどな」
転校生が腕を組み、うんうんと納得する。
「俺は乳大好喜だ! よろしく!」