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8 近くて遠い距離




「旦那様」


 廊下の途中で声をかけられて、私はびくりと肩を跳ねさせた。ドレスの裾を握っていた手を胸に当てると、速い鼓動が感じる。


「王子殿下が到着したようです」


 侍従は玄関から走ってきたらしい。一礼して報告した。


「⋯⋯早いな。少しお待ちいただくよう伝えてくれ。すぐ向かう」


「──その必要は無いよ」


 エドウィンが私を抱えたまま振り返る。

 声の主は豪奢な身なりの若い男だった。後ろに騎士を二人引き連れて、ゆっくりと近づいてくる。


「⋯⋯⋯⋯殿下。少しばかりお待ちいただけば迎えに参りましたが」

「もう来ちゃったから手遅れだよ。それよりも面白いものが見れたな。待ってなくて正解だった」


 口元に笑みを浮かべながら、歌うように言うと、皇太子の瞳が私を捉えた。

 挨拶をしなければ、と最低限の礼儀を思い出し、私はエドウィンの腕の中で頭を下げる。


「王子殿下、お会いできて光栄にございます」

「ああ、形だけの礼なんていらないよ。直接話すのは初めてかな。ウォーズリー伯爵夫人」


 王子はそこで言葉を切って私をじっと見つめた。笑顔なのに目の奥の鋭さは鷹のようだ。何かを見定められている。居心地の悪さを感じて、無意識に身を小さくした。


「⋯⋯一晩だけど私の護衛も泊めてもらう。急な訪問で悪かったね。伯爵? もう準備はできているんだろう?」

「ご案内します」


 愛想の欠片も無く、それだけ口にしてエドウィンが歩き出す。




「⋯⋯へぇ、これはどういう訳かな」


 王子が前を歩く二人を見つめながら呟いた。エドウィンに抱えられて背を向けた私はその呟きも、視線の意味にも気づくことはなかった。




────



 普段と違って味がよく分からない料理を、私は不自然にならない速度で口に運んでいる。味がしないのは緊張と気まずさによるものだった。

 喉が渇いてワインに手を伸ばしてしまうのも緊張のせいだ。

 ちらりとエドウィンの方を見れば黙々と食事をしていた。荒々しく剣を振るうこともあるらしいが、想像し難い程丁寧な所作だ。

 視線を上げたエドウィンの灰色(グレー)の瞳に、盗み見ていたことが知られて私は慌てて視線を反らす。


 食事中の会話は王子が話す国の防衛や貴族の税に関するものがぽつり、ぽつりとあるだけだった。皇太子がエドウィンに話を振り、エドウィンが二、三言答えるか、王子の話を聞いている。

 私はそれを、口を挟むこと無くじっと黙っていた。


「そう言えば、ウォーズリー伯爵夫人」

「は、はい」


 突然話しかけられて慌てて料理を飲み込んだ。


「君は足が悪いの? ⋯⋯椅子に座った瞬間から全く足を動かしていないよね。貴族らしい姿と言えるけど、所作を重んじる貴族は椅子にそんなに深くは座らない。さっきも抱き上げられていたしね」


 すらすらと並べられた理由に驚いた。

 食事中、彼はほとんど私に視線を向けなかったのに。今はじっと私の言葉を待っている。


「彼女は先日階段で転んで、足を負傷したんです」


 そう言う設定にするらしい。私も合わせて頷いた。


「子供でもないのにお恥ずかしいかぎりです。少し動かしにくいだけですわ」


 王子はふーん、と声を出すとにこりと笑顔を作った、


「そう。早く良くなることを願ってるよ」


 王族にしては軽い言葉遣いと柔らかい笑顔があっても鋭い瞳は隠せていない。一度視線が外れたことに安堵しながら、私はまたワインを呷った。



「伯爵が抱き上げて彼女を運ぶくらい距離が近づいたようで安心したよ」


 次にかけられた言葉に空気が固まるような心地がした。

 高い観察力を持っている王子のことだ。この空気にも、私とエドウィンの視線や言葉が交わらないことも知っていて言っているのだ。

 エドウィンの瞳がすっと細められた。一目で不機嫌であることが分かって、心臓が早鐘を打ち始めた。


「仲良くやっているようなら良いんだけど。無理やり結んだ縁じゃないかと心配していたんだ」

「ええ。問題ありません」


 私は納得から声が零れそうだった。

 この結婚は王命によるものだったのだ。彼の意思なんて一つも入っていないのだろう。私はこの屋敷に歓迎されていなかったのだ。

 いや、政略結婚であることなんて分かっていたことだ。それなのに、改めて現実を見せられたようで、私の心は沈んだ。

 エドウィンの方を見ることができずに料理へ視線を落とす。


 ぼんやりと迫る頭痛も飲み過ぎたワインのせいにして、私は考えることから目を背けた。




「伯爵はこんなに可愛らしい奥方を貰えて幸せだと思うよ。⋯⋯さて、夫人の酔いも回ってきた頃だろうし、私は失礼するよ。侍従に案内させるから伯爵は奥方を見てると良い」


 王子の言葉は私に届かなかった。

 ぼんやりとしていたらしい。いつの間にか食事は終わり、王子が立ち上がろうとしていた。

 私は慌てて椅子の上で礼をとる。


「明日の出立の見送りはいらないからね」

「しかし」

「お互い面倒じゃないか。勝手に出てくから良いよ。何なら侍従をつけてくれれば良い」

「⋯⋯分かりました」


 本音らしい言葉にエドウィンも了承を示した。


「では、別れの挨拶だ」


 王子が私に近づいてくる。手袋に覆われた彼の手が私の右手をとった。

 鋭かった瞳に哀れみのような色を灯して私を見つめた後、私の手の甲にぎりぎり触れない口づけを落とす。私が回らない頭で視線の意味を考えている間に、王子は侍従と共に部屋を離れて行った。



「アイリス」


 すぐ側に来た声に、私はゆるゆると視線を上げた。もう、機嫌は直ったのだろうか。


「⋯⋯酔っているだろう。顔が赤い」

「酔っていないわ」


 思っていたよりずいぶん甘えたような声が出てしまった。エドウィンが息を呑み、長いため息を吐く。


「⋯⋯もう戻ろう」

「抱えて貰わなくても、シャロンを呼べば連れていってくれるわ」

「⋯⋯こっちの方が早い」


 言うが早いか、エドウィンが私を抱き上げた。

 とん、とんと心地好い間隔で身体が揺れる。

 段々と目蓋が重くなってきた。


「眠いのか?」

「⋯⋯うん」


 自分が何を言っているかも曖昧になってきた。

 目蓋が落ちきる前、レースが重ねられたクリーム色の生地が目に入る。


「⋯⋯エドウィンさま⋯⋯」

「⋯⋯」

「⋯⋯結婚式もこんな⋯⋯かんじだったかしら」

「⋯⋯────」



 エドウィンが何を呟いたのかも知らず、私が次に目を開けると、朝の光が差し込んだ私室の天井が見えた。




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