1年生、4月 その2
昨年は存在すらも気づかなかった広場の個別ブース勧誘は大盛り上がりだった。
「こんにちは〜〜!サッカーやりませんか〜〜!」
「アコースティックギター部でーーす!」
「おい!そこの1年坊主!オレたちの話せっかくだし聞いてくれや!」
声を張って勧誘をする先輩、ブースに座ってと喋る先輩と新入生、ブース周りで先輩にいやいや連れていかれる新入生、最近できたであろう友人たちととりあえずブースを巡る新入生グループ、勧誘も説明もしないで立ち話をする謎の上学年らしき人々、いろいろな声が広場に混じる。
円形の形をした広場の群衆はビラ大名行列から続き、上から見ればおそらく鍵穴のような模様を形成している。
団体1つにつきおそらく1つ割り振られているであろう長机の個別ブースは、十から二十の団体が横並びになりつつビラ大名行列の出口を中心に湾曲したアーチ状を形成する。
そのアーチが幾層にもなりまるで個別ブースバームクーヘンの如く新入生を迎え撃つ。
そういえば受験生時代、渋谷とパリがこういう街の作りだみたいな話を聞いたことがある。
考えてみれば当たり前だが、この形状の作りを考えると今いる地点から目的地まで行く際、バームクーヘンにおける同じ層の端から端までを移動するより、場合によっては一度バームクーヘンの内側の中心へ行く方が移動距離が短く済む、という無駄雑学を思い出す。
ビラ大名行列の出口から最も遠い外側の層の一番端のブースなんて人は行かないんじゃないだろうか……といういらない心配さえも払拭するほど、至る所に人がいた。
全学で一万から二万の学生がいれば、1年生から4年生そして院生を踏まえて全学生から割る5、割る6をした単純計算だけでも新入生だけで数千人はいることになるし、全ての学部学科で設定されたガイダンス日は確か今日だけなのでおそらくその大半が今日この場にいる。
また、個別ブースバームクーヘンを作り上げる長机から察するに、広場には何十、下手したら百やニ百もの団体がある気がする。
バスケ部、サッカー部、陸上部、硬式野球部、テニス部、アメフト部、ボート部、美術部、ディベート部、ESS部、合唱部、吹奏楽部、コーラス部、ギター部、フットサルサークル、軟式野球サークル、スノボサークル、英会話サークル、アカペラサークル、バンドサークル、バンドサークル2、バンドサークル3、といったよくあるものから、ヨット部、ロケット部、自動車部、競技プログラミング部、ボルダリングサークル、セーリングサークル、二足歩行ロボットサークル、映画サークル、麻雀サークル、といったマイナーなものまで多種多様だ。
中には、議論サークルとかお散歩サークルとかお化け屋敷サークルとかあまりにもニッチ過ぎるものから、猫探偵サークルや総合ホビーサークルという実態不明なものさえもある。
とりあえず「ウィンドサーフィンサークル」なる看板が立つ団体の個別ブースに行ってみることにした。
昨年家で引きこもっている際にたまたま観ていたアニメがスキューバダイビングをする大学生を題材にしたもので、マリンスポーツ(スキューバダイビングがスポーツなのかはさておき)に憧れがあった。ウィンドサーフィンなるものもおそらくその仲間だろう。
ウィンドサーフィンサークル個別ブースの長机にはたまたま俺しか新入生がいなかった。
「へい新入生くん、らっしゃい。」
いきなり茶髪で色黒で何故か4月上旬だというのに上裸で下に海でよく見るピチピチな長い水着をきた屈強な先輩(推定3年)が声をかけてきた。
「新入生くんさ、うち気になってん?」
「......あ、はい。」
「身体ガリッガリやなあ。まぁでもうちは筋肉が少ないほうが最初はとっつきやすいから気にすんなや。」
屈強先輩はよくあるエセ関西弁のような喋り方をする。
コテコテの関西弁を使うネットの知人とずっとFPSでチームを組んでいたのでエセ関西弁と本当の関西弁の違いがなんとなくわかる。
「学科はどこなん?」
「工学部の......デンシキです。」
「新入生なのにデンシキっていうの知ってるんか!珍しいなあ!この時期になんで知ってるん?ちなデンシキだとうちのサークルけっこうキツいんちゃうかなあ。」
一発目で完全にミスった。
「デンシキ」というのは電子機械工学科の学生の中での略称であり、入学したての新入生は普通まだこの略し方を知らない。
学務の女の人から、「『実は留年して本当は2年』みたいなことは言うな」とせっかくアドバイスを貰っているのに、開始早々それとほぼ同じようなことを言ってしまった。
「デンシキかあ。なんで入ったん?ん?聞いてるか?」
どうしていきなりこんな間違いをしてしまったのだろうか……
おそらくこの先輩は俺が「デンシキ」と言ったことなんてすぐ忘れるだろう。そうであったとしても、言ってしまったという謎の後悔は跡を絶たなかった。
「お〜い、新入生君、大丈夫なん?聞いてるか?」
留年をする前の俺であったらこの程度の誤りは気にしなかったと思う。
だが二度目の1年生をやるとなった今となっては、たかがこの程度の誤りであっても、また何か大失敗をしてしまうのではないかというトラウマに近い何かがあった。
屈強先輩からそのあともサークルの簡単な説明を聞いたが、ボロを出してしまったという焦りから全く頭に入ってこなかった。
颯爽とウィンドサーフィンサークルのブースを後にした。
電子機械……電子機械……電子機械……と頭の中で何度も唱えながらバームクーヘンを彷徨った。
先程のデンシキのせいでマイナス思考になっているからなのか、「バレー……スタメンになるのはどうせ経験者だろう……」「自転車……体力が大事そうなスポーツはもうキツいよな……」「サックス……今まで楽器なんてほとんど触れてこなかったし……」と選択肢は無限にあるはずなのにどれも自分には合わないような気がしていた。
半年ぶりくらいに平塚と話すため麻雀サークルに行こうかとも考えたが、平塚のいる団体なんてまさに自分が2年目であることを一発で気づかれるだろうという恐怖から諦めた。
そうしているうちに、ビラ大名行列の出口から最も遠いバームクーヘンの最も外側の層の一番端のブースまで辿りついてしまった。
「新入生くん、どう?」
最も外側層の一番端にも人は流石にいるだろうと思っていたが、新入生はまさかの俺ひとりしかいなかった。
それだけではなく、ブースにはメガネをかけた先輩らしき人が一人いるだけだった。
多分......このメガネの人......俺に話しかけたんだよな......
看板もなにも置いていない最も外側層の一番端の長机には、メガネの人と俺以外に周りも含めて誰もおらず、そのような中で話しかけられてしまい地味に断りづらかったので話を聞いてみることにした。
「なんのサークルですか?」
「僕たちね、コーヒーサークル。」
メガネをかけて少しぼさっとした髪の今日の夜には忘れてしまいそうなこの大学に五百人は存在していそうな見た目をした先輩が紹介したサークルは、最初に見かけた猫探偵サークルとか総合ホビーサークルとか、あの類の団体だった。
「......何をするサークルっすか?」
「コーヒーに詳しくなるサークル。毎週興味ない?」
更に先輩は続ける。
「部員は20人くらいしかいなくてそのうち半分が幽霊部員で廃部の危機なんだ。毎週1回みんなで部室に集まって持ち寄ってきた新しい豆を挽いて淹れるんだ。味の違い、分かるようになるよ。」
正直なにをしているのか分かったようでよく分からないサークルではあるものの、面白そうではあった。
たぶんハードな部活やサークルに入るくらいなら、アットホームで単位取得やバイトととも両立できそうなゆるいくらいが良い気がする。
引きこもっていたときに観たアニメたちのなかに、放課後になると部員みんなでのほほんと過ごすようなここと同じまったり系の雰囲気の部活が題材のものをいくつか観てきたし、刺激は少なそうだがある種の「青春」として実際に楽しそうだった覚えがある。
おそらくここもそれに近いところな気がする。
うん。ここにしよう。
ここなら俺が大学に行かなくなったら、家までは来ないにせよメッセージのひとつやふたつ送ってくれるような友達ができるだろう。
......いや、でも例えばこの話をしてくれてるメガネ先輩が同じ学年だったとしたらそんなことしてくれるのだろうか。少しだけ懸念はある。
まあでも今まで見る前から「入れないな」と否定していたような部活やサークルと比べれば断然マシだ。
ここにしよう。
「ちなみになんすけど、何曜日が活動日ですか?あと、部費も教えてほし......」
詳しいことを聞こうとしたその瞬間、メガネ先輩が言葉を遮った。
「ねえマシナちゃん〜また奪いに来たの〜勘弁してよ〜〜」
俺とメガネ先輩が話していた机に、身長がパッと見180あるかないかくらいの「マシナ」と呼ばれる男の学生が来た。
「おっす。そだよ。」
「奪うよ。」
そう一言二言メガネ先輩に言ったマシナと呼ばれた先輩は、急に俺の方を向いて声をかけてきた。
「君さ、学祭、興味ない?」
「はい......?」
「コーヒーと兼部できるから心配ないよ。」
わけがわからなかった。
そもそもコーヒーサークルに入りたいとは思ったがまだ入ると決めたわけではない。
兼部をするつもりもない。
そこに更に学祭?なんのことだ。
マシナと呼ばれる人は俺がどう見ても困惑していることに気づいてはいそうなのに、それを気にも留めず話し続ける。
「俺、コーヒーと学祭運営両方やっててさ。そんでもって学祭の回しモンなんよ。」
「来ない?」
「あの、ぜんぜん意味がわかんないっす。」
「大丈夫、今は分からなくても。そのうち分かるようになるから。」
「あと女子わりといるよ。たぶん君、工学部でしょ。」
「マシナ先輩」はなんで俺が工学部なことがわかったのだろう。
見た目か?
喋り方か?
話を聞けば聞くほど謎が深まる。
そもそも学祭運営ってなんだ?
高校の文化祭委員みたいなものか?
そういうのって文系のウェイウェイしたやつらの集まりなんじゃないか?下手したらいちばん関わりたくない部類の集団の可能性がある。
「ああちなみに。チャラいやつはそこまで多くいない。君らが想像するようなチャラいのってうちだと広告とかだよ。」
「学祭は君みたいなのたくさんいるから安心して。」
なんというか思考が先読みされている。
そしてもはや入ること前提のような流れが漂ってきて、まずい。
「マシナ先輩」は韓流ドラマのオジサン俳優によく出てきそうな高身長で濃い眉毛で高い鼻で目は奥二重だけどなんとなく薄い顔に見えるような見た目をして、笑っていそうな顔なのに実は笑っていないような妙な怖さがあり、妙な断りづらさがある。
「イイダちゃん、この少年、とりあえず連れてくわ。あとで返すから。」
いいや、「マシナ先輩」は絶対に俺をこのコーヒーの場へ返さないだろう。
「マシナ先輩」が僕をどこかへ連れて行く手前、空気となりかけていたコーヒーのメガネ先輩が「君のこと仮入部員として覚えておくから今度部室へ来てね......」と哀しそうに言っていたのが聞こえた。
ごめん。メガネ先輩。
学祭運営なる団体までの個別ブースバームクーヘンの迷路の道中、「マシナ先輩」はずっと話かけてきた。いや、俺が喋る暇を与えないほど語りかけてきた。
「俺らの学祭さ、『チクロクサイ』って言うんよ。」
「漢字で書くと『逐次』の『逐』に動物の『鹿』に『祭』で、『逐鹿祭』。」
「語源は中国のことわざらしい。」
「学内の人は運営メンバーに限らず『逐祭』って呼ぶかな。」
「向こうに着くとみんな『チクサイ』って言うから、先に注意しとく。」
逐鹿祭か。既に1年もこの大学に在籍していたのに自分の大学の学祭の名前さえも知らなかった。
でもそんなことより「マシナ先輩」の本名の方が気になった。
「あの......先輩のお名前お聞きしても良いっすか......?」
「ああ、俺?俺はヤマシナユウシ。富士山の『山』に化けない方の科学の『科』で『山科』。」
「そんで遊ぶに志で『遊志』。山科 遊志。」
「なるほど!だからさっきのメガネの先輩に『マシナちゃん』って呼ばれてたんすね。」
納得がいった。やましなのマシナさんだ。
そんなことを喋りながらマシナさんは相変わらず笑っているのか笑っていないのかよくわからない顔でバームクーヘン迷路を淡々と進んでゆく。
「君は?」
「俺っすか?晴海です。晴れた海で『晴海』っす。下の名前は数字の『一』で『はじめ』と読んで、『晴海 一』って言います。」
「ふうん。ハルミンね。」
「ハルミン?」
「うん。」
出会って5分くらいで妙なあだ名を付けられた。
大抵、中学高校の友人からは「ハルミっち」とか「はじめちゃん」とか呼ばれていた。変な友人からは「社長」とか呼ばれることもあった。
それでも流石に「ハルミン」は初めて呼ばれた。
そうこうしているうちに「逐鹿祭」と達筆な黒字で大きく書かれた赤いノボリが何本も立っている周りを見渡しても明らかに異色な個別ブースに辿りついた。
今までにこれほどまでに派手なノボリをここまでの本数ブース周りに立てている団体は無かった。
おそらく先ほどコーヒーサークルに着く前にも一度この前を通っているはずなのだが、自分の中の何かが見ていないフリをしていたに違いない。ここまで目立つブースなのに全く記憶がない。
「こっから先はオオツキさんに引き渡すから、あとはがんば。」
「チュウヤサイで待ってる。多分、あってる。」
ん......?引き渡す?
やましなのマシナさん、このあといなくなるの?
まだマシナさんと俺と学祭の名前を確認し合っただけじゃないか。
あと「チュウヤサイ」とか「たぶんあってる」ってなんだ?
マシナさんは俺のなにか分かったのか?
一体なんだったんだ?
そうこうしているうちにマシナさんはブースで座っていた「オオツキさん」と呼ばれる女の人に何か言って、去っていった。
今となってはマシナさんは大学へ行く途中の居酒屋ストリートによくいるただのキャッチの店員だ。
やっぱコーヒーにどうにか居座るべきだったのではなかったのだろうか......
学祭のブースには俺とオオツキさん以外にもたくさんの人がいた。